津久井あれこれ

東京で考える津久井のこと。三太物語、尾崎咢堂、そして津久井の歴史…

浪曲「風雲児尾崎咢堂」

イメージ 1
 
咢堂尾崎行雄が主人公となる浪曲のLPを手にいれました。
 
そのクレジットを紹介してみます(浪曲のことはよくわかりませんが…)。
 
口演:京山幸枝若(きょうやま・こうしわか、初代、1926-92)
      *関西系の有名なかたのようです。いい声で、よく歌ってます。
 
曲師:藤信初子(1918-?)・小池菊江(1919-2000)
       *三味線のデュオ、いい感じです。
 
作:小菅一夫
        *戦後、浪曲のラジオ番組の制作などをされていたかたのようです。
 
時は昭和25年、舞台は咢堂の住む逗子の風雲閣。
そこに「健吉」という人が、鯛を手土産に訪ねてきます。
 
この「健吉」は、河内出身の無法者で、明治の中ごろ京都で咢堂を暗殺しようとして失敗、警察に連れていかれるところを咢堂に助けられ、それを恩義に感じて咢堂の俥曳くるまひき)になって、「この先生のためなら命はいらない」と思うようになった人のようです。
 
多分、これは史実ではないと思います。
咢堂が暴漢に襲われたので有名なのは、大正6年、明治座での「討伐演説会」の事件ですが、この暴漢については情報がないので、よくわかりません。
 
咢堂は「健吉」に酒をのませて、河内音頭を歌わせたりします。
 
そこに「ふみ」さんが出てきて、アメリカ大使館から電話がかかってきたことを告げます。
この「ふみ」さんは、実在の咢堂の看護婦兼秘書の「服部ふみ」さんのことです。
 
電話の内容は、アメリカの「日本問題審議会」からの招待で、実在の元駐日大使グルーの名前も出てきます。
 
咢堂は、すぐに「行こう」と返事をします。
 
この招待旅行は実際あった話で、出発は昭和25年5月16日、帰国は6月27日でした。
このとき、あの美空ひばりとの出会いがありました。
行きの羽田からハワイの飛行機の中と、帰りのハワイ滞在中の海岸でのロケ現場。
美空ひばりは、ちょうど「東京キッド」の撮影でした。
 
このあとは、咢堂のアメリカ行きの抱負やら、サクラの話やらで、最後に昭和29年(1954)10月6日に亡くなったことも出てきます。
 
もう57年も前ですね。
この小菅一夫さんの作品も、そのころのものでしょう。
咢堂人気が偲ばれます。
 
このテイチクのLPレコード(NT-1317)は「ステレオ」録音なので、1960年代か70年代の制作でしょうか。
貴重な音源です。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

神奈川県のスイス

イメージ 1

▲『新少年少女文学全集30 青木茂集』(ポプラ社、1965年)の口絵より

どうも最近、神奈川県知事の松沢さんが、ヘリコプターで県内を一回りして、「津久井は神奈川のスイスだ」と言ったらしい。

でも、あの「花荻先生」は、「津久井はスイスみたい」って、かなり前から言ってました。

「はあ、はじめて赴任いたしましたところ、まるでお話のアルプスの村にでもまいったようにぞんじましたくらいで。…」(「三太と新かぜ薬」より)

「舞台は野外でどうでしょう? ましてこのへんは、テルの舞台であるスイスの山村そっくりの風景のようですし、出し物も〈ウィリアム・テル〉にきめましょう。…」(「三太と野外劇」より)

「三太と新かぜ薬」は『小説三太物語』(光文社、1951年)が初出、『三太の夏休み』(少年少女学研文庫316、1970年)に再録。

「三太と野外劇」は『三太の湖水キャンプ』(少年少女学研文庫325、1972年)が初出。

どちらも、いちばんポピュラーな偕成社文庫版『三太物語』には収録されていないので、なかなか目にする機会がないと思います。

「三太と新かぜ薬」は『小説三太物語』の復刻版(光文社、2005年)で見ることができますが、これも版元では品切れ状態なので、街の本屋さんに在庫があるかどうか、です。

ちなみに、偕成社文庫版『三太物語』も、版元品切れ(多分絶版)状態なので、もう「三太物語」の本は書店では買えず(本屋さんに在庫があればラッキー)、あとは図書館に行くか、古書を探すかです。

残念です。

閉じる コメント(2)

閉じる トラックバック(0)

清水酒造の「湘山」

イメージ 1

▲「湘山」のラベル

津久井に造り酒屋は2軒、根小屋の久保田酒造と中野の清水酒造である。

久保田酒造は、前に紹介した「串泉」はともかく、いまのメイン・ブランドは「相模灘」。
なんか相模湾沿岸の蔵元のようだが、多分相模の国における灘のような酒、の意だろう。
あまり津久井とは縁のない名前である。

もう一つの清水酒造は「巌乃泉」。
この名前の由来は、ひとことでは語れないので、別の機会にゆずるが、やはり津久井とは関係ない。
そんな中、数年前に発売された「湘山」というブランド名は、山国津久井にふさわしいといえるだろう。

江戸時代後期から、相模の国の文人たちは、相模の「相」の字にさんずいをつけて「支那趣味(シノワズリー)」を楽しんでいた。
彼らにとって、あこがれの唐土の景勝地「瀟湘八景」の「湘」の字をみるだけで、その「支那趣味」を満足させたようだ。
だから相模湾は「湘海」、相模川は「湘水」、丹沢山塊は「湘山」(そのなかの大山を指す場合もある)などと勝手に読み替えて、漢詩や、漢文調の文章をものしていた。

「湘南」なんかもその一つだけれど、この「湘南」問題もまた別の機会に…。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

津久井の銘酒「串泉」

イメージ 1

▲『横浜貿易新報』昭和7年10月11日より

根小屋の久保田酒造が造った清酒「串泉(かんせん)」の新聞記事。
前を流れる串川が名の由来で、当時『横浜貿易新報』の推薦もあって、神奈川県を代表する銘酒だった。
ちなみに『横浜貿易新報』推薦の県下十大特産品には、この「串泉」のほか、箱根細工や鎌倉ハム、小田原籠清の蒲鉾などが含まれていた。

久保田酒造もなかなかの商売上手で、「串泉」は当時横浜随一の繁華街伊勢崎町にあったデパート野沢屋の専売品だった。

この「串泉」、いつまで造られていたものか?
横浜でしか買えなかったせいか、津久井では、この酒の評判も、また飲んだことのある人の話も聞いたことがない。

幻の銘酒「串泉」、一度飲んでみたかった…。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

道志村立道志小学校

イメージ 1

▲道志村の村立道志小学校。

青木茂は、三太のかよっている小学校を、ときどき「道志村小学校」と書いている。
映画化されたときなどは、架空の地名ということを意識してか「道志川小学校」としたものもあった。

本物の「道志村」の小学校は「道志村小学校」ではなく「道志小学校」だったが、やはり分かりにくいことには変わりない。
青木先生も悩ましいことをしたものだ。

それはともかく、道志川で結ばれていた本物の「道志村」と三太の「道志村」は、1955年にその間にダム(奥相模湖)ができて、上流と下流が分断されてしまった。
本物と三太の「道志村」問題は、これがいちばん大きな問題なのかもしれない。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

[ すべて表示 ]


.

ムサシ中野
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

  今日 全体
訪問者 1 1566
ブログリンク 0 1
コメント 0 11
トラックバック 0 0
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

標準グループ

開設日: 2008/6/28(土)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.