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 ファッシズムと優生保護  2017年2月26日

 2016年7月26日の朝、我々は目を疑うような恐ろしいニュースに接した。

 相模原市にある障害者施設で、19名死亡26名重軽傷という大量殺傷事件が報じられたのだ。

 犯人は植松聖という名の施設の元職員で単独犯だという。

 いわゆる大量殺人というものは、80年前、1938年の「津山32人殺し」というもの凄い事件が知られていて、郷土史や民俗学を学ぶ者なら日本近代史最大の特異事件として誰でも知っているし、この事件をモデルに横溝正史が八墓村を書いて、たくさん映画化されてるから知名度が高い。

 津山事件の原因は、部落差別を受けていた青年が好意を持っていた女性宅に「夜這い」(西日本では結婚前の適齢期女性に対し、近所に住む若者が夜中に忍び込んで性交を求める習慣があった)に出かけ、身分を理由に拒絶されたことから怒り狂って起こしたという説があり、この種の異常事件の多くに差別問題が絡んでいるのは事実である。

 しかし、セキュリティの大きく進化した現代にあって、同じような大量殺人が本当に再現されるなどと予想した者は皆無に近かったのではないか?

 「あれは小説の世界であって、この情報化社会に、そんな馬鹿げた一気大量殺人が起きるはずはない。もし殺人が起きても、すぐに通報されて、たくさんの人を殺すなんてできるはずがない。何よりも動機があるはずがない。死刑になるほど殺して何のトクになるんだ。」

 みんな、そう思っていた。

 実際には10名前後の被害死者を出した大量殺人事件は、戦後だけでも十数件起きていて、ほとんどの場合、一度にではなく嗜好性の強い連続強姦続殺人である。
 例外はオウム真理教事件と、この相模原事件である。
 
 19名殺しの植松は希に見るほど強固な思想的確信犯であった。
 おそらくオウム信者による宗教的洗脳犯罪よりも、さらに強烈な優生保護への観念的確信を持っていた。

 「障害者は国家の邪魔者であり、死なせた方がよい」
 との強固な信念を持って大島衆院議長と安部晋三首相あてに事前(2016年2月13日)に上訴状を渡し犯罪を予告している。

 手紙の内容は

【 私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
 常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
 私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
 重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
 もし殺戮実行に成功したなら、二年で免責の上、5億円もらいたい。】

 というもので、想像もできないほどの独善性と論理的飛躍、異様なナルシズムのなかにも、差別社会システムのなかで、誰もが共有しやすい優生保護思想の極端なリアリティ=「役に立たないものを排除する」発想が鮮明に見えていて、この事件が、実は日本国内に歴史的に蔓延してきた「優秀な者だけ残し、無用なものは排除抹殺する」という選別選択の差別=優生保護思想の極端な結実であることを示すものであったといえよう。

 それが証拠に、自民党や右翼から、たちまち大量殺人犯、植松聖への共感者、支持者がたくさん現れた。

http://lite-ra.com/2016/07/post-2459.html

「自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べる。重度障害者を死なせることは決して悪いことではない」
 とブログで公然と、植松への支持を公表する者さえ登場した。

 「植松の言葉自体には実は聞く価値のある部分もある。それは『障害者は邪魔である』」という観点だ」

 「考えてみてほしい。知的障害者を生かしていて何の得があるか?
 まともな仕事もできない、そもそも自分だけで生活することができない。もちろん愛国者であるはずがない。日本が普通の国になったとしても敵と戦うことができるわけがない。せいぜい自爆テロ要員としてしか使えないのではないだろうか?つまり平時においては金食い虫である。」

 「この施設では149人の障害者に対し、職員が164人もいる。これではいくら職員を薄給でき使わせたところで採算が取れるはずもない。そんな状況では国民の税金が無駄に使われるのがオチである。無駄な福祉費を使わなくて済ませることが国家に対する重大な貢献となる。だからこそ植松が言うように障害者はいなくなるべきなのである。」

 この男は、7月9日に石田純一の都知事選立候補の意向の報を受けて
 「都知事になりたいならばまずは自分の子を死なせてからにするのが筋であろう」とも書いている。

 「石田には東尾理子との間に子供が1人いるが、そいつはダウン症である。つまり育てるのにカネがかかる。東京都知事は言うまでもなく公務員である。公務員は国民のために尽くすのだから無駄遣いをしてはいけない。だからこそ無駄遣い以外の何物でもない子供は死なせるべきなんだ。無駄な医療費を使わなくて済むのだからこれは国家に対する重大な貢献となる。政治家なのだから率先して自分の子供を見殺しにできるようにならなければいけない。」

 「野田議員の子どもは重い障害をもっており、1年で9回の手術を受け、脳梗塞になり産まれてからずっと入院、人工呼吸器を装着し、経口摂取は不可、右手右足に麻痺が
 だからこそ野田は総理大臣になりたければ、無駄遣い以外の何物でもない子供の治療を即刻辞めるべきでなのだ。もちろん死んでしまうが無駄な医療費を使わなくて済む。これこそ総理大臣に求められる国家観だ。」

  (この野田聖子氏に対する投稿には7000を超える「いいね!」がついている。これが自民党の若者たちの思想ということなのだろう。)

 この自民党ネトサポは、ブログに安倍HPをリンクし、熱烈な安倍晋三シンパであることを自慢している。
 我々、反原発派のツイッターアカウントに下劣で執拗な嫌がらせ工作を仕掛けてくる者たちも、大半が安倍信者であって、アカウントプロフィールには「日本が好きです、安倍政権断固支持」と書き込んでいる者ばかりである。

 これを見ると、植松聖が決して特殊な精神病質者ではなく、安倍政権支持者の若者たちの標準的な思考であると見なければならないのである。

 ネトウヨ信者のご本尊である安倍や麻生自身が、「美しい日本」というスローガンはじめ、国家に役立たない者は排除せよとの主張を繰り返してきた。
 障害者も老人も、日本社会から弱者を排除した上で見せかけの「美しい日本」を外国に対して宣伝してゆこうということか?

  https://www.youtube.com/watch?v=vFN7eTucz-U

 ブログ主(自民党を代表する論客?)は、こう結ぶ。

 「こういう自分勝手な人間が増えたのも日本国憲法のせいである。自由を謳い、権利を行使しなくてよいという天賦人権論(すべての人間は生まれながら自由平等であり、誰もが幸福を追求する権利をもつという憲法の基本理念)が日本人を堕落させた。
 だからこそ自民党は天賦人権論を否定する憲法案を出した。この憲法が通れば国民の血税を使っても他人に対する感謝の心を持てるようになる。」


 優生保護とは何か?

  http://www.soshiren.org/yuseihogo_toha.html

  http://www.mskj.or.jp/report/2899.html

 実は、戦後日本には世界中の人権活動家から糾弾され続けた「優生保護法」という犯罪的な反人権法がまかりとおり、凄まじい人権侵害が正当化されてきた。

  http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2017/opinion_170216_07.pdf

 不良遺伝を淘汰するという理屈を掲げ、知的障害者、ライ病、精神病などに罹患している場合、本人の同意を得ずに勝手に中絶堕胎し、不妊手術まで行った。
 その被害者は、記録が保存されているだけで10万人の単位である。

 日本国民に「不良形質」の遺伝を阻止するという名目で、個人が子を作り生み育てる基本的人権中の人権を国家権力が強制的に支配し、数十万人以上の人権を根底から剥奪し、胎児を強制殺害したのである。

 まさに安部晋三が主張する理想社会、国家が国民の基本的人権を剥奪し、支配する「美しい日本」がそのまま体現されている極悪中の極悪法であった。

 これが世界中から批判を浴びて廃止されたのは、実に1996年であり、まだ20年あまりしか経っていない。

 

 植松聖の「障害者は国家の邪魔者」との思想は、実を言えば、歴史の中で普遍的に顔を出し続けている。

 もっとも端的で恐ろしい結果をもたらしたのはナチスであった。

安楽死計画──暗号名「T4作戦」

 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb700.html

 ナチスは、優生保護思想「国の役に立たない邪魔者は始末する」という発想を忠実に実行し、障害者、重病人、精神病者などを中心に、片っ端からガス室に送り込んだ。

1939年から1941年8月までに、約7万人の障害者が「生きるに値しない生命」として、抹殺された。
 これは、もっとも少ない見積もりである。

 一般的に公表されているのは26万人、第二次大戦全期では40万人を超えるとする資料もある。

 最初はドイツ各地の障害者施設にいる子供たちを連れ出してハルトハイム城やグラーフェネック城に設けたガス室に送り込んだ。
 使われたガスは、トラックの排気ガスで、一酸化炭素中毒死させられた。
 やがてユダヤ人殺戮と同じ、チクロンという塩素ガスが使われた。

 植松聖が逮捕後「ヒトラーの思想が自分に降りてきた」と言ったのは、このT4作戦を指すのだろう。

 この計画は1941年8月、突然、中止命令が出された。
 理由については諸説あるが、ヒトラーが実家に帰省したとき、近所に住む叔母から「私の子供が連れて行かれて帰ってこない」 
 と激しく糾弾されたからだとも言われる。

 だが中止命令後も、それを無視してドイツ敗戦の直前まで、障害者殺戮が続けられたと記録されている。


 優生保護思想は、どこから生まれるのか?

 日本は世界でも指折りの競争国家であり、すなわち優生保護国家である。

 「お国のために役立たぬ劣った者は排除し、優秀な者だけを生かす」
 この選民主義の価値観の下、数十万という「劣った」人々の命と人権が強制的に奪われてきた。

 まず自分が通った保育園、幼稚園、小中学校で、どのような思想教育を受けてきたか思い出してみればいい。

 私の子供時代は、半世紀以上前のことだが、学校が最初から最後まで一貫していたのは、子供たちを選別するということであった。

 子供たちの、すべてをランク付けし序列化し、上位の子を褒め、下位の子を叱りつける。「よい子・悪い子」 の基準は、学校にとって、社会にとって、国にとって、であって、その子にとっての価値は皆無だった。

 運動会で一番になれば褒められ、絵が上手なら褒められ、テストの成績が良ければ褒められ、こんな選別ランキングの繰り返しが学校教育の本質であった。
 失敗した者、劣った者は、あたかも人間としての資格がないように決めつけられた。

 このような価値観に、どっぷりと浸かり洗脳されてしまった子供たちが、どのような考え方をするようになるか、考えてみればよい。

 価値の高いものには従順に従うが、外れているもの、価値が低いとみなされるものに対しては徹底的に侮蔑し中傷し、痛めつける=イジメが発生するのである。

 私の通った半世紀前の学校でも同じであった。私も、毎日いじめられるために学校に通い、卒業しても絶対に同窓会に顔を出そうという気になれなかった。

 子供たちは、学校側、大人の用意した価値観だけに洗脳され、他人に秀でること、一番になること、多く蓄財し、大きな権力を得て他人を見下すことだけが正義だと勘違いさせられてゆくのである。

 弱者に対する優しさ、連帯感、弱者こそが社会の底辺を支えているという真実は何一つ見えなくなってゆく。
 高級車にのって、我が物顔に優越風を吹かせ、他人を嘲笑する者が立派な人間と勘違いさせられてゆくのである。

 こんな連中=麻生太郎・安部晋三らが、弱者である障害者を見て「お国のために役立たない邪魔者」と決めつけ排除し、社会から追放しようとするのは、ごく自然な成り行きであって、すなわち、これがファッシズムの本質というべきなのだ。

 ファッシズムという思想は、選民思想のなれの果てであって、優生保護思想とまったく同じものであり、「この社会に無駄なものは何一つなく、すべて相互作用で社会を支えている」という連帯感の対局にある独善である。

 それは自分が、あたかも「他人より優れている」という愚か極まりない勘違いの上にのみ作り出される。
 幼児の時代から、競争に勝てば褒められるという価値観の上に構築された幻にすぎないのである、


 

 
 

この記事に

 途方もなく分裂し、二度と融合することもなく完全に分離してゆく社会


 宇宙人の代弁者(霊媒)として有名なバシャールによれば、2012年頃に地球社会は位相がずれ始め、2016年秋に二極化が鮮明になり、社会が二つに割れて、もう相互に交わることもなくなり、勝手にそれぞれの世界を作り出す。
 そして、2020年代にはポジティブ側だけが残ってネガティブ側は、この世から消えてしまうだろうと明言している。

 2012年といえばフクイチ原発事故の翌年、確かに日本社会は原発推進派と反対派に真っ二つに割れて、その後も両者の亀裂が拡大することはあっても融合する兆候は皆無である。
 間違いなく社会が真っ二つに割れて亀裂が深まっている。バシャールの指摘通り、もう二度と融合はないだろうと、私も薄々思っていた。

 この二極化予言動画をリンクしようとしたら、ユーチューブからバシャール動画が、すべて消されてしまい、有料サイトに変わっていたので、いっぺんに不審感が募り、「おいおい、バシャールまでも金儲けの仕掛けにすぎなかったのか?」
 と愚痴を言わねばならないのが残念だが、同じ意味のことを木村藤子も書いているし、他にも、たくさんの人が同じ意味の予言しているので、たぶん間違いでもあるまいと思う。

 ついでに有料化される前にバシャールの動画をたくさん見てきた印象から、「この人(霊媒の背後にいて意志を伝えている宇宙人)の言うことは釈迦と同じだ」と思っていた。

 釈迦の教えを私なりに解釈すると、彼が目指した大乗的思想の極エッセンスは利他思想だろうと思う。利他とは
 「自分のために生きるのでなく、人のために生きよ」
 というものだ。

 これに対して、自分のために生きる利己主義的価値観を「小乗」と呼び、大乗側から見て「あなたの乗り物は小さい」という批判として使われる言葉である。

 釈迦の思想の究極エッセンスは、大乗的利他思想と「因果応報」であって、「人生は与えたものが還る」という本質である。
 別の言い方では、「他人に親切にすることが、自分の豊かな人生を生み出す」ということになる。

 バシャールらしさが加えられているとすれば、「人生はワクワクすることで意味を持つ」というあたりか?

 釈迦もキリストも、「見よ、それは幻にすぎないではないか」
 というセリフがたくさんあって、つまり、「対象的世界は自分自身の心が作り出している幻影にすぎない」、という本質を指摘しているのだと私は思う。

 そのバシャールが「人間社会の二極化」を言うとき、いったい何の二極? と訝る人が大部分だろうが、私には、それが利己主義と利他主義の極であると鮮明に見える。

 2011年の巨大震災と巨大放射能まき散らし事故を経て、我々は鮮明に理解した。

 もう、誤魔化しようのない現実を前にして、自分たちの利権を守るために必死にネガティブな現実を隠蔽する集団と、彼らに騙されたまま追従するグループ。

 そして、起きてしまった現実を直視し、何が問題であるのか認識し、子供たちの未来を守るために何をすべきかを理解し、ポジティブな行動をおこしているグループ。

 日本社会は、この二つのグループに完全に分裂し、中間層も、どちらかの側に吸収されてゆき、もはや融合不可能なほどに対立し、それぞれの社会を作り出している。
 ネットのソーシャルメディアも、それぞれのグループの発信は、それに属する人しか見ないし、対話も皆無に等しくなっている。

 もう自分の権益を守ることしか考えられない利己主義者に、何を話しても無駄なのだ。

 この二極化は、とりわけ原発放射能の危険性を警告してきた人々にとって、恐ろしいほど身につまされるだろう。
 今のところ、マスメディア、テレビ局などの大部分が電通による広告利権支配の影響を受けているのか、被曝を隠蔽し、原発推進側の利権に奉仕するだけの報道に傾いていて、それに騙されている人たちによる間違い、無知の恐ろしさを思い知らされ続けているからだ。

 こんな事態は、戦後の歴史のなかでも初めてで、60年・70年安保などの国論分裂の大問題のときですら対話は成立していた。
 だが、今回は、一切の対話が原点から成立しない。まったく噛み合わない。

 「極が分裂する」ということの意味は、極を支えてきた基盤が真っ二つに崩壊したということである。
 日本において、これまで人々を一つの極に束ねてきた基盤とは何か?
 私は「人情社会の価値観共有」であったと思う。

 人間社会のすべての価値基準の根底に「人情を尊ぶ」という価値観があった。
 これは戦争で7000万人中、450万人、という人々が死んだり凄まじい辛苦を嘗めた共有経験から戦後社会に成立していた連帯感の生み出したものであったと私は思う。

 だから60年安保デモで樺美智子さんが圧死したときでも、警察側とでさえ、わずかでも対話が成立した。
 人情論を対話の前提として共有することから、誰も逃げることができなかったからだ。日本人として生きている共通の基盤を誰もが理解していたからだ。

 それが戦後70年を経て、ほぼ失われてしまった。
 
 人情を大切にしようという共有価値観があったからこそ、人情に照らし合わせて、その行為はいかなる意味かという議論が成立したのである。

 その人情という価値観を共有しない人たちが出現し、ブラック企業やらブラックバイトやら、過労死強要やら、もう「人情から見て」という共通の価値観は、どこかに消え失せてしまったかのようだ。

 「人情より金儲け」
 だからパンティ泥棒を権力でもみ消した犯罪者ですら大臣になり、防衛産業の株主でインサイダー取引可能な立場の者が防衛大臣になり、完全に人情を見失った経営者たちが労働者を低賃金で使い殺しても非難されない社会になり、追い打ちをかけるように東電による放射能まき散らしと、凄まじい隠蔽工作が始まり、日本人の命の値段が著しく軽くなってしまった。

 もう「人非人=人でなし!」と非難が飛び交う社会は、どこかに行ってしまった。

 だから対話の基盤がどこにもなく、前提がないのだから対話の成立がありうるはずもなく、そこにあるのは、金儲けと権力への憧憬だけでできた利己主義者と、かつての人情社会を懐かしみ、子供たちの未来に人情を復活させようと志す利他主義者だけなのである。

 だから、社会は、恐ろしい放射能汚染の現実を隠蔽して利権に走る利己主義者と、何とか、まともな社会=人の命を大切にする社会=人に優しい社会を目指そうとする利他主義者に完全に分裂し、もはや対話もないゆえに二度と融合もない、それぞれの価値観による分裂社会が始まったのである。

 日本社会は、2016年秋には価値観が分離した二つの社会が成立すると予言されたとおりになった。
 2020年代になればネガティブ側の、すなわち利己主義側の社会は、(自家中毒を起こして)この世から消えてしまうだろうとバシャールは言う。

 今年、2017年、すでに3月になろうとしているが、社会情勢は、安部晋三政権=日本会議のネガティブ側がオウンゴールによって追い詰められ窮迫してて、報道による真実の捏造の現実を、全国民が見せつけられる事態になっている。

 「人に優しい社会」を目指すポジティブ側はどうなのか?
 各地で草の根の市民団体が雨後の竹の子のようにニョキニョキと生えだして、自民党の用意した彼らの権力維持のための情報を排除し、無視し、新しい人間解放の価値観の下で活動が始まっている。

 まだ有力な勢力にまでは成長していないが、見かけなどどうでもよい。「子供たちの未来を守る」という危機意識と価値観を共有できる人たちが爆発的に増えてゆけばよいのだ。

 ネガティブ権力が、その非合理性から自家中毒を起こしオウンゴールによって消え去ってゆく。ポジティブ市民勢力は、人と命を守り、人を癒し、心を解放することで、人々が目指す新しい価値観を作り出してゆく。

 東電放射能まき散らし事故の本当の影響が出るのは、昨年2016年からであり、今年、来年、再来年と最大級の被害が誰の目にも見えるようになるだろう。
 どんなに隠蔽しても無駄だ。

 これまで放射能被曝被害を隠蔽してきたのは原発利権に群がってきた自民党・保守系の勢力と、国立大関係者などだが、被曝を隠蔽してきた本人が、実は一番被曝の危険に晒されてきたのは当然で、その結果が出てくる時期にさしかかったということだ。

 「食べて応援」などと愚かな隠蔽洗脳に荷担してきた議員やメディアのタレント、保守支持者などが、続々と被曝死してゆくことだろう。
 彼らが安全だと信じてた放射能の情報は、すべて原発再稼働のためのウソだった。
 キロ100ベクレルどころじゃない。ドイツ政府が警告したように幼児にはキロ4ベクレルでも危険だったのだ。

 事故から6年目に入り、フクイチ事故当時、三ヶ月齢胎児だった者たちが出生し5歳を超えた。
 放射能被曝の感受性は、三ヶ月齢胎児では大人の数万倍となる。
 何が起きるかといえばダウン症などの遺伝子障害と、知能障害が起きる。ダウンは出生時にも分かるが、わずかな知的劣化は5歳を過ぎないと見えない。
 アメリカの核実験被曝では1962年生まれの海兵隊員は無被曝年生まれに対してIQが10以上劣っていたとの報告がある。
 日本で、それが明らかになる時期にさしかかったのである。

 これまで安全デマに人々が騙され、洗脳されてきた分だけ、放射能の本当の恐ろしさを知ったとき、政権や電力に対する怒りは凄まじいものになるだろう。
 日本では数千万という単位の人々が被曝の影響で、様々な病気にかかって死んでゆかねばならないと、私は事故の瞬間から書き続けたが、いよいよ、それをデマとしてでなく、真実として受け止めねばならない時がやってきた。

 それでもネガティブ側は、真実に目を背けたまま独自の社会を勝手に作り出して歩むことだろう。
 
 我々ポジティブ側もまた、彼らを無視して、人間を大切にする価値観の社会を生み出してゆかねばならない。




 

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 2000年頃書いたものだが不詳 2017年加筆


 「大きく見せる」ということ

 山中で、熊などの強力な攻撃力を持った大型動物に遭遇するとき、人は驚き、怯えるが、相手の方も相当に驚き、怖い思いをしているのを理解できるだろうか?

 こちらが、「脅して撃退してやろう」と、不用意な浅知恵を働かせ、攻撃動作を示すことで相手を怒らせ、攻撃本能に火がついて不幸な結果を招くことがある。

 熊や猪などによる人間殺傷事件の多くが、無用に相手を怒らせることによって起きている点では、巷の犬と事情は同じである。

 動物は恐怖に駆られ、怒り狂って襲うのである。もちろん、猟師が失敗した手負い獣や子連れ熊など、極大化したストレスを抱えた危険な連中は、遭遇の前から怒り狂っていると思わねばならない。

 だが、怖がらせないよう怒らせないよう、落ちついて配慮しながら、こちらの存在を優しく静かに相手に知らせることで、ほとんどの場合、ニアミスによる不幸を防止することができると私は思っているし、実際にそうであった。

 私は、これまでの30年近い国内の山歩きのなかで、羆や月の輪熊など大型獣に遭遇した件数は十数回にのぼる。それらのうち10m以内と思われるニアミスも数回ある。

 北海道、十勝山系のホロカメットク・富良野岳の稜線では、岩尾根を超えたところで、目の前に突然、巨大な羆が現れ、逃げる場所もなかったが、牛ほどの大きさの黒光りした羆は、穏やかに私を見つめ、悠然と音もなく笹原に消えていった。

 不思議に恐怖心はなく、金色に光り輝く黒毛の美しさばかりが印象に残った。(ヒグマは老齢化すると「金熊」と呼ばれる美しい漆黒の毛並みに変わる個体がいる。)
 このときは数百メートル手前から、バケツをひっくり返したような大きさの真新しい糞塊が散乱していたので多少の覚悟もあった。

 裏木曽の奥三界山付近で遭遇した月の輪熊は、私が小用中に目の前の藪から突然、脱兎のように飛び出し、すさまじい勢いで坂を転がり下って視界から消えた。
 私は呆然とするばかりで、肝心なものをしまうことも忘れてしまった。信越の鳥甲山でも、中アの空木岳でも似たような経験があった。月の輪熊を身近に見るときは、いつもこうだ。

 私は熊など大型動物の存在を知覚すると、できるかぎり優しい声で「オーイオーイ」と呼びかけ、話し続ける。絶対に相手を怒らせるようなことを言ってはならない。

 動物だってテレパシーが通じる。
「お元気ですか、結構なお日和で、いやーハンサムでんな」
 なんて、あたりさわりのないことを静かに話し続けるのである。

 話が途切れないうちは動物も警戒しない。向こうも好奇心があり、何が話しているのか確かめたいのである。
 これで、ときに数mまで接近することもあるが、不慮の事故が起きたことは一度もない。離れるときも話し続ける。たいてい相手はポカンとしている。この方法は私の秘伝として、読者にお教えしたい。過去に、有明山や深南部などで経験を重ねた。

 幸いにして、これまで私は熊や猪から攻撃を受けた経験はない。しかし、紀州大峰山地、前鬼口付近の林道で、突然、熊に遭遇したとき、立ち上がって、「ガー」というすさまじい大声で威嚇されたことがある。

 このときも、逃げ出して何事もなかった。声で威嚇されたのは、他に会津六十里越付近など3回ほどで、これは、いつも突然なので心臓によくない。

 国内、数千回を超える山歩きの経験を持つ宮崎日出一さんは、熊に襲われた刹那、必死に逃げ出して無事だったことを山行記録に書いている。この人の数千にのぼる記録は日誌のように正確で、その表現に嘘や誇張はない。

 手元に報告が残っていないのでうろ覚えだが、確か、中央アルプスの経ヶ岳付近の木曽側の支稜だったはずである。
 宮崎さんは比類なきベテラン登山者で、好んで人の歩かぬ藪を選んで歩く。ニアミスにおける多くの場合、音や匂いの気配で双方とも気づいて遭遇を避けようとするものだが、熊が子連れであって、子に気を取られて周りに注意が行き届かない場合や、地形的に気配が遮断され直前まで気づかない場合、不幸な突然の遭遇となる。

 このときは天候と地形が悪かったようだ。濃い霧によって視界と音の伝播が閉ざされ、複雑な地形の稜線で突然の出会いとなった。
 熊は怒って立ち上がり、両手を高く上げて宮崎さんを威圧しようとした。大きさは子牛ほどもあったと書いていたから、200キロ近い大物だっただろう。恐怖で身が竦んでしまって動けない。

 次に熊は立ちすくむ宮崎さんに近寄り、再び立ち上がって前足でフックパンチを見舞おうとした。その刹那、笹藪に飛び込み、神業に近い藪こぎの実力を最大限に発揮して必死に逃げた。

 熊が追ってきたかどうかは覚えていない。余談だが、宮崎さんは、この事件以降、それまで「あんなものシロートのやることだ」と軽蔑していた鈴をつけて山を歩くことになった。

【2017年追記、大峰千日回峰修行中の塩沼亮潤も山中で大きな熊に襲われた。歩いてると、後ろでドンドンという森を揺するような足音が聞こえる。振り向くと大熊だった。逃げたが逃げ切れないと思い立ち向かった。杖を投げると熊は驚いて上に逃げた。

 世界最高のクライマー、鉄人、山野井靖史が奥多摩で熊に襲われたニュースを聞いたときはショックだった。子連れ熊に遭遇し、顔を70針、体を20針縫う重傷を負った。
 通い慣れたハイキングコースでのランニングで、突然遭遇のもたらした悲劇だった。】

 アイヌの熊狩りの記録を見ると、立ち上がって両手を高くあげた瞬間が最大の隙だという。この瞬間、勇敢なアイヌは刃物をもって懐に飛びこみ、心臓を深く正確にえぐり抜く。マタギの記録にも全く同じことが記されているから、これは普遍的な事実なのだろう。

 熊は攻撃の際、どうして立ち上がるのか? ほとんどの動物は、無用な争いを避けるために、争いの前に実力の序列を見極めようとする。序列は同じ種類の動物なら大きさによって定まるわけだから、本能的に少しでも大きく見せようとするのである。

 熊が立ち上がらず、いきなり噛みついたという報告を聞くことも多いから、たぶん、立ち上がるときは、いくぶんか攻撃に余裕のあるときではないだろうか。まずは脅して見せて、「おまえが逃げよ」という意志表示をするのではないだろうか。

 それでも逃げないとき、やむをえず攻撃するのだろうと私は考える。大きく見せるのは、無益な殺傷を避けるための知恵なのではあるまいか。

 猫のサカリシーズンによく見かける猫同士の争いも、毛を逆立てて自分を少しでも大きく見せようとするのが分かる。攻撃の直前、前足を大きく伸ばして立ち上がろうとするのも熊に似ている。

 犬については、飼い犬しか見たことがないのでよく知らないが、睨み合って大声で吠えあうだけで、後ろ足で立って大きく見せるなど見たことも聞いたこともない。どうも、尻尾の勢いが気勢の強さに関係ありそうだ。気勢を競い合って、尻尾が垂れたら負けという風ではないだろうか。

 ガチョウのケンカでは、羽を広げて首を伸ばし、明らかに大きく見せている。水鳥一般にその傾向がありそうだ。牛や鹿などの仲間が、不便とも思える大きな角をもっているのも、外敵や、仲間内の競争者に対して少しでも大きく見せることに意義があるのかもしれない。

 さて、人ではどうであろう。

 人間同士の争いでも、自信のない、怯えのある者同士のケンカを見るとき、相手を脅して萎縮させるため、少しでも自分を大きく見せるのに必死になっているのが看て取れることがある。

 以前、駅の付近で、ある酔っぱらいが通りすがりの女性に絡んだとき、女性の彼氏とおぼしき男がそれを制止しようとすると、酔っぱらいが背を伸び上がって彼氏を睨みつけているのを見て笑ったことを思い出した。

 まあ、その程度のワルなら特に危険はないと思い、成りゆきに任せた。本当に危険なのは、カッコをつけない猪のような直情型である。

 ヤクザが外車や国産大型車に乗って偉そうに見せるのも、無用な争いを避けるための知恵なのだろう。
 大きな車に乗ってヤクザらしくしていれば、争いを仕掛ける連中も少ない。連中はケンカになって実力が露呈することをひどく恐れている。

 怖がられなくなったヤクザは、もはやヤクザでない。この世界は「怖がらせてナンボ」である。だから、なめられるような小さな車には乗らない。

 最近の程度の低いワルガキどもが必要もないのに、やたらデカイ車に乗って他人を威圧したがるのも、自分を実力以上に大きく見せたがる小人の哀れな脅しの類だろう。

 普通に生きていることが怖いのかと気の毒になってしまう。こちらも、狭い山道やスーパーの駐車場で、無用にデカい車は大迷惑だ。日本には、日本に適したサイズというものがある。長く乗っていれば、いやでも思い知ることになる。背伸びして、「大きく見せる」無理の副作用は決して小さくない。

 「なめられたくない」連中の大型志向は、おそらく、弱者・小者を軽蔑しながら生きてきた習慣からなのであろう。自分の実力が矮小であることを思い知らされているのだろう。だが、それを認める勇気もない。本当に自分に自信のある実力者は「能ある鷹は爪を隠す」なのである。決して、必要以上に自分を大きく見せることなどしない。

 ワルガキ連も、また必要もないのに33ナンバー車に乗って、狭い道や駐車場で他人に迷惑をかけながら得意になっている普通の市民も、学校のランク作りと、その対極としてのオチコボレ製造工場と化した、人間の尊厳を踏みにじるような序列化に堕落した公的教育を受けずにすむなら、あのように愚かしい優越感を持たずにすむのにと私は思う。差別されなければ、誰が差別しようとするものか。

 だが、「小さくて何が悪い!」と、どうして言えないのだろう。

 重ねて言う。本当の実力者は、決して自分を大きく見せようとはしない。いつでも自分の真実の身長を正確に計っている。無理して背伸びすることが、いつか手ひどい副作用を生むことに気づいているからである。

 私は96〜98年、2年半ほど名古屋のツバメタクシー(中村区の中央交通)の運転手を稼業とし、実に様々の客を乗せ、世間には多くの生活があることを知った。

 客には大企業経営者や芸能人などの著名人も多かった。その経験から、世間でいうところの「成功者」に共通する特徴を見いだそうとするなら、いずれも私生活が実に質素で、先祖祭祀を非常に大切にしている点をあげることができる。

 私はスピリチュアリストだが一方で完全無神論者であって、いっさいの宗教を否定している。だが、これらの「成功者」たちの生活態度は、例外なく、驚くほど宗教的で禁欲的であった。

 たとえば、有名なパチンコチェーン店のオーナーのK氏は、毎朝、立派な屋敷の四方に1升ウン万円もする銘酒(天狗大吟醸)を念入りにふりかける。
 屋敷神に捧げているのである。家族そろった毎朝の祭祀にも時間をかけていた。逆に、私用に使う車はありふれた7ナンバーの中型車で、祭祀以外の無駄なことには金をかけようとしないし、金持ちに見られないよう気を遣っている。

 別の某会社経営者は、質素を通り越してドケチ一代のモデルになりそうな生活をしていた。
 自分の豪華な屋敷にタクシーを呼んで、支払いはいつも名古屋市が高度障害者に支給している限度額810円の無料タクシーチケットを利用した。
 限度額オーバー分について、この人には障害のカケラも見あたらないのに堂々と障害者割引を要求し、必ず数十円の釣り銭も正確に受け取った。これはこれで、半端でない金銭への思想と執念を感じたものだ。

 わが地方出身者には、先日、おそらく大勢の人々から怨嗟を受け、呪われながら死んだ横井秀樹という日本を代表するドケチ成金がいるのだが、この地方にはミニ横井が大勢いることを知った。この人物の目を見張るような絢爛豪華な屋敷内には立派な社が祀ってあった。

 成功者たちは立派な家に住むが、おしなべて生活は質素である。いつまでも若き日の苦労を忘れない。先祖や神仏への感謝を決して疎かにしない。高級車を乗り回して贅沢な浪費をすることに快感を覚えるような人々に、本当の意味での成功者はいない。
 苦労時代を忘れ、大衆を見下したその瞬間から転落破滅への道を転がり落ちることを彼らはよく知っているのである。

 だが、苦労を知らないその子供達の世代は違う。他人よりランクの高い生活があたりまえと思っている。
 だから、苦労人による歯止め、つまり自分をセーブしてくれていた後見人が消えた瞬間から、自分が築き上げたものでない有形無形の財産が、あたかも天から与えられた特権であるかのように、自分の天性の容姿であるかのように錯覚し、己が最初から一般大衆と異なる選ばれたエリートであると勘違いし、それにふさわしいと自分で定めた生活様式をつくりあげる。

 それは自分にふさわしい地位の、水準を満足させるものでなければならない。そして、同じ様な幻想を抱いた仲間と、閉ざされた社会を共有し、結果、厳しい現実の法則から目を背けるようになる。実力さえ金で購えるかのような空想の世界に棲むことになる。

 「選ばれたる者」の共同幻想の世界である。つまり、本当の実力もない者が、資産に頼って外見だけを「大きく見せる」ようになる。

 こうして、先祖が汗と血によって築き上げた資産は、やがて巷間に霧散し消えてゆく。
 こんな流転が生々しく繰り返される様を、私はタクシーのたくさんの乗客の背後に見ることができた。
 ろくな用もないのにタクシーに乗りたがる人、煌びやかに飾っていても猜疑心に包まれた虚ろな表情。数え切れないほどの不幸な人相を見、相応の不愉快な思いもした。

 また、こうした運命を辿って、白川公園のテントに落ち着いた人を私は知っている。もう少し具体的に書きたいが、プライバシーに触れることなので、抽象的な表現にとどめねばならないのが残念だ。

 「大きく見せる」ということ。本来の実力以上に自分を大きく見せたがるということは、実は「怖い」からに他ならない。
自分の実力では対処できないかもしれない恐怖があるからなのだ。圧迫され、心臓が破裂しそうになるほど怖い。そして、なんとか圧迫する相手を威圧し、その場を誤魔化したいのである。だからMさんも大熊に張り倒される寸前で逃げることができた。大きく見せようとしている相手は、実は大した相手ではない。

 人は自分の人生に拠りどころを求める。人生に救いがほしい。この世の誰かに愛されたい。誰にも愛されないなら、せめて他人に対して優越感を感じ続けていたい。自分は価値のある大きい人間だ、せめてそう思いたい。小さな貧しい自分を見つめることなど堪えられない。

だから、大きく見せたい。「嗚呼、自分の人生は大きくあってほしい」私もまた、妄想に悶え苦しむ。
 自分を冷静に客観的に見ることのできる醒めた実力のある人は、こんな幻想にしがみつこうとしない。人の一生は、自分の本当の背丈を見つめることのできる実力を磨くための時間なのかもしれない。

 自分の背丈が見える人にとって、人の一生は、どれほど大きく見積もっても、立って半畳、寝て一畳ほどの大きさしかないことをはっきりと見ることができる。

 それは、死刑囚でも、浮浪者でも、エリートサラリーマンでも、大学教授でも、大臣でも、天皇でも、勲章をもらっても、前科をもらっても、百万人を救っても、百万人を殺しても、決して変わることのない厳然たる真実である。

それなのに、人々はさまざまの虚構に怯え、自分より価値の高い人、低い人がいるものと錯覚し、強いコンプレックスをもつ。宮殿や議事堂や教壇に立つ人々が、薄汚れた服を着た人々より価値の高い集団だと錯覚する。

 ひるがえって人間集団を考えてみよう。

 人の集団がこの世に成立した頃、ただの野猿の群から、生産・貯蔵・分配を会得するほどの社会性を獲得した頃、マルクス・エンゲルスが指摘したように、出来の良い人々と、やや遅れた人々の二つの階級に分かれた。それらの互いに矛盾を孕んだ階級の存在が、やがて国家を成立させた。ここでは、くどくど述べない。問題は、本来あるはずのない人の外に、人の上に、それらを支配する「国家」という虚構が成立したときから始まったのである。

 「立って半畳、寝て一畳」の真実しかない人間に、それよりも価値の高そうな幻想が芽生え、エライ人が生まれ、バカタレが生まれ、良いものと悪いものが生まれた。だが、それらは所詮、虚構であって真実ではない。嘘の価値観を固定するためには、それにふさわしい偶像の成立が必要であった。

 国家の成立によって大きな利益を受ける集団が生まれた。そして、その利権を確保するために、末永い嘘、虚構を成立させねばならなくなった。
「国家は、民衆の手の届かぬ凄いものだ」という嘘である。「だから国家に逆らってはならない」という嘘である。

 虚構を持続するために、「普通の人」にはできない、圧倒するスゴイ能力を見せねばならなかった。そして、その必要が、地球上のすべての大型文明に共通する偶像・巨大遺跡を生み出すことになった。

 なんでもいい、「スゲーもんがある」という驚きと、未知への恐怖が、国家という虚構を信頼させ、大衆を隷属させたのである。人は人だけに拠って生きているのが真実なのに、偶像は、人の外に人を拠らしめるものがあるという錯覚を呼び起こさせた。

人々は、人に頼らず、偶像に頼るようになった。人の愛でなく、国家の権威にすがるようになった。

 偶像によってトクをする階級が成立した頃、その利益を守り続けるために、永久に偶像の再生産が始まった。これが、歴史上の偉業の正体であり、今日の核兵器や原子力発電所の本質である。

 これらは、国家という虚構を、大きく、民衆の手に届かぬものに見せることに貢献し、大衆を国家権力に隷属させる力になるものでなければならなかった。そう、「大きく見せるのである」

 軍隊・皇室・学歴社会・巨大プロジェクト、超高性能の産業機械など、これらは、国家の虚構を支える、つまらぬ錯覚にすぎない。本当は、こんなものは生きてゆくのに必要不可欠なものではない。

人の一生は、どんなに無理な背伸びをしようと、「立って半畳、寝て一畳」以上のものでは絶対にないのである。こうした虚構は、人生にに不幸をもたらし、人間社会に究極の不幸をもたらす。そして、その不幸の華こそアウツビッシュに他ならなかったし、スターリンやミノシェビッチに受け継がれていたのである。

 自らの背丈を見よ! 背丈の家に住め! 背丈の食事をせよ! われわれが生きている真の理由が、断じて国家から生み出されたものでなく、それは人の愛からであることが分かるなら、どうして、この世に不幸という概念が成立するだろう。

【2017年追記= 私は修験道の研究と、千日回峰の意味を調べていて、どのような理由で、これほど無謀で凄まじい行が千年以上も続けられているのか考えた。

 満行した行者たちは、一様に口を揃えて言う。

 「修行で得られたもの、修行がもたらした意味はない、ただ人への感謝が自分を支えていてくれる現実に気づいた」
 と言っている。

 私は本当に命を賭した堂入四無行に、京都の善男善女市民が駆けつけて、これ以上ないほどの心配顔で行者を見つめているのを見て気づいたのだ。

 この行者の姿を見て心配し、感動し、連帯しようとしてきた京都人の心こそ、千年の京都を真に支えてきたものの正体であると。
 それは背伸びでも、大きく見せる虚構でもない。この行者の姿を見て、人々は自分の住む京都を大切にし、後生に受け継がせねばならないと決意しているのであると。

 思えば、我々の若き時代。命がけで死地に向かう勇者がいた。
 小西政継・植村直己をはじめ、無数の若者が厳冬の山や谷川岳の岩壁に散っていった。

 彼らも社会に何も利益をもたらさないように思われたが、私は決してそうでないことに気づいた。

 彼らが常人のなしえない勇気を示すことで、我々は奮い立ち、新しい困難に立ち向かうことができたのだと。

 このことは本稿がとりあげた虚構性ではない。ひたむきに立ち向かう姿を見ることが、社会全体を緊張感のある利他社会に向かう力を生み出す。

 原発も戦争産業による金儲けも人類滅亡しかもたらさないが、千日回峰行者や山に向かう彼らは、健全な本当の未来を生み出そうとしているのだと。】

この記事に

蛭川風土記

蛭川風土記

 2004年記、2017年改訂追記
(室町期から続いた蛭川村も市町村合併により2005年、中津川市に編入された。地域名が変わり郵便住所も変わったが、村の中身はほとんど変わっていない。人口3000名に満たない穏やかな過疎の山村である。
 変わったことを挙げれば、イノシシやハクビシンによる獣害が桁違いに凄くなったことだろうか、)


 バラバラの村?

 (2003年)蛭川村に移住した最初の頃、第一印象は、美しい村だが、どこか変わってるという印象だった。どこが変わっているのか?

 例えば、気づきにくいことだが、一般的な日本の田舎集落は寺社を中心に数軒から数十軒の民家が集まっていて、その周囲に畑・水田地帯があることが多い。しかし、蛭川村には一部の例外を除いて、そうした集合的集落が少なく、民家がてんでバラバラに離れて存在している印象だ。

 バラバラに住んでいると、犯罪や天災などで近所同士の助け合いが得にくくなると心配になるが、逆にそうした心配の少ない地域なのかもしれない。

 役場から安弘見神社の周辺にかけて、小規模な商店街を含んだメインストリートがあるだけで、他は北海道の農村風景に似た分散型の集落が多い。メインストリートに、どこにでもあるはずの寺院がないのも奇妙だ。

 これらは幕末の廃仏毀釈、寺院破壊に関係しているように思える。寺院があれば集落の核となり、コミニュティが成立し人は寄り添って生活するようになる。それを打ち壊した当地では、集合集落の理由がなくなったのかもしれない。

【2017年註加=蛭川を含む岐阜県東濃地方の住民は、京都・滋賀・福井方面から移住してきた「秦氏」と呼ばれる朝鮮系渡来人の子孫であることは、スラッとした体型や一所懸命思想、文化の共通点から明らかである。
 騎馬民俗を持った人々では、牛よりも馬と共に生活する文化があった。今でも馬の文化は春祭りなどで花馬のイベントとして残されている。
 思想宗教は、仏教ではなく神道を尊び、西日本に典型的な、仏教寺院を中核とした密集した共同体社会を形成する習慣はない。
 江戸期に強要された「五人組」の影も薄い。中国から渡来した弥生人の子孫と思われる関西の集落では、菩提寺を中心に数戸〜数十戸の檀家が強固な共同体を形成して集落を作っているケースが多いが、騎馬民俗系の子孫は、一戸一戸がバラバラに城を主張するような特異な集落形態になることが多い。
 これが、その地域が弥生人系か騎馬民族系かを判定する有力な根拠となる。】


 特筆すべき村の景観上の特徴としては、特産である花崗岩の石切場が多く、至る所に花崗岩の露頭があって特異な風景を形作っている。観光地、恵那峡あたりは中国桂林に似た奇岩怪石が印象的で、独特の雰囲気を醸している。

 大正時代、京都の石材業者がこの露頭に目をつけ、全国に売りさばくようになった。この村の花崗岩は全国でも指折りの高品質とされる。

 鍾洞と呼ばれる花崗岩にぽっかりと空いた穴のなかには、すばらしい紫水晶・煙水晶・トパーズなどの宝石がびっしりとついている。
 岩自体も「蛭川石」と称される高品質の墓石材料として全国に名が知れた。

 この結果、多くの露頭が切り出され、何か不自然な景観が残った。

 さらに、山慣れた私の目からは、蛭川村景観のバックボーンをなす山々、わけても笠置山と岩山の景観に特異性を感じる。
 山全体が妙にのっぺりしていて、尾根と谷の区別ができにくい。独立性の強い山容なのだが、大きな沢の浸食が見あたらず、尾根の切れ込みが不明瞭なのだ。

 おそらく山肌の透水性が高いため、沢への集水力が小さいのだろうと思う。だから、恵那山や木曾山地と明らかに異なる山容で、奇妙さを感じるのである。

 これは太古の世界で海の底に大噴火が起きて溶岩が流れ出して巨大な花崗岩の層が成立し、その比重が他の岩より軽いため、数億年もかけて徐々に地上に浮上してきた成因によるものだろう。

 こうした景観が他の山村とは微妙に異なる雰囲気を醸し出していて、「ちょっと違う」という印象につながっている。
 石灰岩地帯とは対照的な特徴を持った花崗岩地帯の代表的景観といってよい。

 だが、総合的印象を言うなら、古い民家と水田のバランスが「農村景観日本一」になったことのある近くの岩村町と似てとても美しい。

 紅葉の季節や村全体が 霧に包まれたりすると幻想的な景観となる。ホタルのシーズンになると、村中の水田に青白いネオンが点滅して素晴らしいの一語に尽きる。これを見て、「蛭川 に来てよかった」と、しみじみと感じた。

 廃仏毀釈

 この村は歴史的にも強い特異性がある。
 先史時代の遺跡は少なく、歴史伝承も南北朝以降のものが多い。「蛭川」の地名が最初に登場するのは太閤検地で、この頃、すでに小規模な村ができていたらしい。
 もっとも過去帳など古い伝承は、廃仏毀釈の際に焼かれたものが多いので、正確なところは分からない。

 江戸時代、この地域は今の中津川市に居城のあった苗木藩遠山家の領地だった。そして明治維新の際、全国でもっとも激しい廃仏毀釈が行われた地域でもあった。

 藩内のすべての仏教寺院・本尊・仏具・過去帳・石地蔵の類に至るまで叩き壊され焼かれた。その後、大正期までに再建された寺院が数箇所にすぎなかったことで徹底ぶりが分かる。

 この事件は、それ以降の村の運命を大きく左右するものとなった。以来、村の宗教は仏教を離れ神道に傾いたまま戻らない。現在に至るまで、村人口の9割が神国教という希なほどローカル性の強い神道教団に帰依している。だから冠婚葬祭も、すべて神道方式で仏様の出番はない。

 どうして、これほど激しい廃仏毀釈が実行されたのか、とても興味深い。
 全国で、これほど激烈な廃仏毀釈が行われた地域は、他に薩摩藩、伊勢神宮周辺、石川県白峰地方、房総地方などが知られている程度である。

 苗木藩遠山氏は縁戚の木曾代官山村氏とならんで室町期からの領主で、江戸期を通じても異動のなかった希有な例である。これは藩政が非常に安定性の高いものだったことを示している。

 この藩では上意下達システムが整備され、藩命によって村民は軍隊のように行動しなければならなかった。
 そこには江戸幕府による街道維持の強い意志が働いている。

 藩内に中山道という要衝を抱えており、参勤 交代などの国事が多く、「助郷」として、いつでも戦争状態のような緊張を強いられた地域だったことにより領民は希なほど訓練されていた。

 島崎藤村が幕末の故郷を記録した歴史小説「夜明け前」に登場する青山半蔵のモデルは実父の島崎正樹だが、青山の名は苗木藩家老にして国学指導者だった青山胤道からとったと言われる。
 正樹もまた、平田国学の熱狂的信者であったため、故郷、馬籠の寺に火をつけて死ぬまで座敷牢に幽閉されてしまった。

 胤道は平田国学の創始者、平田篤胤から名をもらうほどの高弟で、廃仏毀釈を藩命として下達した彼の指導によって、苗木藩一帯で激しい仏教破壊が実行されたのである。反対勢力の乏しい統制のとれた藩政であったため、それは遅滞なく徹底的に実施された。

 (廃仏毀釈とは、本居宣長の弟子を称する国学の平田派が「政権を武家から天皇に返せ」と提唱し、武家政権の思想的支柱であった仏教を廃し、日本古来の伝統的神道思想に立ち戻るれと呼びかける過程での仏教破壊運動である。
 ちょうど今日のイスラム原理主義を思い浮かべればよい。これは明治維新を実現した勢力の思想的バックボーンとなり、さらに新政府の思想的根幹をなし、天皇専制国家の樹立から傲慢で無謀な国家主義、東アジア侵略へとつながっていった)

 蛭川村にあっては、胤道の同志であった奥田正道の指導によって、やはり徹底した神道教育が実行された。
 彼は仏教を壊しただけでなく、蛭川最初の寺小屋、 後に小学校の創始者であり、今日、村民の宗教的支柱である神国教の創始者ともなっていて、以来、恵まれた環境とは言い難い山村ながら蛭川村の教育水準は低くない。

 私は、これほど徹底した仏教排斥の事実の背後に、江戸期を通じた宗教支配、隣組などの制度から仏教寺院に対する反感が蓄積していたのだろうと推理していたが、実際には、それを伺わせる資料を発見できず、激しさは苗木藩の施政実行力が強力だったことによると結論せざるをえなかった。

 (江戸期、尾張藩による留山制度により、住民の山林利用が著しく圧迫され反感が募っていた。その怨みの蓄積が寺院破壊へのモチベーションになった可能性は排除できない。このことが「夜明け前」にも示唆されている)
 苗木藩は廃仏毀釈を最後の施政とした後、藩政返還によって消滅した。遠山家最後の藩主に殉死する家臣を出したほど藩体制は最後まで強固であった。
 
 杵振祭

 村民の9割が神道、それも超ローカル(ここだけの宗教団体という意味で)な神国教信者という全国でも希な「変わった村」にあって有形文化財はほとんど残されていないが、もっとも変わっていて面白い無形文化財がある。それは、村社、安広見神社の祭礼「杵振り祭」である。

 田植え前、4月頃に村社で行われる祭礼は、全国の祭り好きをうならせるほど独特の個性がある。これは豊作をもたらす田の神を山から呼び出す修験道の祭礼「花祭り」の発展形と思われ、実際、祭りの主役は花である。

 村の若者が役場から神社までのメインストリートを踊りながら練り歩くのだが、その踊りの振り付けがとてもユニークだ。若者達は花のように美しいチェック 模様の大きな笠を被り、派手な黄色い衣装に身を包み、手に手に杵を持って振りながら整列して踊り歩く。こんな個性豊かな祭礼を見ることは珍しい。

 もっとも 現在の形が完成したのは大正期ということで、本来の姿がどうだったのか知りたいところだ。
 全体の印象が、とても華やかで美しい。神社では巫女少女たちによる神楽が奉納され、行進の最後にも地元少女の楽隊が続き、花を満載した「花馬」がトリを引き締める。

 この花馬はアラブやサラブレッドのような外来馬ではなく、日本古来の小型の木曽馬であるが、これも1700年前に、朝鮮を経由してモンゴル馬を連れてきたものだろうと推理している。
 蛭川では祭りのためだけに、わざわざ数頭が飼育され続けている。

 霊として故郷に戻ってきた先祖達を喜ばせ、その力を借りて田に豊饒をもたらす典型的な花祭り儀礼とも言えるが、振り付けの質がとても高く見物客を飽きさせないのである。相当に実力のある振付師がいたのだろう。

 私は正月のドンド焼きの写真を撮影すると多数のオーブ(人魂と言われる)が写ることを知っている。おそらく、杵振り祭の行進には、夥しい先祖の霊達が見 物に来ていることだろう。蛭川村の豊かさは、こうした祭礼によって霊達を喜ばせることで、霊達の郷土愛を借りて保たれていると思っている。

 行進に先だって厄男によって御輿が神社に奉納されるが、私が感じたのは、そのすべてが明らかに旧約聖書に記されたユダヤ式祭祀を踏襲しているいうことだ。御輿が本殿に奉納されるスタイル、本殿の造作、御輿の形状までユダヤ人が見たら、びっくりして懐かしむであろう。

 【2017年註加=この祭りの起源を調べていたところ、目の玉が飛び出すほど驚いた史実を見いだすことになった。
 私が1990年頃に書いた「京丸山」に出てくる京丸部落の起源として、南朝方親王(宗良の第二子)であった尹良(コレナガ?)が浪合で自害し、その首を祀って守護したというものだが、それが、そっくり杵振祭の起源として記されていた。
 京丸の伝説との違いは、祀った場所だけで、京丸では尾根伝いの高塚山、蛭川では和田に同じ地名の社が残されている。
 この南朝伝説は、南朝の影響下にあった東濃から下伊那、三河にかけて広く流布されたものらしい。ナベブタの家紋を使う遠山氏の所領内であった。
http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/28514960.html  】

 
 【ユダヤと神道の関係について】
 知られているように、日本神道のマークは三角形を組み合わせたユダヤ教と同じ「ダビデの星」(六茫星)である。

 神道祭祀の多くが旧約聖書に記された方法 に酷似し、2700年前、アッシリアにて忽然と消えた「ユダヤ失われた十部族」がシルクロードを経て東方に移動し、旧約聖書を伝播したことは確実であろう。

 3〜7世紀に朝鮮半島の百済王国が唐・新羅連合軍に滅ぼされ難民が大量に渡来した。当時の国家戦争の敗者民族は皆殺しが宿命だったからだ。その主役は秦氏であり、彼らのうちから天皇家が成立したと考えられる。

 秦氏は秦の始皇帝の子孫を称した氏族で、出自はシルクロード弓月国であった。今日でも、この地域のキルギスタン・タジキスタンなどでは旧約聖書を踏襲するユダヤ式祭祀が色濃く残っている。また民族的にも日本人に極めて近いと言われる。

 始皇帝「政」も、その風貌が中央アジア系であったとの伝承がある。秦氏の宗教は三位一体の鳥居を持つ神道で、八幡(ヤハウェ・ハタ)・稲荷 (インリ→ナザレの王イエス意味する)など後の神道信仰の拠点となった。

 彼らはシルクロードを伝播した旧約聖書・ユダヤ教と新訳聖書・ネストリウス派キリ スト教の影響を強く受けていた。東方キリスト教派には新旧聖書の混在が見られるのが普通であった。これが中国において道教の一部に取り込まれ、日本に輸入されると修験道や神道になったと思われる。

 聖徳太子は仏教伝来の始祖と位置づけられているが、その母、推古天皇には明確な百済名が残っている。太子の幼名「厩戸御子」は景教の「救世主が厩に誕生する」伝承が含まれている可能性が強い。伝来当初の仏教は、習合神道であり、修験道や景教も含まれていたと思われる。

 日本神道の様式はユダヤ教に酷似している。御輿はほぼ旧約聖書の記載指示通りであり、幕屋や神主の衣装も同じ、それが奉納されるときジグザグに動き時間をかける のも、かつて御輿の原型となった「契約の箱」が20年毎に移動した名残を示すものであろう。これは伊勢神宮の遷宮とも共通である。

 また、古代神道の伝統をもっとも忠実に残すと言われる諏訪神社の祭礼には、「モリヤの神に捧げるイサク」の儀礼まで驚くほど忠実に再現されている。御柱の儀式もユダヤ式である。

 教徒で「ユダヤ神社」と称される八坂神社は、ヘブライ語で「ヤーサカ」から来たもので、それはヤハウェへの畏れ、「神よ!」という感嘆を意味している。
 当地、美濃国においては、古代から八坂神社が非常に多く、とりわけ可児市〜八百津町〜白川町、旧苗木藩内に多い。

 八坂神社は八幡社との共通点も多く、祭りのかけ声に使われる「ワッショイ」という言葉は、ヘブライ語で「さあ、戦うぞ!」という意味である。
 もちろん、わが杵振祭の安弘見神社も、元は牛頭社といったが、これは八坂神社を意味する変形であって、ユダヤ神社と呼ばれても不思議ではない。

杉原千畝を出した隣村、八百津町は極めて不便な高原地帯で、高野山のような地形。隠里の条件を備えている。この地の 伝承を調査することで、ユダヤとの関連が発見できるかもしれない。


 5月の大雪? なんじゃもんじゃ

 5月頃、笠置山登山道や神国教門前など、村のあちこちで、まるで大雪の積もったような、見事な白い花が咲く木を見ることができる。ちょっと変わった蛭川にふさわしい珍しい姿で、学名「ひとつばたご」(一つ葉タゴ)、通称「なんじゃもんじゃ」という奇妙な名がついている。

 「なんじゃもんじゃ」の由来は、江戸時代に江戸の青山六道(神宮外苑)に移植された木が「雪の木」として有名になり、それを見た殿様が「あの木はなんじゃ」と家臣に問うと、家臣が「なんじゃもんじゃ」と答えたとか、笑い話のような伝承がある。

 モクセイ科の落葉高木で、高さは15メートル程度、幹は50センチ径程度になり、花の咲いた姿が珍しく、とても美しいのでローカルニュースに取り上げられるほど親しまれている。

 「タゴ」とは「トネリコ」(タモ)のことで、バットや道具の柄に使われる有用木だが、漢方ではアオダモの樹皮が秦皮(ジンピ)として痛風の尿酸排泄特効 薬として用いられる。ヒトツバタゴも生薬名秦皮と書かれたものがある。
 もちろん、これは天然記念物に指定された稀少木で実用に用いられることはない。

 実は、私も痛風で、秦皮のお世話になっているが、驚くほど良く効く。ところが、最近、中国が秦皮を漢方指定薬から外したので輸入が途絶えてしまった。入手できずに困っていて、この木が気になってしかたがない。

 国内では、犬山から蛭川の木曽川流域周辺に自生するほか、はるかに飛んで対馬にも自生している。東京や名古屋に生えているものは、江戸期に移植したものらしい。

 朝鮮半島から中国福建省、シルクロード周辺にも希に見られるというが、その分布に、この木の秘密が隠されているように思える。 渡り鳥により運ばれた可能性が強いと言われるが、とても特異な木なので、もしかすると、シルクロードから朝鮮・対馬を経て笠置山にたどり着いた集団が、なんらかの目印として用い たのかもしれない。

 そう、「失われたユダヤ10部族」と考えれば面白いが、残念ながら証拠がない。
なお、この花は4月末に名古屋市内で咲き始め、最も遅いのは、6月はじめ、笠置山表登山道の7合目に天然記念物として指定されたもので、大雪が積もったと見まごうもっとも美しい花を咲かせるのは数日間だ。一見の価値はある。

 村のルーツ

 これらの民俗は、この地域に東濃地方の一般的な民俗慣習から、かなり離れた独自性の強い文化が育っていることを示すものだ。村人の人相も、どちらかといえば、東濃というより北関東〜東北太平洋側の人たちの特徴があるように思えた。
 もっとも近いと思うのは群馬県人である。

 そこで、村の図書館でルーツを調べてみた。廃仏毀釈や戦災により資料が散逸消失しているため、具体的なものは少ないが、おおむね、南北朝戦争時代に、後醍醐天皇の子であった宗良親王に率いられて北朝、足利尊氏に対してゲリラ戦を仕掛けていた頃、南朝側の武士が和田川沿いに住み着いたというのが定説のようだ。

 はっきりした伝承が残されているのは一色を拓いた田口、下沢を拓いた林で、林三郎太郎という武士が上州(新田義貞の随員だったように思われる)から宗良率いる武士団の一員として居を構えたということのようだ。となると、この村の起源は室町前期に遡ることになる。

 私が住んでいるのも下沢の一角で、回りは子孫である林一族で占められている。彼らに共通する人相は、エラの張った屈強で粘り強い戦闘的性格を示すものだ。源平の子孫など中世武家集団を彷彿させ、これなら北関東武士団の面影といっても不思議ではない。

 笠置山とペトログラフ

 蛭川村にとって故郷の山は、なんといっても笠置山である。蛭川村の大部分は笠置山の山麓で、一部岩山の山麓となっている。

 海抜は1200mに満たないが、独立峰のような姿形がとても美しい。とりわけ私の住居である下沢中山の頂から見た笠置山は、まさしく、うなるほどの盆栽的絶品景観。日本中の山を1500回以上も登った私が太鼓判を押しておく。

 決して大きな山ではなく、私の家から徒歩3時間もあれば登れるのも手頃でよい。ただ、近年、山の価値のなんたるかを知らない愚かな人たちによって、山頂近くまで車道が延長され、そのため稀少な光苔が取り返しのつかないほど荒らされてしまった。

 東濃地方の多くの山が、林道拡張によって荒廃し、鹿や猪、猿などの害よりはるかに深刻な森林荒廃をもたらしている。山腹横断林道は崖崩れの起点となる。 車で入れることによって、志もなく、無知で軽薄な者も簡単に入山できるようになり、山の財産、恵みを強奪するために徘徊する条件を与えている。

 山は手軽に登れることによって荒廃をもたらし、その価値を失うのである。山を守ろうとする志の高い者には手軽さは必要ない。汗水たらして苦労して登ることこそ、山の真の価値であることを知っているからだ。

 山を真に愛する者なら、決して安易な林道開発に賛成しないだろう。役人が業者に接待を受け、その便宜を図るために計画された自然破壊構築物の数々、これらは地方の存立基盤を取り返しのつかないほど荒廃させている。

 人々を自然から引き剥がし、郷土愛を失わせているのだ。蛭川の人たちが笠置林道によって得た 恩恵より、失ったもののほうがはるかに大きいはずだ。こうした、ものの見方、考え方は、幼い頃からの自然観察と創造的関与によって身に付くものだ。子供達に、山のもたらす恵みと、その保全を考えさせていかなければ村の未来も危ういのである。

 さて、その笠置山だが、これもまた変わった山である。長年、全国の山々を歩き続けてきた私も、これほど変わった山に出逢うことは珍しい。何が?

 まず、山肌に沢の浸食が少なく、のっぺりしている姿については、すでに述べた。当地が花崗岩地帯で特異な岩盤に覆われていることもすでに述べた。

 さらに、笠置山の山腹に、高さ数メートルの大きさの奇妙な岩が無数にニョキニョキと生えているのである。こんな姿は他に例が少ない。笠置山独特の景観といってよい。
 古代宗教研究者は、こうした岩を「ドルメン」と名付けて、アミニズム(自然神信仰)の礼拝所として使われた可能性が強いとする。

【2017年註加=2008年頃より、この笠置山ドルメンがボルダリング・クライミングの対象として開発されるようになり、2010年頃にはインフラも整備されて、全国からボルダーが押しかけるようになった。
 私は2010年に凍結路で起こした事故により左肩を複雑骨折し、二度とクライミング不可能な体になってしまったので、若者たちに酒飲みメタボのおっさんでも登れるところを見せつけられなくて実に残念だ。
 まだ未開の良質の岩場がたくさんあって、私は樽岩を勧めておきたい。ボルト打ち不可のルールは安全性に極めて問題があり、撤回してもらいたい。】

 実際に、笠置山のこうしたドルメンには、「ペトログラフ」と名付けられた古代文字の刻印が存在することが明らかにされた。

 刻印の意味は、まだ完全に解析されたとは言い難いが、一部、「ヒムカ・イルガ・ギギ」などの音があるとされ、「我らに水の恵みを」とする縄文時代の雨乞 い儀式の意味があったと明らかにされた。また、盃状の加工には、明日香の酒舟石のように、なんらかの生薬調合が行われた工場か、霊的祭祀場所であった可能 性も示されている。

 私は、山頂近くの物見岩や姫栗側の刻印を見て、その具体的意味を実感することはできなかったが、山頂から、こうした遺跡群を経て直線状に南に向かう遺跡・祭祀ルートが存在することを確認した。このルートの先には遠州灘・太平洋がある。

 かつて私は大峰山地の山頂から熊野灘の日の出が、光の柱を伴って宝石のように神秘的に見えることを知った。おそらく、笠置山頂からも季節によっては海の 光が神秘的に現れる条件が存在するだろうと想像したのだ。
 古代人にとっては、見えざる神が姿を現したと感動する機会だったのではないかと感じた。そうした 場所がドルメンとして大切にされたのではないか。

 鉱物・放射能・鉱泉・陶土

 笠置山から蛭川峠を伝って山並みが続いていて、白川町赤河・黒川地区に延びている。元々、白川は白・黒・赤の色合いを持った三つの川の流域をまとめた村であった。ここも苗木藩領で、やはり廃仏毀釈が激しく行われ、今でも神道の影響が強い。

 実は、私の祖母が黒川出身で、今でも親戚が肉牛牧場を経営している。決して深い山岳地帯ではないが、標高千メートル前後の山並みが海のように連なって北アルプスに向かっている。人々は山襞の隙間に林業や牧畜で素朴な生計を立てている。

 黒川は蛭川のように花崗岩には恵まれず、蛭川衆が花崗岩産業や耕地にも恵まれて豊かだったのに比べると、遠ヶ根峠を越えた黒川一帯は貧しかった。
 しかし、戦前、この笠置山から岩山・二つ森山・寒陽気山に至る山々に国内指折りの稀少鉱物を産することが明らかにされた。

 花崗岩石切衆は、採掘のとき岩の空洞にニョキニョキ生える煙水晶やトパーズを見て驚いた。村の河原にも磨かれないトパーズがごろごろ落ちていた。石材業が成立するまで、この村が宝石の産地であることに誰も気づいていなかった。

 薬研山付近でトパーズ・サファイヤ、希にはルビーまで産出したことで寒陽気山などにも可能性が広がり黒川衆に希望を与えた。しかし、結局、遠ヶ根峠や薬研山に鉱山が拓かれたものの埋蔵量が少なく、本格的な鉱業は成立しなかった。

 しかし、国内では非常に特異な地質であることが証明され、まだ未発見の稀少鉱物埋蔵の可能性が小さくない。

 また、強い放射能を帯びた土地で、岩山一帯ではラジウム鉱泉脈が広く存在している。鉱泉こそ宝石よりもはるかに価値の高いものだった。私の家でも井戸を掘ったら 、このラジウム鉱泉が出てしまい、嬉しいやら困ったやら。

 泉質は秋田の玉川温泉に似た炭酸ラジウム泉、とても暖まる想像以上に素晴らしい鉱泉である。現在、岩寿・東山・ろうそくの三軒の温泉宿が営業しているが、泉質の素晴らしさが知れ渡れば、私の土地も含めて一大温泉郷になる可能性もあると思っている。

 ただ、強い放射能が人体に悪影響を与えないか心配している。私の土地では、新品のゴム草履が半月でベロベロ。自転車のゴムタイヤがボロボロになり、中からチューブがはみ出してきた。
 こんなことは他で聞いたことがない。かつて蛭川村のガンマ線被曝による白血病の増加を調べたことがあるが、公開された資料からは、深刻な疫学的影響を確認することはできなかった。むしろストレスの少ない長寿村であることが分かったが、妊娠2〜4ヶ月の妊婦にとって安全な地域とは言い難いと思う。

 【2017年註加=我が家の空間線量は毎時0.2〜0.3 マイクロシーベルトもある。これは蛭川全体に共通することで、花崗岩地帯の宿命である。
 花崗岩のなかの長石成分にウランやトリウムが含まれているためだ。私は放射能の自称専門家なので土壌や水のスペクトルを分析したところ、トリウム系列とウラン系列の両方のラジウムやラドンを鮮明に捉えることができた。
 井戸水もトロン鉱泉といってもよいレベルだったので、さすがに飲用は市販水を利用するようになった。
 これが健康に与える長期的影響は不明である。】


 東濃地方は全国指折りの高放射能地帯で、その原因はウランを多く含んだ花崗岩にある。蛭川から西に20キロほど離れた瑞浪市日吉地区には旧通産省が作っ たウラン採掘精錬所があるほどだ。そのウラン含有レベルは鳥取県の人形峠を越えて日本一と言われている。
 また苗木地区の空間ガンマ線量も日本一で、蛭川村 田原地区でも、ほぼ同じ水準とされる。

 この花崗岩が風化したものが日本窯業を代表する東濃陶土となり、瀬戸・多治見・瑞浪一帯のセラミック産業を支えているのである。良いものも悪いものも紙 一重である。なお、蛭川の土の大部分も陶土として利用可能である。ただし、御岳火山灰の赤土では煉瓦くらいしか焼けない。 

 蛭川村の未来

 この村は自治開闢150年という、古い単独村区の歴史があり、独自の個性を育んできた。
 しかし、お定まりだが、バブル期の「開発幻想」に取り憑かれた有力者による回収のアテのない浪費が重なった結果、財政は破綻し、浪費を主導した自治官僚の言いなりに中津川市と合併しようとしている。

 歴史的には恵那市とつながりの深い地域なので、合併相手を間違えているように思うが、中津川市のほうが財政的に余裕があるという判断のようだ。いずれ、恵那市と中津川市も合併せざるをえなくなるだろうが。

 合併されれば合理化の名の下に地域サービスは画一化し、木で鼻をくくったような血の通わない行政が展開され、村の特異な歴史、個性のうち利用価値がないと判定されるものは放棄される宿命にある。

 例えば客を呼べる杵振り祭は残されるだろうが、村の図書館や資料館は閉鎖されるだろう。採算性の薄い事業は閉鎖される。また村独自のコミニュティを成立させることも困難になる。村の個性、独自の歴史も人々の意識から遠のいてゆくだろう。

 排水浄化とホタルへの危惧

 それ以上に危惧されるのは、合併後の効率優先自治体施策により、ホタルで有名な素晴らしい水質の水域が取り返しのつかないほど荒廃する事態である。

 既存の誤った集合下水処理により殺菌剤を含んだ処理場排水が流域生態系を破壊する可能性がある。すでに当地では下水道幹線工事が完成に近づいているが、これが完成した暁には、お粗末な活性汚泥処理と殺菌剤によって河川流路の浄化能力が大幅に失われ、ホタルを育む素晴らしい水質を潰滅させるのではと強く危 惧している。

 そこには鯉や鮒は棲めるが、鮎やアマゴが棲むことはできなくなる。
 生態系に無知な官僚の設けた水質管理法では、BODや大腸菌数によっては塩素殺菌を強制している。
 これは大腸菌殺菌の名目で塩素化合物を放流することで、流域の全生態系に強い悪影響があり、流路の浄化バクテリアを死滅させ、死の水路を造るものだ。何もしなければ水路こそ最大の浄化装置なのに、殺菌することで、それが失われるのである。

 こうした愚かな施策の例をあげよう。かつて、子供達にレントゲンによる結核検診が法的に強制され続けた。これは一人の結核児童を発見することと引き換え に、数十名の被曝ガン患者を発生させるリスクが明らかであった。

 実は、現在の中高年女性の乳ガンの大部分が、児童期における結核検診被曝によると考えられるのである。ガンの潜伏期間は20〜40年、因果関係の特定が困難なことを幸い、国民にガンをもたらす強制検診が長期間続けられた。

 殺人行為ともいうべき馬鹿げた過ちが続けられた理由は、それを定めた厚生官僚と利益を得る検診会社が天下りや接待で密着同体であったこと。そして、その会社(日本検診協会)こそ、関東軍731部隊、北野司令官が設立し、エイズを拡散したミドリ十字社の子会社であったことと無関係ではない。

 また、かつて朝鮮戦争とベトナム戦争のとき、アメリカ企業は大量の火薬を製造して在庫が膨らんでいたが、戦争終結とともに、この処分に困り、多くを化学肥料と農薬に転用し、それを日本など同盟諸国に押しつけた。
 これらの戦争の直後、農林省は全国の農村に化学農業資材を多用するよう指導通達した。自然の循 環サイクルを守っていた日本農業が、朝鮮戦争後に劇的に化学肥料型荒廃農業に転じた理由はこれであった。

 ベトナム戦争後には、戦場で使われた毒ガス、ダイオキシンなどが農薬に転用され、アメリカから安価に輸入された。日本農業は、農林省の指示により劇的に 農薬依存型に転換したのである。それらがもたらしたものは、作物の救いのない品質低下と農民の健康被害激増だけであった。

 水道行政に用いる薬品も無関係ではない。科学技術の幻想に縛られ、機械と薬品を多用することが高度技術であるかのような錯覚に支配され、取り返しのつかない自然破壊に邁進し続けている本質に気づかねばならない。

 本当の科学は決して技術や機械・薬品に頼るものではない。それは自分の五感を働かせ、自然を観察し、その法則を熟知して生かすものである。
 例えば、排水の処理は自然界の浄化バクテリアを最大に生かして、排水流路すべての浄化作用を総動員するものでなければならない。現在の行政が行っていることは、決して水を浄化しようとするものではない。
 浄化を名目に、巨額の工事費用をかけ、機械と薬品を多用し、さも科学技術であるかのようなコケオドシ設備を設け、業者に金をばらまき、天下り先を確保しようとする愚劣な浪費行為にすぎない。

 EM浄化槽

 そうした真実の科学による浄化システムが、すでにEM菌やEMBC浄化システムとして数多く実践されているにもかかわらず、権威ある学者や機関は自分た ちの縄張りの外で発見されたEM菌、受賞と無縁の技術は、どれほど素晴らしいものでも無視することしかできない。

 EMは公的な検討対象から完全に黙殺され、「トンデモ技術として妄想にすぎないインチキ技術であるかのように決めつけられ、EM菌によって大腸菌が完全に死滅するにもかかわらず、そのEM菌をも殺してしまう塩素殺菌を法的に強要しているのが愚かな行政の実態なのである。

 生態系を守り最高の浄化を行えるシステムは、実は完成しており、私自身が、それを実践し日々検証している。それは莫大な金のかかる下水道による集合処理 と対局にある小規模戸別処理であり、驚くほど安くあがる簡単な設備で、集中下水道処理施設の数十倍の浄化能力を持ち、合併型浄化槽でありながら完全に飲用 水準の排水しか出さない奇跡ともいえる機能を持っている。

 だが、こうした浄化槽の性能がどれほど素晴らしいものであっても、公的な認証を得ない限り法的には決して認められない。その認証の壁は既存業者を保護するため異常に厚く高いものになっている。

 例えば、浄化槽設置主任者の資格試験の条件は、何の合理的理由もなく7年の実務経験を要求している。これは新入業者を排除する壁としての意味しかもたないのである。

 日本の行政は腐敗している。業界と役人の腐乱した関係は、天下り役人の実態を見れば誰にでも理解できる。こうした腐敗行政が、日本の根幹を崩壊に導くばかりか、かけがえのない自然生態系をも取り返しのつかないほど破壊してゆくのである。

 EM菌を用いれば、簡単な設備で排泄物や洗濯排水を飲用水準まで浄化できる。排便の悪臭は芳香にとって代わる。排水路にはEM菌が繁殖し、大腸菌を死滅させながらホタルの繁殖できる清浄水を作り出してゆく。

 畜舎の悪臭も完全に解決できる。現在、当地においても悪臭を克服した畜舎の大部分がEM菌を使用しているのだ。生ゴミは素晴らしい堆肥に変わる。堆肥ボカシの大部分がEM菌に代わったことは常識になった。これらは実証された技術でありながら、行政は無視し、従来の生態系破壊技術に固執し続けている。既存 業者の利益を守りたいからだ。
 人類の未来を救う最高のテクノロジー、EM浄化槽は違法として排除され撤去命令を受ける。我々は、こんな時代に生きている。

この記事に

蛭川村移住記

 蛭川村移住記

  これは2004年に書いたものだが、2017年に改訂して東海アマブログに掲載することにした。金なし移住を志す人に、わずかでもお役に立てれば幸いだ。

 名古屋から蛭川村へ

 名古屋市内の公団アパートに25年もいた私が、岐阜の中津川市に近い蛭川村という山村に移住したのは2003年秋のこと。9月頃から準備を始め、スズキエブリという軽バンで何十回も往復して10月末には引っ越しを完了した。

 ここは名古屋から80キロほどの僻村だが、中央線沿線で中央道ICが近いため交通利便性が好く、別荘地としても人気があった。

 私が移った場所もバブルの頃売り出された別荘地で、金融担保処分地として廉価に売り出されたのを実父が新聞で目に留め、私に声をかけてくれたのだ。

 蛭川村は全体が花崗岩の岩盤に覆われているため耐震性の高い土地で、かつては首都移転最有力候補地と言われていた。バブル最盛期は坪10万円程の温泉付 き別荘地として売り出されていたが、近年は首都移転の可能性も事実上消えて、不景気のため不動産価値も下がり、購入価格は坪1万円程度だった。
 金は実父が遺 産分けのつもりで出してくれた、といっても乗用車代金程度だ。

 実は祖母の出身地が隣村の黒川というところで、縁戚も多く、蛭川は、まんざら無縁でもない土地だった。国内有数の稀少鉱物産地で、地質勉強のため度々訪れたことがあり、気味の悪い名に似合わず、とても美しい山村だと知っていた。

 私は以前、有機溶剤を扱う仕事で腎臓を痛め、排泄が悪いため重い痛風に苦しみ、体調も最悪だった。常に軽い尿毒症に悩まされ、黒ずんだ顔をしていた。腎障害が治癒する可能性は、どんな医書にも書かれていなかった。

 幸い家族がいないので死んでも心配がなく気楽だったが、いつ深刻な発作が起きるかもしれない病状のため、まともな仕事につけないでいて、貯金も失業保険も使い果たし、金も仕事のあてもなかった。どこかの公園にテントでも張って、ホームレス生活に入ることを真剣に考えていたほどだ。

 それまで住んでいた築40年の公団アパートは、入居当初、1DK家賃が2万円程度で安く人気だったが、お定まりの天下り官僚と子会社による食い荒らしを 受けて、莫大な赤字補填のため、家賃も民間相場以上の5万円近くまで上昇し、苛酷な仕事のできない私には負担が大変で、どこか安上がりな生活拠点を探さね ばならなかった。

 若い頃から登山に親しんだ私にとって、山の近い田舎暮らしは最高の憧れだったが、古いしがらみの強い集落では近所付き合いが大変だと思っていた。移住するには気楽な別荘地がいい。だから渡りに舟のような話で、期待に胸を膨らませた。

 現地は永住家族が一組だけいる十数戸の別荘地で、標高1000mほどの岩山の山麓にあたり、ときどき熊騒動が報じられるほど深い山林に囲まれた、美しい睡蓮の咲く池の前だった。土地の日当たりも良好、環境抜群、ひと目で気に入った。

 1日6本のバス便、バス停まで20分。近い雑貨店まで徒歩40分、喫茶店まで徒歩50分。大きめの八百屋程度のスーパーまで1時間半といったところ。早い話が周囲に何もない。車か、最低バイクがないと生活が成り立たない。

(註=2017年現在、事情はさらに悪化していて、商店の大規模集約化が進んだため遠く大きくなり、車を持たない世帯が暮らす生活システムが絶望的に困難になりつつある)

 土地の一部が50坪ほどの更地になっていたが、電気を引くことから始め、生活用水確保や排水浄化など、結構大変な作業を強いられた。できるものは全部、自分でこなさなければならなかった。

 太陽光自家発電や浄化システム、メタン装置・木炭製造などに興味があったが、なにせ金がなく、100万円単位の太陽光パネルなど、とても手が出なかった。

 スーパーハウス

 家は当初、8畳のナガワ・スーパーハウス(エコノミー)新品を37万円で購入し、ブロックの上に据え付けるだけにした。
 この家はトラック一台で簡単に運 べるのが特徴だ。買って、ポンと置くだけで住める。見かけはまあまあだが、住居としての基本性能はひどいものであることを住んでみて思い知らされた。

 まず、入口と窓が同じ面にあって通風が全然考慮されていない。夏場、内陸性気候の直射日光に晒されると、まるでサウナだ。窓を開ければ無数の虫、害虫の洪水。田舎暮らしは虫との戦いなのだ。

 天井は屋根鉄板一枚なので、日差しがあると鉄板の鯛焼き気分。強い赤外輻射でとても室内にいられない。クーラーをつけても焼け石に水程度。効いてるという感じがしない。やむをえず、屋根にブロックを並べて白く塗ったコンパネを敷いたら少し楽になった。

 マイナス10度まで冷え込む蛭川の冬は凄い寒さ。暖房がなければ室温はマイナス数度になり寝られたものではない。
 冬山のテントでもこれほど寒くない。石油ストーブ1台ではとても足りず2台必要だった。夜間も消すことができなかった。

 後に天井に石膏ボードを貼り付けることで、なんとか輻射熱と寒気から、わずかに解放されたが、スーパーハウスはもう懲り懲り、アイデアは悪くないが、設計も、ナガワ営業マンも人に対する優しさ、善意が感じられない。他人には決して勧めないことにした。

(註=キットハウス組立後、物置になってしまったが、スーパーハウスの安物を居住に利用するためには、大幅な改造が必要になった。天井・床・壁面に断熱材を貼り付け、ガラス窓は2重カーテンにすることで、とりあえず住めるようになる)

 電気・ガス

 電気の引き入れも自分でやりたかったが、電気工事士の資格が必要ということで地元の電気屋に頼んだ。こちらで用意しなければならないのは電気引き入れ口に高さ5m程度の電柱を建て、メータ・ブレーカのついた配電盤を設置することである。

 作業を手伝って敷設費用は7万円、敷地内の配線は自分でやった。本当はこれも資格作業だが自家設備だから文句は出ず監査もない。トラッキングやショートを起こさないよう接続部はハンダ付けし、しっかりビニール被覆してステープルで留める。
 アマ無線の2級を保有してるから電気電子の基礎知識はあった。

 いつか太陽光自家発電を実現したい。もちろん自作設備だ。原発に頼る電力会社に支配されるのはまっぴらだ。ソーラーセルが安くなる日を心待ちにしている。

(註=2008年に1Kwの太陽光発電を導入し、600Aのバッテリーシステムを作ったが、交流変換装置が何度も壊れ、恐ろしく高いものについた。それに自作の場合、整流ダイオードで電気の補充を一方向にしておかねばならないが部品が簡単に入手できなかったりしてソーラーシステムは最大の失敗作になった)

 ガスはプロパンボンベを買えばいい。テロ対策で昔のように大型ボンベは売ってくれないが、5キロタンクが1万円程度、プロパンガスは、どこのガススタン ドでもキロ400円程度で充填してくれる。

 最近、規制が厳しくなり、昔のような安易なゴム配管が認められていないので、配ガス業者に配管を頼んでメータ契 約すると高く付く。
 私はガス湯沸かし器なども自分で配管していたが、その部品さえ容易に入手できなくなった。プロパンガスは使いにくいというのが実感だ。

 ホームセンターで売られるカセットガスは3本250円、キロ330円程度のものがあり安いが、カセットの頻繁な交換が必要で、火力も小さく現実的でない。


(註=これも2008年頃、ガス法が改悪され、事実上個人でプロパンガスを購入することが不可能にされてしまった。2016年現在、業者からだとキロ450円のガス代と基本料金。カセットならキロ340円程度なので交換と後始末の面倒を差し引いてもカセットの方が有利である。火力も増えて、結構使える水準になっている。今のところカセットと電気コンロだけで間に合っている。)

 水騒動

 複数の別荘地開発業者が地権者として入り組む土地で、この別荘地の道路権・水利権を持つのは事実上倒産状態の「コスモ開発」という胡散臭い名古屋の業 者、金融処分地を買い取って私に転売したのは「ゆーゆー」という地元の業者だった。
(ネットで調べたら、船井総研グループなど全国で9社もあった、ここの は社長一名だけ)

 彼らが利害で対立し、解決をみないうちに土地を売ったため、私は道路・水利権のない土地を買わされた形になり、コスモの社長が突然、予告もなく強制封鎖に来て、パトカーが二台来る大騒動になったことがあった。

 結局、私の強硬な抗議に、「ゆーゆー」が「コスモ開発」に道路・水利権を30万円支払う形で決着がついたが、いずれの業者の無責任さにも怒りがこみあげた。

 水道を引くにあたって、施設分担金としてコスモから50万円を要求され、蛭川村分担金と併せて80万近く支払わねばならないことになり、あまりに馬鹿馬鹿しいので、「ゆーゆー」社長の薦めで井戸を掘ることにした。

 井戸は専門業者に頼んでボーリングすると100万円単位の仕事となるが、土建・造園業者に頼めば、ユンボを使って5m程度の井戸を20万円程度で作ってくれる。ここも地元業者に約4mの浅井戸を掘ってもらい1.5トン容量ほどの良く水の出る井戸ができた。

 当然、配管は自分で施設した。システムの知識がなかったので、500リットルのポリタンクを高いところにおき、適宜ポンプで汲み上げて落差を利用して ホースで配管していたが、圧力が弱く、冬場、長いビニール管が凍結し使い物にならなかった。そこで、ホームセンターを覗いたら寺田式浅井戸ポンプというの が4万円程度で売られていたので無理して購入、2キロのポンプ圧に耐える配管を塩ビ管で作り直したら、すばらしく快調に使えるようになった。

 塩ビ配管は 切って糊付けするだけの易しい仕事だった。
 しかし、当初、出たのは泥水ばかり、汲みだしても汲みだしても泥水以外出なかった。結局、飲料水は山から汲んでこなければならなかった。濁った井戸水は洗濯や洗い物に使ったが、当然、洗濯物が薄汚れたように仕上がった。

 やがて、この泥水をガス湯沸かし器で暖めてシャワーに使ってみると、驚くほど気持ちよく暖まることに気づいた。そして、そこから十数メートルの場所に、この別荘地の使われていない温泉井戸があると知り、ようやく泥水の正体が鉱泉であることに気づいた。

 後に、友人の篤志のおかげで素敵な風呂を建設することができ、これにポンタ湯と名付けた。すぐ隣の泉源は炭酸ラジウム泉と書かれていて、有名な秋田の玉川温泉と同じ。これは本当にありがたい贈り物だった。

 湯に浸かると肌がすべすべになり実に好く暖まり湯冷めしない。悪かった体調も湯治によって徐々に快方 に向かう感じだった。黒ずんでいた皮膚が少しずつ白くなるのが分かった。きれいな水も欲しいが自家温泉も悪くない。

 泥水鉱泉も、半年もすると、やがてきれいな湧水に代わったが、要は汲み上げ量が多く地下水が底を尽くと鉱泉が湧出し、普通に使っていれば湧水井戸になる理屈が分かってコントロールできるようになった。地下水はすばらしく美味しく、クセのない美しい水である。

 なお、ポンタ湯は、友人の設備屋、青松氏の協力により、ノーリツ製灯油ボイラーを定価の半額、8万円で購入、浴槽は傷あり1万円の格安品、浴室は後で述べるプチハウス2畳を20万円、全部込みで30万円程度。業者に頼むと100万円以上の仕事になる。灯油ボイラーは燃料代が桁違いに安く安心して使える。 維持費は月千円に満たない。一年間使用して故障皆無。十分過ぎるほど満足のゆく温泉になった。

(註=当地はトリウム鉱山に近く、土壌にも大量のトリウムが含まれているため、後に分析したところ水にもトリウム系列のラジウムやトロンが含まれていた。洗濯や入浴など通常の利用には不都合がないが、飲用だけは市販水を使うことにした)

 浄化槽とEM菌
 
 山林を拓いて生活を始めるにあたって、最大の障害が排水問題である。当地は水質が素晴らしく、有名な蛍の名所、それももっとも見事な乱舞の見られる核心部に近い。排水で水質を悪化させれば蛍を駆除してしまう。

 後に知ったことだが、2002年度に排水関係法が改訂され、土地所有者の利用にあたっての排水基準値が、それまでBOD50ppmだったのが10ppm に変えられていた。これは、おおむね大規模河川の平均水質に近い。

 それまで水汚染の元凶が工場と自治体下水処理場だったことは棚上げされて、個人レベルで 浄化負担を押しつけるものになっていた。

 この値は通常浄化槽としては相当に厳しい。私も関係法に無知だったので、知識として従来のトイレ浄化槽程度で許されると思いこんでいた。

 私は、生活排水をそのまま排水溝に流すのはマズイ程度の認識しかなく、アクアリウム浄化槽を作った経験を頼りに基礎的なバクテリア分解浄化槽を作って、そこを通せば解決するものと簡単に考え、容量3立米ほどのコンクリート製浄化槽を自作することにした。合併浄化槽とトイレ単独浄化槽の違いも、よく理解していなかった。

 工事は友人の土耕一氏の協力で順調に進んだ。4立米のコンクリート箱をブロックで6分割し、最初の桝を沈殿槽、次を曝気槽、残りを砂利透過槽、最後を排水槽とした。曝気も循環も金をケチってオモチャのような装置だった。投入したタネ菌も、熱帯魚飼育タンクで培養したアクアリウム用光合成菌主体のもので、分解菌は自然発生して陶太されると気楽に考えていた。

 数ヶ月もして屎尿が蓄積すると、排水には悪臭が漂うようになった。曝気と循環が弱いため、嫌気性腐敗を起こしてしまったのだ。風呂を増設し、排水量が多 くなると事情はさらに悪化した。フタをして密閉しても、どこからか悪臭が流れてくる。蛍の川に流れ込む排水溝は悪臭のドブと化した。それは隣家のすぐ脇の側溝を流れている。

 「これはマズイ」
 びっくりして、ホームページで屎尿分解性のよいバクテリアの知識を教えてくれるよう頼むと、すぐに幾人かが「EM菌を使ってみたら」と書き送ってくれた。そこでEMボカシを数千円買って投入し攪拌したらやっと悪臭の発生は止まった。

 投入後、10日ほどしたら、突然、菊池さんという方が訪問してこられた。自衛官風の好青年でEMBC浄化システムを研究している方だった。EM菌より優れたEMBC菌を投入すれば、屎尿は完全分解し飲用水準の排水になるという。

 私は月に数万円で生活しているため金がない旨伝えたが、無償で協力してくれるとのこと。菊池さんを信じ、持参されたEMBC菌を投入し攪拌した。それから、宅急便で数回、EMBC培養液が送られてきたのを追加投入し続けた。
 しばらくして我が目を疑う奇跡が起きた。屎尿のたっぷり詰まった沈殿槽に厚い放線菌膜が張り、やがて、それが消えると、ハッカのような芳香さえする菌床 水に変わっていった。

 それを汚泥ポンプを使って循環させるうち、屎尿や紙の堆積物が消えてしまったのである。出てくる水は日々キレイになり、やがて無味無 臭、飲めるほど澄み切った水に変わった。
 約1年分蓄積した屎尿やトイレットペーパー、生ゴミのカスなど、あれほど大量にあった有機物が、どこを探しても見あたらなくなった。一体どこに消えたのか? 狐に抓まれたようだ。

 冬の寒さと凍結

 蛭川村の冬は厳しい。雪は降っても30センチ程度だが、寒気が厳しいため村中アイスバーンとなる。道路はスケートリンクのようだ。四駆であってもノーマ ルタイヤでは当地の坂を上ることさえできない。
 これまでの最低はマイナス11度だった。こうなると室温も氷点下、夜間ストーブを消しては寝られない。

 厳冬期、すべての配管は凍り付き、水が使えない日々が続いた。たいていは日中になれば溶けるが、ときには3日以上、凍結が続くこともあった。毎朝の日課 は、トイレの金隠しの氷を棒で叩き割り、ストーブで沸かした湯を流すところから始まる。こうしないとウンコが便器から溢れ出して悲惨な事態となる。

 次に室内に汲み置きしたバケツの水をタンクに入れて、おもむろに流すことになる。このとき、下水配管を10センチ以上の太管にしておかないと氷結して流れなくなる。

 貯水タンクから安上がりなビニールホースで配管していたときは凍結しても破損はなかった。しかし、後に圧力の高い井戸ポンプを使うようになると、ビニールホースがすべて破裂したため塩ビ配管に切り替えた。

 厚手のVP管を使い、厚さ数センチの保温材を巻いて丁寧に施工したつもりだったが、凍結が始まるとヒーターの入れてない部分は、すべて数十センチに渡ってナイフで切り裂いたように破裂した。

 朝方、寝ていて「ボン!」という破裂音で目覚める。破裂箇所は昼頃になって凍結が溶けないと分からない。突然、噴水のように放水が始まり、その部分の保 温材を剥がし、壊れた配管を切り取り、新しい部品に換える。
 それを何度繰り返したか分からない。ホームセンターの係員も配管材料を買いに来る私の顔を覚え てしまって恥ずかしい思いをした。

 おおむねマイナス7度が境で、それ以下では厚い保温材も役に立たない。ヒーターが入っていれば大丈夫だが、停電でもすれば破裂してしまうし電気代がバカにならない。
 結局、凍結の予想される日は水を抜く作戦で、水の溜まりそうな配管に多数の水抜き用バルブをつけた。

 だが、それでも次々に塩ビ配管の漏水が続いた。毎日のように、どこかが漏れている。凍結圧力のせいかエルボなど部品の接合部が抜けるのだ。いいかげん泣きたくなるほどだった。糊や施工が悪いのかと思ったが、そうではないと思い当たった。
 
 実は、当地に移住して以来、思い当たる不思議な現象があった。靴や草履が異常に早く損耗するのだ。新品のゴム草履が半月もたずに壊れてしまう。数年は持つはずの上等のショッキングシューズでも、こちらで使うと1ヶ月で底がベロベロ剥がれだす。しまっておいた長靴を取り出すとヒビだらけ。あげく、自転車の タイヤがボロボロに分解してチューブがはみ出してきた。こんなこと普通ではありえない。

 要するに、高分子化合物の分解がとてつもなく早いのだ。原因について思い当たることがあった。当地は国内有数の自然放射線地帯。温泉はすべてラジウム泉、空間ガンマ線量は全国トップ。また裏山が薬研山という国内唯一ルビーを産出したことのある稀少鉱物鉱山だ。近くに、旧通産省が設けた東濃ウラン採掘場 もある。

 友人の坂下栄氏から預かっているRDANというガイガー計数管でガンマ線量を測定すると名古屋市内の3倍以上あった。なお私は放射線取扱主任者資格を取得しており自称放射線専門家である。というわけで、高分子分解の秘密は放射線量にあると言いたいところだが、実は3倍程度の線量では常識的に考えて、これ ほどの分解能があるはずがない。何か未知の原因があるだろう思っているのである。

 配管が抜けたり簡単に破裂する理由も、塩ビ管や接着剤が分解していることは確実のようだ。鉄管にすればよいが、今度はねじ切りが大変で、実用的でない。まだ当分、苦労が続きそうだ。

(註=2017年現在移住後14年もかかって、おおむね凍結問題に対処できると言いたいところだが、実は未だに塩ビ管の抜け落ちが出たりしている。ほとんどの場合は、重要な場所にテープヒーターを通電し、末端蛇口でチョロだしすれば凍結被害は出ないが、何かの拍子にチョロだしを忘れてマイナス7度以下になったりすると抜け落ちが発生するのである。マイナス10度以下だとチョロだしさえ凍結してしまうので、元栓で断水して、末端蛇口を解放し、配管内の水を抜いておく必要がある。 なお、鉄管用ねじ切り道具を購入したが、とてつもなく困難で、素人が扱えるような代物ではなかった。)

プチハウス

 実父が見かねて、暖かい家を建てられないかと援助を申し出てくれた。もちろん金がないので、安い廉価住宅を自分で建てるしかない。

 以前から、とても魅力を感じていた家があった。私は見栄えの良い高級住宅には魅力を感じない。大きな家も好きでない。「大草原の小さな家」がいい。

 貴重な老木を伐採して威圧感のあるログハウスを建てる発想にも不快感があった。もう、そんな時代ではない。自分が建てるなら不要材として処分されている 間伐材、それも杉が良いと決めていた。
 以前、加子母村で、まさしく私の好みを体現したようなモデルハウスを見つけた。「プチハウス」という。

 プチハウスは加子母村、脇坂建築が製造販売している100%杉間伐材キットハウスで、1畳10万円程度の値段で注文に応じて大きさを変えられる。2×4 材羽目板に仕立て、自分で組み上げるようになっている。

 屋根はカラートタン葺き。窓がたくさんあり室内は明るい。ベランダも付けられるようになっている。 トイレや台所も増設可能。老後の夫婦隠居住まいに最適。独身者にはもったいないほどだ。

 これを購入して自分で建てることにした。値段は12畳で100万円くらいだが、当地の気候を考え、厳寒地用保温仕様で110万程度。基礎を仮設用鉄パイプとし、120万円程度で作れると考えた。

 2004年、もっとも寒い2月くらいに作業を始めた。脇坂建築から届いた建材の山を見て、一人で作業がこなせるのか不安で、気の遠くなるような気がした。

 測量士の資格もあったので、持っていた中古の旧式トランシットで位置を定め、杭を打ち、水平を決めた。ブロックを置いて鉄パイプの舞台基礎を組んでいった。

 床下が1.7mもあるのは、放射線被曝を避け、通風を良くして腐食を防止し、下から上がってくる虫や湿気を避け、床下をガラクタ置き場にする意図があった。通常の二階にすると昇降が面倒だ。結果的には大正解だった。

 こうしておけば建物の乾燥性が良いので長持ちするし、シロアリなどが入りにくい。床下は後に、倉庫兼作業場となった。

(註=寒冷地で高床式にすると、まともに寒気に晒され、まるで冷蔵庫のような家ができあがる。北海道で高床式を見かけないのは、そうすると寒さに耐えられないからである。しかし当地は池を埋め立てた場所で、地面に水が浸透してきていて、高床式にするしか腐食に耐える設計ができなかった。こんな場合は、床面などに10センチ以上の厚い断熱材を敷設しなければならない。)

 材料には番号がふってあり、簡単な図面を参照しながら順番に組み立てて行く。間伐材の羽目板は小さな丸太から製材してあるので非常に反りやすく、製材後わずか半月ほどで変形してしまう。一段ずつ反りの向きを変えて、全体でバランスが取れるように組み上げるのだ。

 乾燥が進み反りが強くなると羽目板をはめ込むのが大変な重労働となる。そうなる前に反りと格闘しながら短時間ではめ込んでコースレッドという木ねじで留めるのである。時間との勝負なのだ。脇坂建築では二人で、わずか三日で完成させるという。私はおおよその形を作るだけで十日近くもかかった。

 組立は七日くらいだが、床張り、内装、屋根や雨樋、配線など細かい作業は結構多い。一人で格闘しながら疲労困憊に陥った。それでも家の形をなしたときは、これを自分の手で作ったのかと、ひとしおの感動だった。

 完全に住める状態になるには約半月を要した。寒い時期だったが、屋根と床には野断熱材を入れ、壁は四センチ厚の杉羽目板なので、それまでのスーパーハウ スとは比べものにならない。ストーブ一台でも十分に暖まる。

 新築の杉の香り、床は節だらけだがサワラ材を張ってある。高価だが当地特産なので安く入手でき るのだ。檜と同じ強度、香りの素晴らしさに大満足。自分で建築した満足感が合わさり、とても幸福な気分に浸った。

 後に2×4材でベランダも増設し、屋根をかけて配管し、台所として利用するようになった。1本200円の板を60枚ほど使い、3万円程度でできた。プチハウスに用意されたオプションのサワラ材ベランダは40万円する。
 
 トイレ増築

 プチハウスにトイレはなく、夜間、寒いとき階段を下りて裏側の仮設トイレに行くのは苦痛で、戻ってきたら目が冴え渡って眠れない。
 面倒くさいので室内に バケツを置いて用を足すようになった。友人が来て泊まっていっても同じ苦情が出た。

 そんな事情で、足の弱い老いた母や祖母も階段やトイレの問題で連れてこ れなかった。そこで室内にトイレを増設することにした。
 構造強度の問題で内部に増設したかったが、室内が狭くなるのと臭気の問題があり、やむをえず壁を切り開いて外部に箱を設けることにした。パイプ基礎を延 長し、安い2×4材を木ネジで重ねてゆく。
 天井は明かり取りを兼ねてビニールトタン葺き。壁を切り開いてドアを設けねばならないが、それが著しく強度を落 とすことになるため、できるだけ小さくした。おかげで出入りで、さんざん頭を打ち付けるトイレができた。

 便器は設備屋の青松氏に安い傷モノを探してもらったが見つからなかった。中津川のホームセンターで4万円で売られていたものを購入。
 ついでに前から欲し かった2万円の暖房洗浄便座付きとした。内外装・配管全部込みで約9万円ほどかかった。業者に頼めば40万円くらいだろう。自作すれば、おおむね3分の1 から5分の1程度ですむ。金は家族や友人の篤志に頼った。なかなか快適なものだ。

 ホタルと熊騒動

 2004年6月末、ギター演奏の仕事をもらっていた講談師、田辺鶴英と娘の小麦とともに私の車で四国に公演に出て、帰りにプチハウスに泊めた。
 蛭川村は東海地方指折りのホタルの名所。それも、ここから数百メートルの地点にもっとも見事な核心部がある。鶴英も小麦も、生まれて一度もホタルを見たことがないという。

 夜、期待に胸を躍らせて、暗闇の山林を懐中電灯で歩いた。私は「熊が出るから気をつけろ!」と脅しのつもりで言ったが、みんな笑いながら気にもとめなかった。

 暗い森を抜けると田圃があり、ところどころに青白い電球が灯っているようだった。
 「ホタルだ!」 小麦が叫んだ。

 その神秘的な輝きの強烈さに、みんなびっくりした。まるでネオンサインだ。見渡す限りの田圃中で点滅しながら輝いている。川辺を歩いて行くと、もっと凄い場所があった。川の屈曲点で、ネオンの洪水のように光輝が乱舞し、辺りが明るくなるほどだった。

 「へー、ホタルの光、窓の雪ってウソじゃなかったんだ」
 函館生まれの鶴英も、東京育ちの小麦も、このとき生まれて初めてホタルの乱舞を見た。二人とも、その場に立ちすくんで動かなくなった。

 「もう満足しただろ、帰って飲もうや」
 と言っても全然、動く気配がない。食い入るように光の饗宴を見つめている。彼らは2時間もそこに立ち続けていた。私は、これほどの見事な場所に、観客が他にいなかったことが、とても不思議だった。

 「どうして人がいないのかな」
 家に帰ると、向かいの池の上にネオンが点滅している。そこにもホタルがいたのだ。二人ともベランダに立って、いつまでも光に見とれ続けた。

 鶴英親子は翌日帰ったが、さらに翌日、驚くようなニュースを聞いた。村のなかに熊が現れ、外出禁止令が出ていたというのだ。
 蛭川村では10年に一度ほど熊騒動があるが、今回は村の中心部に現れたので大騒ぎになったのだ。

 それも我々がホタルを見に行った当日。熊は希にみるほどの大物で、数日後に車にはねられて死んだ。1.6メートル、100キロもあったそうだ。その出現 場所を聞いて、さらに驚いた。私の家の向かいの森だったのだ。

 あのホタル見物のとき、我々のいた森のなかに彼は潜んでいた。
 後に森に入って彼の足跡を確認した。それは我が家から100mの尾根にあった。
 しばらくして、日本中で熊騒動が勃発した。私は散歩のため村内の笠置山に登るが、秋頃、この登山道で再び熊に遭遇した。

 笠置山で熊が目撃されたのは戦後初めてだった。この熊騒ぎ、全国に波及したが、何を意味するものか、まだはっきりしない。 



 2017年追記

 岐阜県恵那郡蛭川村は室町時代から続く村だったが、これを書いた翌年、2005年にとうとう中津川市と合併することになった。行政区分からは恵那市に合併するのが自然だったが、グリーンピア事業の失敗で多額の負債を抱えた恵那市に編入されることを村民が嫌ったのだと思われた。

 私の家は2003年に移住、1年間スーパーハウスに住んだ後、間伐杉のログキットを自分で組み立てた12畳の家を建てた。家関係が130万円くらい、水回り、風呂トイレなどが50万円ほどかかっている。もちろん全部自作したものだ。

 その後、2014年に放射能汚染に見舞われた千葉から友人を脱出させるため、もう一軒、間伐杉のログハウスを建てた。
 これもキット価格で100万円台のもので、メーカーは関市の親和木材だが、耐雪性能は積雪2mとかなり上である。

 建築後3年を経て、自分で整地した地盤が不等沈下を起こしてドアや窓が開かなくなったりしてジャッキアップで平行を回復するなど、かなり手入れが必要になった。
 またログに隙間ができて風が入るようになったため、隙間を埋める作業も必要になって、完成度が高い住宅とはいえない。
 基本的には堅牢な地盤を作らず沈んでしまった私の施工が悪かった。土木工事を個人でやるのは、とても困難である。

 トイレ浄化槽も新築に会わせて新しいものを製作した。以前の経験を吟味して、今度は割合完成度の高いものができたと思う。詳細はブログに掲載した。

  http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/28507858.html

熊は、周辺で、相変わらず頻繁に出没が報告されている。去年、床下が熊臭い(独特の獣臭が残る)ので熊がうろついていると感じ、周囲にフェンスを張った。
 今年に入っても人家の多い高山大橋付近や蛭川中心部で熊が目撃されている。
 また散歩コースである高峰山でも熊の痕跡が増えてきた。

 アライグマやハクビシンはかなりひどい。スイカや瓜などの農産物を食い荒らされるだけでなく、鶏を飼育していた農家も大半が被害に遭っている。
私が移住してきた2003年頃は、そうした獣害対策を施している畑など見たこともなく、一体は野ウサギ天国と感じるほど鳥やウサギが多かった。

 だが2007年を境にして、逆に獣害対策を行わない畑を見かけず、野ウサギも村中から姿を消した。アライグマが補食してしまったのだろう。
 この頃からイノシシの被害も深刻になり、多くの老人たちがカボチャなどの露地栽培をやめてしまった。
 私も芋類やカボチャなど、作ったものを壊滅させられ、まるでイノシシの餌を生産しているような思いにかられる。

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