都市商業研究所(都商研)

「都市商業研究所」は学生主体の研究機関です。「市街地活性化・都市交通などに関するコラム」と「都市別の市街地紹介」をお届けします。

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大分県豊後高田市  市制:1954年5月31日 合併新発足:2005年3月31日
 【人口】23,096人(増加率:-4.8%)、外国人数237人
 【面積】206.65k㎡
 【平均年齢】51.5歳
 【事業所数】1222事業所
 【年間小売販売額】176.7億円(増加率:-11.7%)
 【大型店面積合計】17,201㎡
 【主要駅など】豊後高田駅(バスセンター)、宇佐駅(市外)
 【主な市街地大型店】トキハインダストリー、トライアル
 【主な郊外大型店】イオンタウン
 【主な撤退大型店】寿屋(→トライアル)、マルショク
 【主な商店街】昭和の町商店街(駅通・稲荷通・新町1・新町2・中央・宮町・玉津プラチナ)、平和通
 【主な観光地】昭和の町商店街、六郷満山、田染荘、真玉温泉、蕎麦
 【主な事業所】TRI、豊洋メット
(人口など:'10年国調、面積:'12年国土地理院、事業所:'12年総務省経済センサス、小売:'07年経産省商業統計、大店面積:'12年4月)

"住民主導のローコストな人気観光地化"から15年が経過した「昭和の町商店街」のいま

 大分県豊後高田市は、大分県北部に立地する、瀬戸内海(周防灘)に面した都市である。
 高田は平安時代より宇佐八幡宮の後背地として栄え、宇佐八幡宮の荘園であった「田染荘」は平安時代の荘園の面影が残る地区として知られるほか、神仏習合発祥の地である「六郷満山」の一角を担い、「富貴寺大堂」(国宝)、「真木大堂」(重要文化財)、「熊野磨崖仏」(重要文化財)などといった様々な仏教史跡があり、パワースポットとしても人気が高い。
 そして、中心市街地は2001年から始まった「昭和の町商店街」の取り組みにより、衰退していた商店街の観光地化に成功したことでも知られる。
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熊野磨崖仏の不動明王像。

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富貴寺大堂。平安時代の建築がそのまま残る。本尊は阿弥陀如来。

 高田の中心市街地には1916年より宇佐参宮線の豊後高田駅が置かれ(1965年廃線)、1960年代までは隣接する宇佐郡(現在の宇佐市)などからも広く集客していた。しかし、急速な地域の衰退により、商店街は昭和中期に建築された古い建物が多く残る状態になっていた。
 それを逆手に取る形で「既存施設・既存商店のリノベーションによるローコストな町おこし」として始まったのが「昭和の町」の取り組みであった。
 折しも中心商店街附近から3つの大型店(マルショク、寿屋、ベスト電器)が消えた頃であり、当時の豊後高田市の人口は最盛期の約半分近く、僅か約18,000人ほどにまで減少していた。
 豊後高田市の中心商店街である「昭和の町商店街」は、豊後高田駅(バスターミナル)の周辺の複数の商店街の総称であり、豊後高田駅の北側一帯に広がる。
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かつて宇佐参宮線が分岐していたJR宇佐駅(宇佐市)から豊後高田駅まではバスで僅か10分ほど。

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大分交通(大交北部バス)の豊後高田駅。バスターミナルであるが、鉄道時代の面影を色濃く残す。

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豊後高田駅構内。プラットホームをバス乗り場として活用。構内にはレールや枕木が残る。

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駅の東に隣接する「昭和ロマン蔵」はかつての農業倉庫跡をリノベーションした観光施設。

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昭和ロマン蔵。「駄菓子屋の夢博物館」、「昭和の絵本美術館」などを併設。

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ボンネットバス(いすゞBX141)。腕木式方向指示器(アポロ)も装備。週末を中心に商店街で運行。

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豊後高田駅から見る駅通り商店街。この右(東)には昭和ロマン蔵が、左(西)にはトキハが立地。

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駅通り商店街。奥は豊後高田駅。駅から北に延びる。

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駅通り商店街。右奥(東)に曲がると新町通り商店街。

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新町通り商店街。このあたりが昭和の町のメインストリート。東西に伸びる。

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左は旧共同野村銀行跡。西日本銀行となったのち、現在は地元ホテルが観光施設として活用。
右の大分銀行も撤退し、ATMが設置されているのみ。かつてはこの辺りに多くの金融機関があった。

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新町通り商店街。この先を左折すると中央通り商店街に続く。

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中央通り商店街。新町通りの北側に南北に伸びる。

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中央通りの西側、宮町通り商店街。新町通りの北に並行して伸びる。奥は飲食街に続く。

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宮町通り商店街、このあたりは飲食街。これより南に行くと新町の飲食街に続く。正面は旧映画館。

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中央通り北端。右の旧共立高田銀行跡は'14年にベーカリーが開業。店主は大分出身のUターン組。

 かつては観光客が来る場所ではなかった商店街の観光地化は、人通りが殆どなくなっていた商店街の姿を大きく変えた。もちろん、それは豊後高田市の周辺に別府、由布院などの有名温泉地や、宇佐神宮、六郷満山(熊野磨崖仏など)といった多彩な観光資源があったということも大きい。このような観光周遊ルートのなかの1コンテンツとして、連休などには昭和の町の中心部は大きく賑わい、商店街では新たな商店主による新規開業も見られるようになった。
 商店街の店舗では、昭和期の商品などを「一店一宝」として店頭に展示しているほか、関連する昭和グッズや昭和メニューを販売する「一店一品」を行っている店舗も多い。また、行政が「昭和の町」の取り組みに合わせて「浜町」「鍛冶屋町」などといった、かつての行政町名の復活を行ったのも面白い。
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一店一宝の一例。

 しかし、昭和の町の取り組みが始まって10年以上が経過したいま、様々な問題点が浮き彫りになっていることも事実である。
 もともとあった商店のうち、観光客で賑わうのは特定の業種のみで、取材時には「温度差がある」「利益には繋がっていない」と述べる商店主さんも多い。もちろん、何もしなかったよりは大きく賑わっているのであろうが、今後「観光客しか来ない商店街」になってしまっては当初の「商店街活性化」の目的は果たされたとは言い難い。特に、昭和の町のあたりにおいても夜型の飲食店は撤退したままと活用されていない店舗が多く見られる。これは、中規模の都市においてしばしば見られる「中心商店街の飲食店街化」とは逆の動きであるとも言え、(広域的な)地元民が商店街にあまり足を運ばなくなっている証拠でもあるとも言える。夜の街の活性化に向けて、市が代行運転などに補助を出したこともあるようだが、一度活気を失った飲食店街の活性化は難しい。
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中心部の新町通り近くでも一歩飲食店街に入ると空き店舗が多く見られる。

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新町から宮町の飲食街。活性化により少しずつ新しい店舗も増えつつあるが…。

 また、店舗間のみならず、商店街間の温度差も大きい。かつての城下町であり、戦前は郡役所も置かれるなど官庁街でもあった「玉津商店街」(玉津銀座通り)は「玉津プラチナ通り」として、「観光客も地元高齢者も便利な町」を目指すという、昭和の町の中においては異色の街づくりを行っている。しかし、豊後高田駅や昭和ロマン蔵から少し距離がある玉津商店街は観光客の姿もまばらであり、近年も店舗の閉店が続いている。玉津地区のかつての繁栄のシンボルとも言うべき昭和初期の大型木造商業長屋「九軒長屋」は有効活用されておらず、老朽化が著しい。
 豊後高田市は定住促進・移住促進政策に積極的な自治体であるが、中心市街地ではもともとの商店主さんや地域住民の高齢化が急速に進行しており、「昭和の町」の取り組みを始めた頃の商店主さんが世代交代の時期を迎えている店舗も多い。豊後高田の活性化は、商店街が1つになって取り組めたからこその成功であったと言える。今後も持続した観光客の誘致を目指すならば、人通りが消えてしまっていた商店街の歴史を昭和を知らない次の世代に継承していき、更なる商店街の充実を図ることも重要になっていくであろう。
 「昭和の町」が生まれて今年で15年。これからが正念場と言える。
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中央通りから桂橋を挟んで玉津商店街のゲートを望む。
左は人気のベーカリーだが、橋の先の玉津商店街まで行く観光客は少ない。

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玉津商店街。「昭和の町」の最も北側にあたる。中央通から桂橋を渡った場所。

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玉津商店街、左には空き店舗を活用した交流施設が出来たが、向かいの店舗も閉店してしまった。

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玉津銀座街周辺は2014年にカラー舗装、トリックアートの設置が行われた。左は玉津まちの駅。

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玉津商店街、右側にあるのが九軒長屋。空き店舗が目立ち、老朽化が進む。

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玉津は旧城下町であり、戦前は官庁街としても栄えた。城下町の面影もあるが観光客は少ない。

 昭和の町の西側に隣接する国道213号線(平和通り)沿いには大型店も立地するほか、多くの金融機関がある。これらの金融機関の殆どは、店舗の近代化と駐車場拡充のために昭和末期から平成初期にかけて現在の「昭和の町商店街」から平和通りに移転してきたものだ。これら金融機関の移転も、商店街の衰退に大きな影響を与えていた。
 1970年代から長年に亘って中心市街地の核店舗となっているのは百貨店系の総合スーパーである「トキハインダストリー豊後高田店」。地元との共生を掲げ、昭和の町商店街側にも入口があり、開業から40年近くが経過するものの明るく清潔な店内で市民に親しまれている。
 また、その北側にあった旧寿屋はディスカウントストアのトライアルとなっている。寿屋時代は落ち着いた普通の総合スーパーであったが、現在は赤と黄色という、昭和の町の中心部であることを微塵も感じさせない色になってしまった。
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国道213号線、平和通り。右奥はすぐ「昭和の町」商店街になる。
中心市街地には大型店、銀行、官公庁、共同住宅などが集積し、コンパクトシティであるとも言える。

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トキハインダストリー豊後高田店。中心市街地の核となっている人気の百貨店系総合スーパー。

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トライアル豊後高田店。旧寿屋。平和通りを挟んで向かいには稲荷通り商店街の西入口がある。

協力:豊後高田商工会議所・昭和の町商店街のみなさん
参考:豊後高田市発行資料・観光パンフレット

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