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年明け、商事初めのオフィスに向かう電車の中、わたしの持つ吊り革の下に座る女性がわたしの顔を何度も見やる。
そんなにこの女性はわたしが気になるのか・・・それはその通りだが、気になる理由は分かっていた。
すでにここまでにわたしの顔は雪焼けし、スーツや通勤コートの似つかわしくない色合いに変貌している。
12月半ばまで本州にまとまった降雪はなく、初滑りをいつ果たせるのか、わたしの気持ちは逸った。
オープンしたゲレンデはあるにはあったが滑走可能エリアは狭く、満足の行くスキーができる状態ではなかった。
わずかに北海道には全面滑走可能なスキー場が多かった。
北海道のスキー場はリフト券ほか宿泊など物価が安く、特に本州では聞いたことの無いスキー場は破格、その上規模が本州の中規模スキー場を越えるものがある。
北海道の場合ネックとなるのが飛行機代で、しかしわたしの場合は余ったマイルがあり、これを妻の承諾を得て使うことにし、フライトの空きを探した。
果たして旭川行きの往復フライトが取れ、4日間、郊外の有名で無いスキー場、しかし十分すぎるほどの距離と雪質を楽しんだ。
この旭川は貧乏旅行で、レンタカーだけは借りたものの食費も切り詰め宿もおんぼろだった。言うまでも無くとても家族と一緒だったら許されないレベルの旅だ。
気温は低く、しかしそれだけにいい雪で今年考えていた滑りの課題を反復練習することができた。
旭川からの帰り、空港で旭川ラーメンを注文しフライトを待った。
しかし、関西人のわたしにもそのラーメンは味が薄く、カウンターに並んでいるどの調味料を足しても味の改善がない。
単身赴任の寮に帰り、わたしはもしやと思い冷蔵庫の上の自身の味塩を手に取りなめてみた。
案の定、塩味をまったく感じない・・・わたしは極寒の地で思わず消耗し、わずか4日間の侘しい食生活を送ったがために必要な微量栄養成分が欠け(たぶん亜鉛)、味覚障害に陥っていたのである。
それでもその味覚障害はカキフライを翌日食べ、また一晩眠ると元に復していた。
健康だけがとりえのわたしだがこのようなことを経験したのは初めてで、あらためて人間の体は食生活で得た栄養に正直に反応するのだ、と思った。
北海道初滑りのあと、年末年始は白馬で家族と過ごした。
通常は、かつてインストラクターをしていた八方尾根で滑走するのだが、滞在の一週間のうち八方に滑ったのは1日だけで、岩岳やコルチナなど近隣を中心に行脚した。
リフト代が比較的安いのと、娘がまだプルークスタンスで、緩斜面の多いスキー場の方が適していたからだ。
正月休暇が明け、十分に初すべりの段階を経たわたしは、だんだんと変えたつもりの滑りを洗練させる方向で組み立てを重ねた。
たまった有給は冬に使う・・・そのような姿勢は、いいのか悪いのか会社の部下にも上司にも知られており、わたし自身(それが気に入らないなら勝手に配置転換でも何でもしてみろ)というような開き直りの気持ちがある。
気兼ねなくすべての業務を部下に振り、上司の誘いの新年会にも、平日であってもスキー予定が入っている場合はノーといった。
(ゴルフ好きは出世できるがスキー好きは無理なのはこんな所が原因だ。スキーは魔物だ)
新潟の友人と合流し上越に、また隣の商社に勤める友人と白馬に、1月末までに何とか20日滑ることができた。
シーズンが4月に終わるとして、まだ3ヶ月残存しており、おそらく滑走日数は震災のような事態が再び起こらない限り50日を越えるだろう。
だが、いい雪で滑ることができるのは、せいぜい2月半ばまでである。
その意味で、スキーヤーのシーズンは短い。
いい雪はさまざまなすべりを可能としてくれるが、その中で自身がそれまでできなかった技術の習得に励む、今はまさにそんな段階にある。
具体的には、今年は内脚の仕事を昨年までより倍増させた。
ターン中盤の内傾角を求めるターンは、ターン終盤得るものが無く切り替えに時間がかかるので、それよりは遠心力でターン外側に放り出される重心をうまく切り替えに利用、抜けを表現できる滑りに、考え方を変えた。
また、ターン前半、作用点より重心が谷側に存在させるべき瞬間を如何に長く作ることができるのか。
そんな所を、今年は追っている。
今の仕事はくだらない。
特に、山に行けば雪が積もっているのが明らかなこのシーズンに、船乗りのわたしが丸の内のオフィス街で与えられた席に座っている、このことほどのストレスはない。
住んでいる横浜から勤めのある東京への通勤は、世の中で最悪の通勤で、ギネスブックにも認定されているほどだ(うそ)。
それでも週末と時々平日、雪上に立つと、その日がたとえ吹雪や曇りでも、例えようもない幸福感で満たされる。
斜面を滑りだすと、同じ斜面でもいろんな雪を感じる。常に違う雪だ。
ほとんどの滑りが、どこかで失敗を含んでおり、自身満足の行く一本は、たとえ今のようないい雪のコンディションでも稀である。
スキーはかんたんだが、上を目指すとこれほど難しいものはない。
スキーを始めた翌年2級を取得し、2級を取ったその年に1級であと一種目、というところまで到達した。
そこから3シーズンかけてその上のテクニカルプライズを取得したが、依然クラウンは遠い。
体力は、鍛えることでナマった体をある程度反応できるようにできるが、それでも40を超えて年々衰えてくるはずで、そもそも若いときから運動神経の劣っていたわたしにおいて、もうほとんどクラウン合格の可能性は無いと思える。
だが人生は一度だし、一通りにしか生きられないものである以上、今から若いときに後戻りはできない。
選択としては、今の瞬間から挑戦をするのか、それともあきらめるか、のどちらかであり、後者の場合、今以上の可能性が芽生えることはない、そう思っている。
残念ながら今のわたしは、仕事の上ではやりたくもないくだらない中間管理職の典型のような状態だが、いずれは望んだ海に帰ることができる(はずだ)。
その上健康で、趣味のスキーをそれなりにできており、まあ大きな不満は言えないな、と思っている。
遅くなりましたがあけましておめでとうございます。
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