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妖刀村正

のりちゃんさんから頂いたコメントに触発されて記事にします。
 


 
古今、「妖刀」と呼ばれる刀剣は数多かれど、「Top of 妖刀」 「妖刀の王様」 「妖刀の中の妖刀」 「五つ星妖
 
刀」 「行列の出来る妖刀」 「遠くのお客さんもわざわざ買いに来る妖刀」 「広告も載せてないのに大人気の妖
 
刀」 「セレブ主婦が選ぶ妖刀400年連続No1」…しつこいか。
 
―と、まあ、「妖刀」として、恐らく最も有名な銘は「村正」でしょう。
 
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「村正」は室町時代に伊勢国桑名で始まった刀工の名で、その一派が打った作品の銘の事です。
 
銘とは、簡単に言うと、つまりは「ブランド」です。ルイなんとかとか、シャネなんとかとか、プラなんとかとか、そう
 
いった感じでしょうか。村正は、刀だけでなく脇差や槍もよく打ちました。
 
 
村正ブランドは、室町期に初代が立ち上げ、徳川幕末まで続きました。
 
初代村正は、かの名工正宗に師事したともいわれております(正宗は鎌倉期の刀工なので、かなり眉唾です
 
が…)。
 


 
正宗の元での修行時代、あまりに切れ味にこだわりすぎる村正を案じた正宗は、ある時、互いが鍛えた刀を川
 
面に突き立てました。刃は上流を向いています。正宗の刀は、水流を分けるのみで、流れてきた落ち葉は刀を避
 
ける様に下流へ去っていく。かたや村正の刀は、落ち葉を吸い寄せ、それを真っ二つに斬る…。
 
 
これを見た正宗は「斬れるだけでは真の名刀とはいえない。斬れ味にこだわり過ぎる心は邪気となって刀に宿
 
り、斬らなくてもいいものまでを斬ってしまうのだ」と諭しました。しかし、村正は「斬れることこそ刀の真髄」と言い
 
残し、正宗のもとを去ったといいます。

そんな寓話が残る程、村正ブランドの最大の売りは、その畏しいまでの切れ味だったと伝えられております。
 
一旦鞘から抜くや血を見ずにいられぬと、そんな風にいわれております。

 


 
村正が、妖刀といわれるようになったのは、関が原を制し戦国に覇をとなえた徳川家に数々の禍を為したから。
 
 
徳川と村正の因縁は、まずは家康の祖父・松平清康から始まります。
 
若くして三河を平定した清康が、尾張の織田を攻める最中、守山城攻略戦の内に家臣である阿部正豊に後から
 
袈裟に懸けてズンバラリンとやられてしまったのが発端。正豊が振りかざしたのは、言わずもがなの村正。その
 
切れ味は評判を損なう事無く、傷は右の肩先から左の脇腹まで達していたといいます。敵城の大手門まで攻め
 
上ったところでの暗殺事件により、松平軍は撤退、その後勢力は衰えていきます。「守山(森山)崩れ」といわれ
 
る事件です。清康は享年25歳でした。
 
 
さらに、家康の父・広忠も家臣・岩崎弥助に暗殺されたそうで、その時の刀も村正だったとか。
 
さらにさらに、家康嫡男の信康が切腹する折に介錯したのも村正。
 
さらにさらにさらに、家康自身も村正の槍を検分している時に手を滑らせ指に怪我をしたり。
 
 
そんなこんなで、村正は妖刀の名を欲しいままにするのです。
 
 
反面というか当然、徳川家に恨み反感を持つ者はこぞって村正を所持したそうです。
 
真田、島津、鍋島、福島といった豊臣恩顧の大名達も密かに所有し、時代は変わって明治維新を迎えては西郷
 
隆盛や、有栖川宮熾仁親王も村正を帯刀していたという話が残っております。嘘かホントかは判りませんが、
 
由井正雪も村正愛用者だったとか。大塩平八郎はどうだったんでしょうか?
 


 
しかし、しかし。
 
何でいちいち徳川家の一大事に村正が出てくるかと言うと、それは単に、徳川家臣団で村正愛用者が多かった
 
と言うだけみたいです。伊勢は三河と距離も近く、流通ルートも確保されていたので、三河武士団の武器供給元
 
として重宝されていたのです。いきおい、徳川武士団の中で村正は制式兵装みたいなものになる。
 
つまりは、刃傷沙汰が起これば、使われるのは当然ほとんどが村正な訳で、当たり前と言えば当たり前な話。
 
 
例を現代に移し変えると、警察で発砲不祥事が起きればそれはほぼ100%ニューナンブによるもので、いわゆ
 
るそんな感じのハナシなのです。
 


 
実際、家康は特に村正になんのこだわりも持っていなかったようで、生涯傍に置いていたそうです
 
 
家康に天下をもたらしたのは、団結屈強で鳴る三河武士団。
 
その武士団が村正を使っていたのなら、むしろ家康の天下獲りを支えたのは村正だと言う事もできましょう。
 
家康側近中の側近、本多忠勝の振るった名槍「蜻蛉切り」も村正ブランドだったそうですし。
 
日本史上稀有の実利者である家康が、巷間噂される村正の妖刀性を鼻で笑った事は想像に難くありません。
 
 
刀は斬れてこそなんぼ。家康は、そう思っていたのかもしれません。だとしたら、それは、初代村正の遺志と相
 
容れるものです。
 
 
しかしながら、それだからこそ、庶民の間で「村正」の噂に尾ひれがついて広まり、血を好む妖刀として、今
 
に伝わっているのであろうかと。つまりは、妖刀村正は後世の創作ネタであると、そう思うのです。
 


 
ちなみに、国宝指定されている刀剣一覧の中に、村正は一振りもありません。それは見てくれが悪いから。
 
村正の刃には大きな波紋が波打ち、刃の両面の波紋が揃っていることが大きな特徴ですが、華やかで美しい正
 
宗に対すると地味な印象は拭えません。
 
 
対して正宗は、幾振かが国宝となっております。しかしその実、見てくれ(芸術性)ばかりで実用性が乏しいとも
 
いわれているそうです。
 
 
つまるところ、村正の美しさは、千利休が言う所の”用の美”なのでしょうか。
 
村正が用を為す時は、それは人の血が流れる時ではありますが…。
 
(↓)徳川美術館所蔵 「刀 銘 村正 徳川家康所用」
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(↓)クリックしてもいい事がある訳でもないが、悪い事が起こるわけでもないです。
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