食道がんの日記

定年退職目前にガン発見・・・

手術

2005年12月15日 午前9時 手術開始

手術当日、私達は7時30分位に父の病室へ入りました。
父は既に弾性ストッキングも履いていて、準備は万端のようでした。
母と夫と私で父のベッドに近寄ると、父は緊張しているのか
機嫌が悪いのか挨拶もしてくれません。
お向かいのベッドの方が父の緊張を和らげようと
「麻酔で眠ってしまえば、後は目がさめれば何もかも終っています。
あっというまですよ」
と声をかけてくれました。
彼はあと数日で退院が決まっていた手術の先輩でした。

8時30分 看護師さんが手術前の処置をしにきました。
私達は病室から出され、廊下で待っていました。
何かの管を入れたのか、父の物凄く辛そうな声が聞こえてきました。
その後、緊張を和らげるための薬を注射され
ストレッチャーに乗せられた父が病室から出てきました。
注射が効いていて父は軽いいびきをかいていました。
そのまま手術室の近くで待機し、いよいよ出発です。
手術の開始時間はみな一緒なので、沢山の患者さんが
手術室の近くで待機しています。
父に声をかけたかったのに、父はいびきをかいていたので
なんとなく物足りない見送りになりました。

それから私達は入院している病棟で手術が終るのを待ちました。
午後9時が過ぎ、病棟は消灯時間です。
廊下の電気も消されてしまい、暗い中でまだまだ待ちます。
午後10時30分過ぎ、やっと父の手術が終わりました。
13時間30分・・・ヨーロッパまで行ってこられる時間です。
長い。。。。。


その後、担当医より術後の説明がありました。
医師は白いタッパーを持っていました。
蓋を開けると、矢印型した食道がピンで止めてありました。
おぉ、これが食道か!なんて見てしまいました。
その他に、胆のうと沢山のリンパも見せてもらいました。
目に見えているガンはすべて取り除けたという事。
しかし、目に見ていないガンがあるかもしれないがとも言われました。

最後にICUにいる父の顔を見て、私達は病院を後にしました。
今日はこのまま薬で眠ったままだというので
翌日は意識の戻った父との体面になる予定でした。
しかし、父は少しだけ意識を取り戻し
その後10日間は眠る事になるのでした。

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手術前日

こんばんは。
しばらくサボってしまいました。
今日は手術の前日の事を書きたいと思います。

19:00より明日の手術の説明の約束があったので、
母と病院へは夕方着くように行きました。
病室へ入ると父の首からポシェットがぶら下がっていました。
(何かの機械が入っていました)
手術の前日ですから、きっと父は緊張していたのでしょう。
どことなく雰囲気が硬く、言葉も少なかったです。

担当医より明日の手術の説明の時間になりました。
父と母との3人で担当医と向かい合う形で席に着きました。
医師はどのような方法で食道にある癌を切除するのか、
その際に胆のうを摘出するが、その理由などを丁寧に説明して下さいました。
その説明はあまりにもリアルで私は聞いていて気分が悪くなりました。

そして父はその説明を最後まで黙って聞いていました。
明日は自分がその手術を受ける・・・
その晩、父は眠る事ができたのでしょうか。
きっと一人で不安や恐怖心と闘っていたのでしょう。

私達家族にとっても、不安で一杯な状況でしたから
誰もその時の父の気持ちを察する余裕は全く持てなかったのです。
2005年12月15日、いよいよ手術です。

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四十九日を終えて

1月27日 四十九日の法要を終えました。

父の葬儀を行った場所で、法要もとり行いました。
お骨、遺影、仮位牌、本位牌を持って家を出発し、
帰宅後、本位牌は新しい仏壇の中に納まりました。
実は、まだお墓の石が建っていないので、納骨はお彼岸の頃にする事にしています。

父が亡くなってからあっという間でした。
でも、生活が落ち着いてくると父のことを思い出す事が増えました。
そのせいなのか、父が夢に出て来た事が1度だけあります。
まだガンに侵される前の父でした。
濃いグレーに青が入ったセーターは、父が昔よく着ていたものでした。
父は何も言ってくれませんでした。
ただ黙って私を見ていました。
何か一言でも話してくれたら良かったのにと、今でも思ってしまいます。

また夢に出て来たら、今度は私から話かけてみます。

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