空の気持ち

空から見たすべてはどんな風に映っているのでしょう

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呼吸と呼吸の間に

呼吸と呼吸の間に



呼吸についてよく記事にする。

呼吸を感じる事は最も大事なことの一つだと思うから。


調えなければならないのは自分の身体。

知らぬうちに日々自分以外を攻撃しようと自分の身体と心を忘れている。

無意識のうちに人はそう行動をとる。

相手の落ち度を探す。

もちろんそれは仕事の上で大切なこともあるが、それを出来るのは自分の内側を常に見ている者。


自分を見れないものが相手を探ってはならない。


呼吸と呼吸の間に日常は在る。

呼吸を見つめる時間とは限られている。

見つめてる時に自分は、調律、調整がなされるのだ。

その瞬間は聖域であり、何かを非難したり、恐れたりという心からは切り離される。

この呼吸を見つめる時間は、朝と夜。

朝目覚め、身支度を整えて呼吸を見つめる。

夜寝る前に、やわらかく姿勢を調え、呼吸を見つめる。

つまり、朝の呼吸と夜の呼吸の間に日常の身体と心は活動をする。


この毎日が身についたならば、日々新しい自分を感じられることになる。

自分の身体は自分の魂が内側から癒す手助けをする。
それは例えば、その瞬間に頭に浮かぶ情報かも知れないし、具体的に身体の不調を治す動きかもしれない。

呼吸を感じることは、自分のほんとうの力を引きだす技でもある。

自分の能力など高が知れている。だから情報を得るのだという考えもあるが。それはほんとうに自分を見きった時にいえる言葉で、ほとんどが、自分の内側の能力に気づいていない。

つまり自分の内側からの声に耳を傾けていない。

呼吸が教えてくれることはたくさんあるのだ。


そんな時間ないよ!

そう思うかもしれない。

しかし朝であれば、2分ぐらいの事だ。

夜でさえその程度で充分。

その時間さえもおしいといえば仕方がない事。

忙しい今の人、浄化の手段は沢山あるのだろう・・。

自分は呼吸を大切にして行こうと思う。

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常に新しい自分なのだ

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毎日が同じ自分ではない


知らぬうちに同じ自分だと思い込んでしまう。

今日の失敗を明日にひきずり、明日も失敗を繰り返すのではないかと。

今日の身体をひきずり、明日も同じ身体なのではないかと。


しかし人は毎朝希望に満ち、身体は日々丈夫に向かう。

身体は新しい感覚を日々身につけ、心は常に健康に向かう。


毎日が同じだという呪縛から解放し、日々が新鮮だということに気づくこと。

明日を経験した人はまだ誰もいないのだ。

ならばそこに新しい自分が居るのだ。


思いが今を維持しようと身体にも心にも呪縛をかける。

そんな思いを断ち切り、新しい自分を常に切り開く思いで在りたい。


今日も新しい自分に感謝!!




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重ねるという日々

久しぶりにこんな時間の投稿だ。


昨日の稽古。

昨日の稽古のことを考えていた。

まだ5才の子が稽古に来た。今回で2回目だ。

稽古回数は来れるときでいいですと伝えて在る。


もちろん子供なので集中などしない。それが良い。

家に帰ってから彼の透明な眼を思い出していた。

子供の透明な眼は、気づきを得る。



稽古は何度もやらなければ覚えない。大人も子供もそうだ。


しかしふと思ったのだ。

なぜいつでもいいですよと言ったのだろう。私は・・。

来るのは詰めてきた方が早く覚えるのに。


否、違う。


いつからでも稽古は稽古なのだ。

その日の稽古はその日の身体を現わす。

今日の日が次回に繋がると信じていたが、次回はまた違う身体なのだ。

だからいつ参加しても稽古になっている。


次回は次回の新たな身体。新たな稽古。今回出来ない動きが次回できないなんて誰が言えよう。

次回は次回の風が吹く。


成長は重ねる事より生じる。そう思っていた。うそではない。

だがその重ね方は、同じ事ではなく、毎回が新鮮な働きだと気づかなければならない。

今回の透明な彼の眼が頭に浮かんでいる。良い眼だ。

いつ来ても稽古になるのだ。そういう稽古でなくてはならない。

次回の彼が来る稽古が楽しみになってきた。

子供は良い。




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身体に帰る

自由だからこそ正す必要が在る。



心は自由だ。

自由だということに気づいているのだからいいでしょ。

何やったって・・。


自由は何をやってもいいということが自由ではない。


自由とは帰るところが在って自由。


しかしほとんどの自由が帰らない。


帰る場所を見失っている。


その場所こそ身体。


自分という存在は心だとみながいう。


身体ではないと。


それは私にはどうかわからぬが、身体は心にとって厳しい存在のように思う。

だから身体に帰らず、心は自由に好きなことをする。


私とは心だ、そう思う心は身体など見向きもしない。

帰れば心は窮屈になるから。自由でなくなるから。

だから心はいつも考える。

感じないで考える。


必要のない身体は、いつの間にか弱く存在を終える。

その時に心は慌てるのだ。

もっと身体を大切に思えばよかったと・・。


しかし望んだのは心。

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身体は厳しいもの。


身体が姿勢を正しく保てば心もそうなる。


それが窮屈だといやがればそれはその先を待つだけの事。


なにが在ってもしっかりと身体に帰り、心を磨ぎ、また新しい心として外に出なければならない。


そういう関わりで在りたいと感ずる。



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身体はすべてと繋がる

身体と外との繋がり


身体を感じるときに内側を見る。

身体に不調を感じた時も内側を見る。

身体を丈夫に保つために内側を見る。


これらは必要なことであるが、もう一つ大切な働きが在る。

身体は思いで変化するということ。

身体は自分が思ったように反応する。

それは外側からの情報でも変わる。

心がこう思った瞬間から身体にそう変化するようにエネルギーは送られる。


人は不安から緊張を覚え、その度に身体に緊張の情報を送っている。


その不安はどこからくるのか・・。

自分は個である、身体の中に在る個の存在であるという孤独。

そんな考え・・。


心は解放されるべき存在。

人には想像という武器が在る。

人は個で生きているようで、実は関わりの中生きている。

生命は身体内で起こっているようで実は、もっと大きな関わりの元存在している。

太陽の光がなければ生きられず、月がなければ惑星のバランスを崩す。

地球の土から植物は育ち、海に生命が充ち、そのバランスの中人の生命も存在している。

こんなに壮大な関わりの中、自分がなぜ個だといえるのか。

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心は外側を善く想像しなければならない。身体と外側の壮大な関わりを瞑想しなければならない。


身体が丈夫にいる事は、これらの学びを通す必要が在る。


心を解き放ち、身体は外側と繋がっている、そう心が思った時、自分の身体は不安から解放され、
真実の身体となる。


そんな気がする・・。

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