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この日の朝は他のカップルと朝食の席が一緒になった。献立はベーシックにスクランブルエッグとベーコンにフレッシュフルーツカクテル。それとブルーベリーソースのかかったクレープ。今まで泊まったB&Bの中で多分一番料理の美味いところかもしれない。
写真には撮れなかったが、ここには2匹の猫がいるらしく、えさの皿が2つ外に置いてあった。でも飼っているわけではなさそう。
次の目的地はラフィエット。でもその前にどうしても気になる場所探しとあと1軒だけ邸宅を訪れることにした。その場所探しとは、昨日訪れたグランド・ヴィレッジと関わりのあるロザリー砦だった。現在の地図を見ても「跡」という扱いですら載っていない。それで同じ名前の邸宅へまずは行ってみることにした。・・・今回の旅では砦巡りにも近いくらい行っているので、ちょっと反応してしまっただけなのだが。
少しだけ早く到着したので、邸宅の外にあるショップ(ここで邸宅見学ツアーの受付をしている)で暖を取ることにした。というのも雪が降ってきたから。カナダよりも南に来ているのに、まさか雪を見ることになるとは思いもしなかった。お店の人が言うには例年この時期には雪が降るとのことで、特に珍しいわけではないそうだ。
ガイドの話で邸宅のある場所こそ、ロザリー砦の敷地内であったことがわかる。つまり砦はもう無いということだ。砦については次回に詳しく触れるとして、この邸宅を建て始めたのが1820年、ピーター・リトルというペンシルバニア出身の男性で、ナッチェスへやってきたのが1798年。彼が17歳の時だった。彼のバックグランドというのがかなり凄くて、彼の祖父ピーター・リトル大佐はジョージ・ワシントンのかかり付けの医者で、ワシントンが亡くなった時、棺を担ぐという名誉が与えられた人物。そしてメリーランド州代表国会議員と親類。そんな若きピーターがなぜナッチェスへやってきたのかは今だ謎とされている。
ピーターは所有するルイジアナにある土地を見に行くため、ミシシッピー川を航行するフェリーボートをよく利用してした。そのフェリーボートの所有者ジェイコブ・ロウとは親友だったが、1806年に流行した黄熱はジェイコブの命を奪ってしまう。彼は死の間際に娘のエリザの面倒をピーターに託した。その当時のピーターは25歳でエリザはほんの14歳だった。彼らは名前だけの結婚をし、ピーターは彼女をボルチモアの学校へ通わせることにした。遠距離恋愛となった彼らだが、2人の愛情は離れていても強く結びついていた。数年後にエリザが戻ってきた時、彼女は教養を身につけ、すっかり洗連された女性に成長していた。 ロザリー・マンションが完成したのが1823年。彼らは新しい家に移り住んだが、2人の間に子供はいなかった。しかしエリザは子供達のために養護施設の設立を手助けし、何人もの子供達を引き取った。ピーターの姪も彼の妹が亡くなった時に引き取り育てている。45年の結婚生活の末、エリザが1853年に黄熱で亡くなると、ピーターはその3年後に亡くなった。遺言を残さなかったので邸宅はオークションに掛けられる。1857年にアンドリュー・ウィルソン夫妻がロザリーを購入。彼らにも子供がいなかったが、数人の孤児を引き取った。
その後南北戦争が起こり、ロザリーは連合軍の本部となる。
ウィルソン夫妻の義理娘ファニーが1866年に結婚後、6人の子供を儲けロザリーの主人となった。
後にファニーの娘アニーがロザリーをミシシッピー州DAR協会(愛国婦人会)へ売却。彼女はそこに住みながら邸宅見学ツアーを行っていた。
現在ロザリーはDARが管理している。
ロザリーの管理状態はとてもよく、オリジナルの家具が揃っている。何人もの人手に渡ることなく、空家状態になることもなく、南北戦争で強奪や破壊されることもなかっただけある。
ガイドさんに勧められて古いピアノを弾かせてくれた。こんな機会はなかなかないかもしれない。
ただ最初のツアーだったこともあり、全部の電気がつけられておらず、写真が全体的にブレて暗いものになってしまった。
そしてここにもぬし猫がいた。
つづく
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