保土ヶ谷宿〜戸塚宿(1)
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11時50分に神奈川新町駅を出発、保土ヶ谷宿に到着して休憩のためJR保土ヶ谷駅脇のマックに入ったのが13時35分。15分ほど休んで再び戸塚宿に向けて歩き始めました。 通称金沢横町。金沢八景方面への脇往還の分岐点です。道標が並んでいます。 JR東海道線の踏切を渡って旧道が国道1号と合流する地点に、保土ヶ谷宿本陣跡があります。当主軽部氏が現在でもお住まいのようです。古そうな家屋ですが、もちろん当時のものではありません。塀の中に見える門は本陣だったころのものだそうです。本陣とは、宿場に設置された宿泊施設の中で最高の格式を持ち、公家、大名、幕府の公用役人だけが泊まることができました。地元の名家の家屋が本陣に充てられて、一つの宿場に複数の本陣が置かれることもあります。軽部家は小田原北条氏家臣刈部氏の子孫で、代々保土ヶ谷宿の問屋・名主も兼ね、明治期に刈部から軽部に改称したそうです。 本陣が満員のときに使われるのが脇本陣。本陣と脇本陣には特権として門、玄関、書院を設けることが許されました。脇本陣は通常は一般の旅籠として営業することができましたが、本陣は要人以外宿泊することができないので、経営的には苦しかったようです。 旅籠本金子屋跡。こちらは一般的な旅籠屋です。現在の建物は明治2年に建て替えられたものだそうです。 国道沿いにしばらく進むと、左手に外川神社があります。道路脇に日本橋から8番目の一里塚(最近再建されたもの)と上方見附跡案内板があります。 外川神社を過ぎてしばらくすると道が二つに分かれます。旧道は右の細道です。更に進んでT字路を左に曲がり、今井川に架かる元町橋を渡るとすぐ右手に権太坂の登り口があります。 権太坂。名前は聞いたことはありますが、この権太坂は中々手ごわいです。改修されて傾斜は往時より緩やかになっているものの、とにかくいつまでもダラダラと坂が続きます。昔は東海道を上る際の最初の難所と言われるのもうなづけます。 権太坂から横浜方面を眺める。左端にちょこっと見えるのは、みなとみらい地区の横浜ランドマークタワーです。 権太坂を登りきった場所にある境木地蔵。武蔵国と相模国の境界地点です。相模国=神奈川県ではないんですね。現在の川崎市の全部と横浜市のほとんどは武蔵国だったとあらためて気づきました。そう言えば、神奈川県内なのに武蔵小杉とか武蔵溝ノ口なんていう駅もあるもんな〜。 |



