日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全112ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]




灌仏会・花祭り
 
旧暦4月8日は仏教の開祖であるお釈迦様の誕生日で、寺院では
お釈迦様の誕生した時のお姿(右手で天を、左手で地を指さして
 “天上天下唯我独尊” と唱えた)を表わした誕生仏を安置し参詣者が
甘茶を灌ぎ(そそぎ)かけます。
灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、降誕会(ごうたんえ)、
誕生会(たんじょうえ)、欲仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)と
呼ばれています。
草花で飾った花御堂(はなみどう)に釈迦仏を安置し祭ることから「花祭り」
とも呼ばれます。
 
「戯童十二気候 四月」 鳥居清長
イメージ 1































「時代かがみ 弘化之ころ」 揚州周延
イメージ 2















































挿絵にも多く描かれています。
 
「東都歳時記 灌仏会」 長谷川雪丹
イメージ 3



























「絵本吾妻抉 灌仏会」
イメージ 4





























この甘茶は飲むと身体に良く、墨をすって字を書くと達筆になると言われ
御利益にあやかろうと持ち帰る人が多かったそうです。

「江戸年中行事図絵」
イメージ 5

























また、甘茶ですった墨で「千早振(る) 卯月八日は吉日よ 神下げ虫を成敗ぞする」
と書き門口などに逆さに貼ると虫よけになるとも言われていました。
初鰹を切り分けている浮世絵の左下に貼られているのが見えます。
「卯の花月」 歌川三代豊国
イメージ 6




















イメージ 7











































おわり




この記事に

開く コメント(2)




見沼代用水を上ったところに少しばかりの梅園があります。
梅園というよりは畑に植えられた梅の古木です。
二列に植えられており、中には入れないので道路からの撮影です。
イメージ 1























イメージ 2

























イメージ 3
























イメージ 4



























左の列の梅です。
最前列の古木はかなり傷んでいますが趣があります。
イメージ 5




























イメージ 6



























イメージ 7



































右の列の梅です。
最前列の梅が一番姿が良いです。
残念ながらあるところから広がらないように枝を切っているのが残念です。
イメージ 8





















イメージ 9

























イメージ 10























イメージ 11

























花はちょっと盛りを過ぎていますかね(?)
イメージ 12




























イメージ 13









































イメージ 14



























イメージ 15






























江戸時代の亀戸の梅屋敷の臥龍梅には及びませんがなかなか
姿の良い梅が並んでいます。
おわり






この記事に

開く コメント(8)




花見
お彼岸が近づくと桜の開花日が気になりますね。
今回は江戸の花見です。
お花見の時期は斎藤月岑の書いた「東都歳時記」には2月の項に
出てきますが、花の開花時期は立春から何日目頃と表現されています。
 
・彼岸桜・・・・・立春から五十四五日目頃より
・枝垂桜・・・・・立春から五十四五日目頃より
・一重桜・・・・・立春から六十日目頃よりおよび立春から六十五日目頃より     
・八重桜・・・・・立春から七十日目頃より
・遅桜・・・・・・立春から七十日目頃より
 
とされています。
さらに、「ここに記せしは、開きそむべき日並なり。真盛を見んとならば、
これよりおくれて見るべきなり。」
と書かれています。
書物にも2月下旬から3月中旬と書かれているものが多く3月に挙げました。
人気の名所絵師・歌川広重が断然多くの桜の名所の作品を残しています。
 
 
人々がお花見を楽しみだしたのは江戸時代になってからです。
家康、秀忠、家光と3代の将軍のブレインとなった天海僧正は江戸の都市計画
策定に関わり、江戸城の鬼門(北東)を護るため上野の山に寛永寺を建てさせ
住職となりました。 桜好きの天海は上野(忍岡)にたくさんの桜を植えさせ
やがて上野は桜の名所になりました。
 
東都名所上野山王山・清水観音堂花見・不忍池全図 中島弁財天社 歌川広重
イメージ 1




















東都名所 上野東叡山全図  歌川広重
イメージ 2



















名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池  歌川広重
イメージ 3

































東都上野花見之図  歌川広重
イメージ 4




















しかしながら4代将軍家綱、5代将軍綱吉の霊廟が寛永寺に建てられ徳川家の
菩提寺にもなったことから、境内でのどんちゃん騒ぎが禁止され上野は静かに
花見を楽しむ場所となりました。
そこで8代将軍吉宗は隅田川堤(墨堤)と飛鳥山に1000本以上の桜を植えさせ庶民が自由に花見を楽しめる新たな名所としました。
 
隅田川堤(墨堤)
隅田川花見  歌川国芳
イメージ 5




















春色隅田堤の満花  歌川三代豊国
イメージ 6




















花見帰り隅田の渡し 渓斎栄泉
イメージ 7

















隅田堤の花見にはもう一つの楽しみがありました。 
向嶋の有名なさくら餅を購入することです。 たくさん買ったのでしょう
二人で持ち抱えています。
江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ桜並二さくら餅
イメージ 8




































飛鳥山
名所江戸百景 飛鳥山北の眺望  歌川広重
イメージ 9








































東都名所道戯尽 五 飛鳥山の花見  歌川広重
イメージ 10



































江戸名所発句合之内 飛鳥山 歌川国貞改二代目(三代目)豊国
イメージ 11




















品川御殿山
さらに品川御殿山、浅草など各地に桜が植えられ多くの花見の名所が
できました。
 
東都名所御殿山花見 品川全図 歌川広重
イメージ 12



















江戸むらさき名所源氏 御殿山花見 見立て花の宴 歌川広重
イメージ 13






































浅草
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」 松尾芭蕉
浅草も上野に並ぶ桜の名所となりました。
 
浅草金竜山奥山花屋敷 歌川広重
イメージ 14





















玉川上水堤
吉宗は小金井の玉川上水堤にも桜を植えさせました。
 
江戸近郊八景之内 小金井橋夕照 歌川広重
イメージ 15


























吉原
吉原では3月1日から約1か月の間、大門からまっすぐ伸びる
仲之町の通りに桜を移植して豪華に桜を楽しみました。
 
東都名所(新)吉原(五)丁目(弥)生花盛全図  歌川広重
イメージ 16




















東都三十六景 吉原仲之町  歌川広重
イメージ 17





































8代将軍吉宗のおかげで花見は江戸庶民挙げて楽しむ年中行事
となりました。
 
これで弥生(3月)は終了です。





この記事に

開く コメント(6)




3月11日が近づくとテレビなどで東日本大震災の特集番組が多く
放送されています。
江戸末期の安政2年(1855)10月2日に発生した「安政の大地震」
のときも浮世絵版画の技術を使って瓦版や錦絵が多く出されました。
 
当初は被災状況を伝える瓦版がたくさん出されましたが、情報の不確実
なものが混乱を招くことから幕府は許可のないものの刊行を禁止しました。
しかし、庶民の要望が強く版元や作者の記されない瓦版や錦絵が多く発行
されています。 瓦版は400種を超えるほど出されたそうです。
安政二年江戸大地震火事場之図
イメージ 1

























安政二稔十月二日夜亥剋大地震焼失市中騒動之図
イメージ 2




























当時、地震は地底に住む鯰(なまず)が暴れることで発生するという
民間信仰があり、鯰を退治する浮世絵(鯰絵)も多く出されました。
鹿島大明神による鯰退治
イメージ 3









































庶民による鯰退治。
左上には余震を防ぐ梵字の護符も描かれています。
イメージ 4



























しんよし原大なまずやらひ
お客の来なくなった吉原の人々による鯰退治
イメージ 5



























鯰が暴れるのを抑えるには要石(かなめいし)を使用しました。
要石のある鹿島神宮の鹿島大明神が鯰退治の主役を務めています。
あんしん要石
イメージ 6
























鹿島大明神が要石で鯰を退治
イメージ 7




















































地震の発生した10月2日は全国の神様が出雲に集まる神無月であり
鹿島大明神も関東を留守にしていました。
馬に乗って大急ぎで駆け付ける先頭の鹿島大明神、次は伊勢の太神宮、
村々の神様・八幡宮
イメージ 8



























神々が出雲に集まっているとき、要石の留守番の当番は恵比寿さん
でしたが居眠りをしていました。
イメージ 9
































地震後、恵比寿さんは鹿島大明神へ言い訳と鯰たちの降伏を仲介します。
恵比寿天申訳之記
イメージ 10
























八百万神御守護末代地震降伏之図
イメージ 11



























震災復興のため莫大なお金が費やされることとなり、逆に大利益を
受ける人々も出てきました。
小判、材木、大工道具、土木道具はこの復興景気を示しています。
鹿島要石真図
イメージ 12






















































鹿島大明神の力を借りて武士をはじめとする人々がかたき討ちを
している一方で左上には復興景気で「義理?」のある人々がその
様子を見ています。 吉原の遊女は復興景気で客が増えたことから
この時期にはこちら側に立っています。
イメージ 13



























安政二年十月二日夜大地震鯰問答
2年前と前年に来航して世の中を大混乱にさせた黒船のペリーと
鯰が罪のなすり合い?
イメージ 14


























世直し鯰の情(なさけ)
復興が進むにつれ新しい世をつくり直すという民衆意識が芽生えて
きます。 大地震の後、世直し、世直し と唱えるとより良い世の中に
改まるとの俗信も浸透していました。
イメージ 15



































庶民の意識が変化していくのが分かります。
最後は「世直し」で地震大国・日本は立ち直ってきたのですね。
おわり





この記事に

開く コメント(6)





日比谷公園から内堀通りをてくてくと歩き大手門から皇居東御苑に
入って梅林坂の梅を観てきました。
内堀通りとは内堀に沿って皇居を一周する環状1号線のことです。
イメージ 1


























内堀通り
イメージ 2





























・祝田橋から凱旋濠、桜田門外
明治時代、日露戦争の勝利を祝って日比谷濠を埋め凱旋道路を
造りましたが、埋めたところが祝田橋、日比谷濠の西側を凱旋濠と
命名しました。 凱旋道路は現在の内堀通りです)
幕末に大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」と明治の
日露戦争とが共存する景色です。
イメージ 3































・桜田門(渡櫓門)
 枡形の二重構造になっている桜田門の内側の門です。
イメージ 4




























・二重橋と伏見櫓
 外国からのお客様の観光スポットです。
イメージ 5



























・坂下門と青い屋根の宮内庁
 春と秋の「乾通り通り抜け」はこの門から入ります。
 現在、樹木の更新工事を行っており通り抜けは今年の秋からです。
イメージ 6




























・行幸通り
 右側(東側)を見ると東京駅です。
 今年の東京マラソンのゴールになったこの通りは天皇陛下が東京駅
などへ向かう通りで行幸通りとも呼ばれています。
イメージ 7





























・桔梗濠と巽櫓と桔梗門(内桜田門)と遠くに富士見櫓
 東京駅から皇居に向かうときに見る光景です。
イメージ 8




























・大手門
 ここから皇居東御苑に入ります。
イメージ 9



























・大手三の門
 大番所手前の大手三の門を過ぎると右の白鳥濠の方に向かいます。
イメージ 10






























・白鳥濠と見晴台
 白鳥濠の石標が小さいので見落としがちです。
イメージ 11

























・潮見坂
 今日は登りません。
イメージ 12




























・梅林坂
 やっと着きました。
イメージ 13

























イメージ 14






















イメージ 15



























イメージ 16
























イメージ 17




























イメージ 18





















部分的に源平梅です
イメージ 19






















メジロも撮れました。
イメージ 20

























イメージ 21

























さすがに梅も盛りを過ぎていましたね。
おわり




この記事に

開く コメント(4)

全112ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事