老人ブログ80

ブロク開設以来6年を過ぎ、すっかり種切れとなりました。今後は単なる健康日記として続けたいと思いますのでたまに覗いてください。

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90歳の新人映画監督 1

今日と明日は、長年「映画美術監督」として200本以上の映画を手がけられた木村威夫さんが、90歳になってはじめて直接、監督として「夢のまにまに」を制作されるまでに至ったお話である。

木村さんは大正7年(1918年)のお生まれで、今年90歳になられる。

今日は昭和20年の敗戦に至る時までのお話であったが、8歳違いの私には偶然ごく近くにおられた木村さんの、そのときどきの場面が身近に浮かび大変興味深かった。

木村さんは恵比寿の映画館の家に生まれ、二三歳の頃から年中 映画を見て育ち、上映される映画のストーリーから俳優まですべてを覚えてしまった。

昭和9年(16歳時)に宝塚のレビューをみたり、翌年にはシラノベルジュラックのフランスのパリのすばらしい舞台風景を観てすっかり感激し、以来、舞台作りの途に進む決心をされた。
(当時、私も母と知り合いの若いおばさんに連れられて宝塚を見に行ったことがあるが、うぶな少年には刺激が強すぎて辟易した覚えがある。)

そこで木村さんは伊藤喜朔先生の下に強引に入門し、次第に補助的な仕事を与えられるようになった。

昭和16年には、日活多摩川撮影所に入社し、安い給料(月給45円)と乏しい食糧事情の下、台本にもない「オランダの風車の回る風景」などを工夫しながら作り、戦時下を細々と過した。

昭和18年頃、軍幹部がシンガポールで押収した映画「風と共に去りぬ」や「独裁者」を秘密裡に観ているところを垣間見て、カラー映像など当時の日本の映画とは格段の差があることを知り、「この戦争は必ず負ける」と感じた。(私は戦争直後にダービンの「春の調べ」を見て感激した。)

昭和19年の夏、丙種合格だった木村さんにも、ついに召集令状が来て、横須賀海兵団に入隊した。(私は昭和20年に第二乙種合格、以前なら丙種。)

過酷な訓練の中でも木村さんは、上官に気に入られ、靴擦れを理由に前線送りを免れ、同期150人の仲間から外された。(仲間は全員硫黄島に送られ戦死してしまった。)

帰ってから、敗戦直前に杉村春子が主演する「海の呼ぶ声」(実態は徴兵拒否の映画)を初めて美術監督として作り、20年秋に公開されたが、当時は誰も見てくれる余裕は無かった。

20年春に下北沢の家を焼け出され、多摩川撮影所の社員寮に入れてもらった。

ここでなんとか三食にはありつけたが、仕事は無く、櫓の上に上がって空を見上げるだけだった。

当時、別棟では軍の秘密工場が作られていた。
(ちょうど同じ頃、私たちも撮影所のすぐ近くにある大きなお屋敷に疎開していた。)
(また私の親友も武山海兵団に招集され、運良くそこで終戦となり、大量の貯蔵物資を運んで帰ってきたことを覚えている。)

以上、今日は戦争前後の波乱に満ちたお話で本論は明日となった。


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今朝はラジオをタイムスイッチにしていたのでニュースは聞いたのですが、また眠りに…。フッと気がついたときには、終わりのころ。お年とは思えないほど、しっかりされておられ声にもツヤがありましたね。続きいは明日ですが、果たして…?です。

2008/12/21(日) 午前 8:58 阿多忙

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阿多忙さん、さすがに監督さんだけあってお話も面白く、敗戦直前に近くで同じ空を見ていたと聴くと、いろいろと当時のことを懐かしく思い出しました。

2008/12/21(日) 午後 0:50 [ tor*a*zu39*5 ]

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to*a*zu39*5さん、始めまして。チドレンという者です。

私は以前、日活芸術学院で「高村倉太郎」先生から教えを受けていたものです。

現在、私は大きな病を抱え、闘病中です。病は時間はかかりましたが最近やっと快方に向かっています。

私は、高村先生が大好きでした。その言葉を今でも自分の指針として、時に様々な方に色々な場で披露させて頂いています。

そうした中でtor*a*zu39*5さんのページに辿り着きました。

私のブログにこのページを是非、載せさせて下さい。

2008/12/28(日) 午前 2:31 チドレン

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チドレンさん、コメントありがとうございます。
偶然、木村さんの「敗戦時」の頃のお姿が身近だったので、大変興味深くお話を聴きました。
お体の方、早く全快をお祈りいたします。

2008/12/28(日) 午前 10:37 [ tor*a*zu39*5 ]

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ご返答のコメントを下さり感謝します。

このページを読んだ時、以前高村先生が敗戦直後、その当時松竹の撮影助手だった高村先生は、「東京に食糧や物資が無く、食糧のある北海道にロケに行くと必ず、キャメラの三脚に鮭を3匹ほど隠して持って帰った」という話しを私にだけ教えて下さった事を思い出し、無性に泪が溢れました。

これからも、色々トラックバックさせて下さい。

2008/12/28(日) 午後 1:03 チドレン

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高村倉太郎、から繋がっていきました。

このページを読んでいるうちに、高村先生の事を思い出して、泪があふれ出ました。 現在、私がかなり制限のある状況の中、再び映画のことを、あるいはシナリオを書く勉強を始めたのは、村下孝蔵さんの生前歌っている姿を偶然Youtubeで拝見した瞬間でした。 孝蔵さんの実

2008/12/28(日) 午前 2:54 [ 村下・レッド・孝蔵さんの信奉者チドレン ]

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