アクセル全開アクセル・ホーネット

不確実性の哲学と宗教的な決定論はどちらが正しいのか?という二項図式の彼岸へ

就活どうにかしろデモ

就活どうにかしろデモ、が存在するという、このようなかたちで社会批判が噴出するのは遺憾だ。なぜなら、就活・就活の意味を問い直すという純粋な意図での行為ではないからだ。就職氷河期における、プロレタリアートやプレカリアートに加えてインテリ層もこのデモを支持しているが、インテリ・学者が本当に批判的思考をできるのであれば、就活どうにかしろデモ、という形での中途半端な複雑性の縮減によるルサンチマンの発露は哲学的にチョーださい。

そうじゃなくて、社会のせいにするのではなくて、内面の啓蒙の方が、今世紀に生き、死にざるをえないジェネレーションには適切だからだ。

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わからない

ボードリヤール→シュッツ→フロイト→パーソンズ→ニーチェ→ルーマン→科学哲学→ボルツ→仏教→ホネット→テイラー

なぜこうも偶発的にこの流れで読むことになったのか。特に、ホネット→テイラーの流れが本当に超越的な力によって導かれているような気がしてビビる。無意識なのに、まるでGGユングの絶対的無意識に導かれているようだ。

世界は人知を超える

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ブーズ

私は大学で社会学の研究をしておりますが、現代社会は危機に陥っていると言えると考えております。昨今の金融危機により、今後の経済は低成長になり、それに伴い、家計も圧迫され、以前ほど豊かな生活を送れない人口が上昇すると思われます。また、さらに、「後期近代」と言われる現代において、人々の価値規範はバラバラになり、高度経済成長やバブルや高度情報化により社会が「成熟化」したゆえに、人々の関係性の濃密さもより薄くその場限りの一時的なものへと変化しつつあります。このような経済的には低成長社会であり、更に社会的紐帯が弱体化した社会ににおいて、求められる適切な生き方は、経済面での圧迫による負担を、人々のあいだに情緒的な関係性を築くことであると考えています。そのためには、前提条件として、より的確・スピーディかつローコストにビジネスが達成される必要があると思います。それにより、経済的に低迷した中でも、人々の生活の苦労の少ない社会がつくれると思います。そのため、私はコンサル業務に従事して日本社会の人々を支えていきたいのです。



フェルミ推定って何?うまいの?
二日でマスターしてやるぜ

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ジョジョ

でも、ボルツやホネットがんばったところで成熟社会の病理化というアポリアはとまんないよ

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the Obsessive Compulsive Disorder 2

脱社会的存在のすすめは社会学の、外部の規範を内面に染み込ませる社会化という概念のもつ、社会が底が抜けているために社会化された内容の恣意性に気づくことで内面が破綻することの危険性を回避するため社会化されたことを再帰的に見直すことのすすめということだろう。

柔和な脱社会的存在とはどういうものかさらにつっこんで考えてみる。

社会はさまざまな悩みがつきものでそれらから逃れるためには社会規範の恣意性にきづき脱しなければならない。そしてその先がある。脱したあとの落ち着く場所はこのブログでも何度も触れている絶対的無意識なのだ。絶対的無意識はエネルギーにみちあふれたプラスの波動を持っている。社会化された内容の恣意性はもちろん理解した上で誤ったものは回避できるようになる。俗事に翻弄されない。といっても身体が社会に属している限り社会性から逃れることはできない。だが、内面が世界に、絶対的無意識に開かれているためにその意味で社会的ではない。これが柔和な脱社会的存在は社会と世界をいったりきたりできるということだ。


ちなみに、社会とはコミュニケーションで関係がなる全て、であり、世界とはそれ以外のもの、だ。




この社会に生きることは必然的に社会的に関係を持つということだ。関係を持つということは影響力を相互に及ぼしあうということだ。影響は無意識にまで浸透することがある。

人は幼児期にまず親との関係においてネガテイブな体験をする。自分の思い通りに親がならないことにきずくのだ。このとき自己と他者の線引きが行われるのだが、それは不安感をもたらす。これが去勢不安だ。このときの不安感が無意識にまで刻印されて自我が発達した後にものこる。意味のわからない不安感や寂しさがそれだ。

そして、社会の規範を身につけていくうちに、言い換えると、社会化していくうちにあるいは超自我を形成していくうちに、無意識へのさまざまな影響が与えられる。それが精神疾患の原因になったりする。

だが、無意識の葛藤を殺す特効薬がある。それは成長過程で形成されていく無意識のさらに下にある無意識に気づきその存在を承認することだ。それは絶対的なエネルギーを持つ。みんな気づいていないだけだ。




この社会に属することで社会的な悩みを人はもつことになる。その悩みは俗世界の悩みだ。コンプレックス、嫉妬、後悔、怒り、など否定的な悩みは大体これにあてはまる。

そのような感情を感じないようにするには、この社会に属しつつこの社会に翻弄されないというのがひとつの策だ。表面的にはシステムに適応しつつ、内面では社会から脱適応するのがよいということだ。脱適応とは不適応ではなく適応というものそれ自体から離脱することだ。これが実は社会で生きるのに最も適応した形となる。脱社会的適応が社会的適応という逆説的なものになる。

では脱適応してどうするのか。心の属する対象を自分に変えればいい。自分とは絶対的なエネルギーだ。言葉で言うのは簡単だがこれが難しい。社会で生きることを避けられない以上、俗世間に接しながら俗世間から離脱するのは可能か、という命題の真偽の問題となるからだ。



カントの経験的超越論的二重体概念は知覚による経験と現象学的還元(=超越論的還元、簡単に言うと対象への総合的な認識を主観的に統覚すること。)による主観的認識により人間の認識(意識)は成立するということ。だからカントはこの二つの認識審級に思考を制限されるという。これに対してフーコーは現象学的還元による認識は固有的かつ単数的やけど、経験的認識は個人を規定する社会的諸関係のアンサンブルとして成立するから人間の認識は規律権力という社会内に無数に張り巡らされた思い込みによって制限されるというわけ。規律権力を、イデオロギー的装置に置き換えるとアルチュセール的に、資本主義下の家族システムによるオイディプス装置に置き換えるとドゥルーズ=ガタリ的になる。

結局カント以降において構造主義的な認識はずっといわれとうわけで、ソシュールやバルトの言うように言語的な限界、パーソンズの言うようなシステム論的な限界も含めて、認識は真に主観的な意味で中心性を持たないといえるわけ。

でもここでW.ジェームズの感情は意思による選択の結果であるという意思心理学を持ち出すと、主体的に自分の思考形式は選べるということになるわけ。しかも、力動的にがんばって思考の転換をするんでなくて普通に穏やかにできるという風にジェームズはいう。

たとえば、辛いという感情の原因感情や社会的素因や生得的素因とかの誘因を把握してその認識の偏りを理解して意図的に余裕で改める、認知心理学的な方法を援用すればこういうことになる。

これがあくまで哲学史的な思考をふまえたありふれた処方箋やと思う。でも科学はまだ成長途中やしこれではまだ不十分と感じるのが絶対的無意識の観点からのおれの意見かな。



平和には二種類ある。

スウェーデンの平和学者ヨハン・ガルドゥングの言う消極的平和と積極的平和だ。

消極的平和は単に直截的暴力のない状態のことだ。

積極的平和は直接的暴力だけではなく構造的暴力のない状態。構造的暴力とは人間の能力の全面的な開花が妨げられている状況を指す。

積極的平和は成立可能か?

人々は悩んでいる。目標達成の失敗、恋愛の悩み、孤独、所属コミュニティ内でのポジショニングに関する葛藤、黒歴史問題、労働・金などの必要最低限の生活を営む上での苦難、病気、死、喪失、   いろいろあると思う。

先の問いを言い換えると、これらの問題を個人が解決するために精一杯努力でき、かつ達成可能性の度合いが十分にあるか?、ということになる。

答えはイエスでもありノーでもある。わからない。

積極的平和がなされているならば個人の努力問題だろう。しかし、努力することさえ社会的に達成できないのならば個人の努力問題というように還元することは無理だ。個人の力で社会を変えるのは難しい。

だから、そのような社会を成立させるのが社会的な課題となる。がんばることのできる素を設定しておかなければならない。すべての領域で。

それを可能にさせることができる人種は限られていると思う。これに気づいているもの、そして、完全な社会を志向するものだ。

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