|
そもそも身体は調うようにできているのか・・
身体が健康になる事は何より変えがた事で在る。
しかしその健康という状態がみな同じとは限らない・・
むしろ違う。
人によってはそこそこ風を引くぐらいがちょうどよいという人もいる・・
何か表現をする事が在ったとして、身体の状態がやや不安な時のほうが力を発揮する場合も在る。
逆に完璧な身体の仕上がりの時のほうが、つまずいたりしてしまうことだってある
もちろん身体の状態が大きく傾いたりする事はよくない。
そこそこバランスがとれた状態、たまに風邪をひいたり、熱が出たりがよいのかもしれない・・。
私は身体を治す事が専門ではない、見る事と感じる事動く事から物事を捉えたいと感じている。
その人にはその人の健康、身体が在る。
その身体の力を見抜く事が出来たら、動きが冴えるのかと思っている。
例えば相手が、顔色悪そうな時にそれを伝えると、そんなことないさ、元気だよ。
そう・・その人には元気なのだ。
顔色が悪いって・・大きなお世話かもしれないのだ。
健康にしようしようと思えば思うほど、それは恐れを生むかもしれない。
その恐れこそ身体の力を奪っている。
怪我をして元気が出る人もいる。
普段体調が悪いのに、怪我をしたらその拍子に体調の悪いのが抜けたとか。
私の体感では、頭痛の時にどっか足とかぶつけたり、転んだりして、気づいたら頭痛は治まっていた。
いっぱい身体を悪くするとなんか、運が悪いんじゃないかとか、自分の運命をのろったりするかもしれない。しかし実は身体はよく出来ていて、大きな中心な不調を軽減している可能性もあるのではないか・・
そんな風に感ずる。
それは他の要因とも繋がっている。
ただ捉え方を恐れに持っていくと、不調は改善から遠くなる・・。
捉え方感じ方を鍛えたほうが自分の身体が良く分ると思う。
そして自分の健康が分る。みんな人に健康を決めてほしいみたいだが健康は自分で体感したい。
病院に行って、私って健康ですか・・。
お医者様が健康だよ!って言うとホッとする。その逆は・・。
冷静に考えたら・・あたりまえのようだがなんか変な感じがする。
もちろんお医者様に行って健康を診断していただいて安心する事は大事な事。
ただ自分の身体の感覚が分らなさすぎると、全て頼ってしまうのは、自分であって自分でないような気がする・・。
最近の私の身体の事で言えば、昨年9月に腰を痛め、それはもう、気を失うような痛みで、気合いで失う一歩手前で耐えました・・・。
ひと月ぐらいはまともに動けませんでした。
それでもその時の動きは芯が在り、力強かった気がします。
それからの身体のほうが動きが変わり、切れが良かった。
身体が調うというのは、全てがきれいに正常になるというより、身体がその時の自分の状態を察知して、ちゃんと怪我させたり、病気させたりして、それを乗り越える状態が調いなのかもしれない・・。
写真は木と一体になる動きをしているとこ・・。
|