都市商業研究所(都商研)

「都市商業研究所」は学生主体の研究機関です。「市街地活性化・都市交通などに関するコラム」と「都市別の市街地紹介」をお届けします。
山形市のストリートビューがこの夏撮影のものに更新されていたので、「建物を2つに分割することで耐震補強をする」という斬新な計画を発表していた山形市の複合商業施設「ナナビーンズ」を見に行ってみました。

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!!!!!!!

予想以上に綺麗にスパっと2分割…!!

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こちらは切断前。ナナビーンズはこれから我が身に起こる試練(?)をまだ知らない…。

ナナビーンズは旧「丸久松坂屋」の建物で、1973年築。
2000年の松坂屋閉店後は商業施設、公共施設、ホテルなどが入居する複合商業ビルとなっています。
震災時にねじれが生じやすい部分を切断し、また切断部に壁を設けることで耐震性を向上させたそうで、日本初の工法とのこと。
今後はこういった耐震補強も増えていくのでしょうか…?

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それにしてもあまりに見事な切断っぷり。
これ、まだ工事中という訳ではないのですよ!!

※全ての写真はGoogleストリートビューより。

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みなさんが想像する「百貨店の食品売場」は何階でしょうか?
そう質問されたとき、誰もが想像するのは「デパ地下」でしょう。

多くの百貨店では地階や地下2階に食品売場があり、地階が無い店舗や郊外型の店舗は1階に食品売場が設けられているところも多くあります。
その理由は、水道やガスを多く使う食品売場は下層階にあったほうが効率的なことや、下層階だと食品売場だけ長時間営業を行うこともできること、また、入店しやすい場所にあるほうが日常需要を喚起しやすい、などという様々な利点があるからです。
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多くの百貨店の食品売場は地階に設置されている。

しかし、世の中には高層階に食品売場がある店舗も存在するのです。

しかも、13階に。

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13階に食品売場がある百貨店とは…?(Googleストリートビューより)

それがこの台湾・台中市にある百貨店「廣三そごう」
2013年6月より13階に食品売場が開設されました。
そして、それを運営しているのはスーパーマーケット「マツセイ」
北関東の人はピンと来るかも知れません。前橋市に本社を置くスーパー「フレッセイ」系列の店舗です。
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廣三そごう13階のマツセイ。どう見ても地階の写真っぽいのにまさかの13階。
もちろん日本では百貨店に入居しているフレッセイなんて無い。
(写真は廣三そごう公式フェイスブックより)

この百貨店、地階は何かというと、「東急ハンズ」「無印良品」「コスメード(スーパードラッグ)」などの専門店。
それならハンズなどの雑貨店を高層階に移したほうが釣り合いが取れそうな構成に見えるのですが…。
13階に食品売場が出来てからはまだ僅か2年足らず。
果たして高層階の食品売場は成功するのか…?
今後が注目されます。

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埼玉県熊谷市  市制:1933年4月1日 合併新発足:2005年10月1日
 【人口】203,180人(増加率:-0.7%)、外国人数2009人
 【面積】154.80k㎡
 【平均年齢】44.7歳
 【事業所数】9038事業所
 【年間小売販売額】2,289.1億円(増加率:4.5%)
 【大型店面積合計】186,763㎡
 【主要駅など】熊谷駅(JR・秩父鉄道)
 【主な市街地大型店】八木橋、アズ、ティアラ21、ニットーモール(ヤオコー)
 【主な郊外大型店】イオン、ビッグベア(西友)、イール(カスミ)、NEWLAND(倉庫跡)
 【主な撤退大型店】丸井、ニチイ、ダイエー・ラオックス(ニットーモール)
 【主な商店街】熊谷駅前、東通、西通、筑波、星川、本町、南本町、鎌倉町、富士見町、なおざね、一番街など
 【主な観光地】あついぞ!熊谷、かき氷、うちわ祭、歓喜院聖天堂、星川、桜堤、スポーツ文化公園
 【主な事業所】八木橋百貨店(本店)、埼玉縣信金(本店)、ニコン、ヴァレオ、日立金属、アルビオン
(人口など:'10年国調、面積:'12年国土地理院、事業所:'12年総務省経済センサス、小売:'07年経産省商業統計、大店面積:'12年4月)

「あついぞ!熊谷」で知られる埼玉北部の歴史都市

 埼玉県熊谷市は埼玉県北部の中心都市であるとともに、猛暑の街としても有名である。この「暑さ」は、熊谷が荒川と利根川の間に形成された沖積平野に立地する都市であり、秩父、赤城などの山に囲まれ、フェーン現象の起きやすい盆地性の気候であることが大きい。また、熊谷市は「晴れ」の街でもあり、快晴日数も日本一である(2013年現在、年53日)。
 熊谷市では、夏場のクールシェア運動に取り組むとともに、近年はかき氷「雪くま」も名物となっており、夏場は市内各所で食べることができる。
イメージ 1テレビで見ることも多い八木橋百貨店の有名な「温度計」。撮影当日は気温35度。

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駅ビルから吹き出される冷却ミスト。

 熊谷は肥沃な沖積平野であることから農業地として栄え、江戸時代には中山道の熊谷宿が置かれ交通の要衝としても繁栄した。現在も、熊谷市は人口20万人を数える埼玉県北部の中核都市でありながら、隣接する深谷市とともに埼玉県を代表する農業都市ともなっている。
 一方で、熊谷は埼玉県北部の中心でありながら、一般的な地域の中核都市で見られるような大きな「商店街」が存在せず、広範囲に亘って中規模の商店街が続くという特殊な形態の都市でもある。これは、旧中山道の熊谷宿(現在の八木橋百貨店周辺)と、そこから1キロ強の距離があるJR熊谷駅附近に中心市街地が分散していることが要因として挙げられる。
 戦前までは旧熊谷宿附近で1897年に創業した八木橋呉服店が1927年に百貨店化するなど、旧熊谷宿あたりの商店街が繁栄を極めた。しかし、1945年8月15日(終戦当日)の激しい熊谷空襲により、国鉄駅から熊谷宿にかけての中心市街地ほぼ全域が全焼、宿場町の面影の多くは失われた。そして、戦後の区画整理により熊谷駅から旧熊谷宿にかけての道路が拡幅され、碁盤の目状に整備されると、中心市街地が徐々に国鉄熊谷駅附近へと移っていき、高度成長期には熊谷駅近くに丸井、ニチイ、ダイエーなどの大手チェーン店も出店した。だが、平成に入るとそれらは相次いで撤退してしまった。
 現在、JR熊谷駅周辺の中心商店街は熊谷駅前通り、西通り商店街である。富士見町、筑波中央通り周辺には飲食店街が形成されている。
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JR熊谷駅。

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熊谷駅ビル「アズ」。駅ロータリーの東側。

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上からミストが吹き出すJR熊谷駅前。ラグビータウンの碑がある。

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熊谷駅前通り。

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東通り商店街。熊谷駅の東側。左は駅ビル「アズ」、右側は下層階にアニメイトが入居するホテル。

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ティアラ21。アズに隣接する商業施設でシネコン併設、東通り商店街に立地。
この左奥にニットーモール(旧ダイエー)もある。

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熊谷駅ロータリーより西。西通り商店街がある。
かつて丸井、ニチイがあった熊谷駅前の中心商店街。左のビルが旧丸井跡地。


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熊谷駅前通りより熊谷駅。片屋根式アーケードは近年撤去された。

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筑波中央通り。駅前通りより西側、飲食店が中心。

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富士見商店街。駅前通りを挟んで筑波中央通りの向かい側。こちらも飲食店が多い。

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星川通り商店街。駅前通りより東を見る。中山道の南側に並行、シンボルロードとなっている。

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星川通り。戦後復興の際に川を中心とした公園風の商店街として整備された。(平成になり再改修)

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国道17号線・旧中山道。熊谷駅前通りより東側、熊谷銀座。直進すると行田市。

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国道17号線・旧中山道。オフィスビル、金融機関などが多い。

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国道17号線・旧中山道より北を見る。熊谷市役所方向。

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国道17号線・旧中山道より北を見る。高城神社と奥に熊谷市役所。

 駅前の大型店が相次いで撤退した一方で、熊谷サティ(ニチイ)は大規模駐車場を併設する形で2000年に八木橋近くの旧熊谷宿近くの片倉工場跡に再出店(現在のイオン熊谷店)、周辺の国道17号線(旧中山道沿い)にはロードサイド店の出店も起き始めるなど、現在は再び旧中山道沿いの商業集積も高まりつつある。だが、既に衰退しつつあった熊谷宿附近の旧来の商店街自体への波及効果は少なかった。
 現在の旧熊谷宿周辺の中心商店街は、八木橋から国道を挟んで向かい側の鎌倉町商店街。街道筋とはいえ、このあたりの古い町並みは全て熊谷空襲で失われてしまった。かつての中山道であった熊谷一番街商店街は、市街地では古い中山道の道幅を残す貴重な地区であり、八木橋の駐車場があるため八木橋へ向かう歩行者は多いものの、空き店舗も目立つ状態となっている。
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国道17号線・旧中山道から南、大露路商店街。この辺より熊谷宿近くに形成された商店街。
左は昭和の面影を残す大露路ビルという商業ビル。片屋根式アーケードは2014年の豪雪で撤去。

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国道17号線・旧中山道。金融機関に加え、ロードサイド店も。

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本町商店街。国道17号線・旧中山道より北側。

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南本町商店街。こちらは国道17号線・旧中山道より南側。駐車場も目立つ。

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鎌倉町商店街。八木橋の南側。直進すると秩父鉄道上熊谷駅に至る。
ここが現在の旧熊谷宿地区の中心商店街で、綺麗に整備されている。

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国道17号線・旧中山道、旧熊谷宿本陣跡。奥の埼玉縣信用金庫はここが本店。奥に八木橋。
中山道はここで北西に進み、八木橋の店舗内を通る。

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八木橋の中山道入口から東を見る。東西に走るのは国道・旧中山道、向かいは鎌倉町商店街。

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国道17号線、本石二丁目交差点より北。右奥の八木橋出口が旧中山道、向かいは一番街。
八木橋周辺一帯は一番街も含め「なおざね商店街」という商店会。

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国道17号線、本石二丁目交差点より西。イオン熊谷店(旧サティ)が見える。

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八木橋百貨店。左奥が中山道の出口。

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八木橋の店内を通る旧中山道。東郷青児の絵は八木橋のシンボル。

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熊谷一番街。旧中山道にあたる。この通り沿いに八木橋一番街パーキングがある。

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八木橋から見た熊谷市北東部。手前は熊谷寺、周辺は古い建物が多い。
右側の白い箱型のビルは市役所、中央のドームは熊谷スポーツ文化公園。

 現状の熊谷市では、中心市街地の核となる施設が拡散しており、その間を結ぶ中心商店街も都市規模に対して繁華なものとは言えない。それぞれの施設に一定の集客力があったとしても、回遊性が生まれづらい状態となっており、多くの人が利用する駅、そして百貨店などから回遊を創出する仕組みが必要であろう。
 近年、暑さを生かした街づくりにより「かき氷」(雪くま)が名物となっているため、夏場はかき氷の店を訪れる観光客の姿も見られるようになった。こうした「暑さ」を求めてやってくる観光客をもっと街づくりに生かすことは出来ないだろうか。専ら、かき氷需要の高い猛暑日には街を回遊することさえ厳しいのであるが…。

参考:熊谷市ウェブサイト、熊谷市商連ウェブサイト、観光パンフレットなど

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大分県豊後高田市  市制:1954年5月31日 合併新発足:2005年3月31日
 【人口】23,096人(増加率:-4.8%)、外国人数237人
 【面積】206.65k㎡
 【平均年齢】51.5歳
 【事業所数】1222事業所
 【年間小売販売額】176.7億円(増加率:-11.7%)
 【大型店面積合計】17,201㎡
 【主要駅など】豊後高田駅(バスセンター)、宇佐駅(市外)
 【主な市街地大型店】トキハインダストリー、トライアル
 【主な郊外大型店】イオンタウン
 【主な撤退大型店】寿屋(→トライアル)、マルショク
 【主な商店街】昭和の町商店街(駅通・稲荷通・新町1・新町2・中央・宮町・玉津プラチナ)、平和通
 【主な観光地】昭和の町商店街、六郷満山、田染荘、真玉温泉、蕎麦
 【主な事業所】TRI、豊洋メット
(人口など:'10年国調、面積:'12年国土地理院、事業所:'12年総務省経済センサス、小売:'07年経産省商業統計、大店面積:'12年4月)

"住民主導のローコストな人気観光地化"から15年が経過した「昭和の町商店街」のいま

 大分県豊後高田市は、大分県北部に立地する、瀬戸内海(周防灘)に面した都市である。
 高田は平安時代より宇佐八幡宮の後背地として栄え、宇佐八幡宮の荘園であった「田染荘」は平安時代の荘園の面影が残る地区として知られるほか、神仏習合発祥の地である「六郷満山」の一角を担い、「富貴寺大堂」(国宝)、「真木大堂」(重要文化財)、「熊野磨崖仏」(重要文化財)などといった様々な仏教史跡があり、パワースポットとしても人気が高い。
 そして、中心市街地は2001年から始まった「昭和の町商店街」の取り組みにより、衰退していた商店街の観光地化に成功したことでも知られる。
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熊野磨崖仏の不動明王像。

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富貴寺大堂。平安時代の建築がそのまま残る。本尊は阿弥陀如来。

 高田の中心市街地には1916年より宇佐参宮線の豊後高田駅が置かれ(1965年廃線)、1960年代までは隣接する宇佐郡(現在の宇佐市)などからも広く集客していた。しかし、急速な地域の衰退により、商店街は昭和中期に建築された古い建物が多く残る状態になっていた。
 それを逆手に取る形で「既存施設・既存商店のリノベーションによるローコストな町おこし」として始まったのが「昭和の町」の取り組みであった。
 折しも中心商店街附近から3つの大型店(マルショク、寿屋、ベスト電器)が消えた頃であり、当時の豊後高田市の人口は最盛期の約半分近く、僅か約18,000人ほどにまで減少していた。
 豊後高田市の中心商店街である「昭和の町商店街」は、豊後高田駅(バスターミナル)の周辺の複数の商店街の総称であり、豊後高田駅の北側一帯に広がる。
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かつて宇佐参宮線が分岐していたJR宇佐駅(宇佐市)から豊後高田駅まではバスで僅か10分ほど。

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大分交通(大交北部バス)の豊後高田駅。バスターミナルであるが、鉄道時代の面影を色濃く残す。

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豊後高田駅構内。プラットホームをバス乗り場として活用。構内にはレールや枕木が残る。

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駅の東に隣接する「昭和ロマン蔵」はかつての農業倉庫跡をリノベーションした観光施設。

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昭和ロマン蔵。「駄菓子屋の夢博物館」、「昭和の絵本美術館」などを併設。

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ボンネットバス(いすゞBX141)。腕木式方向指示器(アポロ)も装備。週末を中心に商店街で運行。

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豊後高田駅から見る駅通り商店街。この右(東)には昭和ロマン蔵が、左(西)にはトキハが立地。

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駅通り商店街。奥は豊後高田駅。駅から北に延びる。

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駅通り商店街。右奥(東)に曲がると新町通り商店街。

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新町通り商店街。このあたりが昭和の町のメインストリート。東西に伸びる。

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左は旧共同野村銀行跡。西日本銀行となったのち、現在は地元ホテルが観光施設として活用。
右の大分銀行も撤退し、ATMが設置されているのみ。かつてはこの辺りに多くの金融機関があった。

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新町通り商店街。この先を左折すると中央通り商店街に続く。

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中央通り商店街。新町通りの北側に南北に伸びる。

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中央通りの西側、宮町通り商店街。新町通りの北に並行して伸びる。奥は飲食街に続く。

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宮町通り商店街、このあたりは飲食街。これより南に行くと新町の飲食街に続く。正面は旧映画館。

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中央通り北端。右の旧共立高田銀行跡は'14年にベーカリーが開業。店主は大分出身のUターン組。

 かつては観光客が来る場所ではなかった商店街の観光地化は、人通りが殆どなくなっていた商店街の姿を大きく変えた。もちろん、それは豊後高田市の周辺に別府、由布院などの有名温泉地や、宇佐神宮、六郷満山(熊野磨崖仏など)といった多彩な観光資源があったということも大きい。このような観光周遊ルートのなかの1コンテンツとして、連休などには昭和の町の中心部は大きく賑わい、商店街では新たな商店主による新規開業も見られるようになった。
 商店街の店舗では、昭和期の商品などを「一店一宝」として店頭に展示しているほか、関連する昭和グッズや昭和メニューを販売する「一店一品」を行っている店舗も多い。また、行政が「昭和の町」の取り組みに合わせて「浜町」「鍛冶屋町」などといった、かつての行政町名の復活を行ったのも面白い。
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一店一宝の一例。

 しかし、昭和の町の取り組みが始まって10年以上が経過したいま、様々な問題点が浮き彫りになっていることも事実である。
 もともとあった商店のうち、観光客で賑わうのは特定の業種のみで、取材時には「温度差がある」「利益には繋がっていない」と述べる商店主さんも多い。もちろん、何もしなかったよりは大きく賑わっているのであろうが、今後「観光客しか来ない商店街」になってしまっては当初の「商店街活性化」の目的は果たされたとは言い難い。特に、昭和の町のあたりにおいても夜型の飲食店は撤退したままと活用されていない店舗が多く見られる。これは、中規模の都市においてしばしば見られる「中心商店街の飲食店街化」とは逆の動きであるとも言え、(広域的な)地元民が商店街にあまり足を運ばなくなっている証拠でもあるとも言える。夜の街の活性化に向けて、市が代行運転などに補助を出したこともあるようだが、一度活気を失った飲食店街の活性化は難しい。
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中心部の新町通り近くでも一歩飲食店街に入ると空き店舗が多く見られる。

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新町から宮町の飲食街。活性化により少しずつ新しい店舗も増えつつあるが…。

 また、店舗間のみならず、商店街間の温度差も大きい。かつての城下町であり、戦前は郡役所も置かれるなど官庁街でもあった「玉津商店街」(玉津銀座通り)は「玉津プラチナ通り」として、「観光客も地元高齢者も便利な町」を目指すという、昭和の町の中においては異色の街づくりを行っている。しかし、豊後高田駅や昭和ロマン蔵から少し距離がある玉津商店街は観光客の姿もまばらであり、近年も店舗の閉店が続いている。玉津地区のかつての繁栄のシンボルとも言うべき昭和初期の大型木造商業長屋「九軒長屋」は有効活用されておらず、老朽化が著しい。
 豊後高田市は定住促進・移住促進政策に積極的な自治体であるが、中心市街地ではもともとの商店主さんや地域住民の高齢化が急速に進行しており、「昭和の町」の取り組みを始めた頃の商店主さんが世代交代の時期を迎えている店舗も多い。豊後高田の活性化は、商店街が1つになって取り組めたからこその成功であったと言える。今後も持続した観光客の誘致を目指すならば、人通りが消えてしまっていた商店街の歴史を昭和を知らない次の世代に継承していき、更なる商店街の充実を図ることも重要になっていくであろう。
 「昭和の町」が生まれて今年で15年。これからが正念場と言える。
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中央通りから桂橋を挟んで玉津商店街のゲートを望む。
左は人気のベーカリーだが、橋の先の玉津商店街まで行く観光客は少ない。

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玉津商店街。「昭和の町」の最も北側にあたる。中央通から桂橋を渡った場所。

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玉津商店街、左には空き店舗を活用した交流施設が出来たが、向かいの店舗も閉店してしまった。

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玉津銀座街周辺は2014年にカラー舗装、トリックアートの設置が行われた。左は玉津まちの駅。

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玉津商店街、右側にあるのが九軒長屋。空き店舗が目立ち、老朽化が進む。

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玉津は旧城下町であり、戦前は官庁街としても栄えた。城下町の面影もあるが観光客は少ない。

 昭和の町の西側に隣接する国道213号線(平和通り)沿いには大型店も立地するほか、多くの金融機関がある。これらの金融機関の殆どは、店舗の近代化と駐車場拡充のために昭和末期から平成初期にかけて現在の「昭和の町商店街」から平和通りに移転してきたものだ。これら金融機関の移転も、商店街の衰退に大きな影響を与えていた。
 1970年代から長年に亘って中心市街地の核店舗となっているのは百貨店系の総合スーパーである「トキハインダストリー豊後高田店」。地元との共生を掲げ、昭和の町商店街側にも入口があり、開業から40年近くが経過するものの明るく清潔な店内で市民に親しまれている。
 また、その北側にあった旧寿屋はディスカウントストアのトライアルとなっている。寿屋時代は落ち着いた普通の総合スーパーであったが、現在は赤と黄色という、昭和の町の中心部であることを微塵も感じさせない色になってしまった。
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国道213号線、平和通り。右奥はすぐ「昭和の町」商店街になる。
中心市街地には大型店、銀行、官公庁、共同住宅などが集積し、コンパクトシティであるとも言える。

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トキハインダストリー豊後高田店。中心市街地の核となっている人気の百貨店系総合スーパー。

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トライアル豊後高田店。旧寿屋。平和通りを挟んで向かいには稲荷通り商店街の西入口がある。

協力:豊後高田商工会議所・昭和の町商店街のみなさん
参考:豊後高田市発行資料・観光パンフレット

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佐賀県佐賀市  市制:1889年4月1日 合併新発足:2005年10月1日
 【人口】237,506人(増加率:-1.6%)、外国人数1144人
 【面積】251.07k㎡
 【平均年齢】44.6歳
 【事業所数】12387事業所
 【年間小売販売額】2758.5億円(増加率:-0.2%)
 【大型店面積合計】257,443㎡
 【主要駅など】佐賀駅、佐賀バスセンター
 【主な市街地大型店】玉屋、西友、エスプラッツ、えきマチ1丁目
 【主な郊外大型店】ゆめタウン、イオンモール、モラージュ、イオンスーパーセンターなど
 【主な撤退大型店】日祐(→気球博物館)、南里、窓乃梅寿屋(→国保)、ユニード(→ローソン)、ダイエーなど
 【主な商店街】唐人町(駅前)、白山名店街、呉服町名店街、銀天通り、中央マーケット、松原マーケットなど
 【主な観光地】気球、佐賀城、長崎街道の街並み、潮干狩り、筑後川昇開橋、シシリアンライス
 【主な事業所】佐賀銀行、佐賀共栄銀行、佐賀信金、戸上電機製作所、ハロー(マックスバリュに合併)(以上本部)
(人口など:'10年国調、面積:'12年国土地理院、事業所:'12年総務省経済センサス、小売:'07年経産省商業統計、大店面積:'12年4月)


郊外化とともに大型店が次々と公共施設に生まれ変わる商店街の行く末は…
 
 佐賀市は言うまでもなく佐賀県の県庁所在地であり、佐賀県第一の都市である。九州の県庁所在地では最も規模は小さく、平成の大合併前の人口は16万人ほどであったが、地域の中心都市としての歴史は長い。佐賀は律令時代に佐賀市北部の大和町に肥前国国府が置かれて以後、長期に亘って西九州の中心都市の1つとして栄えてきた。特に江戸時代に入ると、佐賀藩主の鍋島氏が現在の中心市街地に当たる佐賀駅の南側を条里制による街区整備を行い、近代的な城下町として、そして長崎街道の宿場町としても発展を遂げた。佐賀市が市制を敷いたのは市制制度が始まったと同時であり、福岡市や熊本市などの市制とも同日である。
現在の中心市街地の街区は、城下町時代の面影を残すものとなっており、古い中心商店街は長崎街道沿いに広がる。この旧街道筋を中心として、佐賀市には多くの恵比寿像が祀られている。このような道端の恵比寿像は、佐賀市域だけではなく佐賀平野から筑後地方の各地でも数多く見ることができる。
 また、中心市街地で水路を良く見かけることも佐賀を象徴する光景だ。
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佐賀駅にある恵比寿像。
 
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中心市街地各地を縫うように流れる水路。呉服町附近。
 
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佐賀名物の「シシリアンライス」。佐賀市では家庭料理としても出されることがあるという。

佐賀平野は西日本有数の広大な平野であるために、郊外にバイパス道路が作られやすかった。現在の佐賀市は、佐賀駅〜旧城下町の附近である中心市街地を取り巻くようにバイパス道路が走っている。そして、新たなバイパスが形成されるたびにロードサイド店が出店し、更にショッピングセンターが出店するという流れが生まれた。周辺地区の住民はこれらバイパス沿いの商業施設を日常的に利用、また大きな買い物は直線距離で40数キロほどの福岡市まで行ってしまうために、「佐賀市中心部に行くことは滅多にない」という人も少なくない。
 これは郊外化が進んだ中小都市では珍しくないことではあるが、ここまで郊外化が進んだ都市は県庁所在地規模では珍しいことである。
 福岡都市圏の拡大に伴ってJR佐賀駅周辺ではマンション建設が進んだ。しかし、佐賀駅から旧来の佐賀市中心部までは1キロほどあり、また鉄道や高速バスで毎日福岡都市圏へ通勤・通学する住民も少なくないために、佐賀市中心商店街の活性化には繋がっていない。
 更に、イオンや複数の家電量販店、紳士服店などは佐賀市内の近郊部に元々あったロードサイド店を閉店し、新しく出来たバイパス沿いに移転するという「郊外化の進展による更なる郊外化」とも言うべき現象が起きている。
現在の商業の中心は2000年に市内北部の旧大和町に開業したイオンモール佐賀大和と、中心市街地近くの佐賀駅北側(兵庫地区)に2006年に開業したゆめタウン佐賀である。
その一方で、市内東部の巨勢地区2003年に開業したモラージュ佐賀は2010年に核店舗である西友が撤退、
佐賀市外ではあるが佐賀市の東側にある三養基郡上峰町に1995年に開業したイオン上峰ショッピングセンター(旧マイカル上峰サティ)はテナントの多くが撤退してしまうなど、郊外型大規模ショッピングセンター同士の競合も激しいものとなっている。
毎秋に開催される佐賀バルーンフェスタにより気球の町としても有名であるが、これも平野が多い土地の特長を生かしたイベントである。市域の南部は有明海に面し、平野が多い印象の佐賀市であるが、市域の北部は山岳地帯であり、福岡市にも接している。なお、佐賀市は福岡都市圏への人口流出対策として、2015年度より「市外に通勤する新卒住民」に対し定期券代の一部補助を行うことを検討しているという。
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ゆめタウン佐賀。
 
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イオンモール佐賀大和。
 
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モラージュ佐賀。現在、西友は別のスーパーになっている。
 
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佐賀玉屋(中心部)より北を見る。佐賀駅周辺のマンションが見える。
 
佐賀(唐人町・白山・呉服町)
 JR佐賀駅は佐賀市中心市街地の北端にある。佐賀駅構内には駅ビル施設である「えきマチ1丁目」が入居するほか、駅の東側には佐賀バスセンターと西友佐賀店が隣接する。西友佐賀店は、佐賀駅周辺で唯一のスーパーマーケットとなっている。バスセンターが近いために、佐賀駅前への路線バスの乗り入れはない。
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JR佐賀駅。
 
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JR佐賀駅前。
 
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JR佐賀駅前より東側。西友佐賀店が立地。
 
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西友佐賀店の東側。佐賀市役所が立地。
 
イメージ 13 JR佐賀駅前より南側、佐賀城方面(唐人町商店街)を見る。

佐賀駅から南に延びるのは中央大通り、通称「佐賀駅前通り」「唐人町商店街」である。佐賀市中心部では近年「元町商店街」「白山銀座」「白山名店街」「呉服町名店街」の4商店会が解散、もしくは自己破産しており、現在は駅前通りである唐人町商店街のみが商店会を持っている。
 既に解散した4商店街が城下町や長崎街道周辺の商人町、宿場町に端を発するのに対し、唐人町商店街(駅前通り)はもともと鉄道利用客を目当てにした店舗と、鉄道輸送を行う問屋街によって形成された商店街であった。佐賀県唯一の大型百貨店である「佐賀玉屋」も1965年に古い中心商店街からこの唐人町商店街に移転した経緯がある。昭和末期には早くも電線の地中化が行われ、大規模な街路整備とアーケード撤去が行われたそうだが、この唐人町商店街も空き店舗が多い状態となっている。
 佐賀駅から1キロほど唐人町商店街を進むと、佐賀市のかつての中心部に至る。唐人町商店街沿いには佐賀市唯一の百貨店である「佐賀玉屋」が立地する。2013年11月までは玉屋のはす向かいに地場総合スーパー日祐本店(のちに福岡市のマルキョウと合併)もあったが閉店し、その跡地は佐賀市が気球博物館として整備予定である。
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唐人町商店街、佐賀駅前。奥に見えるのが佐賀駅。駅周辺にはホテルやマンションが多い。
 
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唐人町商店街、唐人一丁目から北を見る。佐賀駅から500メートルほどの地点でオフィスが多い。
 
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唐人町商店街。佐賀駅から700メートルほどの地点。この辺りは空き店舗も目立つ。
 
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唐人町商店街の西側、佐賀駅から1キロメートルほど。
 
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上の写真の南側、佐賀中央橋前。佐賀駅から1キロメートル強。白山名店街北口近く。
県庁所在地の駅前通りであり、中心商店街に近いが空き店舗が多い。
 
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唐人町商店街の東側、佐賀駅から1キロメートル強の地点より白山名店街の北口を見る。
白山名店街は字上に伸びる。ここは縦の支線部分。
 
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唐人町商店街、佐賀駅から1キロメートル強。佐賀玉屋北側から南を見る。
 
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佐賀玉屋前にある中の小路バス停。右にあるのは佐賀玉屋。
佐賀市の路線バスは西鉄、祐徳、市営(写真)の3社。ICカード乗車券が使えるのは西鉄のみ。
  
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佐賀玉屋。佐賀県唯一の大型百貨店。唐人町商店街に立地。
 
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佐賀玉屋裏手(西側)の商店街、唐人町と平行に走る。左側は佐賀玉屋南館。
 
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エンジェルストリート。玉屋本館と南館の間の商店街、奥は玉屋。唐人町から西に入った場所。
 
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唐人町商店街の南端、佐賀駅から約1.5キロメートル。佐嘉神社近くから北、左奥には玉屋。
右は地場総合スーパー日祐本店(→マルキョウ)だった建物。市立気球博物館となる予定。
 
 唐人町商店街の東側には佐賀県最大の歓楽街である「愛敬町飲食街」や「白山名店街」「呉服町名店街」「中央マーケット」などといった複数の商店街がある。この附近で唐人町商店街と長崎街道も交差する。かつてはこの一帯が佐賀市で最も賑わう場所であった。
白山名店街の東側には1998年に開業した再開発ビル「エスプラッツ」がある。佐賀中央第1市街地再開発事業によって建設され、第三セクター企業「まちづくり佐賀」によって運営されていたこの施設は、大規模商業施設と12階建マンションの複合ビルであり、当初はスーパーや喜久屋書店、グローバススポーツなどの有力テナントも出店、官民一体型再開発のモデルケースとして注目された。
 しかし、先述した郊外ショッピングセンターが同時期に開業した影響もあり、十分な駐車場を持たない商業床の経営は難航、徒歩圏の商店街内でもダイエーや寿屋、南里デパートなどの撤退が相次ぎ、開業より僅か3年後の2001年に16億円の負債を抱え経営破綻、2003年には閉店してしまった。
現在、エスプラッツの商業床は市が保有しているが、1階のスーパーなどを除いてその多くは公共施設となってしまった。このエスプラッツの再生には行政が多額の税金をつぎ込むことになった。
そして、近隣にあった「ダイエー」「窓乃梅・寿屋」「南里デパート」「日祐(→マルキョウ)」などいずれもその跡地が公共施設として、税金により再活用されつつある。
中心市街地の大型店撤退により生まれた「中心市街地のまとまった土地」を公共施設として再生することは
全国的にも多く見られることであり、中心市街地活性化に一定の効果が見られることもある。しかし、佐賀市はそれが特に顕著である。核店舗を失った商店街内に次々と公共施設ばかり増えていくのは、果たして賑わいの創出に繋がるのであろうか。
また、かつて佐賀市で最も賑わう商店街であった呉服町商店街は2008年に商店会が自己破産し、市がアーケード撤去と街路整備費用を肩代わりすることになってしまった。現在は空き店舗対策によって活用されている店舗跡もあるが、空き店舗は増える一方で大きな集客には結びついていない。
 これらの商店街の南側には佐嘉神社があり、唐人町商店街は佐賀城に至る。佐賀城址には佐賀県庁があり、この辺りは官庁街にもなっている。
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白山名店街の中央口。唐人町商店街の東側、佐賀駅から1キロメートル強。玉屋の北向かい。
 
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白山名店街。ここは旧長崎街道にあたり、佐賀市の中心商店街になる。
 
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白山名店街、エスプラッツ附近はアーケードが更新されている。交差するのは復興通り。
 
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エスプラッツ。現在エスプラッツのテナントは1階を除き殆どが公共施設。
手前に南北に走る復興通りは旧長崎街道、愛敬町飲食街の南端にも当たる。
 
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エスプラッツ近く、復興通り。愛敬町飲食街の南側。
愛敬町は佐賀県最大の歓楽街。右奥の中華店は優木まおみさんの実家として知られる。
(但しこの辺りの地名は中央本町で、愛敬町はその北側に当たる)
 
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かつての白山名店街の核であったダイエー跡。ファッションビルとなった後に解体された。
 
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エスプラッツの東側の通り。直進すると佐嘉神社。
左奥の中央マーケットは古い市場商店街。現在も餃子店を始めとして数店舗が営業。
 
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呉服町の西側、白山名店街の南側に平行に走る中央本町商店街。
 
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呉服町名店街。唐人町商店街から東に入った地点。
 
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呉服町名店街。656(ムツゴロウ)広場というイベント広場がある。
 
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呉服町名店街。このあたりは旧長崎街道。左の角を左折すると銀天通り商店街。
通り沿いには空き店舗対策でNPO法人が運営する子供向け書店や佐賀大学の施設もある。
 
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呉服町名店街、アーケード撤去直前の風景。上とほぼ同地点。アーケードは2009年撤去。
 
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かつての核店舗である窓乃梅寿屋。現在は解体され国保会館となっている。
地場スーパー窓乃梅と九州大手スーパー寿屋の共同店舗であった。現在は両方ともに倒産。
 
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もう1つの核店舗であった南里デパート。こちらも解体された。
 
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銀天通り商店街、旧街道の佐賀本陣近く。呉服町側には09年までアーケードがあった。奥は呉服町。
 
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呉服町名店街南側より北を見る。右は旧佐賀銀行呉服町支店跡。
この辺りは旧長崎街道。この近くに佐賀宿の本陣があった。
 
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呉服町名店街の南。左にあるのは深川製磁佐賀出張所。この先に佐嘉神社がある。
 
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呉服町を南に進むと国道246号線の佐嘉神社横に至る。左は佐賀城址。奥を右折すると唐人町。
 
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佐嘉神社。
 
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松原マーケット親和市場。佐嘉神社近くの商店街。ほぼ空き店舗。
 
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佐賀城址から唐人町(北)方面。唐人町商店街の南端附近から城跡にかけては官庁街である。
 
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佐賀県庁。佐賀城址に立地。

大和
 佐賀市北部の大和町は、平成の大合併により佐賀市に合併した都市の中で最も人口が多かった(約2万2000人)。
大和町は長崎自動車道の佐賀大和インターチェンジの開業と、それに伴うバイパス整備以後急速に発展、また、自動車による福岡市へのアクセスも比較的良好であり、佐賀・福岡両市のベッドタウン化が進んだ。
尼寺地区の国道旧道沿いには小規模な商店街があるものの人口規模に見合うものではなく、現在の中心はイオンモール佐賀周辺である。
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大和町の中心部。イオンモールから。
 
諸富
佐賀市南部の諸富町は筑後川沿いの町。1987年に廃止された旧国鉄佐賀線の筑後川昇開橋があることで有名。中心商店街は筑後川近くに広がる。
対岸にはかつて筑後川の河川物流の一大拠点であった大川市の若津港があるが、諸富側にも諸富港という港があり、若津港とともに栄えた。
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諸富市街地。
 
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中心市街地の核であるマミーズ諸富店。
 
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筑後川昇開橋。奥が諸富町、諸富港周辺。
 
参考:佐賀新聞,2008年11月10日銀天通り振興組合 年内解散へ」
佐賀新聞,2008年5月31日:「佐賀市呉服町名店街協組 自己破産申請へ」
佐賀新聞,2008年8月25日:「呉服町アーケード撤去へ 佐賀市」
佐賀県教育センターウェブサイト内「佐賀市商店街の空洞化とエスプラッツの閉鎖」
佐賀市など発行のパンフレット、エスプラッツ等のウェブサイトなど

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福岡県うきは市  市制:2005年3月20日
 【人口】31,640人(増加率:-3.8%)、外国人数147人
 【面積】117.55k㎡
 【平均年齢】47.5歳
 【事業所数】1336事業所
 【年間小売販売額】243.4億円(増加率:3.9%)(※ゆめマート開店前)
 【大型店面積合計】22,983㎡
 【主要駅など】筑後吉井駅、うきは駅、西鉄吉井バスセンター
 【主な市街地大型店】マックスバリュ吉井店/浮羽プラザ・Aコープ浮羽
 【主な郊外大型店】イズミゆめマートうきは店、サニー吉井ショッピングセンター
 【主な撤退大型店】大塚デパート(吉井寿屋)(→白壁交流広場)、マルショク吉井店
 【主な商店街】筑後吉井
 【主な観光地】筑後吉井の白壁の街並み、温泉、棚田
 【主な事業所】キャニコム(筑水農機・本社)
(人口など:'10年国調、面積:'12年国土地理院、事業所:'12年総務省経済センサス、小売:'07年経産省商業統計、大店面積:'12年4月)


明治時代にタイムスリップ!現在も賑わう白壁土蔵の商店街

 うきは市は2005年に浮羽郡吉井町と浮羽町が合併して誕生した、福岡県南東部の都市である。
城下町であった福岡県久留米市と天領であった大分県日田市の間の筑後川沿いに立地し、古くから陸運、河川交通ともに発達、宿場町、商人町として大いに栄えた。
 全国的にはそれほど有名ではない町ではあるが、中心市街地である吉井地区の国道210号線沿い(旧筑後街道)には明治期の町並みが驚くほど綺麗に残っている一方で、現在は隣接する久留米市のベッドタウンともなっている。
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国道沿いに並ぶ美しい白壁の建物。
 
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伝統的な街並みを残しながら現在も中心市街地として、幹線道路として賑わう。
 
筑後吉井
 うきは市の中心商店街は旧吉井町の国道210号線沿いに広がる。
 筑後吉井の中心部は重要伝統的建造物保存地区に指定されており、国道沿いには明治期に建てられた白壁(なまこ壁)の町並みが続く。これら中心商店街の建物の多くは1869年の吉井大火後に建築され、1903年には現在の国道210号線沿いに軌道線も敷かれた(1923年に国鉄久大線開通により廃線)。
 重要伝統的建造物保存地区(伝建地区)とは、1975年の文化財保護法改正により定められたもので、地元自治体からの申請により国によって指定された町並み保全地区のうち、特に重要なものがそれに該当する。このような幹線道路沿いに、これだけの伝統的町並みが残存しているのは珍しいことである。
 しかも、特筆すべきはそれら伝統的家屋や復元家屋の多くが、老舗呉服店や観光客向けの菓子店、ギャラリー、古美術店などに留まらず、印刷所や書店、塾など、市民生活と密接に関わる「普通の店」として活用されているということだ。
 吉井町の町並み保全は1984年に「白壁保存と活性化を考える会」が発足したことに端を発する。1993年には旧吉井町が「町並み保存地区保存条例」を制定。これは保存地区を指定し、保存地区の個人住宅への修復補助制度などを定めたもので、これにより建物の保存・修復・復元工事が開始された。更に、住民の意識調査や保存対策調査を経て、1995年からは国の「街なみ環境整備事業」も開始、1996年より重要伝建地区にも指定された。それ以後、失われていたなまこ壁の復元や電柱の地中化も進むことになり、2011年には国道210号線沿いの電線地中化が完了した(写真の一部は電線撤去前のもの)。
 これほどの規模の街並み保存は行政主導のみで出来るものではない。伝統的街並みに対する住民の理解と協力も大きな後押しとなっている。2015年現在、環境整備助成事業により吉井市街地で保全や復元の対象となっている建物は300軒弱にものぼり、そのうち「鏡田屋敷」「居蔵の館」「うきは市吉井観光会館土蔵」などは見学することもできるほか、個人商店として活用されている場合でも見学されて貰える店舗もある。
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国道210号線沿い。白壁の街並みの西側から東方向を見る。本町から札ノ辻方面。
 
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国道210号線沿い、札ノ辻から中町。鏝絵が素晴らしい。電線撤去の直前。
 
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国道210号線沿い。白壁の街並みの中央部、中町から上町。蔵しっく通りの愛称もある。
 
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国道210号線沿い、上町。電線撤去の直前。実は創建当時は黒漆喰を使った建物も多かったそう。
 
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国道の北側にあたる白壁通り、国道から北側。
 
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白壁通り。見事な街並みが続く。
 
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白壁通り。
 
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白壁通りの奥にある「居蔵の館」は精蝋業で財をなした旧松田家住宅。
 
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居蔵の館。
 
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居蔵の館。
 
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観光協会が管理している土蔵。見学できる。
 
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街並みに合わせた形のエアコン室外機の覆い。
 
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この水路は庄屋によって造られた南新川という農業水路。
製粉用水車も設置されていた。立丁通りに沿って流れる。
 
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素盞鳴神社(すさのおじんじゃ)は明治時代の神仏分離令により廃寺となった旧東光寺跡の建物。
つまり「旧お寺の居抜き物件に神社が入居している」という状態。

 商店街の中央部には「白壁交流広場」という大規模な広場と駐車場が整備され、イベントなどに活用されている。ここは2001年に閉店した中心商店街の核店舗となっていた大塚デパート(地場百貨店、のちに寿屋系列)跡地の再活用。この広場と駐車場の設置は白壁の町並みの連続性を欠くものの、古い商店街の駐車場不足の解消に大きく寄与することとなった。車での街並み見学の際にはここに駐車すると便利だ。
 吉井の中心商店街は幹線道路に位置し、バスセンターや駅も近く、久留米市のベッドタウンとなっていることもあり、小都市ながら中心商店街の空き店舗は比較的少ない。近年は街並みの整備に伴い観光客向けのギャラリーや古美術店の出店も増えており、地元向けの店舗の中に観光客向けの店舗が混在する状態となっている。
 なお、白塗りでお馴染みのゴールデンボンバー樽美酒研二さんはこの近くの出身である。
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白壁交流広場。かつては大塚デパート(地場百貨店)があった場所。
九州最大手スーパーの寿屋系(倒産)となったのちに2001年閉店。
 
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マックスバリュ吉井店(旧タイホー吉井店)。
国道210号線沿い、吉井市街地の東端に当たる。白壁の町並みに合わせた建物。
 
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マックスバリュやバスセンター近くの奥。右のアパートも街並みに合わせた形。
 
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西鉄吉井バスセンター前の国道210号線沿い、吉井市街地の東端。ここから東は電柱がある。
これより東は少数残る商家建築も空き家であったり、保存活用されていないものが多い。
 
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西鉄バス久留米・吉井営業所。久留米方面へのバスの本数は比較的多い。
 
 白壁の街並みの数百メートル北側には国道210号線バイパスが通っており、一時期は自動車の混雑が激しい時間帯もあった白壁の街並みの交通事情も大きく緩和された。その一方で、中心市街地の中・大型店は撤退する店舗も出始めている。
 うきは市役所もバイパス沿いに立地しているが、白壁の街並みからも徒歩圏である。
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吉井市街地すぐ北の国道バイパスには総合スーパー「ゆめマート」などロードサイド店が建つ。
ゆめマートのある場所はかつて大塚デパート(寿屋)の移転予定地であった。

浮羽(筑後千足)
 旧浮羽町の中心部はJRうきは駅周辺。うきは駅は1990年まで筑後千足駅という名前であった。中心市街地には1998年まで北九州市の百貨店「井筒屋」も出店していたことがある。
 浮羽町北側の筑後川沿いには筑後川温泉があり、鵜飼が名物となっている。
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浮羽市街地。国道沿い、うきは駅方面。吉井市街地から商店や住宅が途切れることなく続く。
 
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浮羽プラザ(旧浮羽井筒屋百貨店)前。井筒屋跡にはスーパーバリューなどが入居。
 
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浮羽市街地。Aコープも浮羽市街地の核店舗。
 
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道の駅うきは。国道210号線沿いに立地。
 
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道の駅から西側を見る。浮羽町の街並みと耳納連山。
協力:うきは市、吉井観光協会、九州 都市学会
参考文献:藤田直子ほか(2014):筑後吉井伝統的建造物群保存地区における町並み景観の連続性に関する研究.
都市計画報告集(12).pp.181-184
      うきは市発行資料、観光パンフレット、うきは市吉井町の方々

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兵庫県明石市  市制:1919年11月1日
 【人口】290,959人(増加率:0.0%)、外国人数2742人
 【面積】47.20k㎡
 【平均年齢】44.0歳
 【事業所数】9657事業所
 【年間小売販売額】2253.4億円(増加率:0.9%)
 【大型店面積合計】227,591㎡
 【主要駅など】JR・山陽電鉄明石駅、JR西明石駅、明石港
 【主な市街地大型店】駅前再開発ビル(建設中)、明石駅ビル(改築中)、アスピア/プリコ西明石
 【主な郊外大型店】イオン明石(旧マイカル明石)
 【主な撤退大型店】ダイエー(→再開発中)、フォーラス(→雑居ビル「ラメール」)
 【主な商店街】魚の棚、銀座、桜町、本町、喜春、明淡など/西明石/大久保など
 【主な観光地】魚の棚、天文科学館、明石城、明石海峡、海水浴場、玉子焼き、蛸
 【主な事業所】川崎重工業、三菱重工業、富士通、ノーリツ、アサヒ飲料
(人口など:'10年国調、面積:'12年国土地理院、事業所:'12年総務省経済センサス、小売:'07年経産省商業統計、大店面積:'12年4月)


度重なる再開発によって翻弄され続ける駅前と業態特化により賑わうタコの町の商店街
 「子午線の町」として知られる明石市は兵庫県の瀬戸内海沿いに面する都市である。
 市域は沿岸部の東西に細長く伸びる。市域のほぼどこからでも海を見ることができ、対岸には淡路島を望む風光明媚な都市である。源氏物語にも登場し、古来から港町、そして城下町として発展してきた明石は、戦前より阪神地区のベッドタウンとして、また播磨臨海地域の工業都市として人口が急増した。流れが早く、漁礁の多い明石海峡周辺は優良な漁場であり、明石で水揚げされた海産物は「まえもん(港前のもの)」として呼ばれる。
 ベッドタウン化した現在も漁港としての活気は失われていない一方で、明石海峡大橋の架橋により「四国・淡路島の玄関」の座からは降りることとなった。
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上空から見た明石市・淡路市・神戸市垂水区附近。
 
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子午線上にある天文科学館は明石のシンボルの1つ。山陽電鉄には阪神電車も乗り入れる。
 
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明石名物「玉子焼き」(明石焼き)

明石
 明石市の中心駅である明石駅は明石城の敷地を利用して建設されたもので、駅の北側には明石城を望むことができる。明石城址は明治時代に旧士族の尽力により県立明石公園となった。
 明石城には元々天守は存在していなかったが、重要文化財に指定されている櫓などが現存しており、街のシンボルとなっている。この櫓は西明石に近い場所の沿岸部にあった船上城と、京都の伏見城からの移築と言われ、阪神淡路大震災では大きな被害を受けたが後に修復されている。
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夕暮れの明石駅と明石城。姫路からの山陽電鉄と鳥取からの特急スーパーはくとが並ぶ。
 
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明石公園から見た市街地。奥の山は淡路島になる。
 
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明石公園。明石城の庭園造営には宮本武蔵が関わったとも言われる。
 
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明石駅北口。明石公園に隣接。
 
 明石市の中心市街地は、明石駅の南側に広がる。明石駅にはJR山陽本線と山陽電鉄本線が発着し、2路線を合わせた乗降客数は1日約13万人。明石駅には約100店舗が入居する駅ビル「ステーションプラザ明石」があるが、東館・西館は2015年1月より耐震補強と改築により南館のスーパー「パントリー」など3店舗を残して閉店中。2015年末までには大きく変わる予定だ。なお、明石駅は現在高架駅であるが、山陽電鉄では明石駅の西側でも高架化工事をおこなっている。
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明石駅南口。
 
 一方で、明石駅南口も現在大規模な再開発中である。これは明石駅前南地区第一種市街地再開発事業によるもので、駅前にあった旧ダイエー明石店跡や古い雑居ビルなどを大型複合ビルに建て替えるもの。予定事業費は324億円で2016年末開業予定。
 複合ビルには明石市初の34階建てタワーマンション(高さ125メートル)のほか、現在は兵庫県立図書館と併設される形になっている明石市立図書館を始めとした公共施設、医療モール、大型商業施設が入居予定となっている。しかし2015年現在、商業床の核テナントはジュンク堂書店と銀行など以外はまだ決まっておらず、今後の動向が注目される。このビルの1階には、再開発地区にあった明石焼き(玉子焼き)の店なども多く入居する予定だ。これらの明石駅南口の2つの再開発地区南側には国道2号線が走り、多くのオフィスビルや金融機関が並ぶ。 
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大規模再開発中により人もまばらとなった明石駅前。
 
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国道2号線より。左側は再開発地区と明石駅。
 
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再開発完成予想模型(喜春商店街にて)。手前が明石駅。
 
 再開発地区の西側には隣接して「ラ・メール」という10階建の大きなビルがある。これは1998年までイオンのファッションビル「明石フォーラス」だった建物。この閉店は、市内大久保に開店したマイカル明石(現:イオン明石店)の影響もあったと言われる。フォーラス撤退直後は一部物販店も残ったものの、現在は雑居ビルとなってしまった。元々この建物もバブル期の民間再開発により建設されたもの。そして、奇しくもイオンフォーラスの息の根を止めたマイカル明石は後にイオングループすることとなる。
 この辺りは「喜春商店街」という商店街であるが、この商店街も一部が再開発地域に入り、解体された。ラメールの西側の通りは明淡商店街へと繋がる。 
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喜春商店街附近。左のビルはラメールビル(旧イオンフォーラス)、左手前は明石駅。
 
 明石駅の東側には再開発に伴う仮店舗である「明石ときめき横丁」があるほか、商業施設、住宅、公共施設の3館体制の複合ビルである「アスピア明石」がある。明石ときめき横丁は2013年11月に開店、再開発地区の雑居ビルや喜春商店街にあった店舗が入居し、再開発ビル完成までの3年間営業を続ける予定となっている。
 アスピア明石は東仲ノ町地区第一種市街地再開発事業により総事業費約380億円をかけて2001年に開業した商業施設、公共施設、マンションによる3館体制の複合施設。しかし、アスピア開業直前に市内大久保に「マイカル明石ショッピングセンター」(現:イオン明石店)が開業したこともありテナント誘致は難航、現在は「トイザらス」「マツキヨ」「タワレコ」「リブロ」などの大手テナントと地場スーパー「マルハチ」などが入居するものの北館1階の大部分はパチンコ屋となっている。それでも「ダイエー」「フォーラス」が撤退した現在は、明石駅前では数少ない大規模商業施設として非常に賑わう。
 アスピア明石の開店当時、大きなライバルとなっていたマイカル明石も元々は工場跡地を再開発して生まれた物件。ここ20数年の明石駅前は、こうして幾度となく繰り返される再開発に翻弄されてきたとも言える。
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明石ときめき横丁とアスピア明石。
 
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明石駅の東側、ときめき横丁前の交差点より海方向。奥に見えるのは明石銀座アーケード。
 
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明石銀座入口より東側、人丸方面。左にアスピアの住宅棟が見える。右に進むと海。
 
 明石市の中心商店街は国道2号線の南側に広がり、明石駅南口の駅前通りである「明石銀座商店街」、そして駅前に東西に延びるアーケード商店街の「魚の棚」である。「魚の棚」は「うおんたな」と読み、つまり「魚の店」という意味。商店街の多くの店は鮮魚店や海産物を出す飲食店だ。アーケード総延長は約400メートル弱であるが、商店街内の海産物関連店舗は実に100店舗を超え、大いに賑わう。
 神戸市や大型店への流出により一時期は衰退しつつあった中心商店街ではあるが、業態特化により蘇った例とも言える。空き店舗にも近隣の鮮魚店が出店したり、海産物を提供する新たな飲食店の進出が多く見られるほか、観光客への増加に対応するために海岸沿いには大型バスの駐車場も設置された。
 明石漁港は商店街に近いため、昼にも水揚げが行われ、小売店が直接セリにかける方式で日中にも
水揚げされたばかりの新鮮な魚が商店街で販売される(「昼網」という)。駅前通りである明石銀座にも海産物に関連した店舗が多く見られる。この明石銀座はかつて明石の海の玄関としても賑わった商店街で、片屋根式アーケードが設置されている。明石銀座を海方向に向かうとかつてのフェリーターミナル。明石銀座の東側にある「桜町商店街」「鍛冶屋町商店街」は飲食店が多い。
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明石銀座。左側に見えるのは魚の棚の入口。左奥が明石駅になる。
 
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桜町商店街。飲食店が多い。
 
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明石銀座、旧フェリーターミナル近く。正面がフェリーターミナルのあったところ。
 
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魚の棚。非常に賑わう。
 
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魚の棚。アーケード中央の赤い商店街灯はタコを模したもの。
 
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魚の棚。右側に「魚の駅」という商店街交流施設・ギャラリーがある。
 
 明石銀座を進むと、魚の棚に沿って旧山陽道沿いに東西に走るロードサイドの商店街は「明石本町商店街」。ここには片屋根式アーケードが設置されている。この商店街には芝居小屋を改造した「明石日活」という木造の映画館があり、主に日活ロマンポルノなどを上映してきたが、2014年12月に閉館した。この辺りは「キネマ通り」とも呼ばれており、木造映画館跡の再活用も模索されている。
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明石本町。左奥にある低層の建物が明石日活。かつての日活ロゴも見える。

 本町商店街を経て明石銀座を南に進むと明石フェリーターミナル跡がある。ここからは長年に亘り「たこフェリー(明石淡路フェリー)」が対岸の淡路島(淡路市岩屋)まで就航しており、明石の海の玄関として賑わっていた。1998年の明石海峡大橋開通までは非常に利用客が多く、2000年代に入っても終夜運航が続けられていたが、原油高の高騰による値上げなどにより利用客は漸減、2010年には廃止されてしまった。
 フェリーターミナル跡はマンションギャラリーや駐車場となっており、往時の賑わいはないが、港内には明石漁港の漁船が多く停泊している。 
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夕闇の明石漁港。たこフェリー跡地附近より。
マンションに囲まれた漁港はベッドタウンの様相であるが、漁船の数は非常に多く活気がある。
 
 一方で、明石から淡路島までの高速艇「ジェノバライン」は現在も就航している。ジェノバラインを降りた客は、魚の棚の西側に明石銀座と並行に走る「明淡商店街」を通り、「喜春商店街」附近を経て明石駅方面へと向かうことになる。この商店街の名は明石と淡路島を結ぶ、という意味でつけられたものだ。 
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明淡商店街。片屋根式アーケードがある。左は魚の棚入口。
 
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明淡商店街。奥は喜春商店街とラメールビル。ラメールビルの右奥は明石駅になる。

西明石(小久保)
 西明石駅は明石市小久保地区の中心駅である。明石市唯一の新幹線停車駅であり、隣接する神戸市西区や加古川市などの利用客も多い。
 この西明石駅周辺にも大きな市街地集積があり、複数の商店街があるほか、川崎重工業明石工場もある。
 西明石の新幹線駅舎内には「プリコ西明石」という商業施設が、在来線の駅前にはダイエーグルメシティも出店しており、人通りは多い。 
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新幹線西明石駅。駅舎内にはプリコ西明石がある。
 
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新幹線西明石駅の高架下にあるのは夢通り商店街。
 
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西明石北商店街は一部に片屋根式アーケードもある。奥は在来線西明石駅。
 
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在来線西明石駅前、西明石北商店街。国道2号線と交差する。
 
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国道250号線沿い。西明石駅をアンダーパスする。
 
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在来線西明石駅の南口、西明石南商店街。愛称はぷらっと西明石。街灯は交換されたばかり。
 
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西明石駅南口・西明石南商店街の西側の通り。
  
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ダイエーグルメシティ西明石店。
 
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西明石南商店街。非常に活気がある。商店街東側には川崎重工業明石工場が立地。
 
参考:明石駅前南地区市街地再開発組合ウェブサイト、明石市ウェブサイト
観光パンフレット、ときめき横丁案内パンフレットなど

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みなさま、新年あけましておめでとうございます。
本年も都市商業研究所を宜しくお願い致します。
 
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