アドレリアン(アドラー心理学を学ぶ人)が、日々の生活の中で感じたこと、思うことを自由に書いていくところです。学んだことを、どう実践しているのか、逆にうまく実践できなくて、どう悩んでいるのかなど、学ぶ者同士で共有しようという意図でやってます。
(ここはネット上にオープンなブログですので、個人を特定するような内容を書かれないようお気をつけください。)
長男部屋の掃除(つづき)
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前回アップ(9月24日)した続きです。
前回へのコメントをありがとうございました。いただくと嬉しいです。
自然の結末で長男は勇気づけされていたのか?
本人に聞かなければホントのところはわからないと思いますが、近いところは推測できたと思います。
たぶん、勇気づけされていたはず。
それは私のフェラインとパセージでの体験から推測しました。
五年もの間、同じ事例を何度もだしていた私にメンバーはしっかり話を聞き、いろいろな選択肢を提示し、なにかつかみきれない私にニコーと笑って終わるという態度をとり続けていました。これって私が私の答えをだすことを応援してくれていたのですね。私への勇気づけだったと気が付きました。今頃気がつくなんて鈍感ですよね。部屋の掃除に関しては具体的な進展はありませんでした。でも、私はメンバーさん達を仲間だと感じていたし、私はこの問題に向かっている力があると感じていました。
転じて長男にあてはめてみると同じ図式が見えてきます。私は長男の話を聞き、選択肢の提示はほとんど断られながら、プラスの感情で接するように心がけていました。部屋の掃除に関して目に見える変化はなかったのですが、他の部分で暖かな感情の交流が増えてきていたように思います。きっと内側では私と同じように感じていたのではないかと。
アドラーを知るということは芸事を知ることと似ていますね。文字などを読んでもいまひとつ解からない。お師匠さんの仕草、声のだしかた、息継ぎのタイミング、雰囲気を肌でかんじながら真似をして工夫をして近づいていくというあたりが。
T.E.X
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文京パセージ@第4章
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文京パセージが始まっています。
ようやく共同の課題まで来ました。
たくさんキーワードが出てきています。
〜ゆっくりじっくり実験中〜
【ある日の一コマ】
息子「牛乳〜、牛乳〜、牛乳〜」
母「。。。。。」(ハッキリ言葉で言ってほしいなあ。。。。モヤモヤ。。。。どうしよう)
母「お茶〜、お茶〜、お茶〜」
息子(????)
息子「牛乳〜、牛乳〜、牛乳〜」
母「お茶〜、お茶〜、お茶〜」
(今思えば、しっかり戦っています。。。トホホ)
母「牛乳がどうしたの?」
息子「牛乳が飲みたいの。」
母「ふ〜ん、牛乳が飲みたいんだね。」
息子「だから、牛乳、牛乳、牛乳」
(しっかりケンカの土俵に乗っています。もしかして、私がケンカ売った?)
母「牛乳、「下さい」とか「取ってください」とか「コップに入れて下さい」って言われると何がしてほしいか分かるんだけどなあ。」
息子「ああ、牛乳下さ〜い」 (そっか、それもそうだねって具合)
母「ハイ。牛乳取りますよ〜♪どうぞ。お口でどうしたいかいってくれてありがとう。はいっ(気分いい)」
息子「ありがとう」
と、ここまで書いて気付きました。
そもそも【目的】が一致して、い・な・い〜〜〜〜。
オロオロ。。。。
息子の目的は、牛乳を飲むこと、お母さんに冷蔵庫から牛乳を取ってもらうこと。
母の目的は、言葉ではっきりとしてほしいことを言うこと。
これじゃあ、いつになっても争いが終わりません。
目的が違いますから。。。。。
やっぱりまだ年中君には、その都度、こうしてほしいと言葉で伝えるようにしてみようと思います。
分かってほしい、自分で気付いてほしいって、明らかに親の【期待】だわと思ってしまいました。
自分だったら、(うざっ)って思うかも。書いてて思ったし。。。笑
まあ、そうやって失敗しながらよねと自分に言い聞かせて気長に気長に。
うん、うん。
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パセージ報告 〜長男の部屋の掃除〜
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東京フェラインに顔を出し始めてから5年。
たびたび「長男の部屋の掃除」を事例として出してきました。
そのお題がパセージ受講中に終わりました。その事を書きたいと思います。
「長男の部屋の掃除」は長男の課題と『課題の分離』をし、たまに長男に「どう考えているのかな?」と『話を聴く』ことをし、『目標の一致ができない』『自然の結末』を体験するという流れをたどっていました。でも、何かすっきりしないものがずう〜っとありました。「これでいいの?このままでいいの?」と。
長男が「明日、部屋の掃除をしたいから手伝って」と言ってきた事がお題終了への始まりでした。
そして長男は私の明日の予定を尋ね「じゃあ、7時に起こしてね」と頼んできました。私は「いいよ〜、手伝うね。朝、起こすね。」と返しました。ここで『目標が一致』。次の日はその都度『何を協力するか話し合い』『共同の課題』を成立させ、実行していきました。
途中で私にでてきた負の感情は以前より簡単に正の感情にすることができていました。そのキーワードは「悪い意図ではなく失敗なんだ」でした。
ほぼ半日かけて長男は掃除を終了しました。長男の様子は今までになくとても満足しているようで、鼻歌なんぞ聞こえていました。きっと彼は「自分には能力がある」「人々は仲間だ」と思っていたと思います。
この出来事が彼にとって勇気づけだったかどうかは「掃除をしたか、しなかったか」という結果ではなく「どのように掃除がなされたか、なされなかったか」という過程にあったのだと後日フェラインの仲間と話していて整理できました。
私は何故「これでいいのか?」と思い続けていたのか?自然の結末を体験し続けていたことも勇気づけだったということ?どうやって確かめればいいのだろう?それはまた後日にします。
フェラインの皆さんからたくさんの勇気づけをしていただいていたから、長男を勇気づけることが少しずつできていたのだと思います。
パセージリーダーさん、メンバーの皆さん、フェラインの皆さん、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
T.E.X.
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おかあちゃんのちから
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気功の合宿に行ってきました。
仲間は60歳過ぎから80歳近くまでのおじさま、おばさま15名ほど。
50過ぎの私が
「お若いの」! になってしまいました。
みなさん、それぞれの人生をそれぞれに歩んでこられて、
若い私の生意気な話をうんうんと聞いてくださったり
自分の失敗談を笑い話にして笑い飛ばしたり。
ああ、こんな「おかあちゃん」はいいなあと思いました。
そういえば、このごろ
私も
泣いている赤ちゃんを見れば
「うんうん、思い道理にならんでつらいのう」と思うし
職場で、仕事の多さにカリカリしている上司を見れば
「うんうん、たいへんじゃのう、それでもがんばってえらいのう」と思うし
わざわざ私のそばに来て、世間話をしてくれる女性には
「ほんとにやさしいのう、ありがとうのう」
と思えるようになりました。
自分の子どもが小さい時から、こんなふうな「おかあちゃん」だったら
よかったなあと思いますが、もう子どもは23歳と19歳。
自分の子どもにできなかった分、
やっと、、やっと、、
私に湧いてきた「おかあちゃんの力」を大事にしていきたいと思います。
もうそろそろ、人から認められたいとか、褒められたいとか、卒業したいなと思います。
って、もしかして、これは「おばあちゃんの力」かいのう??
K
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アドラー心理学特殊講義と演習の感想
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7月25日26日に大阪でアドラー心理学特殊講義と演習を受講してきました。
今回は論理的に「勇気」と「勇気づけ」を学びました。野田先生による丁寧な講義があり、参加者同士で演習を繰り返し、先生と参加者の質疑応答や参加者同士でのシェアリングを通して、理論的に「勇気」「勇気づけ」が浮かび上がってきました。
それまで、私にはアドラー心理学での「勇気」「勇気づけ」が何を指しているのか漠然としていました。パセージを受講しても私はちょっと違って解釈していたりして、パセージの日々の実践で何かうまくいかないぞーっと思うときがありました。
パセージではリーダーさんに相手の人に「人々は仲間だ」「私には能力がある」って感じてもらえる方向で勇気づけるんですよ〜って気づかせていただいていたのに、私はすぐ忘れているようです。(自分では無自覚だったんですが・・・忘れているんです、これが。)
それって、私の「勇気」「勇気づけ」の理解が本当のアドラー心理学で意味していることをきちんと押さえていなかったんだなあと今回の特殊講義で思いました。パセージのリーダーさんがしっかりポイントを押さえて、あんなに教えてくださったのに、私の理解の浅さがありました。
でもパセージを受けてから直後の特殊講義の受講で、パセージの余韻が一杯あり、パセージリーダーさんのお言葉やパセージの仲間とのシェアリングで少しだけ「勇気づけ」が身につき始めていたのが、特殊講義の演習で「勇気づけって何だろう」を何度も繰り返し教えていただき、自分でもウンウン考えたので、いかにお馬鹿な私でも、意識や身体には浸透したと思います。それが実践に繋がって、ほんとに身につくまではこれから日々の練習が必要だなとも思います。
これまで「勇気」って元気なこととか、勇敢なこととか思っていたり、「勇気づけ」って相手の人に元気になってもらうことだと思っていたりしました。でも違ったんです〜。
家に帰ってから、家族の中で特殊講義で習った「勇気づけ」を意識して暮らしています。
相手の人に「人々は仲間だ」「私には能力がある」って感じてもらえるように働きかけることをぶら下げて生活しています。そうすると夫さんとたくさん話し合う時間が増えました。夫さんとの間でお互いに対する理解が深まった気がします。
最初、少し、夫さんと口論がありました。あれ〜?おかしいなって思って、特殊講義のテキストを読み返したり、パセージのテキストを開いたり、仲間と話したりして点検しました。
引き下がるときに引き下がっていないとか、クールダウンが必要なときにしていないとか、ポイントが良くわかりました。
受講する前より自分の中で道筋がはっきりわかるようになった気がします。
そうすると何処を練習したらいいのかもよくわかって、夫さんとの口論は殆どなくなりました。難しい相談でも冷静に話しをするようになったのです。
特殊講義を受講する直前に月島で行われたパセージに参加していたことと、特殊講義のあわせての受講で、より道筋が理解しやすくなっていたと思います。どこをどう実践していけば、相手の人に「勇気づけ」をするチャンスがあるのか。どこで躓いたのか。どこに戻ればいいのか。手掛かりがいっぱいできた気がします。今までは、あれ、おかしいな、なにかまずいな?と思って何もできないやと感じていたことが多かったのですが、今回の受講で、その中でもまだまだ出来ることは一杯あるのだと思いました。まだ、身についてはいないし、多分理解も浅いと思うので、これからも練習をして学びを深めていきたいと思います。
アドラー心理学って筋の通った理論に貫かれていて、パセージや特殊講義、他のワークでも全て整合性があって、多様な講座があっていいなあと思いました。その講座、講座が別の角度からアドラー心理学を見せてくれることによって、学びが深まっていくのだなあと今回、感じました。
今回の受講で家から通わせてくれた京都の実家の家族、行かせてくれた夫さん、ご一緒したお仲間の皆さん、お世話してくださったスタッフの方、渾身の講義をしてくださった野田先生に感謝します。ありがとうございました。
東京に戻ってきてから、一緒に点検してくださった仲間にも感謝です。ありがとー!!
そうだ、関東では横浜で9月26日27日に特殊講義と演習があるそうですね。ほんとにお薦めです。
私の様子を見ていて、いいと思ったのか、夫さんが申し込んでいました。
来年は違うテーマでまた講義があるとか。参加できたら幸せです。是非参加したいです。
織姫
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