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2010年5月24日 ●警察国家への道 その6 裁判員制度のもたらす愚民化、報復制裁主義の愚劣

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 国家権力が納税・徴兵・教育・住民登録などの義務を国民に強要する理由は、「国民の生活と権利を守るため」と信じている、とても幸福な方が、たくさんおられるようだ。
 だが、まことに申し訳ないが、「世の中、そんなに甘くないよ」と、ウンザリ顔でいうしかないのである。 (ΘoΘ;)
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 半世紀以上、この国に生きてきた経験から申し上げるなら、国家が自分に与えたものと、奪ったものを勘案、相殺するなら、桁違いに後者が大きいと断ずる。
 筆者の見てきた日本国家とは、実に独善、自分勝手、ムダの固まりであり、権力者はメンツばかり尊大だが、中味はウソツキ・ゴロツキばかり。
 国民を騙し、愚弄し、傷つけ、殺害し、ウソの上にウソを塗り固めて、我々から苛酷な収奪を続けている泥棒システムの親玉に他ならないのである。
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 わが人生の大半は、国家というより、国家の背後にいて、それを利用して私腹を肥やしてきた官僚や大金持ち秘密結社の利権のために苛酷な奴隷労働を強いられ、召使いのように、家畜のようにこき使われ、利用されてきた。それは泣きたくなるような悲しい時間の浪費にすぎなかった。
 嗚呼、私は泥棒国家に奪われてきた時間を返してほしい。失われた時間を使って、世のため、人のために、はるかに素晴らしいことがなしえたのではないか? \(≧▽≦)丿
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 そして、それ以上に、そのことに気づかず、気づこうともせず、自分が奴隷・家畜として扱われている情けない、悲しい、恥ずかしい事態を見ようともせず、聞こうともせず、言おうともせずしない人々が大部分であることに憤激する。
 権力の暴力、恐怖に怯えて、こまわり君のように風景に埋もれた壁になりすまし、自分の臆病を正当化しながら、収容所の豚であり続ける人たちが日本人の大多数であり、自由を求めて出る杭を打ち、塀を乗り越えようとする者を密告し、寄ってたかって制裁している哀れにして悲惨な事態に、心が張り裂けんばかりだ。
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 「国民が国家を支配している」と思っているお目出度い人たちよ、現実はまるで違うのだ。見よ! それは、選挙によって民主主義が実現しているかのように思いこまされているだけなのだ。それは欺瞞なのだ。例えば、我々に本当に役に立つ人材を選ぼうとしても、そんな人が選挙に出られるシステムがどこにあるのか?
 少数政党を作っても、小選挙区制・二大政党制優先の前に、資金や宣伝力などから事実上、泡沫扱いになり、当選もできず、したとしても意味のある活動ができないように仕組まれているではないか。
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 なぜなのか? それは、国家を本当に支配している少数の連中が、自分たちの利権を守るための国家システムを、隅々まで堅牢無比の巨大要塞のごとく作ったからだ。
 家畜にすぎない国民に、選挙制度やマスコミ宣伝によって、我々が自由な市民であるかのごとき錯覚を見せ続けてきた。学校教育を支配し、子供たちに、あたかも選挙によって民意が実現するかのようなウソ八百を、真実であるように思いこませ、洗脳し続けてきた。選挙でない、民衆の直接の意思表明を、許し難い暴力であり、犯罪であるかのように思いこませてきたからなのだ。
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 昨年から、新たな国民義務として裁判員制度が登場した。
 だが、これも、「国民の手によって直接、犯罪者を裁く」 とキレイゴトを装ってはいるが、その実態は、国民をして国民を追いつめ、がんじがらめに束縛し、矮小卑屈な人生を強要するための、システムに他ならないのだ。
 それは、あたかも日本が民主主義国家であるかのような幻想を国民に抱かせて洗脳し、権力に都合のよい警察管理社会、収容所社会を厳重に構築するための新たな重い足枷にすぎないのである。
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 【産経「裁判員制度」 栃木2010.5.22 02:09より
 国民が刑事裁判に参加する裁判員制度は21日、施行から1年を迎えた。栃木県内ではこれまでに4件行われたが、従来の量刑判断よりも判決が重くなる傾向がみられ、厳罰化が懸念される一方、「市民感覚が反映された」とする声も。6月以降、9件(21日現在)が予定されており、司法関係者の負担も大きくなるなか、市民感覚を発揮できる法廷をいかに守っていくのか。法曹3者の力量が試される】
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 さて、裁判員制度が導入されて一年、多くのマスコミが、市民感覚、被害者の感情が正しく判決に反映されるようになった」と、良いことであるかのように指摘されている。この意味するところは何か?
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 日本では、かつて世界でも指折りの先進的な司法思想が導入されてきた。
 それは明治末、岐阜県出身の牧野英一が導入した「教育刑主義」司法制度であった。
 牧野はドイツ刑法草創期の重鎮、リスト(フォイエルバッハ派)の影響を受け、復讐制裁を目的とする刑罰、つまり応報刑に反対し、司法によって得られる国民の利益と秩序維持を目的とし、社会を犯罪から防衛しながら犯罪者による再度の犯罪を予防する観点が大切であると説いた。
 犯罪を結果の重大性ではなく、その行為を行う者の問題と捉えて、犯罪の原因を社会的要因と個人的要因に分けて考えた。前者は政府の社会政策で後者は個々の刑事政策で解決に導いていくべきであると主張した。
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 明治政府は、牧野らの努力、活動により、復讐制裁感情に支配された応報刑の未熟・愚劣さを克服し、司法の立場としては、犯罪の結果に感情的に左右されるのではなく、刑罰によって国家社会を防衛する視点、犯罪を繰り返させない視点、犯罪者を教育によって更正させる視点が基本にあるべきだとし、当時としては、世界的にも非常に優れた刑法思想によって司法体系を構築したのである。
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 これによって、国民の司法に対する信頼感も大きく高まり、すぐれて、それは国家への信頼感となって忠誠心を醸成することに役だったが、一方で、元武家支配階級による「国民を国家の捨て駒、家畜として利用する」という傲慢さも強く残り、結局、侵略戦争へと引きずられることになったが、思想犯罪のデタラメ運用を別にすれば、世界的にも極めて高く評価される先進的なものであった。
 この牧野式教育刑主義は、戦後も東アジアの刑法思想のモデルとなり、朝鮮半島やフィリピン、インドシナ半島などでも引き継がれていった。
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 だが、昨年導入された裁判員制度は、こうした牧野らの努力、司法における教育主義の崇高な理念を、真っ向から打ち砕き、前時代的、封建的な感情報復主義司法に大きく後退させる尖兵となって機能しはじめた。
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 筆者は、明治末に擁立された「教育刑主義」ですら、すでに時代遅れであり、そもそも「犯罪」なる概念自体が、恐怖心による誤解によって湾曲された不当なものであり、「すべての犯罪は病気である」という新しい人間錯誤理論を構築し、「病気は治療するものであって制裁復讐するものではない」という未来を拓く思想性を提起してきた。
 すなわち、人は本来、錯誤するものであり、それは人間の人であるがゆえの分けがたい属性であって、制裁や復讐によって克服するのではなく、教育と訓練によって克服すべきだと主張してきた。
 人は短所是正法によって矯正されることは決してなく、長所進展法だけが人を救うのである。
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 ところが裁判員制度の最大最悪の本質的欠陥は、それが民主主義を装いながら、実は、裁判員に事件調査権さえ与えず、短時間のレクチャーとプレゼンテーションによって、検察の一方的な情報だけを与えられ、「犯行者は悪いヤツだ!」と、その悪質性を強調されて刷り込まれることで、必ず、報復制裁型の判決を導くというシステムにある。
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 これによって何が起きるのか?
 それは、司法から厳密な調査と、国家や子供たちの未来にとって最善の判断は何か? という理性的、計画的な視点を奪い、ただ感情論による報復、制裁主義に陥ることしかありえないのだ。
 こうして、日本の司法界からは、すでに飴色がかった「教育刑主義」すら憎悪と復讐感情に洗脳された「裁判員システム」によって追放され、明治刑法よりも、さらに原始的、劣悪な感情的復讐刑法へと堕落してゆく必然性を持たされたということである。
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 こうしてみれば、裁判員制度は見せかけだけの民主主義であり、その本質は、司法から理性を奪い、国家全体を短絡的な感情や恐怖心によって支配しようとする劣悪な無知性社会に向かわせる意図が隠されていることが分かるはずだ。
 すなわち、国民から理性を奪い、感情だけに支配される動物的人間として飼育してゆこうとする権力の意図が鮮明に見えてくるのだ。
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 近年、刑法適用や判例が異常に苛酷さを増している現実を多くの人が気づいている。例えば、かつて死刑適用事案の基準は、成人が、人二人以上を悪質な意図方法で死亡されたことなどであった。
 ところが、近年、永山事件によって未成年者への死刑執行が既成事実化され、さらに、名古屋闇サイト殺人事件によって、一人の被害者死亡で加害者二名が死刑になるという判例が定着しかけている。
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 これなどは、母子家庭の娘が通りがかりの三名によって殺害されたが、母親がS学会の会員で、組織的な署名活動を行い、組織ぐるみで裁判支援を行い、感情的な女性裁判官によって死刑判決となったわけだが、母親の短絡的ヒステリーに迎合し、刑法運用の意味を見失った愚劣な判決といわねばならない。
 この事件以降に裁判員制度が導入されたが、犯人に対して苛烈な報復制裁を実現することが司法の役割であるかのような論理が、マスコミによっても公然と主張されるようになってしまった。
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 これは恐ろしいことで、牧野が提唱したように、国家とは司法によって、第一に社会の安定、秩序を維持するとともに、犯罪を犯した原因を、社会的問題と、個人的未熟性に分けて二面的に解決するという姿勢が完全に失われ、ただ復讐することだけが司法の意義であるかのように主張されはじめたのである。
 人は誰でも失敗する弱い存在であるにもかかわらず、失敗すれば制裁するという短所是正法だけが司法の中核となり、殺人を行えば犯人の処刑抹殺だけが解決であり、彼が過ちに至った原因を追及し是正することなどありえない。
 司法は、被害者感情だけを見て、加害者に代理報復、制裁すればこと足れりとする原則を打ち出したことになる。
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 人は愚かな存在だ。生まれてから死ぬまで、ほとんど過ちの連続であり、一つ一つ、克服し、少しずつ利口になり、より高い人格が生成されてゆくのである。
 ところが、こうした司法の短所是正的姿勢では、少しでも失敗すれば殴り倒し、追放するというものであり、失敗した人を教育し、成長させようとする姿勢は微塵も見られない。
 こんなやり方で、失敗して殴られ、追放されることで、人間が成長するとでも思うのか? それがもたらすものは、失敗への強烈なプレッシャーであり、生きていることへの恐怖心であり、絶望であり、人間不信と人間疎外に他ならないではないか!
 こんな姿勢が未来を拓くとでも思っているのか!!
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 今、起きていること、裁判員制度もまた、警察国家への道、収容所列島への道を驀進するシステムである。
 それは人を追いつめ、権力に対して怯えさえ、恐怖心によって矮小姑息な人格を育成し、全国民を臆病な家畜として言いなりに支配しようとする愚劣な政策に他ならないのだ!

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2010年5月17日 ●警察国家への道 その5 微罪逮捕・長期実刑による政治弾圧

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 警察国家への道 その5 微罪逮捕・長期実刑による政治弾圧
 「弁護士のなかの弁護士」と称えられた有能無比の安田好弘が、突然逮捕されたのは1998年暮れであった。
 容疑は安田が清算管理を委託された不動産会社に対して、「強制代執行を逃れる目的で、2億の資産をダミー会社に送って隠匿を指示した」とされる強制代執行妨害容疑であった。当初の報道では、安田らによる業務上横領だったのに、検察側の訴因が次々に変更される事態となった。
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 この事件を調査してゆくと、ダミーとされた会社には明確な営業実態があったばかりでなく、スーンズ社の経理担当者Oが、会社の資産2億円を帳簿操作で横領して隠匿、着服していた詐欺事件が発覚した。
 だが、東京地検はOのウソに満ちた供述を利用、虚構の構図をでっちあげ、罪をスーンズの社長や安田らに転嫁しようとした真実が明らかにされた。これによって、一審は、安田に対して完全無罪の判決を下した。
 これで安田事件が明らかな冤罪であり、東京地検が事件を捏造して起訴したという犯罪を行ったことが明確になったが、二審東京高裁(池田耕平裁判長)は、検察の言いなりになる愚劣な番犬でしかなく、一審無罪判決を覆して安田に罰金50万円の逆転有罪判決を下した。
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 逮捕当時、オウム真理教事件の主任弁護士であった安田は、その類希な実務能力と弁護実績が知られ、検察に「目の上のタンコブ」として強い敵対感を向けられていた。
 したがって、安田に対する冤罪でっちあげは、明らかに、検察庁が組織ぐるみで事件をでっちあげて、安田をオウム事件裁判から引きはがすための目的で弾圧したものに他ならなかった。
 安田起訴の不当性は、司法専門家の目から、あまりに明らかで、こんな事件をでっちあげられては弁護活動を検察が自由にコントロールするようになるとの危機感から、一審1200名、二審2100名もの全国の弁護士が安田の弁護に立った。だが東京高裁は、「真っ白な無罪」という一審完全勝訴を、新証拠の提出もないのに覆し、検察支持の弾圧判決を下したのである。
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 こうして、正義を踏みにじった検察の、強引な政治的弾圧を裁判所が支持したことは、その後、検察をますますつけあがらせることになり、次々と、異様なまでの人権侵害起訴攻撃を連発する事態となった。
 日本には検察当局の暴走に対する法的、機構的な歯止めが皆無であって、検察は、まさに国家権力、弱肉強食捕食者の頂点に立って我が物顔に勢力をふるってきた。
 彼らは、正力松太郎以来の、日本の国家権力を自分たちの利益のために利用しようとしてきた反動勢力と一体になって、際限のない、あたかもエージェント・スミスのような増殖と暴走を始めたのだ。
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 その後も、非常に悪質性の高い警察による事件でっちあげ、冤罪が明らかな起訴が続き、また司法の強権による被疑者・被告人・服役囚に対する人権無視も激しさを増していった。まさに、日本司法界は、安田事件以降、闇に包まれたといわねばならない。
 富山事件・志布志事件・足利事件など権力犯罪が表に暴露される例は稀少であって、ほとんどの場合、人権を侵害された被疑者・被害者の泣き寝入りに終わらされているのが実情なのである。
 そうして、昨年、民主党政権が成立してからは、マスコミとともに小沢・鳩山など政権中枢に対する犯罪にもならないはずの微罪立件によるダメージ作戦を強力に展開するようになり、今や、日本における最大最強の右翼勢力として、市民的権利の前に立ちはだかる怪物に成長していった。
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 近年、警察・検察・裁判所共に、明らかに事件の真相も、真犯人も知りながら、権力のメンツを守る目的と、政治弾圧に利用するために露骨な逮捕・起訴・有罪を繰り返すようになっているが、わけても、いくつかの事件は、これを放置するならば、我々の人間としての人格を崩壊させ、日本を家畜国家に陥れ、子供たちの未来を北朝鮮のような暗黒に塗りつぶす「警察国家への道」を拓くものというしかない極悪司法犯罪になっている。
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 しかも、これは森山真弓や野田聖子らが持ち込んだ児童ポルノ規制法や軽犯罪法を治安維持法として活用する路線と共にあり、国民のあらゆる権利、自由を犯罪として弾圧し、全国民を権力者の臆病な家畜に貶める決定的な権力犯罪というしかない。
 今や、日本では、ありふれた海辺での撮影・立小便・有名人の写真集所持、漫画の所持ですら性犯罪とされて、いつでも逮捕立件されるような息苦しい規制社会に陥れられることになってしまい、ありふれた工具を所持したり、路地裏を歩いたり、満員電車に乗れないほど警戒を求められるようになっている。
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 こうした国民生活への苛酷な規制の真の狙いは、何度も書いてきたように、国民を臆病者に陥れ、その精神を卑劣矮小化し、互いに監視し合い、権力に都合のよい人間像、すなわち家畜として、言いなり人生を送らされる目的以外のものではない。
 かつて、ソ連や中国で起きた全体主義強要の時代を忘れてはいけない。そこではオーウェルが「1984年」で描いた世界、BBCの「プリズナー6」で描かれた監獄社会よりも桁違いに残酷な虐殺収容所が展開されていた。
 人は人を密告し、権力の定めた思想から外れた者は、片っ端から殺害される収容所社会が実現していたのだ。そう、それは「警察国家と収容所社会」であった。
 これを実現することこそ、ヤツラの本当の狙いである。
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「ヤツラ」のトップに君臨し続けてきたアメリカ副大統領、ディック・チェイニーは、自らの経営するハリバートン社に命じて、全米に600カ所のガス殺戮室・棺桶付の強制収容所を設置し、今では300万人の収容者を待つばかりとなっている。
 日本でも、チェイニーの陰謀と時を同じくして、警察国家、収容所社会が準備されてきたのだ。
 すでに30年前から、それは始まっていた。正力松太郎の後継者、中曽根康弘政権時代、統一教会原理研の若者たちが、自民党選挙運動員となり、彼らは当選すると秘書に採用され、さらにキャリア組として政府中枢に入り込んでいった。
 今や、国防・司法・教育における政府幹部官僚の中核に、その勢力が食い込み、清和会・森山真弓らと結託して、次々に司法・教育の反動化を進めてきたのである。
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 我々は、こうした収容所社会を阻止するため、司法の堕落腐敗を、たくさん糾弾し、必ず責任を取らせる戦いをする必要に迫られている。
 今起きている検察の暴走や司法の右傾化が、これから我々の生活を、どのように束縛してゆくのか、大々的に明らかにしてゆく必要がある。
 日常生活にかけられた軽犯罪法や児童ポルノ規制法などの治安維持法を撤廃させる戦いを行い、権力の家畜として洗脳を受けている国民大衆を目覚めさせなければならない。
 権力が、どれほど凄まじい暴走を行っているのか? その犯罪性を徹底的に糾弾しなければならない。日本が収容所列島と化し、互いに出る杭を打つ、悲惨な監視密告社会に向かうことを阻止するために、我々は命を賭す必要がある。
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 最近にあって、悪質な犯人捏造の第一が飯塚事件であった。これは、明確な冤罪死刑執行事件として、一人の無実の市民を権力が殺害してしまった極悪司法犯罪であり、その捏造性、悪質性が際だっていて、無実が明らかでありながら、すでに死刑を執行してしまった以上、司法担当者、権力による殺人事件として末永く糾弾断罪し続ける必要があるだろう。
 飯塚事件については、当ブログでも何度も取り上げていて、新たな情報も少ないため、今回はリンク紹介にとどめたい。これからも何度でも取り上げよう。
 http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/1985773.html
 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/iidukajikenn.htm
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 冤罪死刑事件としては、袴田事件や名張毒葡萄酒事件など、いくつか存在するが、これらを本格的に調査するなら、無実なのに死刑執行された冤罪死刑事件が、他にも十数件存在しているという指摘がある。
 また、高知白バイ事故冤罪事件など、当事者も無実が明らかであることを知っているにもかかわらず、権力のメンツ保持だけを目的にした多数の事件、そして警察の怠慢を正当化する目的で捏造された事件も多い。
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 だが、今後の市民生活への影響、政治的な意味という視点では、安田事件とともに正義を目指す司法関係者を捏造事件で弾圧した例として三井環元大阪高検検事に対する悪質な弾圧を挙げないわけにはいかない。
 これは、2010年5月16日のテレ朝、「ザ・スクープ」において、鳥越俊太郎らが、本格的に事件の真相を暴露し始めた。
 これまで自民党政権下では、総務省によるテレビ倫理規制から、こうした反権力番組を放送することは至難だっただろうが、幸い、検察が調子に乗って権力を掌握した民主党をも切り刻み始めたことで、民主党における反撃の一環として放送が許されるようになったのだろう。
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 三井氏は検察庁内における違法な裏金による不正を暴露すべく鳥越俊太郎のインタビューを受ける前日、電話盗聴によって、このことを知った検察庁によって完全に填められ、冤罪に陥れられた。
 その罪状は、移転予定で、すでに引越を始めていたマンションに、虚偽の転居届けを出したという犯罪になりえない微罪であり、実際には、犯罪要素は皆無であった。
 後に、虚偽の届け出を利用して住宅取得補助金を得ようとしたとか、暴力団幹部に接待を受けたとかのでっちあげも追加された。
 森山真弓法相は、「三井に対して前代未聞の犯罪、検察の裏金疑惑は存在しない」とデタラメの隠蔽記者会見を行い、三井を極悪人に仕立ててみせた。
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 これに対して裁判所は、証拠もないまま懲役1年8ヶ月の実刑判決を下し、最高裁もこれを支持、三井氏は仮釈放もないまま立小便程度の微罪で二年近く投獄された。こんな微罪で、これほど苛酷な懲罰は過去に例など存在しない。
 もし、これを許すなら、日本国民は、今後、立小便で二年間の懲役を食らうことになるのだ。
 もちろん、これは三井氏の検察告発に対する強圧的な口封じであったが、このことによって検察当局は、取り返しのつかないほどの極悪でっちあげ犯罪に手を染め、もはや犯罪者集団と化した。その勢いをかって小沢や鳩山など民主党政権に対する微罪弾圧を繰り返して政権を追いつめてきたが、とうとう民主党サイドの反撃が始まったと受け止めてよいだろう。
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 そして、この番組で明らかになった検察当局の黒幕は、戦後政治家のなかで最悪の統一教会と結託した森山真弓(元法相)と、その背後にいた清和会勢力であろう。清和会・小泉純一郎・森山真弓・野田聖子ら。さらに彼らを番犬ロボットのように操っている、世界の闇権力、CIAや統一教会との関連も疑いのないところだろう。
 今後、森山真弓を国会に証人喚問することで、もはや検察当局の弾劾は避けられず、逃げ道もないと確信している。高橋徳広元検事による明確な告白は、検察にとってアタマを吹っ飛ばされるほどの致命傷になったと思える。
 今こそ、我々は、全力を挙げて、この三井疑獄問題を世に喧伝し、一気に検察の闇、統一教会やCIAと結託した日本の悪魔勢力を叩きつぶすときがきた
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 三井環問題や、高知白バイ事件、など司法の犯罪については、さらに稿を改めて書き続けたい。
 
 

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2010年5月10日 ●警察国家への道 その4 治安維持法として濫用される軽犯罪法

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  http://butcher.asablo.jp/blog/2006/08/20/492636
. 【新宿署に十徳ナイフ所持で逮捕された。軽犯罪法違反、刃渡り6.8cmと調書に記載。海に行くときに持っていったままウェストバックに入れたままだった。持ち物検査されるまで十徳をもっていたの忘れてた。正当な理由がなく所持(入れ忘れは駄目)していたので違反だとされた。検察庁に調書と軽犯罪違反の調書とか反省文みたいなもの送られる。
 取り調べ所要時間 約1時間 左右の指、手のひら、横の指紋採られ、写真は 正面 右斜め横 横顔、 全身像。連れて行かれ 最初に警察署の取調室で
説明は、 まず、警察官から任意に持ち物検査を求められて、同意した。事の確認、(任意同行)
逮捕の理由、軽犯罪法の刃物の所持に関する罰則の説明、ここから本人履歴、身体的特徴現住所、本籍、出生地の確認、免許所持っていたので、それより転記、現勤め先、最終学歴、月収と家族構成体重、身長、足のサイズ、利き腕、眼鏡使用の有無 逮捕時の事、逮捕時間、場所、逮捕物の今回は十徳の購入ルート、マイルたまっていたのでANAかJALで貰ったのといつ購入したかの確認、かなり昔、5、6年前と言った。
なぜ逮捕されたか逮捕理由の再度説明 調書への署名、右手 人差し指による指紋押印 調書以外に2枚 計3枚にサインと押印しました。黒の特殊インキ。それから、写真撮影(Sony製のデジカメ)、指紋採取(NEC製) 新宿のヨドバシの前からてくてくと新宿署まで歩いていった。】
.
 2008年6月秋葉原無差別殺人事件の起きる数年前から、東京都内では警察の強引な職質逮捕事件が頻発している。これは、実は、筆者らがベトナム反戦デモに明け暮れていた35〜40年ほど前に、すでに人権無視の職質検挙が常態化していた実態があったのだが、この十年ほどの警視庁の職質は当時よりもはるかに苛酷になっていて、秋葉原事件以降は輪をかけて凄いらしい。
 渋谷・新宿など繁華街に行った若者で、こうした強引な職質で不快な目に遭わなかった者は少ないだろう。
 弁護士で元国家公安委員長の白川勝彦氏までまで違法職質の被害者となったことで、ブログで危険な警察国家に対する警鐘を鳴らしているので、ぜひ読んでいただきたい。
 http://www.liberal-shirakawa.net/idea/policestate.html
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 「罪を犯し、犯そうとしている疑い」がない限り現行犯逮捕はできないこと、市民には、令状のない職質・荷物検査・任意同行を拒否する権利があることさえ知る者がほとんどいない現状で、警察は、自分たちへの無条件服従が義務であるかのように主張し、当然の職権であるかのように既成事実化しているのが現状だ。
 911テロ以降、アメリカに発したテロ対策に名を借りた警察国家化が世界的に著しく、イスラム諸国まで警察による管理国家を加速させていて、その処罰も異常に苛酷化している。もちろん日本でも、刑法の運用が苛酷化し、30年前に比べると刑罰判例が五割以上厳しくなっているとの指摘がある。
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 しかも、かつてなら犯罪として認識さえされなかった、立小便や撮影など、ありふれた日常行為までも重罪に値する犯罪と決めつけ、驚くほど苛酷な刑罰を与える例が激増しており、市民の自由は弾圧され、人々は警察国家の取締弾圧に怯えて臆病になり、卑屈な生活を余儀なくされている。
 市民的自由の欠乏は、芸能・芸術のレベルに顕著に顕れると最初に書いた。
 40年前、自由な市民生活のなかで、素晴らしい芸術文化が花開いた時代に比べると、現在の芸術界の低迷は、人々の精神が萎縮し矮小化している実態を鮮明に写しだしている。
 寺山修司や唐十郎らが与えてくれた奔放で血が騒ぐ刺激を求めようと思っても、永井豪の漫画ですら児童ポルノ犯罪と認定され追放されているご時世に、どこを見ても萎縮した、当たり障りのない、低俗な権力のポチ芸能しか見られない現状である。
 岡林信康も高石知也も、フォークルも、若き谷村新司も、もう現れないのだろうか? 若き筆者が無我夢中で興奮した新宿西口の、あの感動も、もう二度と味わうことができないのか?
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 権力体制が大衆精神の臆病な矮小化を求めるの理由は、政権の最大の敵が、決して対立政党などではなく、本当は大衆の「自由な精神」であり、勇敢に権力と戦う者であるからなのだ。
 権力を維持するために、自由な精神を弾圧して、大衆を権力に怯える臆病者に仕立てることが、一番安易な体制運営法なのである。勇敢な反体制派を暴力と死刑によって徹底的に弾圧排除し、飼主に逆らわぬ家畜に仕立てることが政策の根元であり、このため教育・司法・軍事は、すべて反体制派を出さないためのシステムに作り替えられてゆくのである。
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 権力が期待する人間像とは、「見ざる・言わざる・聞かざる」であり、権力の恐怖に怯えて、口をつぐむ者であり、言われたことしかできない矮小な精神性なのである。
 こうした人間性の愚民を作り出すことこそ、戦後、CIAスパイの元締、右翼国家主義者の黒幕として君臨した正力松太郎が布いた路線であった。
 一方で、プロ野球や芸能をエサとして大衆に与え、他方で警察力によって自由を弾圧し、臆病な愚民に貶める。そうして国家は、大衆が想像もできない原子力などの超高度技術と超絶兵器によって武装するというものだ。
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 だが、こうした愚民化政策が成功するほどに、皮肉にも、権力の求める「強い国家」 「優れた技術」を産み出す国力・人間性は取り返しのつかないほどに衰退してゆく。
 なぜなら、それは伸びやかで自由な精神なくして生まれないからだ。日本が、40年前の自由闊達な社会と、あらゆる分野で、創意工夫が尊ばれ、世界的に大きな成果を挙げ続けた学問・産業は、人の自由・解放とともに失われていったのである。
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 警察国家への道と題しているが、日本では、実は、すでに警察国家が実現して久しいのだ。すでに戦前、正力が作った特高警察システムと治安維持法によって警察社会が実現していたのである。
 大勢の自由を求める知識人や労働者が弾圧され、殺害された体制から、陸軍統制派による侵略暴走が産み出され、日本全体が地獄に引きずられていった。
 戦後は、70年前後をピークとする人間解放運動を嫌った資本家・自民党が、正力の統制システムを受け継ぎ、1980年代に、後継者といわれる中曽根康弘が、新たな警察社会システムを構築していった。
 あの時代、統一教会、原理研の若者たちが大量に自民党の選挙運動員となり、議員秘書となり、そして議員のコネを利用してキャリア官僚に採用されていった。
 その主な行先は、司法・防衛・教育だったといわれ、それから30年、当時採用された原理研信者たちが、今や検察・警察・文科省の幹部に就任している事情と、現在の管理社会の実態は無縁ではない。
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 統一教会は、研究者たちが指摘しているとおり、キリスト教を名乗っているが、新約聖書など決して用いない。カトリックに近いが、独自の国家主義的教義を持っていて、世界の特権階級、フリーメーソン・イルミナティの走狗として活動していることが知られている。
 彼らの本質は、大衆に無数の格差、差別の階級を設け、コンプレックスを抱かせて対立させ、上の階級が下の階級を家畜のように支配する社会であり、朝鮮、李王朝の思想的根幹となった儒教的支配の適用といえるだろう。
 こうした差別社会で必然的に吹き出す不満、激情を、暴力と死刑で弾圧するシステムこそが警察社会の本質である。
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 警察による国民支配の大きな武器となっているのが「軽犯罪法」である。これこそ、まさに現代の治安維持法といわねばならない。
 問題は、警察が職質において伝家の宝刀のように使う「軽犯罪法」の強引な曲解適用の悪質さにある。これは、今や民衆弾圧法と化しており、我々のあらゆる、ありふれた日常的行為を片っ端から違法行為として検挙逮捕できるよう恣意的に運用されている実態があるのだ。 軽犯罪法の乱用は以下のように行われる。
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(1-2)正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者
 (→刃渡り6センチ以上の刃物携帯は銃刀法違反とされ、それ以下は軽犯罪法対象であり、ソムリエナイフでさえ携帯すれば逮捕理由にされる。職質で車に載せていたマグライトが凶器と認定され逮捕された例もある。文房具のハサミでさえ刃物と認定され、ポケットにあれば逮捕)
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(1-3)正当な理由がなくて合かぎ、のみ、ガラス切りその他他人の邸宅又は建物に侵入するのに使用されるような器具を隠して携帯していた者
 (→ドライバーやペンチでさえ泥棒工具と認定され、職質・検問で発見されたなら逮捕される。車に保安工具として普通に搭載されているが、これも逮捕理由になる)
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(1-4)生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの
 (→筆者のことか・・・余計なお世話だ。仕事に就けず、貯金で細々と生きているだけで逮捕理由になる)
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(1-5)公共の会堂,劇場、飲食店、ダンスホールその他公共の娯楽場において、入場者に対して、又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、飛行機その他公共の乗物の中で乗客に対して著しく粗野又は乱暴な言動で迷惑をかけた者
 (→筆者は、かつて警察官の職質に遭うと「バカヤロー」を連発したが、それだけで立派な逮捕理由。役所で役人がサボってるときに「ボケー!」とでも怒鳴ろうものなら、もちろん逮捕)
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(1-8)風水害、地震、火事、交通事故、犯罪の発生その他の変事に際し、正当な理由がなく、現場に出入するについて公務員若しくはこれを援助する者の指示に従うことを拒み、又は公務員から扶助を求められたのにかかわらずこれに応じなかつた者
 (→公務員の指示に正当性があるか否かは問題でなく、一方的に服従を要求し、拒めば逮捕)
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(1-14)公務員の制止をきかずに、人声、楽器、ラジオなどの音を異常に大きく出して静穏を害し近隣に迷惑をかけた者
 (→先天性大声は、それだけで逮捕、耳が遠い人がラジオを聞いても逮捕)
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(1-20)公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者
 (→スノボ国母の腰パンが袋だたきに遭ったが、もちろん逮捕。今後は、ヘソ出しルックも逮捕。ビキニも当然逮捕、18歳未満少女のビキニなら、それを見ただけで児童性犯罪として逮捕か・・・)
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(1-22)こじきをし、又はこじきをさせた者
 (→ならば日本国と自民党を逮捕せよ!)
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(1-26)街路又は公園の他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者
 (→筆者はしょっちゅうだ。オレは犯罪者か・・・\(≧▽≦)丿)
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(1-28)他人の進路に立ちふさがつて、若しくはその身辺に群がつて立ち退こうとせず、又は不安若しくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとつた者
 (→職質の警官を逮捕しろ!)
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(1-32)入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた者
 (→春先、田んぼの畦でツクシやワラビを採取する者たちは全員逮捕)
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 第4条 この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。
 (→警視庁は、都条例で逮捕にノルマや報償制度を導入、これによって警官は実績を上げるために、無理矢理、犯罪をでっちあげるようになった)
 字数制限から次回 
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2010年5月6日 ●警察国家への道 その3 ありふれた行為が犯罪として処罰される社会

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  「息を吹きかけた」と逮捕 (2010年5月)
 【電車内でみだらな行為をしたとして、明石署は3日、岡山県美作市真加部、JR西日本男性社員(50)を、県迷惑防止条例違反の疑いで逮捕した。「何もやっていない」と容疑を否認している。
 発表によると、同容疑者は午前8時20分頃、加古川―西明石間を走行中の姫路発敦賀行き新快速で、いすに座っていた姫路市内の女性(42)に、息を吹きかけるなどした疑い。女性の夫が気づき、同容疑者を取り押さえ、西明石駅で降ろし、110番で駆けつけた署員に引き渡した。同容疑者は同駅へ出勤途中だった。(2010年5月5日07時35分  読売新聞)】
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 似たような事件(2007年7月)
【7月24日11時57分配信 読売新聞  埼玉県警東入間署は23日、警視庁刑事総務課警部補の塚瀬俊弘容疑者(41)(埼玉県ふじみ野市東久保)を県迷惑行為防止条例違反(痴漢、卑わいな言動)などの現行犯で逮捕した。
 調べによると、塚瀬容疑者は同日午後8時50分ごろから約20分間にわたって、東武東上線・池袋発小川町行き急行電車内で、隣に立っていたアルバイト女性(23)の脇腹に左ひじを押しつけたり、耳に息を吹きかけたりした上、「足がきれいだね」などと声をかけた。
 女性が近くの男性客とともに取り押さえ、ふじみ野駅で署員に引き渡した。塚瀬容疑者は酒に酔っていた。調べに対し、「ひじは当たっていたかも知れないが、独り言を言っていただけ」と供述している。】
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 「これは、ひどい!」 と筆者らの世代なら誰でも思うはずだ。こんなことが犯罪になるなんて、ありえない・・・さすがにニュースを見て強いショックを受けた。
 ジョージ・オーウェルが独裁未来社会の恐怖を描いた「1984年」でも、これほど、めちゃくちゃな逮捕など予想されていない。
 こんなことじゃ、痴漢などとは無縁の人でも、街角でよろめいて女性に触れただけで、性犯罪者として逮捕されることになるだろう。すでにエロ漫画を所持しただけで麻薬犯なみの懲罰だ。十徳ナイフを所持していただけで逮捕されるご時世だ。立小便なんか性器露出と決めつけられる性犯罪になりそうだ。まさに、息をしただけで逮捕される時代がやってきた!
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 これで逮捕された駅員は、冤罪であることを証明できなければ、この職なきご時世に、そのまま解雇か、良くて依願退職という事態に陥るだろう。
 「被害者」が、思いやりのある普通の感覚の持ち主なら、仮に息で不快な思いをしたとしても、「加害者」が逮捕されることで、相手のダメージが桁違いに重くなることに気づいて、抗議する程度で穏便にすませるだろう。
 だが夫は彼を警察に突きだし、息を吹きかけたというアホらしい容疑で逮捕させた。そうして「加害者」は面子どころか、職を失いかねない窮地に追い込まれた。いったい、どちらが被害者なのか?
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 妄想というしかない「被害者」の主張を鵜呑みにして逮捕した警察当局は、恐るべき人権侵害と言わねばならないが、これに対して、明確に警察の暴走を批判する意見が、どこにも見られないことが、今起きている事態の真の恐怖なのである。
 筆者らの若い頃は、犯罪として逮捕、起訴される要件として、「故意・作為により誰の目にも明らかな被害が生じていること」という不文律があった。法的には、現行犯逮捕の要件としては、「罪を犯したことが明白であり、逃亡のおそれがあること」ということになっている。
 麻薬だって人に迷惑をかけないかぎり自己責任と考える人が多かった。むしろ公共場所での喫煙の方が、よほど深刻な犯罪だと思われた。
 当然、アグネスや野田聖子のように「エロ本を所持することが犯罪」などとの主張は、今から40年前なら、「完全にアタマがいかれてる」と思うしかない異常な感覚だし、日用品である十徳ナイフが「凶器」だと認定する警官の脳味噌も、無茶苦茶というしかなく、「息を吹きかけた犯罪」に至っては宇宙人との遭遇よりも奇怪なのである。
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 これだけなら、軽微な不快感を警察沙汰にした夫の精神異常を疑えば足りる笑い話にすぎないが、警察が軽微な苦情を受けて逮捕という強硬手段に至り、しかも。それをマスコミが大々的に報道して全国民が知るところとなり、かつ、雇用者のJRは、「加害者を厳正に処分する」と声明をだしたわけで、ここまで来ると、トンデモないモンスター恐怖社会の到来というしかない。
 もっと恐ろしいのは、若者たちが、こうした信じがたい司法の暴走を、ほとんど誰も批判しようとしないことだ。グーグルやツイッターで検索してみればいい、これが、どれほど深刻な人権侵害を引き起こすのか糾弾する声など、ほとんど出ていない。
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 それもそうかもしれない。今の若者たちは、他人が苦悩するということについて、ほとんど関心を持たない者が多いのだ。自分さえよければいいのであって、他人がどうなろうと知ったことか・・・が常識なのだ。
 これが、どれほど恐ろしいことか分かるだろうか?
 我々の若い時代、「人に起きることは自分に起きる可能性がある」と考え、誰の遭遇した運命であっても、いつかは自分の身にも起きることとして考え、思いやりをもち、一緒に連帯して対処することが、結局、自分の身を守ることになるという共有認識があった。
 我々は、決して一人で生きているわけではない。まさに、運命共同体なのである。他人の運命は、やがて自分の運命になるのだ。人の苦悩は、やがて自分の苦悩になる。人の喜びも、やがて自分の喜びとなると考えたのだ。
 理不尽がまかり通る社会を許すなら、子供たちの未来は真っ暗だ。人権のない世界に、どんな人生の喜びがあるというのか?
 世界も社会も正しく、「正義」の元に運営されるべきであり、そのために、自分のなしうることをなすのが義務だと考えていた。
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 「正義」こそ人生のすべてだ。最高の価値だ。正義を実現するために、命を失うことなど何をためらうことがあろうか?
 人の苦難を救済し、援助することこそ正義であった。筋の通らない、理不尽な行政、司法、対応は断固として許さない。間違ったことを許さない姿勢が、人間の求める、もっとも正しい姿勢であった。
 正義の前に、自分の利権や、命など軽いものだ。かつて、こんな「正義漢」が、ごろごろいたのだ。
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 人の苦難を救わなくて、どこに自分の喜びがあるというのか? だからこそ、高田馬場駅で酔っぱらいが線路に落ちたとき、命を厭わずそれを助けようとした人間愛が成立したのだ。彼らの行為と人生は貴いものだ。
 人を感動させるという行為は、まさに命を賭して正義を貫くというものだった。
 弁護士、安田好弘が、ほとんど報酬も期待できず、日本中からバッシングの嵐を受けて孤立無援になり、「インチキ弁護士」などと罵倒されながら、ただ誠実に被疑者の権利に奉仕し、死刑制度をやめさせようとしている行為も、まさに正義以外のなにものでもない。
 彼にとって、利益よりも名声よりも、何よりも正義が自分の命よりも重いのである。
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 若き筆者も、40年前、ベトナムで理不尽に殺されゆく人々の怒りと悲しみに連帯して、ベトナム反戦運動を戦った。それで、大学も行けなくなり、警察庁のブラックリストに載って、たくさんの仕事も失った。
 だが、一番大切な価値は、他人の苦しみに連帯し、共に戦うということであった。この連帯の満足にくらべれば、金儲けや地位や権力に何の価値があるというのか?
 我々の究極の価値は、醜い強欲、利己主義に支配された金儲けや権力・地位などではない。苦悩する他人に連帯し、ともに苦難を克服する連帯の喜びを得ることなのだ。まさに、「連帯を求めて孤立を恐れず!」であり、心の唯一の拠り所は、自分が正義を実現しているか? であった。
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 人生の真の価値は正義を貫くことだ! 断じて金儲けではない!
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 若者たちよ! こんな理不尽な司法を許していいのか? 日常的な行為すら勝手に犯罪と決めつけ、エロ本・十徳ナイフを所持すれば逮捕、女性の写真を撮れば痴漢で逮捕、息をしただけでも逮捕と、信じられない無茶苦茶な司法がまかり通っている!
 まるでイスラムの性弾圧ではないか? マレーシアで、ビールを飲んだ女性が鞭打ち刑に遭った。イランで婚前交渉した少女が絞首刑にされた。サウジで夫の死後、他の男性を家に入れた女性が石打刑で虐殺された。アメリカで日本漫画を所持した男性が懲役半年にされた。
 だが、今、日本で起きている事態は、その理不尽な本質において、これらの愚劣な刑罰と何一つ変わらないではないか?
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 まさに、正義が地に堕ちたといわねばならない!
 我々は、子供たちの未来を暗黒に塗りつぶさないために、自分の命を賭してでも、こうした愚劣な司法を粉砕しなければならないのだ。
 一方で、こんな国家の暴虐を許しておいて、ちょっとマシな家畜生活を得たとしても、それが、真の喜びを与えるとでも思うのか? 正義を貫かない臆病で卑劣な人生に何の価値があるというのか?
 いいかげんに卑屈な臆病人生を恥じよ! まさに、今、我々は権力と真っ向から戦わねばならない時がやってきたのだ!
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 なぜ、こんな愚劣な司法が、我々の日常生活を、隅から隅までがんじがらめに縛ることになったのか?
 真っ白な女高生のふとももにエロスを感じることも痴漢として糾弾され、宮沢りえのサンタフェの所持さえ処罰され、立小便をすれば性器露出性犯罪とされ、混んだ電車で女性に体が触れたら痴漢として逮捕され、息が吹きかかっただけで逮捕されるような、馬鹿げた社会に、どうしてなってしまったのか?
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 それは、この社会が利己主義に汚染され、人間の連帯を失ったからだ。
 学校教育における競争主義の導入、他人を出し抜いて自分だけ利益を得ることが正義とされるような、資本主義、経団連や自民党が持ち込んだ価値観が、人々を地獄に堕としたのである。
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 社会に差別が満ちあふれた。人は人を小馬鹿にし、カネ持ちや権力者を無意味に尊敬し、畏れるようになった。
 何を人生の価値として生きるべきか、人々は見失っていった。正義が何であるのかさえ忘れてしまった。
 人を許し、寛容が暖かい過ごしやすい社会を作る本質も忘れてしまった。人々は苛酷になり、他人の間違いを指摘し、他人をやっつけて得意がるような愚劣な人生観に洗脳されていった。
 権力に対して臆病になり、言われたままにしか生きられない臆病な家畜に成り下がったのだ。
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 だが、よく考えよ・・・・
 あなたの羨むベンツもセルシオも、ただの移動体ではないか? アルトやライフと何の違いがあるのか? あなたの自慢するグッチもエルメスも、婆さんの図他袋と何の違いがあるのか?
 橋の下のホームレスも、皇居の天皇も、我々と何一つ変わらない同じ人間ではないか?
 天皇も権力者も、警官も、検察も裁判も、すべて同じ人間がやっていることを忘れたのか?
 国家なんてありはしない! 同じ人間が、そこにいるだけなのだ。我々は、一人の人間として、すべての人たちに対峙しなければならないのだ。
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 あなたは裸の王様が、素晴らしい服を着ていると褒め称えるつもりなのか? あなたは、自らの恐怖心が作り出した幻想に閉じこめられて、死ぬまで真実を見ないつもりなのか?
 エロスは犯罪ではない! 健全な性欲が子孫を紡いできたのだ。美しい、みずみずしい女性に男が興奮し、それを写し、その媒体を見たがるのは自然なことだ。何が犯罪なのか?
 立小便は犯罪ではない! 自然な生理現象だ。トイレがなければ立小便するのが自然であって、何を恥じる必要があるのか?
 混み合った車内で、他人に触れるのは犯罪ではない! それを痴漢と決めつける女性は、二度と電車に乗るな! 息を吹きかけられたくなければ離れてろ!
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 我々は、地球の上で、人間として自然に生きているのだ。その日常行為を犯罪に仕立てるな! 子供たちの未来を暗黒の警察国家にするな!

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2010年5月3日 ●警察国家への道 その2 児童ポルノ規制に見る矮小人間の大量生産

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 2006年5月、アメリカ、アイオワ州に住む38歳の男性が日本のエロ漫画を所有していたことで、当局に逮捕された。
 アメリカの犯罪全般に対する刑罰苛酷化の流れ、とりわけ性犯罪に対する人権無視の制裁的処罰は知られていたが、ひとりの趣味的コレクターが、日本で普通に店頭販売されている漫画を個人的に所有して逮捕されたことで、市民の自由が大きく損なわれる転換点であると多くの人に強い危機感を与えた。
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 日本から取り寄せたマンガの私的所有を理由に、最高20年の禁固刑の罪で起訴されたクリストファー・ハンドリーは、「未成年の性的行動を含む猥褻描写がある」と政府が主張する本の所持のため、PROTECT法(児童虐待に関する法律)によって起訴された。
 ハードリーは1200冊の市販マンガのコレクションを所持し、その中のわずか数冊の性的描写によって起訴された。
 CBLDF(出版物権利協会)の弁護士であるバートン・ジョセフは指摘した。
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「わたしの長い経験でも、個人が私的に楽しむための絵の所有だけが理由で、一般消費者が逮捕されるという事態は初めてです。この起訴は絵と絵を描く人にとって、そして特にコミックスという創造的で新しい試みをする分野にとって、表現の自由の規制という点で大きな影響を持つでしょう。歴史的に見ても、芸術の性質を誤解し、猥褻罪を曲解するものです。」
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 連邦郵便検査局はハンドリーの住居を捜索し、未成年の性的虐待を描いたわいせつ物(日本漫画)を更に没収し、ハンドリーは2007年5月にアイオワ州の大陪審において起訴された。
 上訴裁判費用の心配と、保守的なアイオワの陪審員では勝目がないと判断した私選弁護士の勧めにより、司法取引を選択したハンドリーは、アメリカ法18条1466A(b)(1)違反により、有罪を認めた。
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 これによって、「性的に露骨な行為を行う未成年が描かれた」日本マンガを所有するだけで、ハンドリーは最悪「15年の実刑、2500万円の罰金、3年間の司法当局による監視付き釈放」の可能性に直面することになった。
 アメリカでは2002年に最高裁が「現実の子供を使うことなく作られた画像に対する児童ポルノ禁止を拡大する州法は表現の自由に基づいて違憲」との判決を下していた。しかしその後、アメリカ連邦議会は未成年を性的に描くわいせつ物を更に具体的に定義、禁止した通称PROTECT法の法案を可決した。
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 結局、ハンドリーは、2010年2月、6カ月の懲役を言い渡され、3年の監視下での保釈、5年の執行猶予となった。おそらく、その後も、児童性犯罪者の烙印を押され、生涯、アメリカ社会の苛酷な監視を受け続けることになる。
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 この判決により、「実在しない仮想未成年キャラクターに対する性的虐待描写を描いた表現物(たとえばロリ漫画・エロゲーム)」の単純所持を違法とする判例が確定することになった。
 アメリカでは、18歳以下をイメージさせる裸の漫画を所持していただけで、懲役15年・財産没収の刑に処せられる可能性があるという判例が確立したのである。
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 また、オーストラリアでも、2009年12月に、架空のキャラクターを使ったわいせつ画像を自分のコンピュターに所持していた男性が逮捕され、3000ドルの罰金と2年間の監視付き保釈で有罪となったことがあった。
 ここでも実在しないキャラクターのわいせつ画像所有で有罪になったことで話題となった。
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 これらの事件は、日本人が、空港で売られている漫画雑誌を購入して、アメリカの税関で発見されたとき、そこに少女のエッチシーンが表現されていたなら、懲役15年の刑を受ける可能性を示したものであることに注意しなければならない。
 今後、実際に、旅行者が所持だけで逮捕され、実刑を宣告される事態が避けられないと思うべきで、エロ漫画がヘロインや覚醒剤なみの扱いとなってしまったのである。
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 我々、日本人の感覚からすれば、ちょっと信じられない、異常な取締りであって、イランやサウジで、結婚前に性交したことが発覚したカップルが逮捕され、絞首刑にされている恐るべき事態と、本質においては、ほとんど変わらない怖さを感じる。
 日本人にとって、イスラム諸国や欧米で起きている、こうした異常な性犯罪取締り苛酷化を横目で見て嗤っていられるうちは、まだマシだった。だが、ある日気づいてみると、同じような異常な性弾圧が、いつのまにかわれわれの足下にも忍び寄っていたことに愕然とさせられるのだ。
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 それは、悪辣な霊感詐欺商法で知られる統一教会が、日本で「倫理運動」と称して、たくさんのインチキ市民団体をでっちあげ、アグネス・チャンなどを広告塔として利用し、性風俗弾圧キャンペーンを繰り広げるなかで、気づかないうちに深刻な事態にまで進んでいたのである。
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 日本では、1999年に(第一次)児童ポルノ規制法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律、平成11年第52号)が成立し、「児童」の定義を、教育基本法や民法における13歳でなく18歳未満と規定し、これに該当する性行為や性表現を、それまでより格段に厳しく処罰する取締法が成立していた。
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 この法案を成立させた中心的議員は、自民党の森山真弓・野田聖子・高市早苗らだが、民主党の小宮山洋子や公明党の松あきららも加わっている。
 この法律によって、2008年、乳幼児のおむつ換えのシーンや、小学生の入浴映像が「男児ポルノ」に該当するとして、放送倫理・番組向上機構が、自主規制を要望する動きに出ている。この年あたりから、テレビで未成年者の性的表現が、ほとんど見られなくなったことに読者の多くが気づいていると思う。
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 日本ユニセフ協会(統一教会系? 寄付の多くを私的流用するので悪名高い詐欺的組織)が、アグネスを看板にして推進している「子どもポルノ処罰」は、実写だけでなく、冒頭に取り上げた架空の漫画キャラで、「18歳未満に見える」性表現全般が対象になっている。
 また、2009年度に一時凍結になった第二次ポルノ規制法においては、宮沢りえの写真集サンタフェや、若き関根恵子の映画作品などは、それを所持しただけで犯罪とされ、懲役1年の実刑と規定されることになった。
 野田聖子は、この法案を、いずれ必ず可決してみせると息巻いている。岐阜県民が、こんな馬鹿者を国会議員に送るなら人間性が問われるというべきだ。だいたい自民党支持者はスケベ老人ばかりじゃないか。いずれ、自分が聖子推進の法律で窮地に立たされることを覚悟せよ。
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 また、性犯罪撲滅運動、処罰苛酷化をアメリカで中心的に推進してきた勢力は、誰あろう、カトリックと共和党なのだ。
 この数年、カトリック聖職者が児童性犯罪の最大勢力である事実が暴露され、ローマ法王が窮地に追い込まれていることは周知の事実だ。
 まさに一番危ない連中、「性職者」たちが、自分たちを真っ先に裁くであろうポルノ規制法を実現したという笑い話のような展開になっているわけだ。
 こんなアメリカに追従して、日本でも性犯罪処罰の苛酷化が、強い圧力で社会に浸透している事情について、どう考えるべきか?
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 もちろん、性犯罪だけでなく、ほとんどすべての犯罪について、社会が更正を期待する姿勢を見せて寛容だった半世紀前に比べて、対象範囲が恣意的に拡大し、処罰が苛酷化している実情に気づいている方が多いと思う。
 性犯罪については、苛酷化が、とりわけ被害者となりやすい女性たちの支持を得られやすいことから、いわば処罰苛酷化、警察国家、制裁国家に進む右傾化社会の尖兵としての意味がある。
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 欧米日だけでなく、イスラムなど第三世界でも同じような傾向が見られ、世界的に大衆生活に寛容な規制が撤廃され、処罰苛酷化に向かう流れを明確に感じ取ることができる。いったい、これはなぜなのか?
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 「人を許さない、非寛容社会」が、際だって世界の傾向として見えている事情は、社会全体の差別化が進み、特権階級と一般大衆の明確な分化が起きて、特権者たちは、差別が進んで民衆の不満が高まったことから、自分たちの財産や生命の維持に危機感を感じるようになった。
 それゆえ、刑罰を苛酷化することで、特権者たちが大衆から身を守ろうとしているといえるだろう。彼らは、人間に頼らず金に頼るしかない人生を送っていて、最期は、結局、法と暴力を利用するしかないのである。
 その特権階級が金融資本の台頭による投機社会になって俄に私財を増やし、政治的な力をつけて、自分たちの利権を擁護する目的で、このような苛酷な処罰社会を望んでいるのが真実だ。
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 さらに、こうした処罰苛酷化によって、大衆が著しく精神の自由度を失い、人間性を喪失し、精神の矮小化をもたらすことを指摘する必要がある。筆者は、自分の若い頃に比べて、若い人の人間に対する感覚が劣化、矮小化している現実をひしひしと感じている。
 他人とトラブルになったとき、寛容、許しの姿勢で、相手の短所、欠陥を吸収し、長所を伸ばしてやりたいという心のゆとり、愛情をもって望む人たちが極端に減った。それは、こうした刑罰苛酷化の社会的風潮がもたらしたものだ。
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 今から50年前、日本は敗戦に打ちひしがれた貧しい生活から、死にものぐるいで働くことで、やっと豊かな生活を掴みかけはじめていた。
 この頃、人々は、まだ戦争の残酷、悲惨を鮮明な記憶で思い知っていたから、人が明るく、楽しく毎日を過ごす姿を見ることが何よりも嬉しかったのだ。
 だから、他人に対して寛容で、少しばかり間違いをしても、許し、相手が幸せになってくれることを心から願っていた。人を叱るときでも、真に相手の幸せを考えた利他思想に満ちていた。
 社会は、助け合うことを当然とみなし、自分勝手な利己主義は、みんなから強く諫められ、人の幸せを願うことを正義とし、そのなかに人生の喜びを見いだそうとする人たちで溢れていた。それが1950〜1980年の世界でも抜きんでて素晴らしい国家共同体だった日本社会を構築した原点だった。
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 この頃、人々は、「人間は失敗し、過ちを犯すもの」という優しい寛容思想を共有し、間違ったことをしでかしても、それを制裁するのではなく、更正させることを正義としていたのである。
 だから、青年が性的に満たされず、女性を襲うなどという事件は、今も昔も変わらずに起きていたが、それを苛酷な刑罰で制裁し、社会から追放するという姿勢ではなく、多くは、青年の性欲を満たし、満足させてあげるために、周囲の大人たちは配偶者を見つけてあげることに奔走したり、赤線地帯に連れていったりして、彼の心を癒し、二度と他人を傷つけないように諭すという暖かい姿勢だった。
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 日本の刑法自体が、制裁報復という愚劣な発想ではなく、牧野英一による「教育刑思想」によって構築され、犯罪を導き出した個人の思想を矯正し、更正させるという世界的に進んだ合理的思想で担われていたのである。
 明治刑法の牧野イズム、すなわち教育刑思想から、今、野田聖子やアグネスチャンらが主張している制裁報復による苛酷刑罰主義を見るならば、実に愚かな封建的前時代への回帰であって、その救いなき心の貧しさに驚くほかはない。
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 結局のところ、こうした制裁・報復思想による権力がもたらすものは、国民の心の貧しさ、矮小な精神性でしかなく、刑罰に怯えた臆病な大衆を大量生産することで、社会は、特権階級の利権だけを擁護する家畜社会へと変わってゆくのだ。

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