岩佐徹のOFF-MIKE

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3188 黒田・ダルビッシュ 勝つ!〜イチロー&プホルスを圧倒〜12/05/14

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05/12のツイート
間もなく黒田がNYでマウンドに上がる。
1時間遅れてテキサスでダルビッシュも。
また登板時間がダブった。ハーフイニング
ずれてくれ。せめて、投球の瞬間だけでも。
ダルビッシュ対プホルス、黒田対イチローに
注目する。

…先週、一度は2人の登板日がずれたのに、またしても重なってしまった。
ニューヨークとテキサスの時差1時間は貴重だった。ハハハ。

粘りの投球で3勝目

黒田は19日ぶりの勝利をものにした。彼らしい“粘りのピッチング”だった。
1回にいきなりアクリーに先頭打者ホームランを浴びたときはどうなるかと思ったが、
まったく表情を変えることなく次のバッターに向かっていた。6回にもモンテーロに
ソロ・ホーマーを打たれた。どちらもopposite field(逆方向)へのホームランだったし、
打った瞬間はそれほど飛ぶとは思えない当たりだった。ただし、“流し打ち”ではなく、
しっかり、hard hit(強く叩く)していた。パワーの差…としか言いようがない。

ヤンキースがすぐに同点にしてくれた。援護点が少ない黒田にとっては有難い1点だ。
しかも、ヘルナンデスにとっては18試合ぶりの“初回の失点”だ。去年の7月22日、
レッドソックスに許して以来だから 貴重な1点だ。なんという立ち上がりの安定感!
黒田に少し分けてほしい。ハハハ。
…ただし、キャリアのデータを見ると1回の防御率がそれほどいいわけでもないこと、
黒田の1-3回の防御率は悪すぎることを付け加えておく。

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黒田は2回にも無死1・2塁のピンチを迎えたが、落ち着いて後続3人を断った。
最大のピンチは5回に2本のヒットとフォアボールで1死満塁になったところだ。
2番のライアンはともかく、そのあとに3番・イチローが控えていた。
黒田はライアンを変化球の連投で三球三振に打ち取り、イチローには1-1から外角に
沈むボールで当てるだけのサードゴロに仕留めた。この場面でのピッチングは本人も
納得しているはずだ。

試合はマリナーズが6回、今年 ヤンキースから移ったモンテーロのホームランで
勝ち越したと思えば、その裏のヤンキースは元マリナーズのイバネスが逆転3ラン・
ホーマーを放った。移籍が多いからこういうことはよくあるのだが、なかなか面白い。

6回を終了92球だったので、ジラルディ監督がどうするかと思ったが、16連戦が
始まったばかりということもあってか、7回のマウンドに上がった。
先頭打者を歩かせたところではボールの抑えが効かなくなっている印象があったので、
交代もあり得たと思うが、ジラルディは我慢した。メジャーの監督の忍耐心はすごい。
しかも、出塁したソーンダースが何を思ったのか初球に盗塁を試みて失敗した!

打順はトップだったし、“積極野球”を好むメジャーでもあまり考えられない作戦だ。
黒田はこの“ミス”とマーチンのピンポイント送球&ジーターのスーパー・タッチに
救われたと言ってもいい。
2死のあと ライアンに3-0となったときもアップアップに見えた。隣で見ていた妻に
「歩かせたら交代だね」と話した。次がイチローだったからだが、一つストライクを
とったあと、サードゴロに仕留めて7回を投げ切った。
結局、イチローを3打数ノーヒットと完ぺきに抑えたことが勝ちにつながった。
この3勝目は“勝ちとった”と言っていいだろう。

“見おろし”で5勝目

ダルビッシュについては一貫して“活躍する”と書いてきた。
日本での実績がすべて通用するわけではないが、彼の場合は 逆に“活躍できない”
理由が見つからなかったからだ。
しかし、まさか短い間にここまでメジャーに溶け込んでしまうとは思わなかった。
言葉の違い、風土・文化・習慣…初めは絶対に戸惑うはずの日米の違いにもまったく
動じるところはなかった。この日のピッチングには風格さえ漂っていた。

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1回にハプニングがあった。プホルズが思い切り振りまわしたバットがキャッチャー、
トレアルバの頭を叩いたのだ。治療のために間が空いたが、影響はなかった。
このとき、プホルズのバットは折れ、サードのファウルフライだった。胸元をついた
ボールにはそれだけの力があったのだ。2打席目も内角球でサードのファウルフライ、
3打席目は外角のストレートで空振り三振に打ち取った。有無を言わさなかった。

相手はメジャー屈指の好打者だ。ルーキーだった2001年から10年連続で3割、30HR、
100打点以上を続けたあと、去年は打率で1厘、打点で1点だけ及ばなかったという
ケタはずれのバッターだ。もっと“歯ごたえ”のある打者と対決したいと思って海を
渡ったダルビッシュにしてみれば“男の本懐”だろう。

1回裏のテキサスの攻撃中に強い雨が降り始めて長い中断になった。
30分ぐらいまでなら続投もあるが、この日の中断は2時間に及んだから、メジャーの
“常識”では 当然、再開時には別のピッチャーが投げる。
しかし、妻の買い物に同行して帰宅したとき、なんと、テレビの画面にはブルペンで
投げるダルビッシュが映っていた!1回の投球数は16球だったから、次の登板までの
“調整”のために少し投げておこうということだと思ったが、違った。

2日前の試合が雨で中止になり、前日、ダブルヘッダーを戦ったあとボルチモアから
ダラスに戻ったのはおそらくこの日の未明だったのだろう。
しかも、レンジャーズのスケジュールは前日から14日間連続でプレーする(2日前の
降雨中止がなければ20連戦だった!)という厳しいものだった。
投手事情が苦しいことを知った上で続投を承諾した、あるいは申し出たのだろう。

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再開時、テキサスのリードは1点だったが、ダルビッシュの“男気”に呼応したのか
強力打線は得点を積み重ね、攻撃が終わってマウンドに向かうとき、点差は6点まで
広がっていた。
6回1/3、2本のホームランで3点を失ったが、“役割”はしっかり果たした。

翌日の試合でエンジェルスの先発はまたしてもウイルソンだった!
22球だったが前日の試合でも先発して中断まで投げていた。めったにないことだ。
2日続きの先発は2002年以来だという。
ただし、レンジャーズのピッチャー、アーロン・マイエットは前日の試合でわずか
2球を投げただけだった。退場させられたのだ。ハハハ。

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3186 競馬実況挫折・FAカップ〜岩佐徹的アナウンス論39〜12/05/13

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・・・つづき

スポーツ ひとすじ

わずか3回で番組をおろされた…考えすぎでしょうが、まわりのみんなが薄ら笑いを
浮かべて私を見ているような気がして かなりつらい時期でしたが、幸いだったのは、
私にはスポーツという“逃げ場”があったことです。
そのころの、フジテレビ・アナウンス部には 小篠、鳥居、山田、横堀、塚田と5人の
先輩がスポーツアナとして活躍していました。野球、ボクシング、競馬がメインです。
野球はスポーツアナの基本中の基本ですから、当然 勉強するにしても、中継本数は
少なく、総合的な力を求められるため、当分 出番は考えられません。
ボクシングは好きでよく見ていましたが、上に3人もいたのでは、これもチャンスは
なかなか来ないなあとためらっていた2年目の3月に、「競馬をやってみないか」と、
部長に言われました。

競馬実況 挫折

その年の4月から土、日の夜に「競馬ダイジェスト」という番組がスタートするため、
競馬アナウンサーを増やしたいという思惑があったようです。
マージャンは大好きでしたが、その他の賭け事はほとんどやったことがなかったため、
内心「困ったなあ」と思いました。しかし、命令は断われません。

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毎週、週末の競馬場通いが始まりました。
デンスケと呼ばれる小型のテープレコーダーで、まずレースが追えるようになるため、
各レースの実況練習です。
…始めてすぐに、困ったモンダイがふたつあることが判りました。

ひとつは、馬の名前がなかなか覚えられないことです。
「馬券を買うと、自然に頭に入るよ」とのアドバイスの実行は、結婚したばかりで
こづかいが充分ではない私には 言われるほど簡単ではなかったこと。

これは努力次第で何とかなりそうでしたが、もうひとつはもっと深刻でした。
レースそのものは少しずつですが、追えるようになっていきます。
しかし、ゴールのあと、レース“展開”を振り返ろうとしても、思い出せないのです。
スタート直後、先頭に立った馬がそのまま逃げ切ったレースなら問題ないのですが、
激しく順位が入れ替わったレースだと、勝った馬が初め、どのあたりに位置していて、
どこで仕掛けて……などが記憶されていません。

大した経験はなくても「これは競馬実況をする上で“致命的”な欠陥ではないか」と
思わざるを得ませんでした。
しかし、能力はともかく、数として期待されているのは分かっているだけに、ここで
「辞めたい」とは とても言い出せるものではありません。
かと言って、このまま続けていても、いつの日にか そう申し出ることになりそうな
感じがありました。その方が余計に迷惑をかけるのではないか?と迷いました。

ちょうどそのころ、競馬は地方開催の時期になっていました。競馬担当アナとしては
“3番手”だった私は予算の関係で行くことができず、しばらく競馬から離れる形に
なってしまったことも“不運”でした。
結局、夏競馬が終わるころ、鳥居先輩のところに恐る恐る話をしに行きました。
「勝手なことを言うな」、「わがままだ」と言われることを覚悟していたのですが、
意外なことにあっさり、「そうか、わかった」の一言で了解してもらえました。

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多分、スポーツ部のディレクターたちや鳥居さんの間でも、競馬アナとしての私の
資質について疑問視する声が出ていたのでしょう。その年に入社したばかりの後輩が
積極的にやる気を見せていたことも私にとっては幸いだったかもしれません。

次に目を向けたサッカーでした。
東京オリンピックで代表チームが健闘し、翌65年に日本リーグ(Jリーグの前身)が
スタートして少しブームになっていました。
フジテレビではまったく中継していませんでしたが、とりあえず、先輩が誰も手を
つけていない種目を勉強しておこうかという気持ちでした。
勉強といっても、せいぜい東京12チャンネル(現テレビ東京)で放送中だった人気番組、
「ダイヤモンドサッカー」を欠かさず見たり、外国から代表チームや強豪クラブが
来るたびに競技場に駆けつけたりする程度のことでした。

FAカップ実況

ところが、1970年ごろ、スポーツ部から突然、「今度、FAカップ(イングランドの
カップ戦)をやることになったからヨロシク」という話が来ました。
FAカップと言われても、何のことやら見当もつかず途方にくれました。ハハハ。
懸命に資料を集め、最後は顔見知りだった12チャンネルの金子勝彦アナウンサーに
ロスマンのイヤーブックをお借りする図々しさまで発揮して放送に臨みました。

切羽詰ったとは言っても、この業界で他局の先輩アナウンサーに資料を借りるなど
あまりないことですから、金子さんもさぞかし驚かれたことでしょう。
若いころから資料がないと不安なタイプでしたが、ずいぶん無鉄砲なことをしたと
今になって冷汗が出る思いです。ハハハ。

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解説は長沼健さん(元サッカー協会会長)でした。
スポーツ部の担当はサッカーに興味があるわけではなく、たまたま 安い売り込みが
あったから買ったに過ぎないという若いディレクターでした。ボールを蹴った映像と
受ける映像とが角度的に合えば、その間の4、5分をカットしてしまうという乱暴
極まりない編集をするのに閉口した覚えがあります。ハハハ。

つづく・・・

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3174 フジテレビ受験・同期生〜岩佐徹的アナウンス論36〜12/04/29

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・・・つづき

フジテレビ入社

1962年6月のある日、放送研究会の仲間だった西橋正泰君と 当時は河田町にあった
フジテレビに向かいました。この日、アナウンサーの願書受付が始まったのです。
土砂降りの雨の中 到着すると、まだ受付の準備が整っていませんでした。
いまほどではなくても、“アナウンサーの試験”ですから、当然、行列ができていて
10番目か20番目だろうねと話しながら行っただけに、いささか拍子抜けでしたが、
譲り合った末に、私が1番、西橋が2番で受け付けを終えました。

数日後におこなわれたのは簡単な原稿を読むだけの1次音声テストでした。
控え室で目を通すと、「只管」という文字がありました。どう読むのかまったく判らず
あせりました。部屋に呼び込まれて、画面で見覚えのあった先輩アナウンサーの顔が
目に入った途端、ひざががくがくと震え出す始末です。ハハハ。
なんとか度胸をすえて、「只管」も「ただただ」と読んで終わらせました。
帰宅してから調べた結果、この字は「ひたすら」と読むことが分かりました。ただし、
私の人生でこの文字に出会ったのは、あとにも先にもこのときだけです。

この年の試験は、役員面接まで含めると7次ぐらいまでありました。
そのたびに、フジテレビの玄関ホールに張り出される結果の発表を見に行くのですが、
受験番号“1番”ですから、模造紙の左上隅に“1”がなければそれで終わりです。
分かりやすいといえばこれほど分かりやすいこともありません。ハハハ。
逆に、「なかったらどうしよう」と、毎回怖い思いもしました。
そして3次が終わった段階での合格者は、間がゴッソリぬけて1、2、147、235…と、
なっていました。147は露木君、235は能村庸一…2番の西橋をのぞくと、結果的に
同期になった顔ぶれです。

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入社もあと、先輩たちから、「1次音声の1番、2番が終わったとき、審査員みんなで、
今年はレベルが高いという話になったよ」と言われました。 
西橋君は役員面接の段階で受験を辞退して商社を目指しましたが失敗し、最終的には
NHKに入りました。地方と東京を行ったり来たりしつつ、やわらかい声とたくみな
読みとで活躍し、最後はアナウンス室次長までつとめた優秀なアナウンサーでした。

口はばったいですが、私もそれなりのアナになったのですから、先輩たちが“今年は
レベルが高い”と感じたのも無理はなかったと思います。ハハハ。
「あのとき、西橋が辞退してなかったらオレが危なかったね」…かなりあとになって、
言ったことがあります。露木が「いや、彼は報道系だったし、岩佐はスポーツだから、
落とされるとしたらむしろオレだったんじゃない?」と、応じました。
思えば、「もし西橋が辞退してなかったら」、露木か私のどちらかの、その後の人生は
大きく変わっていたかも知れません。思えば 人生の“分岐点”は実に微妙なところに
あったのだと実感します。

同期生

結局、男女あわせて700人が受けて合格したのは7人、倍率は100倍でした。
女性4人は残念ながら長続きせず、結婚などを機にあいついで辞めてしまいました。
当時のフジテレビの女性アナには2年契約という“前近代的な縛り”がありました。
最長でも4年でアナウンサーをやめることになっていましたから、やる気を起こせと
言っても無理があったと思います。

露木は早稲田、能村は青山学院のそれぞれ放送研究会の出身でした。
両校のクラブ同士が仲良しだったこともあって、入学間もないころから、「早稲田に
露木あり」という噂は聞いていました。
入社後の養成(アナウンサーの訓練)でも上司の評判がよく、能村と私とは明らかに
扱いが違いました。ハハハ。
順調にのびて、志望通り報道畑で花を咲かせて行き、長い間フジの顔として大きな
足跡を残しました。

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能村も多才な男でしたが、緊張するタイプだったようで、最終の健康診断でも血圧が
異常に高く出て、「緊張性のモノだろうから、しばらく横になってなさい」と医者に
言われて、「これで落とされたらワヤだなあ」とボッソリ、ぼやいていました。
映画や芝居が好きで、特に歌舞伎役者の声色をやらせたら専門家もうなるほどでした。
早々とアナウンサーから足を洗い、「鬼平犯科帳」など時代劇のプロデューサーとして
大きな実績を残し、テレビ時代劇の歴史をベテランの専門家から聞き書きした大著、
「実録 テレビ時代劇史」があります。

つづく・・・

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3160 サッカー・クリックインタビュー4〜スポーツ実況について〜12/04/15

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・・・つづき

『第4回 EURO 2000の見どころを語る』

■前回よりもはるかに注目度の高い大会

・ユーロ 2000について、どういうイメージを持っていらっしゃいますか。

WOWOWの立場から言うと、4年前のユーロ '96(イングランド)とは比較にならない
くらいサッカーファンの注目度が高いと思います。ですから、すごくプレッシャーを
感じています。決勝戦の実況を担当することになっていますし、ローランギャロス
(テニスの全仏オープン)の中継が終わってから行くので、大会が始まってから4,5日
遅れで現地入りすることになります。言い訳ではありませんが、それは自分にとって
ハンディなんです。そういう条件の中で決勝をしゃべるという意味で、プレッシャーは
大きいですね。それはたぶんスタッフも含めて全員が感じていると思います。

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やはり'96年と同じレベルの放送ではいけないだろうと思います。
また、'96年大会よりチームの粒が揃っているのではないでしょうか。
私たちが日常的にヨーロッパの試合を見る機会が、飛躍的に増えた中での大会ですから、
なじみのある選手も多いですし、’96年より充実した大会になるのは間違いないだろう
と思います。

・放送の体制としてもかなり大がかりになるのですか。

生中継を中心に全試合を放送します。私たちの労働量も4年前に比べてふえてますね。
私は'96年大会とまったく同じスケジュールで動くのですが、同じ期間で'96年は7試合
だったのが今度の大会は10試合ですから、3試合多いんです。6月14日のイタリア対
ベルギーが最初で、そこから7月2日まで19日間で10試合です。なかには3日連続の
予定もあって かなりきついです。幸運なのは、移動は大したことがないということです。
2ヵ国の共同開催ですが、一番 離れているオランダのアムステルダムとベルギーの
シャルルロアでも250キロくらいですから、移動はわりにスムーズにいくと思います。
狭い範囲で動くだけですからイングランド大会よりは負担が少ないかもしれません。

■「国境を接した国同士の戦い」だけにある雰囲気

・言いにくいかもしれませんが、とくに注目するチームなどはありますか。

いまでこそセリエAの放映権は私たちの手元を離れてしまっていますが、やはり長い間
なじんできたリーグでよく知った選手もいるので、イタリアにがんばってほしいという
気持ちはあります。また、「新顔」のスロベニアがどこまでやれるかという期待もあるし、
ユーゴやポルトガルなど優勝候補とまではいかないチームでもがんばってほしいですね。
'96年のチェコはダークホースにも挙がっていませんでしたが決勝まで行きました。
今大会ではスウェーデンやノルウェーなどは誰も話題にしませんが、そういうところが
出てくる可能性もなくはないと思います。

・ヨーロッパ選手権は'92年まで小規模の大会でしたが、'96年から16チームの参加に
なりました。ユーロ '96は、「サッカーの母国での開催」を前面に出したとてもいい
雰囲気で、運営面などを含め多くの人が成功だと評価しました。ワールドカップには
ないような非常に楽しく、また激しい雰囲気もありました。ヨーロッパ選手権という
大会全体の雰囲気をどのように感じられましたか。

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私がそうした雰囲気をもっともよく感じたのは'96年の決勝のときです。
チェコとドイツという対戦になって、スタンドがいっぱいにならないのではないかと
心配でした。放送の中でも解説の加茂周さん(取材当時、京都サンガ監督)とその話を
しましたが、結果は超満員で、加茂さんも本当によかったとおっしゃっていました。
あらかじめ売られているチケットはやはりイングランドの人が買ったものが多かったと
思います。もちろんチェコとドイツの関係者や両国の人たちも多く来ていたでしょうが、
イングランドの人が、たくさんの切符を無駄にしないでスタジアムに見に来た。それは
やはり試合の意味やレベルがわかっているファンが、ちゃんと見に来たという証拠だと
思います。
ドイツが勝って、選手たちが歓喜するバックに「ウィ・アー・ザ・チャンピオン」が
流れる感動的なフィナーレでした。

・歴史的にも地理的にも「隣同士の大会」のような雰囲気がありますね。

・作家の村上龍さんもおっしゃっていますが、ほとんどが国境を接している国同士が
対戦するという感じです。いちばん遠い参加国からでも飛行機であっと言う間に来る
ことができる距離ですし、陸路で来てもそんなに厳しくない条件のところが多いですね。
そういうところで試合をするから、まったく関係のない人たちがスタンドで見ていると
いうことはまずないんです。これはやはりすごいです。どこのスタジアムでも、すごい
シーンがあればスタンドが揺れるような騒ぎになります。
少なくとも、イングランド大会はそうでした。今度のオランダ、ベルギーも同じような
ことになるのではないかと思います。
試合内容にしても「この試合はこちらが必ず勝つ」という対戦がひとつもないという
意味では、ヨーロッパ選手権はすごい大会だと思います。だから、ヨーロッパの国々に
力が入るのは無理もないことですね。

・日本のファンにとって、オランダ、ベルギーのスタジアムというのはわりになじみが
薄いと思います。写真などで見る限り、小さくてもサッカーに適した感じがしますね。

イングランドもそうですが、スケールの大きな立派さはなくても、サッカーを見るのに
ちょうどいい具合に造られている。3,4万というキャパシティーですが、それがむしろ
見るほうには心地よいスケールなのではないかと思います。今回も、画面からそうした
雰囲気が伝わると思いますよ。

■地元チームの活躍が大会自体を大いに盛り上げる

・ポルトガルのタレントたちにとって最後の大会になるのではないといわれていますが。

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先日、奥寺(康彦)さんとその話をしました。英語では「プライム」と言いますが、
「全盛」というか、ルイコスタやフィーゴといった名手たちがいまちょうどピークで、
ビッグチャンスをつかむとすればこの大会がちょうどいいところではないかと思います。
そういう意味ではポルトガルにがんばってもらいたい気がします。イタリア、ドイツ、
イングランド、フランス、スペインといった、常にもてはやされている国でない小さい
国だけに、なんとかがんばらせたいと思います。
     
'89年のワールドユースで優勝した若い選手たちが、そのまま、代表メンバーとして
残って代表チームを支えてきましたからね。ポルトガルのサッカー史上、これから先も
またあるかどうかちょっとわからないですよね。
日本のオリンピック世代もメンバーが揃っていますが、あんなに揃うことがこの先に
いつあるのかというのはちょっとわかりませんよ。

・前回は、ポルトガルに勝ったチェコが、あれで波に乗った感じでした。

チェコはどこもノーマークだったと思います。実は私も、16チームのうち15チームに
ついてはかなり資料を収集・整理して現地に入りました。
唯一チェコだけはトーナメントまでは出てこないだろうと思い、グループ・リーグの
最終戦の時点でも、一応集めた資料は持っていましたが、自分のデータとして整理して
いませんでした。試合を見ながら「ここで負けるさ。イタリアが出てくるだろう」と
未練たらしく整理に取りかからなかったので、その後の快進撃には慌てました(笑)。
     
しかし、ああいうチームが出てくるほうが大会は盛り上がります。
それと、やはり地元ですね。地元チームががんばると大会自体の盛り上がりが違います。
'96年の時も、イングランドが頑張ったので非常に盛り上がりました。
とくに、ポール・ガスコインが久々に大きな舞台に登場して大活躍を見せましたから、
私たちも嬉しかったし、解説者もけっこう喜んでしゃべってくれました。

つづく・・・

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3121 評判倒れの「ヒューゴ」〜「ものすごく…」は85点〜12/03/07

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「ヒューゴの不思議な発明」80

1930年代初めのパリ。
広いサン・ラザール駅の構内はいきかう人々で混雑していた。
コンコースの高い位置にある大時計がった。文字盤の隙間からヒューゴが見下ろしている。
父が急死し、叔父に引き取られた彼は時計守りとしてここで暮らしているのだ。
厳しい公安官の目をかすめて、食べものなどを盗んで日々を過ごす孤独な少年の唯一の
慰めは父が残した壊れた機械人形を修理することだった。

ある日、彼は構内の一隅でおもちゃ屋を営む老人に盗みの現場を見つかり 大事にしている
ノートを取り上げられてしまう…

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…結論は、正直、“そこまで”の映画とは思いません。えらい愛想なし。ハハハ。
メルヘンだし 映像の楽しさはありますから、子供連れで見に行くのはいいかもしれません。
楽しいと思う大人もいるでしょう。しかし、私はそれほど面白いとは思いませんでした。
途中で妻が「大丈夫?」と聞いてきました。「面白いか?我慢できるか?」という意味です。
そう、初め、私の“見たい”リストからは外れていました。食指が動きませんでした。
妻は 自分が見たがっているそぶりを見せたために私が無理をしたと思っているのです。

見たくもないものを我慢して見に行く…そこまで優しいわけじゃありません。ハハハ。
アカデミー賞11部門で候補になり、5部門を制した話題の作品ですから、不定期ながら
ささやかな映画レビューを書いている以上 見なければ、と思っただけです。

主要部門が獲れなかった理由が分かる気がします。
「アーティスト」は未公開ですから 比べようがありません。
しかし、これまでに見た「マネーボール」や「ものすごく…」の方が面白かったです。

原題は「HUGO」です。邦題のつけ方に疑問あり、です。
ドラマの中の少年と不思議な発明には何の関係もないのですから。
まあ、これを言い始めるときりがないですけどね。ハハハ。


「ものすごくうるさくて…」85

パパが死んだ。崩れ落ちたあのビルで。
一緒に調査や探検ごっこをしてくれる大好きなパパだった。
学校から早く家に帰されたオスカーは留守電でパパの“最後”の声を聞いた。家族を案じ、
自分は大丈夫だと告げていた。

事実を受け入れられないオスカーだったが、1年後のある日、パパの部屋に入った。
クローゼットの棚の上から古いカメラを取ろうとしたとき、横にあった花瓶が落ちた。
粉々になった破片の中から小さな紙袋が見つかる。Blackと書かれた袋に入っていたのは
どこのものとも知れぬカギだった。

カギに合うカギ穴探しの旅が始まった。
マンハッタンの電話帳をもとにBlackという名字を持つ人の家を訪ね回った。
通りを隔てたアパートに住む祖母の“同居人”が途中から加わって調査は続く…

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世界の代表的な都市、ニューヨークはたくさんの映画やドラマで舞台になっています。
“9.11”を織り込んだものも多いです。しかし、ほとんどが大人たちの受けたキズについて
描いたものでした。
この作品のように“子供目線”であの悲劇を見たものはおそらく初めてだろうと思います。
考えてみると、あの事件で親兄弟を亡くした子供も大勢いたはずなのに 彼らの心にどんな
キズが残されたのかについての映画はなかったのです。

うわべは普通の子供のように見えるオスカーですが、深いトラウマを背負っていました。
カギだけを頼りにマンハッタンを隅から隅まで探して歩く少年の内面は初めそれほどとは
思わないのですが、かなり深く傷ついていたことが分かります。

母親役のサンドラ・ブロックがいい演技を見せていましたが、驚くのはオスカーを演じた
トーマス・ホーンです。演技の経験はまったくなく、テレビのクイズ番組に出たのを見た
プロデューサーにスカウトされたらしいですが、唸るほど見事な演技です。
もちろん、プロデューサーの眼力にもビックリです。ハハハ。


「キツツキと雨」80

南を向いた斜面の杉木立にチェーンソーの音が響いていた。
克彦(役所広司)はときどきボトルの水を口にしながら黙々と作業を続けている。2年前に
妻に先立たれ、就職浪人中の一人息子と暮らしていた。
急斜面を一人の男が上ってきた。しばらく作業をやめてもらえないかと言いに来たのだ。
近くで撮影をしている映画の助監督だった。

気のいい克彦と映画スタッフの付き合いはそんな形で始まった…

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ものすごくいい映画だと書く気はありません。しかし、上映中に席を立とうという気にも
なりませんでした。見る人の年齢層や好みによって評価には大きな差が出るでしょう。
私の採点は、85点じゃない。だけど、75点でもないなという意味の80点です。ハハハ。
小品ですが、一生懸命に作った空気が伝わります。
“ほんわか”とした空気が漂う不思議な映画です。そう思わせる源は たぶん役所広司が
かもし出す空気だろうと思います。芸の幅が広く、奥行きもある役者ですね。彼なしでは
この映画は成り立たなかったでしょう。


「人生はビギナーズ」80

オリバー(ユアン・マクレガー)が部屋を片付けている。不要になった薬はトイレに流し、
残すものと捨てるものを分別して行く。足元には犬のアーサーがまとわりついて離れない。
オリバーはこの部屋の主だった父親、ハル(クリストファー・プラマ―)が亡くなったので、
あと片づけをしているのだ。
父は母が亡くなったあと75歳でゲイだったことをカミングアウトし、ときどきオリバーの
世話になりながら気ままな人生を送っていたのだった…

“差別”する気持ちはこれっぽっちもありませんが、75歳から本格的にゲイ人生を歩む
男の映画は見る気になりませんでした。
しかし、プラマーが82歳でアカデミー助演男優賞を獲ったことで気持ちが動きました。
正直なところ、彼の演技が本当に受賞に値するのかどうか、私には判断がつきません。
個人的な好みで言えば、「マネーボール」のジョナ・ヒルの演技に強く惹かれます。

85 ものすごくうるさくて… 心に深い傷を負った少年を演じたトーマス・ホーンに驚く
80 キツツキと雨 ほのぼのした映画で2時間を楽しめる 役所広司ありきの作品かも
80 昼下がり、ローマの恋 オムニバスとは知らなかった!デ・ニーロの出番も3分の1
70 ザ・レッジ 2.5流作品 特に序盤はひどい 付き合い始めのカップルはやめた方が…
80 人生はビギナーズ これもゲイが理解できないと映画のよさが分からないのかも
80 ヒューゴの不思議な発明 アカデミーで主要部門が獲れなかったのは分かる気がする

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開設日: 2005/12/31(土)


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