■舶 乗り丸の内日記■

丸の内勤め 船乗りの日記。(「舶 乗りロン ドン生活」改題)

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岩国

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岩国というのは初めてだ。
初めてだが、どこにもある地方都市と同じで、駅前は全国チェーンの居酒屋とかコンビニエンスストアとか、量販電気店があって、かわりばえしない。

同じ英語圏でも、英国と違い米国はどの街も同じような感じで高いビルが10個ほど群れているのが中心地で、そんな都市ばかりで、日本も同じような姿になった。
それなりに特色がある地方都市は、日本においては京都くらいのものか。それでも駅前は、タワーのほかもう特色というほどのものはない。
米国だとどうだろう、ニューオーリンズとサンフランシスコ、これらは違った。

日本にまだ知らない、しかし駅前からしてオリジナリティある街があるだろうか。
わたしが都道府県別で足を踏み入れていないのは、(たぶん)沖縄と青森だ。
青森は他の都市と違うか。弘前は。いろいろ思うが、わからない。
沖縄は大きな鉄道駅はないので、違うのだろう。
実際には、都市化の遅れた田舎の一部だけがそこだけにしかない風景を維持している、そんなことかもしれない。

日本にもまだ訪れていない地が多くある。
たとえば、金沢に行ったことで石川のすべてが分かるということにはならないことは明らかで、そうすれば都道府県別で制しても、ひとつの目安、自己満足に過ぎないのだと思う。

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2012シーズンスキー (2)

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ゴールデンウィークまで滑った。
土日の白馬の他、平日日帰りで山梨や南信のスキー場にも足を運んだ。
しかし冬のすべての休日を滑りに充てることはかなわず、結果としてこのシーズンは45日間の滑走となった。

いま、スキー連盟の提唱するスキーの滑り方というものが迷走している。
今年開催の技術選手権でも、真に上手いエキスパート達が、八方名木山中壁のバーンで大勢失敗していた。
かれらにしてみれば難易度が高くない斜面であったにもかかわらず、連盟の課題を忠実に表現しようとする選手ほど滑りがどこかで破綻しており、要するに求める内容がおかしいと思われる。

わたしの方は、合格を目指すクラウンプライズで、選手権ほどではないにせよ、そのような連盟の指し示すものを表現しなければならない。
具体的には、楽に滑らなければならないため、力感を出してはいけない。
特にターン前半で体軸をストレートに傾けたシルエットが出てこなければならず、これは一昔前で「内到」として否定されていた格好だ。
またターン後半は圧の開放を早め、スキー面がターンをやめる方向に早めに返し始めなければならない。

わたしは今の連盟の言う滑りのすべてを受け入れる気にはならない。
しかし、要素としては正しいと思う面もある。
そして何より、目指すレベルの合否は、連盟の言う「自然で楽なスキー」という着目点で判断される。
そのため、自身の実質の上達を、そのような要素の表現に置いてがんばるということにしてすごした。

結果、いろいろ細かな技術の上達はしたと思う。
特に苦手だった不整地も、それなりに恐怖感なく入ることができるようになった。

2月、検定の事前講習を受講した。
そのとき、全般的に、かなり昨シーズンよりいい好評を得た。
しかし、まだまだだ、とも思った。
検定は絶対的な滑り手のレベルを評価することになっている。
しかし、検定会場も会場の雪の条件も、都度すべて異なる。
また受検者も検定ごとに同一ではなく、しかし受検者のほとんどは不合格だ。
合格するためには、自身の絶対的なレベルの他に、受検者たちの中で相対的に自分が抜き出ていないと無理である。
わたしはその受講者の誰にも劣っていなかったが、抜け出ているという程でも無かったのだ。

3月、4月と滑りこみ、その期間にもいろいろつかんだものがあったが、撮影して見ると確かにテクニカルはどこでも十分合格しそうであったが、クラウンで十分なレベルか・・・甘く見て引っかかるかどうかだ。
結局、ついに自分が満足するところにまでは達しなかった。
ゴールデンウィークは春スキーで、娘と軽く滑って終始し、シーズンを終えた。

もう一段階、もう一段階レベルを上げる、そう言うヒントはあり、自分の滑りたい滑りというもののイメージもある。
来シーズンこそ、と思う。
もう40を超えて、毎年が最後のチャンスだし、このまま来シーズン滑走日数を稼ぐことが人生の至上命題、というに等しい。

だが、そろそろわたしの陸上勤務は終わる頃だ。
もしこの夏海上に戻るとすれば、来季は船乗りの休暇でスキーができる。
しかし海上復帰が秋や冬にずれ込むと、乗船が冬となりスキーは全滅で、であるならば春まで陸上勤務をし、今季のように土日スキーで過ごした方がましだ。

人事異動というのは、予期できない面があり、祈りたい心境だ。

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2012シーズンスキー

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年明け、商事初めのオフィスに向かう電車の中、わたしの持つ吊り革の下に座る女性がわたしの顔を何度も見やる。
そんなにこの女性はわたしが気になるのか・・・それはその通りだが、気になる理由は分かっていた。

すでにここまでにわたしの顔は雪焼けし、スーツや通勤コートの似つかわしくない色合いに変貌している。


12月半ばまで本州にまとまった降雪はなく、初滑りをいつ果たせるのか、わたしの気持ちは逸った。
オープンしたゲレンデはあるにはあったが滑走可能エリアは狭く、満足の行くスキーができる状態ではなかった。
わずかに北海道には全面滑走可能なスキー場が多かった。
北海道のスキー場はリフト券ほか宿泊など物価が安く、特に本州では聞いたことの無いスキー場は破格、その上規模が本州の中規模スキー場を越えるものがある。
北海道の場合ネックとなるのが飛行機代で、しかしわたしの場合は余ったマイルがあり、これを妻の承諾を得て使うことにし、フライトの空きを探した。

果たして旭川行きの往復フライトが取れ、4日間、郊外の有名で無いスキー場、しかし十分すぎるほどの距離と雪質を楽しんだ。
この旭川は貧乏旅行で、レンタカーだけは借りたものの食費も切り詰め宿もおんぼろだった。言うまでも無くとても家族と一緒だったら許されないレベルの旅だ。
気温は低く、しかしそれだけにいい雪で今年考えていた滑りの課題を反復練習することができた。

旭川からの帰り、空港で旭川ラーメンを注文しフライトを待った。
しかし、関西人のわたしにもそのラーメンは味が薄く、カウンターに並んでいるどの調味料を足しても味の改善がない。
単身赴任の寮に帰り、わたしはもしやと思い冷蔵庫の上の自身の味塩を手に取りなめてみた。
案の定、塩味をまったく感じない・・・わたしは極寒の地で思わず消耗し、わずか4日間の侘しい食生活を送ったがために必要な微量栄養成分が欠け(たぶん亜鉛)、味覚障害に陥っていたのである。

それでもその味覚障害はカキフライを翌日食べ、また一晩眠ると元に復していた。
健康だけがとりえのわたしだがこのようなことを経験したのは初めてで、あらためて人間の体は食生活で得た栄養に正直に反応するのだ、と思った。

北海道初滑りのあと、年末年始は白馬で家族と過ごした。
通常は、かつてインストラクターをしていた八方尾根で滑走するのだが、滞在の一週間のうち八方に滑ったのは1日だけで、岩岳やコルチナなど近隣を中心に行脚した。
リフト代が比較的安いのと、娘がまだプルークスタンスで、緩斜面の多いスキー場の方が適していたからだ。

正月休暇が明け、十分に初すべりの段階を経たわたしは、だんだんと変えたつもりの滑りを洗練させる方向で組み立てを重ねた。
たまった有給は冬に使う・・・そのような姿勢は、いいのか悪いのか会社の部下にも上司にも知られており、わたし自身(それが気に入らないなら勝手に配置転換でも何でもしてみろ)というような開き直りの気持ちがある。
気兼ねなくすべての業務を部下に振り、上司の誘いの新年会にも、平日であってもスキー予定が入っている場合はノーといった。
(ゴルフ好きは出世できるがスキー好きは無理なのはこんな所が原因だ。スキーは魔物だ)

新潟の友人と合流し上越に、また隣の商社に勤める友人と白馬に、1月末までに何とか20日滑ることができた。
シーズンが4月に終わるとして、まだ3ヶ月残存しており、おそらく滑走日数は震災のような事態が再び起こらない限り50日を越えるだろう。
だが、いい雪で滑ることができるのは、せいぜい2月半ばまでである。
その意味で、スキーヤーのシーズンは短い。

いい雪はさまざまなすべりを可能としてくれるが、その中で自身がそれまでできなかった技術の習得に励む、今はまさにそんな段階にある。

具体的には、今年は内脚の仕事を昨年までより倍増させた。
ターン中盤の内傾角を求めるターンは、ターン終盤得るものが無く切り替えに時間がかかるので、それよりは遠心力でターン外側に放り出される重心をうまく切り替えに利用、抜けを表現できる滑りに、考え方を変えた。
また、ターン前半、作用点より重心が谷側に存在させるべき瞬間を如何に長く作ることができるのか。
そんな所を、今年は追っている。


今の仕事はくだらない。
特に、山に行けば雪が積もっているのが明らかなこのシーズンに、船乗りのわたしが丸の内のオフィス街で与えられた席に座っている、このことほどのストレスはない。
住んでいる横浜から勤めのある東京への通勤は、世の中で最悪の通勤で、ギネスブックにも認定されているほどだ(うそ)。

それでも週末と時々平日、雪上に立つと、その日がたとえ吹雪や曇りでも、例えようもない幸福感で満たされる。
斜面を滑りだすと、同じ斜面でもいろんな雪を感じる。常に違う雪だ。
ほとんどの滑りが、どこかで失敗を含んでおり、自身満足の行く一本は、たとえ今のようないい雪のコンディションでも稀である。
スキーはかんたんだが、上を目指すとこれほど難しいものはない。

スキーを始めた翌年2級を取得し、2級を取ったその年に1級であと一種目、というところまで到達した。
そこから3シーズンかけてその上のテクニカルプライズを取得したが、依然クラウンは遠い。
体力は、鍛えることでナマった体をある程度反応できるようにできるが、それでも40を超えて年々衰えてくるはずで、そもそも若いときから運動神経の劣っていたわたしにおいて、もうほとんどクラウン合格の可能性は無いと思える。
だが人生は一度だし、一通りにしか生きられないものである以上、今から若いときに後戻りはできない。
選択としては、今の瞬間から挑戦をするのか、それともあきらめるか、のどちらかであり、後者の場合、今以上の可能性が芽生えることはない、そう思っている。


残念ながら今のわたしは、仕事の上ではやりたくもないくだらない中間管理職の典型のような状態だが、いずれは望んだ海に帰ることができる(はずだ)。
その上健康で、趣味のスキーをそれなりにできており、まあ大きな不満は言えないな、と思っている。


遅くなりましたがあけましておめでとうございます。

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ロンドン パリ (7)

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欧州では見かけから完全に異邦人の日本人には時々冷たいが、ロンドンではそれより多くの頻度で懐かしく温かい経験をする。
それはわたしが以前ロンドンに住んでいたからである。
組織の一員として社の命に従って業務をさせてもらってきただけだが、それにしても、船乗りとして最近なかなか船に乗せてもらえないが、一応幸せな人生を送っているほうだと思うことにした。
家族もみな、住んだこの土地を嫌いにならずにすごせたことが何よりだ。

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ロンドン パリ (5)

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ロンドンのこの時期はクリスマス一色で、日は短く寒い。
東京勤務になっても新たに手に入れたスーツはほとんどなく、持っているものは、すべて夏物だ。

ロンドン時代、いつもこの時期は寒い思いをしてノースフィンチリーから遅延や信号故障を繰り返すノーザンラインにのって通勤していた、思い出した。
船長として船を動かすことのほか、自身の経験と知見に基づいて港湾や事故を調査し、船を監督するなどして評価されたロンドン時代は、今思えば充実していた。
そのように一人で飛びまわってする仕事が自分には向いていた、少なくとも組織や政策を扱う今の自分よりは、うらやましがられる立場にいたと思う。

しかし懐古しても詮無いことで、わたしはわたしに与えられた仕事を誠実に行うしかないことは知っている。

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