岩佐徹のOFF-MIKE

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1441「ウインブルドン小史」07/06/22

ヤフーで見つけた記事です。
本来なら、すべての文末に“らしいです。”“だそうです。”“という話です。”とつけるべきですが、
煩雑なので割愛します。ハハハ。

<<<今では、単に“ウインブルドン”として知られ、世界でも最も有名なイベントになっていますが、
19世紀に始まったときにははるかに小さな大会でした。
ストロベリー&クリーム、テレビ放映、“ヘンマニア”…すべて1877年の第1回ローン・テニス選手権
大会から、相当時間がたってからのことです。

当初はもちろんアマチュアの大会で、行われたのも22人参加による男子シングルスだけでした。
男子ダブルスとともに女子シングルスが追加されたのは7年後の1884年、13人が参加しました。
人気上昇につれて観客のための施設も充実していきました。
とくに、1981年から89年にかけてシングルスとダブルスで13のタイトルを獲得した、地元の
レンショー兄弟の活躍が“永久型”のスタンド建設に大きく貢献しています。

残念なことに1905年にメイ・サットン(アメリカ:女子)、続いて1907年にはノーマン・ブルックス
(オーストラリア:男子)が優勝するなど、外国勢が大会を支配するようになり、これ以後、男子で
タイトルを獲ったイギリス人は、アーサー・ゴアとフレッド・ペリーの二人だけです。

チャーチ・ロードに移ったあと1922年には、9,989席プラス3,600人収容の立見席を持つセンター・
コート、24年には昔の1番コートが作られて、人気に拍車がかかります。
1927年には、最初の土曜日(6日目?)に22,000人が入場し、2,000人が断られました。1920年代は
毎年、フランス人の誰かが優勝し、イギリス人選手の活躍が見られなかった中での数字です。
ちなみに、このころのフランスには女子にはあのスザンヌ・ランラン(1919-23,1925優勝)、男子には
“4銃士”と呼ばれる名手たちがいました。ジャン・ボロトラ、ジャック・ブルニョン、アンリ・
コシェ、レネ・ラコステの4人で、1924-29年はこのうちの一人が優勝しています。

ウインブルドンで初めて短いパンツをはいてプレーしたのは1930年のブレーム・ヒリヤードです。
ただし、それは10番コートで、センター・コートでは3年後のバニー・オースチンが初めてでした。
1930年代にフレッド・ペリーやドロシー・ラウンドが活躍したイギリス・テニスの黄金時代には
ボール・ボーイが起用されるようになりました。
グレーのシャツ、グレーのロング・パンツ、グレーの…フェルトの帽子をかぶっていました!

第2次世界大戦中は、もちろん大会は行われませんでしたが、ウインブルドンは戦争遂行のための
さまざまな目的に使用され、1940年にはセンター・コートに爆弾が落ちて1,200席を失っています。
1946年に再開された大会が、戦前の姿に完全に戻ったのは1949年のことです。
50年代半ばまで続いたアメリカ支配のあとオーストラリアが取って代わりました。

1960年代、選手たちの多くは公式にはアマチュアでしたが、実際はITFが認める以上の金を手にする
“shamateur”(セミ・プロ)だったのです。1959年に主催者側が示した“すべての選手にオープンに
したい“との提案はITFとLTA(全英テニス協会)に拒否されています。
1967年に開かれたプロ選手を含む招待イベントはBBCによって初めてカラー中継され、その年の
後半にオープン化が圧倒的多数で可決されました。
1968年、オープン時代初の優勝者はロッド・レーバーとビリー・ジーン・キングでした。

1969年の1回戦、パンチョ・ゴンザレスとチャーリー・パサレルの試合は歴史に残るものになります。
Gonzales d.Pasarell  22-24 1-6 16-14 6-3 11-9…全部で112ゲームかかりました。もちろん、タイ
ブレークが導入される前ですが、当時インタバルで腰をおろすいすが用意されていなかったことを
思うとすごい数字です。いすが使えるようになったのは1975年からのことです。
タイブレークが導入されたのは1971年でした。

1977年、100周年を迎えたウインブルドンに花を添えたのは地元のバージニア・ウエードでした。
もっとも、女子シングルスの100周年はその7年後でしたが。(ナブラチロバが優勝)

サービスラインを判定する電子装置、サイクロップが採用された1980年にはビヨルン・ボルグが
5連覇しました。1881-1986年のウイリアム・レンショーの6連覇以来94年ぶりの覇偉業ですが、
レンショーの時代は、参加者の中から勝ちあがってきた選手と前年のチャンピオンが対戦する
“チャレンジ・ラウンド方式”でした。

130年の歴史の中で、数々の記録が作られては塗り替えられてきました。

1985年、17歳で優勝したボリス・ベッカーは“最年少”“ノーシードとして初めて”“ドイツ人として
初めて”のシングルス・チャンピオンになりました。

1987年、マルチナ・ナブラチロバは女子シングルスでは初の6連覇を達成し、90年には新記録となる
9回目の優勝を果たしています。
マルチナ・ヒンギスが15歳282日で最年少チャンピオンになったのは1996年でした。>>>


「えっ、終わりかい?!」・・・記事は、思わず声が出てしまうような唐突な終わり方をしています。
それほど新しい情報もありませんが、せっかく書いたので、更新しておきます。

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