お魚と僕のまち

とある港町。潮風にさびれた街並とお魚浸けの生活日誌 (※コメント書き込みはご自由に。でも返事はしません。ごめんなさい。)

巴川

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ボラはなぜ跳ねる

 仕事が終わり家路の途中、心地よい夜風に誘われ川ップチにでると、流れを失いマッタリといごかぬ川面を大きなボラが何匹も飛び跳ねている。「ぼちゃん、ぼちゃん」あそこで跳ねた!あっ今度はあそこ・・・おぉいかいのが飛んだぁ・・・などと、時を忘れてずっと見ていそうになる。
家に帰り、なんでボラは飛び跳ねるのかなぁとネット検索に答えを求めてみても「引っ掛け針釣り」のようには掛かってこない。
 以前何かで諸説聞いたことがある。一つ、体についた寄生虫を払い落とすため。二つ、気分の高揚あるいはストレス発散のため。三つ、水面に浮かぶ餌を捕獲するため。四つ、泳法の一つである。
 このうち、一つ目の行動は結構他の魚でもすることらしい。二つ目はクジラのジャンプする理由の一つにも挙げられている。ちなみにクジラのジャンプは、仲間に自分の位置を教えることで縄張りを示しめす行動とも言われている。
 多数が密集してしかもそこいらで「ぼちゃぼちゃ」飛び跳ねているボラには縄張り説はあてはまりそうもないかな。
 よくトビウオとボラは色や魚形が似ているから、トビウオになれなかったボラが飛びたくて跳ねているなどとお伽話のようなことを聞いたりするが、ボラはボラ目ボラ科でトビウオはダツ目トビウオ科の魚。トビウオはどちらかというとサヨリとかサンマの仲間である。また、月に飛びつこうとかしているとかとも言われるが、月夜に関係なくボラは跳ねる。もっとも干潮時には川底を群れて泳いでいるボラも、水位があがる月夜の満潮時は助走の関係かジャンプもしやすく活発に跳ねているようにも思えるので、潮の満ち引きには少なからずとも関係はあると思う。

   *   *   *

 翌朝散歩している時に丁度干潮時をむかえ川の水位がかなり低くなっており川底が随分澄んでみえたので、久しぶりに防波堤を越えて川底を除いてみた。
すると、ボラの群れがきれいに列をなして川底を這うように泳ぐ姿がその色鱗までがはっきりみえる。
川底はヘドロ状ではあるが、ヘドロとわかるくらいだから水自体はかなり澄んでいるということなのだ。
そういえばメタンガスの噴出も少ない。

 そしてじっと見つめていると様々な訪問客が入れ代わりたち代わり目の前に現れた。
ハゼ、セイゴ、白っカイズ、トラフグの子などの小魚やなんとクラゲまで・・・。
 以前から住んでいたのかも知れないが、澱んでいて魚がいることすら判らなかった。いいや、水が綺麗になったからこそ魚が帰ってきているのだと思う。その証拠に、縁側のコンクリートの袖やハシゴやロープに牡蠣がビッチリと着いているではないか!これには本とに驚いた。

「巴川で泳いだ」という父親たちの自慢話がウソであるかのように、僕が小僧のころの巴川は最悪に近いくらい汚れていた。色々なものや場所が開発されたり近代化されて元の姿を失ってゆく中で、身近な巴川が僕の知っている巴川が少なくともそれよりも昔の姿に近づいこうとしていることに気づいて今日はものすごく感動している。それは川面を飛び跳ねるボラのような気分だ。

 西風が吹く時期、湾の海水は一層透明度を増してくる。そのころになればきっと川面ももっと澄んでみえるにちがいない。これから毎日のぞいて見るのが楽しみになってきた。

 そして、西風の到来を告げる「おいべっさん」のお祭りまで丁度今日であと一ヶ月だ。

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港橋の水道橋崩壊

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 「次郎長背負い富士」次郎長のドラマがNHKでやっている。
ドラマに出てくるロケーションはタイトルのとおり、富士の山それから海が登場するが、まちの風景には巴川と思しき川とその架橋がよく出てくる。
 次郎長の青春期は江戸末期だが、その時巴川に架かっていた橋は江尻の稚児橋のみであった。次郎長の実家付近から巴川河口付近一帯は「清水湊」で巴川をはさんで対岸の寄州は「向島」といって甲州廻米を保管する室があったり干物(煮干など)の干し場に使用された砂浜でありまだまだ居住地ではなかった。もともと幕府の天領であったこの地を明治維新ののち白井音次郎(徳川慶喜のダミーとされる謎の人物)が一手に払い下げを受けた後、次郎長が外港の必要性を廻船問屋衆に説いて回り現在の波止場付近の構築が始まった。横浜との蒸気汽船の定期便は静岡のお茶の海外への販売活路を見出し、巴川内の「湊」から「外港」への依存は高るにつれ、向島地区は賑わいを見せた。それまでは人が移動するだけだったので小舟による渡船で充分であったが、物流の搬送や人の行き来を円滑にするため明治12年、清水町と向島の間に「港橋」が掛けられた。

 昨日の早朝「港橋」を通りかかると、この時間にしてはいやに人が多い。何かあったのかなと覗きこむと、橋に平行し巴川に架けられた水道管の橋が崩れ落ち、裂けた管から滝のように水が巴川に落ちていた。
「これは百大事!」とおもったが、もうすでに連絡を受けた職員おぼしき人が対処をはじめていたので、写真だけ収めて生簀へむかった。
 付近の仲町、本町あたりや対岸の港町は午前中まで水道水は濁った水が出たが午後には元に戻り、今日一日あきらめていた仕事仲間も無事復帰できたので安心した。
もともとは岡のほうから港地区への重要な水の供給パイプだったが興津方面からの供給が整っている現在は水圧は一時的に落ちても断水にはいたらないそうで、どうりで切断された双方から水が出ていたわけだ。この水道橋は昭和7年ごろにできたというから戦火を逃れ75年近く経っていたことになる。しかしながら今回の事故は水道管自体の破傷によるものではなく、橋を支える二本の下駄のうちの一本が崩れたことによることが潜ったダイバーなどによる調査で報告されたと聞いている。

 港橋の水道橋の話になると親父たちの小僧のころの自慢話がはじまる。
「学校にプールなんかなかったぞ。お稲荷さんの幟旗かっぱらってきちゃぁフンドシ巻いて巴川に飛び込んで折戸や三保まで行ったもんさ。さすが神さんのご利益ずらな、事故もねえっけな!」
(→おらんちんころは最悪のドブ川だった(泣)。
「あの水道橋はよう、男の証であるための度胸試しの場でさ、上級生があの細い橋を渡って見せて下のもんにやらせるだよ。びびってわたれないと「男じゃねぇ!」って遊んでくれなくなるもんでハナタレ小僧はみんな必死になってわたったさぁ」と回想する。
仮に落ちても川の水はきれいだし上級生も救助体制ができている。おおらかな時代だったのだろう。
でもそれは60年以上前の話で今じゃ絶対できない遊び。人が落ちる前に水道管自体が落ちるほど、その年月で支えがもろくなっていたということだ。

 復旧作業は雨の影響もありしばらくかかりそうだ。
川上に係留してある船なども行き来ができない状態が続くだろう。
しかしそれにもましてもっと気がかりなことがある。
「港橋」自身のことだ。
橋の袂には「昭和八年施工」とある。
「港橋が結構やばい」これは旧市の時から地元でにわかに囁かれていることだ。
一年前にできた橋が落ちたとくれば、次はやはり港橋がと誰もが考えるだろう。

「港橋」は今でも地域の主要道である。崩れ落ちるようなことがあってはならないのだ。
向う岸の「末廣」では、次郎長がいつでも睨みを効かせている。

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お水神さんの花火

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 雨で一日順延になった「お水神さん」の花火。

まったりと流れない巴川と花火。規模こそ小さいが風情があって、やっぱええよな...。

有度山に跳ね返って響く花火の余韻がまた、たまらなくえーだよね。


八千代橋の上も結構人であふれかえってにいやかだった。よかったよかった。

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次郎長でいかざー!

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昨年、『オール読物』に連載された、直木賞作家の山本一力さんの作品『次郎長背負い富士』が5月からNHK金曜時代劇(43分×10回)で放送されることになった模様だ。
ジェームス三木 脚本 山本一力 作

舞台は幕末。当時の「清水湊」であった巴川河口美濃輪から富士を眺める。
このあたりを舞台にした軽快な次郎長一代記が見ものだ。 
次郎長をまともにNHKが取り上げるのはおそらく初めてとのこと。
放映が楽しみだ。

また、日本橋は三越劇場で『清水の次郎長外伝−恋女房お蝶の奮闘記』が4月12日(水)〜22日(土)にわたって公演される。
主演のお蝶は 小柳ルミ子。 この方は有名なのでともかく、舞台の中で都鳥を裏であやつる蘭堂という役の 正希 光 という役者さんは昭和37年生まれで、岡小→2中→東高出身なのだそうだ。
http://www.mitsukoshi.co.jp/ticket/details80.asp


今年は次郎長がなんだか賑やかで、ここにも春がやってきそうだ。

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一富士二たか三ビーナス

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昔から新年の2日目に見る夢を初夢とし、家康の好物に肖る「一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)」を初夢に見ると縁起がよいとされる。
生まれてこのかたそれらしい夢を一度も見たことがない。今朝も一生懸命思い出そうと努力したが全く記憶にのこっていない。
爆睡したおかげで目覚めも気持ちよく、小僧をつれて朝の散歩に出かける。
巴川の川っぷちを歩き河口にある羽衣橋に向かう。朝は雲が少し残り富士山も年始から顔を出してくれないが、マリンロードに出たところで自分の住むまちを振り返ると奥の竜爪の山なみが青々としていてきれいだった。小学校の遠足では浜石岳にのぼり、中学では竜爪山だった。「あそこの尻ん割れたような山が竜爪って山だよ。こんど竜爪に登ってみらっか」と小僧にいうと「あああの二つの高い山ね」とかえしてきた。帰り道にふと「ああそうか!羽衣橋のところに立つと富士山と二つの高い山とビーナス(天女)がいっぺんに揃うじゃん。一富士二高三ビーナス!!なんちゃってー!」
小僧に「ださっ」と一蹴された。

でもまあなんか良いことありそうな一年の始まり。今晩はこれから中学三年の時のクラス会がある。26年ぶりに会うクラスメイトもいる。わくわくどきどき。

♪ 竜爪山〜 山なみ遥か〜

さあ行ってこよ!!

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