なにかいいこと

コンパクトデジカメ片手に何かいいこと無いかとあちらこちらと散策しています

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全307ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

開口神社

「大寺さん」と呼ばれていて 親しまれている開口神社
広い境内 何時も文化財特別公開には 何か登場する
手水舎に 家紋の様なものが 刻まれている
ボランティアガイドさんに お訪ねすると 首を傾げられている

客殿の方で 開口神社の歴史と堺と題して パネル展示がされているよう
昭和初期には 祭礼鉾が出ていたという
ふとん太鼓とばかり 思っていたのですが 鉾も引張っていた時があったのだ
小さなお庭には 織部燈籠もありました

外に出て見ると 先ほどのボランティアガイドさん 社務所で聞いてこられたようで
手水舎の家紋 キリスト教とは 関係なさそうと 教えて頂きました
熱心なボランティアガイドさんでしたので 気も和みました







写真はこちらから
http://www.flickr.com/photos/kobayan53/7255298078/in/photostream


アフィリエイト   私のおすすめ:
キヤノン EOS 7D EF-S18-200IS レンズキット 《発送の目安:1-2週間後》

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

本受寺

法華宗の寺院で山号は、「陽光山」と言います。
 もと京都本能寺、尼崎本興寺の末寺で有りましたが、明治43年(1910)本門法華宗 尼崎本興寺の末寺となりました。寛正2年(1461)本覚院日陽上人の開基と伝えられています。
 嘉永3年(1850)には鎮守堂が建てられ、室町時代作の三十番神を祀っています。本尊は、題目宝塔・釈迦多宝二佛です。

徳川幕府のもとでルソン(現在のフィリッピン)との交易を行っていた西 宗真(キリスト教名 ルイス)が元和のはじめに堺の地に居住してのち、当寺は、西家の菩提所となりました。
 境内には、西家の巨大な五輪塔の墓碑があり、その塔には、宗真(法号東院宗真日源居士)をはじめ、父宗源及び母 妙信、宗真の妻 養光院宗月、宗月の父、永徳、母 妙崇等の法号や没年を見ることができます。
 
 ルイスがかってキリスト教信者であったことを物語るかのように、奥の庭には、キリスタン灯篭(織部燈籠)がひっそりとたたずんでいます。

西宗真(ルイス)とは
 西宗真は、肥後大村(現在の長崎県大村市)の領主大村喜前の家臣として、慶長から元和のはじめにかけて(1596〜1615年)、たびたびルソンに渡航し、貿易を行っていました。スペイン語にも通じ、徳川家康に海外の情報を報告していました。
 海外との貿易を円滑におこなうためにキリスト教信者となり、ルイスと名乗るようになったともいわれていますが、のちに法華経に改宗し、元和のはじめに堺に屋敷を構えるようになりました。
 正保3年(1646)に没し、本受寺に葬られたといわれています。
本受寺 案内より


山門を潜り 境内を突き当たり 左に行くと あまり大きくない燈籠があります
織部燈籠の裾に マリア像が刻まれている
宗派も その時々で 改宗するしたたかな 人物のようであったらしい

境内中央にある 巨大な五輪塔には 珍しく 宗真の父母 妻(宗月)の父母の戒名も刻まれている





写真はこちらから
http://www.flickr.com/photos/kobayan53/7255280092/in/photostream


アフィリエイト   私のおすすめ:
キヤノン EOS Kiss X5 ダブルズームキット

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

小西行長供養碑

堺公園墓地(南区鉢ヶ峰寺)にあるという 小西行長の墓地を探しに行きました
48.9haもある広大な公園墓地
探し当てられる事がなく 公園墓地事務所に 聞きに行きました
地図も頂き 場所も詳しく教えられたのですが 行ってみるとなかなか見つからない
一帯を一周 元に戻る頃 ありました 新しい小西行長供養塔の後ろに 古い崩れそうな 供養塔・宝篋印塔・墓石が並んでいました
刻まれている文字も はっきり分からない 一部は剥落している
文化財課の資料がなければ 私には解読不能
右手には8体の地蔵さんもありますが 小西行長と関係があるのか

堺市に問い合わせた所 以下のような回答を 頂きました
●中央:宝篋印塔(大乗妙典一字一石塔)
銘文(現在は剥落のために全て解読はできない・内容は『小西行長の業績とその供養碑』(1978・堺市古文化研究会の記述による)
【正面】大乗妙典一字一石塔
【右横】世尊滅度後
    其有聞是経
【背後】若能隨喜者
    為得幾所福
【左横】願主比山拜九
    明和四年丁亥年仲秋日
    大施主板倉氏家屬
※台石に支配人吉岡氏

●向かって右:墓石
【正面】月照院惠林妙光大師
    寸松院榮樹常操居士
    賢明院桂輪諦照大師
【左横】明和九年壬辰年七月十五日
    俗名吉岡長右衛門尉豊臣貞於
             名秀月行年五十七歳
【右横】延享元甲子九月四日
       俗名 片桐氏婦人蓮女
【裏面】古里を離れて愛に住の江の
    神垣近くきゆる涼さ
            俗名 北村造酉女

●向かって左:墓石
一族に関係するものかどうかは不明

これら三基の墓石・塔は、元大和川堤防南下の南島新田墓地(現在の外山公園付近)にあったが、昭和36年に鉢ヶ峯公園墓地へ移転した。

『中世堺を代表する俊傑小西行長』(1936)の著者である池永晃氏の研究によれば、行長没後、妾腹の男子秀貞が宇喜多秀家に仕えていたが、関ヶ原の戦い以降、讃岐で浪人として身を潜め、八代長右衛門貞於の時代に姓を吉岡に改め、吉岡長右衛門貞於又は、秋月と号していた。18世紀の前半、吉岡貞於は、板倉源左衛門の家屬として三宝周辺の新田開発にかかわり、遠祖小西行長の供養のためにこの碑を建立したとされる。
堺市文化観光局 文化財課


堺市内から 都市整理で 移転してきた 数多くのお墓 
探せばまだまだ 多くの物が見つかる事だろう




又元あった供養塔も 何度か移転しているようだ
NPO法人 堺観光ボランティアに問い合わせた 回答より
標柱石裏側 記載
南島墓地内にあった供養塔は 昭和36年7月大和川工事のため三宝慰霊塔の場所に移転した。
三宝慰霊塔がどこか不明?(三基あったと言う事なので)------鉢ヶ峰公園墓地のことか?

何度も何度も移転させられたらしい 謎の人物(?) 小西行長を彷彿させる 事柄ですね

思いもよらぬ所で 思わぬものと 遭遇すると 又それも楽しいですね




写真はこちらから
http://www.flickr.com/photos/kobayan53/7255279976/in/photostream
http://www.flickr.com/photos/kobayan53/7255280012/in/photostream


アフィリエイト   私のおすすめ:
キヤノン EOS Kiss X5 ダブルズームキット

閉じる コメント(1)

閉じる トラックバック(0)

少林寺 

初めは「小林寺」と言っていたのを「少林寺」に変えたという

豊臣秀吉が石田三成と小西行長に命じ境内竹林の伐採を禁止するなど、小さい寺ながら名刹の扱いを受けていたようです

門潜ると 水琴窟があります
水をすくい 流し込むのですが 辺りが騒がしく 良い音色がかき消されてしまいます

生まれてハ
 死ぬるなりけり
釈迦も達磨も
  猫も杓子も

わきて見ん
 老木は花も
  哀れなり
今幾たびか
 春に逢うべき
西行七十七で亡くなる前の心境

今を強く生きる法句経に
過去を追ってはならない
 未来を待ってはならない
たゞ現在の一瞬だけを
強く生きねばならない
 大徳少林山主

入山御随意
縦覧山内
静謐(ひつ)
山主図ク

などの張り紙が 境内至る所に 張られています

門を潜った左奥に 石造物が並んでいて それを囲むように 竹が植えられています
『永徳元年(1381)塔頭耕雲庵の住持白蔵主が、鎮守稲荷明神に参籠して霊狐を得、狂言大蔵流の始祖霊狐の所作を狂言に作り、釣狐として上演されました。以降狂言歌舞伎関係者は釣狐上演の際は当寺に参詣し妓芸の上達上演の成功を祈願し寺内の逆芽竹を一本祈願してもらい持ち帰り、上演の時に津杖に使用する習慣なっています。』
 少林寺 堺市案内板より

然したる寺ではありませんが・・・・・・・・・
よろしかったら何かお話しをしましょうか ?
・・・・・・・・・・・

簡にして要をとらえ
 雑を去って無を求める

住職に お寺の何処かで 見られているような・・・
時間があれば ゆっくりと お話しを聞いて頂きたいと思いましたが
次をと思い 移動する事にしました



写真はこちらから
http://www.flickr.com/photos/kobayan53/7255298220/in/photostream


アフィリエイト   私のおすすめ:
キヤノン EOS Kiss X5 ダブルズームキット

閉じる コメント(1)

閉じる トラックバック(0)

春季 堺文化財特別公開

春季 堺文化財特別公開 5月23日〜27日
小西行長と堺ゆかりの戦国武将〜謎多き行長と堺の歴史を探る〜

表題のように 謎が多い堺の小西行長
堺に生まれながら 余り良く知られていないようだ
肥後南半国の領主になった為か

観光ボランティア協会の方々 数多く各所におられ 熱心のガイドされていました

街中をツァ−を組んで あるいて入り 団体に何度も出会いました

天気が良すぎて 暑いくらい
武者姿での ガイドをされている方 さぞお疲れのことだろう


何度探索していても 何か新しく 見掛ける事が多いです





写真はこちらから
http://www.flickr.com/photos/kobayan53/7255280130/in/photostream


アフィリエイト   私のおすすめ:
キヤノン EOS Kiss X5 ダブルズームキット

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

全307ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.

tum*ma*i2*01
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

  今日 全体
訪問者 3 28899
ブログリンク 0 11
コメント 0 826
トラックバック 0 110

ケータイで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

URLをケータイに送信
(Yahoo! JAPAN IDでのログインが必要です)

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

開設日: 2007/10/25(木)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.