新聞コラムを題材に読解問題をつくる

引き続き論理トレーニングをしていきます。その間、新聞コラムの読解問題作成はしばらく休みます。

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2012年2月1日

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論理トレーニング問18

2012、2、1(水)
 
 文章を読解するためには論理の力が必要である。だから誰もが論理的に言葉を聞き話し読み書きしているはずだが、必ずしもそれを意識的にしているわけではない。何かおかしな論理(理屈)に触れたときに意識される程度である。そうであれば初めから論理というものを意識しながら文章を読んでみたらどうだろうか。そうすればおのずと文章も正しく読み取れるようになるだろう。さらに言えば批判的に読むことさえできるようになる。要するに論理力を身につければ読解力も深まる。
 
 その論理の力を鍛えるためには論理的な問題を解くのが一番だろう。問題はすべて『論理トレーニング101題』(野矢茂樹著 産業図書)から引用するが、その本の中の「はじめに」で著者はこう述べている。
 「1問やるだけでも、1問やっただけの力がつく。全問やりとおせば、必ずや全問やりとおした分だけの力がつく。ともかく、力はつく。保証する。解説書なんかいくら読んだって論理の力は鍛えられない。ただ、実技あるのみ」
 
ではやってみよう。
 
問18 次の文章中、一箇所不適切な接続表現がある。その箇所を指摘し適切な接続表現に修正せよ。

 日本人は、個よりも集団を優先し、集団を形成することで個の確立をはかるという傾向をもっている。
 だが、集団の規範に従い、それをむしろ自己の内面へと取り込み、それ自体があたかも「自分」であるかのように生きることは、真面目、几帳面、世間体を気にする性格、つまり、秩序指向性や対他配慮性を特徴とするうつ病になりやすい性格を形成する。こういう性格は一見望ましい性格のように見えるが、必ずしもそうではない。あまりにも規範に執着しすぎると、それが重荷となって疲れてしまったり、また、それが全うできない不可能性にぶつかったりする。そのとき、無能感や自責感などの感情反応を引き起こす。それがうつ病である。したがって、日本人(とくに成人期以降)にはうつ病が多いのである。
 ところが、若者たちには、大人のような典型的なうつ病は稀である。それは、彼らがまだ発達の途上に位置し、人格の枠組みが一定のものとして完成されていないからである。しかも、親や教師の言いつけ、さらには世間のルールや校則に過度に自らを適応させてきた若者の中には、自我の目覚めに伴い、規範に忠実であることに矛盾を感じ始めたり、また、年齢の上だけで規範が急に緩和されたり取り除かれたりすると、若さゆえの高い衝動性と重なり、うつ病よりももっと混乱した自己を見失う事態に陥る場合がある。
設問は『論理トレーニング101題』(野矢茂樹著 産業図書)より引用
問題文の出典 森省二 『正常と異常のはざま』(講談社現代新書)
 
以下の答えと解説は私の考えたものであり、出題者(野矢茂樹氏)による模範解答と解説ではありません。出題者のオリジナル解答・解説を知りたい方はぜひこの本に当たってみてください。
 
今回は解答を後回しにして先に解説を書くことにする。
 
(解説)
今回の設問は厄介である。文中の接続表現を全部拾って正誤を検討しなければならない。はじめに問題文全文を表示し、説明のためにすべての接続表現を色分けし符号を付ける。
 
 日本人は、個よりも集団を優先し、集団を形成することで個の確立をはかるという傾向をもっている。
 (a)だが、集団の規範に従い、それをむしろ自己の内面へと取り込み、それ自体があたかも「自分」であるかのように生きることは、真面目、几帳面、世間体を気にする性格、(b)つまり、秩序指向性や対他配慮性を特徴とするうつ病になりやすい性格を形成する。こういう性格は一見望ましい性格のように見えるが、必ずしもそうではない。あまりにも規範に執着しすぎると、それが重荷となって疲れてしまったり、(c)また、それが全うできない不可能性にぶつかったりする。そのとき、無能感や自責感などの感情反応を引き起こす。それがうつ病である。(d)したがって、日本人(とくに成人期以降)にはうつ病が多いのである。
 (e)ところが、若者たちには、大人のような典型的なうつ病は稀である。それは、彼らがまだ発達の途上に位置し、人格の枠組みが一定のものとして完成されていないからである。(f)しかも、親や教師の言いつけ、さらには世間のルールや校則に過度に自らを適応させてきた若者の中には、自我の目覚めに伴い、規範に忠実であることに矛盾を感じ始めたり、(g)また、年齢の上だけで規範が急に緩和されたり取り除かれたりすると、若さゆえの高い衝動性と重なり、うつ病よりももっと混乱した自己を見失う事態に陥る場合がある。
 
(a)「だが」
「だが」は主張の転換を示す接続詞だが、ここでは前後の主張は転換されているだろうか。同じことを述べているように思われる。
 
「個よりも集団を優先し、集団を形成することで個の確立をはかる」
「集団の規範に従い、それをむしろ自己の内面へと取り込み、それ自体があたかも「自分」であるかのように生きる」
前者を詳しく説明したのが後者である。では、なぜ、「だが」なのだろうか? 筆者は前者をとりあえず良いこととして提示しているのではないだろうか。後に「こういう性格は一見望ましいように見えるが…」とある。筆者はこう言いたいのだ。
「個よりも集団を優先し、集団を形成することで個の確立をはかる」(のは一見望ましいことのように思える)。「だが」、このような傾向はうつ病になりやすい性格を形成する。そう解釈すれば(a)「だが」は妥当である。
 この文章では「だが」の論理が見えにくい。その理由は「個よりも集団を優先し、集団を形成することで個の確立をはかる」ことが良いことなのか良くないことなのかが前提として一般に共有されていないからである。例えば、「あの人は老人だが、足が速い」は論理としてわかりやすいが、「あの人は老人だが、ケーキが好きだ」はわかりにくい。前者の例がわかりやすいのは、老人というものは足が遅いという一般論の共有度が高いからである。対して後者がわかりにくいのは老人というものはケーキが好きではないと言えるかどうか確信が持てないからである。
 
(b)「つまり」
「真面目、几帳面、世間体を気にする性格」
「秩序指向性や対他配慮性」
さらに細かく見れば
「真面目」「几帳面」→「秩序指向性」
「世間体を気にする性格」→「対他配慮性」
言い換えであるから、(b)「つまり」は妥当である。
 
(c)「また」
「疲れてしまう」ことの他に「全うできない」を追加しているから、(c)「また」は妥当である。
 
(d)「したがって」
日本人は「集団の規範に従い、それをむしろ自己の内面へと取り込み」個を確立する。規範はときに重荷となり、またそれを全うできなければうつ病になる。以上二つの前提から日本人にはうつ病が多いと結論する。この「したがって」は妥当である。
 
(e)「ところが」
直前では「日本人にはうつ病が多い」と言っている。その後で、若者は例外だと書く。主張を転換しているから、この「ところが」は妥当。
 
(f)「しかも」
この直前では、若者にうつ病が少ないこととその理由を説明している。その後では「うつ病よりももっと混乱した」事態に陥ることもあると述べている。この二つのことを「しかも」でつなげるのはどうだろうか。うつ病にはなりにくい、しかも、もっと重篤な事態になる、ではいかにも変である。これは筋道を転換しているのだから、「しかも」ではなく「しかし」にすべきでる。
 
(g) 「また」
もう答えは出たがついでにこの「また」も検討しておこう。
「規範に忠実であることに矛盾を感じ始めたり」に「規範が急に緩和されたり取り除かれたりする」場合を追加しているから、「また」は妥当である。
 
(解答) 「しかも」を「しかし」に変更する。

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