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文楽(人形浄瑠璃)の人間国宝、吉田玉男が亡くなった。さきほど、NHK大河ドラマに続くニュースを見ていて、知った(今は、NHK特集「カワイイ・ウォーズ」をやってる)。
私は、20年以上に渡り、文楽のファンだ。太棹三味線が好き(30年ほど前から高橋竹山のファンで、渋谷じゃんじゃんなんかによく聞きに行っていた)なのと、主に、近松門左衛門のファンだった事にもよる。
けど、近松を私に教えてくれたのも、実は吉田玉男だった。岩波ホールで「曽根崎心中」と云う文楽の実写映画をやった事がある(その後も2度ほど衛星放送で放送した事があるが、見る事は出来なかった)。そこで、吉田玉男と甥の吉田蓑助と(顔出しではない)で、徳兵衛とお初をやっていたのが私が文楽に触れた最初だった。
で、そこで、近松の江戸時代を例にとってのジャーナリストとしての目、取材を通じて事実を固めた上で想像の世界に心を泳がせる姿、「真実は虚実の薄皮一枚の間にある」事を知った。近松は、近代文学の大作家だ。シェークスピアなんかと違って、現代の言葉と、さほど大きな言葉の壁無く(シェークスピアでは、原語は今の英語と大きく異なる)味わえる。が、その世界を目の前に見せてくれたのは、文楽だった。
文楽の中には、時代物で、展開のその場しのぎに唖然とするものもあるけど、情があった、と同時に、「武士の情けなさ」。論理と人情の乖離した封建時代の姿を知った(これが、日本の建前と本音の使い分けの一つの端源か)し、近松によって、元禄時代に既に近代の市民社会、契約社会が現出していた事をはっきりと知る事が出来た。
そして、私が文楽を楽しむ際に、常にそこにいたのが吉田玉男だった。私が文楽に接する様になって、さすがに十年を超える頃から、人の出入りも出て来た。情を語らせたら当世随一と言われながら、私には声の力強さ(私の頃には、もう力強さは無かった)の点で、その世界を味わい尽くせなかった竹本越路太夫。一方、声の力強さと論理の強さ(書いたものを語っても、演ずる世界の語り口で論理は出て来る)、一貫性で、私を魅了した竹本津太夫。今、人間国宝をしてる竹本住太夫は、私は後援会員だったときに人間国宝になったので、こちらからお祝いを上げるどころか、住太夫から記念の手拭いを貰ったりした。
文楽は世襲の世界ではない。吉田玉男と吉田蓑助はおじと甥の関係だが、玉男がそこにいたから蓑助も飛び込んだ。竹本住太夫の親も文楽の語りだが、本人は後を継ぐ気は当初無く、関西大学だったかを卒業してから、この世界に入った。当時は、「遅過ぎて、手遅れ」と言われたらしい。が、そんな世襲でなく、やっている世界にはそれなりの緊張感がある。
私が歌舞伎も見るけど、歌舞伎にはときに緊張感の欠ける役者もいて、そんなに好きになれないのとは大きな違い。
でも、玉男は逝った。玉男を書く、なんて結局、私にゃ無理だ。
玉男が逝った。書けるのは、それだけ。2006年9月の国立劇場(東京)での文楽公演はチケットが取れなかった(あぜくら会には入ってるんだが…でも、無理すれば当日券は買えた筈)のだが、出ていたのかな?最近は、お休みの事も多かったが、蓑助(脳梗塞で倒れたが、復帰した)の様に、また会えると思っていたのに…。
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朝日新聞2006年11月13日付夕刊第7面に西本ゆか さんによる、吉田玉男の追悼記事が載ってました。新しい事なども書かれています。同面には、木村尚三郎、大木金太郎、両氏の追悼記事も載ってました。
2006/11/13(月) 午後 11:25