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法華宗の寺院で山号は、「陽光山」と言います。
もと京都本能寺、尼崎本興寺の末寺で有りましたが、明治43年(1910)本門法華宗 尼崎本興寺の末寺となりました。寛正2年(1461)本覚院日陽上人の開基と伝えられています。
嘉永3年(1850)には鎮守堂が建てられ、室町時代作の三十番神を祀っています。本尊は、題目宝塔・釈迦多宝二佛です。
徳川幕府のもとでルソン(現在のフィリッピン)との交易を行っていた西 宗真(キリスト教名 ルイス)が元和のはじめに堺の地に居住してのち、当寺は、西家の菩提所となりました。
境内には、西家の巨大な五輪塔の墓碑があり、その塔には、宗真(法号東院宗真日源居士)をはじめ、父宗源及び母 妙信、宗真の妻 養光院宗月、宗月の父、永徳、母 妙崇等の法号や没年を見ることができます。
ルイスがかってキリスト教信者であったことを物語るかのように、奥の庭には、キリスタン灯篭(織部燈籠)がひっそりとたたずんでいます。
西宗真(ルイス)とは
西宗真は、肥後大村(現在の長崎県大村市)の領主大村喜前の家臣として、慶長から元和のはじめにかけて(1596〜1615年)、たびたびルソンに渡航し、貿易を行っていました。スペイン語にも通じ、徳川家康に海外の情報を報告していました。
海外との貿易を円滑におこなうためにキリスト教信者となり、ルイスと名乗るようになったともいわれていますが、のちに法華経に改宗し、元和のはじめに堺に屋敷を構えるようになりました。
正保3年(1646)に没し、本受寺に葬られたといわれています。
本受寺 案内より
山門を潜り 境内を突き当たり 左に行くと あまり大きくない燈籠があります
織部燈籠の裾に マリア像が刻まれている
宗派も その時々で 改宗するしたたかな 人物のようであったらしい
境内中央にある 巨大な五輪塔には 珍しく 宗真の父母 妻(宗月)の父母の戒名も刻まれている
写真はこちらから
http://www.flickr.com/photos/kobayan53/7255280092/in/photostream
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