ワルシャワの橋

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キュリー橋オープン〜ワルシャワでやっと8つ目

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ワルシャワの橋シリーズで御紹介したキュリー橋が今日開通した
それに先立って昨日の土曜日は歩行者に開放された
こう言う機会は珍しいので私も自転車を車に積んで出かけた
午前10時に開放された直後だったのにもう大勢の人達が来ていた

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これで8つ目になるワルシャワの橋の中では一番長い795m
両側のインターチェンジを含めると2キロ程の長さになる
これが丁度橋の真ん中 地元のテレビ局が中継をしていた

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対岸の東側を見ると人々がどんどん渡って来ていた
川沿いには社会主義時代に出来た団地が見える
市の中心に行くために使って来た上流の橋は朝夕の混雑が激しい
だからこの人達にとっては待ちに待った橋だ

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この橋が一番北の橋 私の家の近くにあるのは一番南の橋
市の中心からいずれも数キロ程だが 川が蛇行していることもあって
ここからはワルシャワ中心街のミニ摩天楼群がほとんど見えない

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この橋は「北橋」とこれまで呼ばれていたが ほぼ完成した去年が
キュリー夫人の二度目のノーベル賞受賞100年記念の年だったので
「マリア・スクウォドスフカ・キュリー橋」と名付けられた

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最初はサイクリングを楽しんでいたが 人がどんどん増えて来た
そして昼過ぎにはもう走れないほどの混みようになった
他国に度々侵略された経験から極端に橋が少なかったワルシャワに
体制変換後に出来た橋は3つ目 平和な時代の到来を象徴するように思えた

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建設中の橋を自転車で走る〜橋10(最終回)

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ワルシャワの橋シリーズの最終回は今建設中の橋
前回御紹介した「ロヴェツキー将軍橋」の北約3キロにある
架橋や川沿いの道路との立体交差の工事はほぼ終わっている
車の進入禁止の表示があったが 自転車で立体交差を上った

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車線の部分は工事がほぼ完了し 柵の取り付けや
橋の周りの整備工事がまだ残っている
積み上げられているのはガードレール用の資材だと思う

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ちょっと緊張しながら自転車を走らせたが
開通する前の道路を走るのは気持ちがいいものだ
300メートル程走ったところでブロックされていた
左の隅にあるボックスから警備員が顔を出したが
何も言わずに中へ姿を消した

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ポーランドのここら辺りが鷹揚なお国柄だといつも思う
管理責任を厳しく追及する日本だとこうは行かないだろう
ところでこの橋は795mで一番長い橋になる

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そしてこれまでは「北橋」と仮称で呼ばれていたが
キュリー夫人が二度目のノーベル賞を受賞してから今年で
100年になることから「キュリー橋」の名前になることが決まった
写真を撮ったのは先週末だが 実際に工事が行われていた
雪がなく暖冬のこの冬は建設業界にとっては特需のようなものだ

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「キュリー橋」の開通は来年前半になるそうだが8つ目の橋
今後数年以内にロヴェツキ将軍橋の南に「クラシンスキ橋」
そして私の家よりもう少し南に「南橋」が建設される予定だ
外国軍隊の進入を阻止する最後の防波堤にする意味合いから
ワルシャワの川に自由に橋を建設出来なかったポーランド
そんな馬鹿げたことが少しずつなくなりつつあるように見える

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本当の名前で呼ばれなかった橋〜戒厳令30周年に想う

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ワルシャワの橋シリーズ 9回目は今のところ一番北にある橋
交通量が一番多く 645mと一番長いが 半分は川原の上だ
「トルニ橋」と呼ばれていたし 私もそれが名前だと思っていた
トルニはここから200キロ下流のコペルニクスの生まれた町
実際 この橋の続きは「トルニ通り」だ

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片側4車線ずつと広いが ともかく交通量が多く
ラッシュアワーには橋を渡るのに1時間かかることもあるそうだ
この橋はポーランドが共産主義時代の1981年11月28日に開通した
その時に付けられた正式名は「一番槍のロヴェツキ将軍橋」
一番槍はロヴェツキ将軍のあだ名だが 第二次大戦中に地下に潜り
ドイツ軍に抵抗した「ポーランド国内軍」の指導者であり英雄だ

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この橋は2つの橋から出来ている だから4車線もとれる訳だ
ともかく落書きが多い 上の側面にはどうやって登ったのだろう?
ところでロヴェツキ将軍はドイツ軍に捕えられ殺害された
一方ポーランド共産党は戦後「ポーランド国内軍」を無視し続けた
何故なら英雄は自分達でなくてはならなかったから

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橋の下には車やオートバイを乗り回した跡があちこちにあった
さて共産主義時代に無視すべき将軍の名前が何故ついたのだろう?
それは自由の花が咲いた「連帯」時代にたまたま開通したからだ
30年前の今日は共産党政権が戒厳令を敷き「連帯」を封じ込めた日
橋の開通はその半月前だ 当時殆どの国民は「連帯」を支持したが
名前を付けた地元の議員か役人も「連帯」支持者だったに違いない

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私は戒厳令の直後にポーランドに赴任した 暗い時代だった
手元にある1981年の地図にはやはり「トルニ橋」と書いてある
共産党政権はうやむやの内にそう呼ばせることにしたのだろう
今では正しい名前で呼ばれており 私が知らなかっただけだ・・・
荒涼とした下流の景色を眺めながら30年の歴史に想いを馳せた

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少し寂しいグダニスク橋〜ワルシャワの橋8

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ワルシャワの橋、今回は旧市街から新市街を過ぎたところにあるグダニスク橋
グダニスクはビスワ川を300キロ余り下ったバルト海に面した町だ。

ポーランドの自由化運動「連帯」誕生の地でもあり、ワレサ元大統領もそこに住んでいる。

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1959年に建設され、長さ406メートル。特徴はまず二層になっていること。
上の部分は片側2車線ずつの自動車道、そして下の部分は路面電車用だ。

そして狭いが自転車も通行出来る歩道が両方の層に設けられている。

対岸のの部分には広大なワルシャワ動物園が広がっている。

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これは橋の西岸側にある路面電車の駅
ラッシュアワーを過ぎた時間だったこともあるが、駅に乗客はいなかった

近辺に住居が少ないこともあり、ちょっと寂しい感じが漂う。
この駅のすぐ北には帝政ロシアが作った大監獄要塞跡、ツィタデラがある。

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もう一つの特徴は平行して鉄道橋があることだ。
但し、この鉄道専用の橋は第二次世界大戦直後の1946年に出来ている

同じ年に出来たポニアトフスキ橋より4ヶ月程早く、戦後に出来たワルシャワ最初の橋だった。
そして、西岸側にある鉄道駅の名前がグダニスク駅これが橋の名前にもなった訳だ。

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この橋から旧市街を見ると中世風の建物の上にミニ摩天楼群が並んでいる。

私自身がこの付近にあまり来ないので見慣れていない所為だろうが
とてもチグハグな景色に見える。

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この橋は14年前に大改装された際、緑色に塗られ、下段部分にイルミネーションが取り付けられた。

照明が点灯されると華やかに見える。
そしてこの近辺の何となく寂しい雰囲気を吹き飛ばしてくれるような気がする。



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4度目の正直?〜ワルシャワの橋7

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ワルシャワの橋、今回は王宮のすぐ下にあるシロンスク・ドンブロヴァ橋
長さは527メートとこれまでの橋の中では一番長い

対岸にプラガ地区の象徴、フロリアン大聖堂が小さく見える。
この地区は歴史的にも、また今もビスワ川東岸の中心地だ。

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その反対の西岸を見ると王宮が目の前にあり、続いて真ん中にヤン大聖堂
そして旧市街新市街が続いている。

まさにワルシャワの心臓部にある橋
だからだが、この橋はポーランドの歴史を象徴している。

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実はこの橋は4つ目第二次世界大戦後の1949年に出来た。

最初の橋は600メートルほど下流の丁度旧市街の北端にあった。
この写真で言うと左側に係留している2隻の船の近くだ。

1573年に出来たが、当時の王の名前をとり「ジグムント・アウグスト橋」と呼ばれた。
ところが30年後に洪水で流され、新市街に「橋通り」と言う名残りの通りが残っている。

(「橋通り」については→「橋がないのに橋通り?」を御覧下さい)

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その後170年余り恒久的な橋が作られず、2番目のボニンスキ橋が出来たのは1775年だった。
今度は250メートルほど上流に出来たが、これまたそのほぼ20年後、ポーランド第二次分割時の
1794年、帝政ロシアに対するポーランド蜂起軍の反乱の際に焼失してしまった。

そしてロシア支配下の1864年、今の場所に3番目の「キエルベジ橋」が建設された。
しかし第一次世界大戦でロシア軍は橋の中央部分を爆破してポーランドから撤退した。

独立ポーランドが直ちに橋を再建したが、今度は第二次世界大戦でドイツ軍によって爆破されてしまった。

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そして第二次世界大戦後、残った橋脚部分を修理し、今の橋が建設された。

橋の橋脚にはドイツ軍と戦ったポーランド人達の慰霊碑がある。
その横に大きな落書きがあった。

白と赤のポーランド国旗を意味するのだろうが、赤の真ん中部分に叫んでいる男の無数の顔
そして白の部分には愛国のシンボルPWが書かれていた。

(この「PW」については→「12月27日通り」と愛国のシンボルPWを御覧下さい)

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ところでこの橋の名前「シロンスク・ドンブロヴァ」だが、ポーランド南部シロンスク地方の
ドンブロヴァと呼ばれる炭鉱地帯の資金が建設に使われたことからそう名付けられた。

この地方は炭鉱地帯であると同時にポーランドの重要な工業地帯でもある。
共産党政権下だったが、この橋のみならず、戦後ポーランドの復興の大きな資金源になった。

この「シロンスク・ドンブロヴァ橋」が4度目の正直?
いやそれどころか、この橋が今後もずっと残り続けることを願ってやまない



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(注。この橋は土曜日から当分の間、公共の交通機関を除いて一般車両の通行が禁止された。
対岸のプラガ地区で地下鉄2号線の駅建設のためだが、その影響でプラガ地区は土曜日にも拘わらず
交通が大混乱だった。ワルシャワの橋の数が基本的に少ないことを思い知らされる出来事だ。)

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開設日: 2010/3/14(日)


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