gum.

電気座敷、その破れ障子から覗くやけに着飾ったずべら坊

馬鹿馬鹿しさの中で死すべきか

まるで時流に棹さすように書き出せば、インターネット上に寂しいと呟くあなたの孤独は、そう呟いた瞬間にきっと誰かに届いてしまうのだろうが、それは癒されたふりをして尚も、誰にも認められず、理解されず、身じろぎもせずただじっと蹲っている決して届くことのない言葉としてあなたの裡に澱となっているのであり、そこから目を逸らし決して見つめない、という姿勢の根幹には、繋がることによってのみ現出する距離の遠さ、その遠近によって規定される世界の中でしか息をすることの出来ない貧しい、あまりに幼稚で
あまりに貧しい言葉が無限に増殖しているはずで、それはもう誰にも止められない大きな流れなのであった。

生きる意味は何か、という問に対して、生きることには何の意味もない、という解答は誤りであって、なぜなら生きる意味は何かという問そのものが成立しないからである。

「どうして君は僕を見つめるんだい?」
「だって私はあなたを見つめているんだもの」

世界とは、世界である。生きることとは、生きることである。別れとは、別れである。ゴダール的な断言命題は、世界のある構造を尚も見つめ続ける絶えざる不断の態度であり、その態度によってしか始めることが出来ないのではないだろうか。

繋がることに迫られている。疑うべきだろう。刺し違えてでも殺してやる、血の吹き出すようにあなたの中で渦巻いていた怒りも、きっと誰かに届いてしまうように呟かれた途端、あなたの心は軽くなり、あなたは癒されたふりをして、また性懲りもなく痛みたがるのだろう。鬼の首を捕ったように主張される正統性も、言葉尻だけを捉えた揚げ足とりも、妬み嫉み僻みに満ちたあなたよりステージが高いとあなたが仮定した仮想敵に対する執拗で陰湿な攻撃も、見るべきものはひとつもない。

もう、あなたは馬鹿馬鹿しさにしか救われない。アニメーションのキャラクターに歌わせたポップスの構造的馬鹿馬鹿しさにしか、そこらにいそうな顔面の女子を寄せ集めたアイドルグループの商法の馬鹿馬鹿しさにしか、どうでもよいネタをいつまでもいつまでもいぢくり倒すその連帯の馬鹿馬鹿しさにしか。

馬鹿馬鹿しいというエクスキューズがなければ直視出来ない貧しさによって、今日もあなたは半笑いのまま馬鹿馬鹿しい、と呟く。寂しいと呟く。死ねと呟く。それは癒されたふりをして尚も、誰にも認められず、理解されず、身じろぎもせずただじっと蹲っている決して届くことのない言葉からの遁走であったが、あなたは何処にも行けないのだった。

あなたは静かに絶望しているべきなのだ。

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失敗しないコーヒーメーカーの選び方

茨城をエアロガが襲ったまさにその瞬間、私は思いの外ごろごろしていた。

深更に降りだした雨が屋根を強くドラムンベースしているのを寝床で聴きながら、天気予報の云うには、ちょっとただごとではない大雨、とのことで、永くなるのだろうか、と明けてみればどこ吹く風、申し訳程度に出涸らしみたいな雨がぱらと降ったぎり、なんとも不全な感じで、ナイフを突き刺したくなるような厚い鈍色の雲が張りだし、黒々としたアスファルトが生々しさを残して、ただ風だけは中型犬をもってゆく強度で吹き続けている。風よ、なぜ吹くの。

そんなことよりコーヒーメーカーのいいやつはかなりいいのだという。廉価なものよりも高価なものの方がかなりいいのだという。というようなことをごろごろしながらグーグル先生に教えていただいて、ほっすぃー、コーヒーメーカーのいいやつほっすぃー、ともんどりうって財布を見ると一五〇〇円くらいしかない。一瞬で忘れ去って、スタバ行こ、と思い古井由吉を引っ掴んで外へ出ると、排水溝に桜の花弁がみっちり詰まっている。しかし五百円硬貨が財布にある時の安心感は異常である。

札幌駅の正面の歩道を母親が幼女の手を引き歩いている。ほら札幌駅だよ大きいね、と母親が幼女に語りかけると、幼女はひとこと「かわいい」と言った。かわいいってなんだよ。札幌駅見てかわいいって言う感性なんなの。と一人乱心していると、その日一番の強風が吹き付け、幼女の被っていたファンシーなキャラクターがプリントされた帽子を吹き飛ばした。そこらにいる衆愚は一様にその帽子を阿呆みたな顔で見ている。私はビーックビックビックビックカメラ、と呟いてヨドバシカメラに吸い込まれた。

ヨドバシカメラで色々のコーヒーメーカーを見る。ごろごろしながらほっすぃー、ともんどりうっていた私も、店を出る頃にはすっかり真顔で「欲しい」と言ってしまうまでになっていた。しかし良いものは高価なものであって、高価なものは高価であるので、硬貨では買えないのであって、つまり五百円硬貨は安心するから好きだけれど、要するに無理という段に至った。

店を出ると風はまた一段と強さを増したようだった。帽子を吹き飛ばされた幼女は何を思ったろうか、と考えながら歩く。どうしてわたしが。不条理を感じただろうか。ねえ、風はなぜ吹くの。そう母親に訊いただろうか。

気圧の差を是正するために風は吹く。つまり吹き止むために風は吹く。我々は立ち止まるために歩き、満たされるために欲望し、欲望するために欠乏を欲望する。スタバでコーヒーを飲み、古書店で退屈な小説を一冊購めた帰路、凄まじい向かい風で一向前に進まぬので私は機転を利かせ逆方向へ歩き出す。そうすると向かい風は追い風となってぐんぐん進むが、果たして家には帰れないのであり、家に帰るために歩いていたはずなのにまた札幌駅に戻って来てしまった。私とあなたの間にも風が吹いていますね。改めて見ると札幌駅はめっちゃかわいい。

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いとぐち

風が鳴いている。
猥雑な春の約束から数えて三日と経たぬ間に、また冬の、いっそはじまりのような風が、さしたる抵抗も見せない夕暮れに吹くのだから、踏ん切りが付かないのだ。色のない春がどこまでも続くのなら、どの様に歩き出せば良いのか。目的もなく歩くことは可能だろうか。風が一瞬ぴたりと静まり、より強く鳴きはじめる。

ペペロンチーノに大根おろしをのせると美味である。そんな怪情報を耳にしたのは丁度、何の目的もなく大根をおろしていた最中であった。ツナ缶を加えると更なる高みへ上昇できるとのことで、試す。食えなくはないけれども積極的には食わないというような、つまり曜日で云うと木曜日のような味で、食い終わると途端にまた風が強くなったようだった。

食器を洗いながら、本当に目的もなく大根をおろすことは出来るだろうか、と考える。使用目的はなく、おろすことそのものが目的でもなく、歩くことに例えれば、それはウォーキングや散歩、手段の目的化ということでもなく、ただ、歩く。ただただ歩く。靴がすり減り足の裏の皮が剥け血が滲むまで歩くという行為の可能性。或いはまた、不可能性。彷徨ではない。歩みなのだ。己の体を己の力で押し出す、機動力なのだ。それは、風かもしれない。

ボールペンを分解し、元通りに組み立て直す。職務中の暇潰しに考案されたマイブームは、二日間で五本のボールペンを駄目にした。先端に仕込まれているバネが軒並み弾け飛び、決まってどこかの隙間に滑り込む。引き替えにノック方式のからくりについて明るくなった。芯が押し出される過程の、その螺旋運動の機能的合致、美しさ。苛立ちと退屈と欠乏とが私の全てであると断言してしまいたい。

風が強いので休みます、と言ってそれからそのまま二日間アニメーションばかり観て、尚も風はより厚く、重く吹き続けていたが、かといってこの退屈な退屈なボールペンを分解するような毎日を吹き飛ばすわけでもなく、会社のボケ共ごめんなさい。ところで、あなた達は風にせなを押されて歩いているのでしょうか。そういえば、いつの間に風は。

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初めは強くブリザードしてあとは流れで

問わず語りの冬が街の色を喪わせる。たわけに雪が積もり、ずべらに風が吹く。それは誰にも等しく、まるで刹那的感傷に彩られたマイレボリューション。等しさと、刹那さと、渡辺美里。そのようにして私は私自身をレボリュートしながら、ミスタードーナツにてドーナツを五人前購めた。そして友人夫婦の宅へ向かった。鍋をするのだ。

ドーナツを持つ手が震えていた。寒さは寂しさと苛立ちと退屈だ。可愛らしい感のする女子が歩道橋を渡っている。私もつい釣られて歩道橋の階段に足を掛けてしまう。友人宅へは遠回りになるはずなのに、どういうわけかその女子の顔を拝見せねばならぬという妄念に憑かれ、ままよ、と階段を上る。上ったところでまた月は遠く、女子は特筆すべき主張を一切あわせ持たぬというような凡庸かつ貧乏臭い顔面で、じじいみたいな非道く薄いタッチでドラえもんを描きそうな気がして、あとは対面したテレビ塔のデジタル時計の数字が零になる瞬間だけを願いながら、粉雪のバレエの中、デジタライズ・新春。

思えば彼女と並んで歩くことは無かったが、本当は手を繋いで堕ちてゆきたかった。いや、誰でも良かった。ただ誰かとどこまでも堕落したかった。逢えぬ手と手と手々と手と手が、たわいもなくじゃれあって、より一層逢えないというのに、それでも暗闇の中手探りで手を探し当てようとして、何かに指先が触れ、触れた分だけ遠ざけてしまう。そう考えたりして、歩道橋の階段を降りながら来し方を振り返ると、頂上の手摺に猿が三匹ぶら下がり、目を見開いて歯を剥き出した面相で、顔だけをこちらに向けたまま、もけけけけ、と狂ったように鳴き、闇にしゅっと消えた。手摺に積もった雪に手形が六つ、交わることなく残っていた。私はずべら鍋、たわけ鍋、と呟きながら、ドアの向こうで待っている湯気や笑顔やモノポリーを想像して足早に、どうも、みなさんお久しぶり、そして、ようこそドーナツの中心へ。




今年もよろしくお願いいたします。

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つんく

生きているのがたまらなく無意味で嫌、でも死ぬのはもーっと嫌、つまり不満、全的に不満、不満足、五体満足、でも不満、願わくば甲子園球児が一球に想いを込めるように、至極わかりやすくいきいきとした生命を謳歌したいものだけれども、主に自身の怠惰によって招かれた問題をなんなれば社会や世間が悪いなどと放言し、無頼を装ったれば孤独者を模したれば少しは楽かと思いきや、自意識に苦しんだりもしたけれど私は元気だけれども、感情すらも忘却するよ全てが止まった灰の部屋、不幸であること捨て鉢であることがいつしか飛びきりのアイデンティティーさ、掴もうぜドストエフスキー、そうさ今こそアドルフヒトラー、そうなのか、なんなのか、怨嗟怨嗟の自堕落特急、出発進行まいりまーす、じゃねえよ、私は半端に頭が良いの、半端者の苦悩がわかるかしら、じゃねえんだよ、とか云いつつ自己の本当に真にマジでガチでナイーブな部分には蓋して自虐、自虐風か、無頼風か、キチガイ風か、全部風だ、風に吹かれて放射性物質が舞う夜に、小説を書いていたんです、ぶっちゃけ自分は天才かと思いました、三島の生まれ変わりかと思いました、次の日起きて読み返したんです、スーパー面白くありませんでした、とりあえず登場人物が軒並死んでました、ケータイ小説以下でした、大場つぐみはガモウひろしで、ではいったい私は誰ですか、教えてくださいエロい人、誰よりも自分が可愛くて可愛くて可愛くて仕様がないなんてアウフヘーベンの止揚もない、ではここで一句、こんな生活いつまでも続けられると思ったら大間違いだよ馬鹿野郎、字余り、いつまでも夢の途中でいたいのさ自分が何者でもないという事実が堪らなく嫌なだけなのさ、セックス、ほらまたすぐそれ、なんかちょっとラジカルなこと言えばいいみたいに思ってるでしょ、その癖自分は何処にも存在しない場所からなんか言ってるのかなんも言ってないのかよくわかんないこと言った気になって、酒にセックスに風俗にドラッグて、今日びドラッグて、まあ文学かなんか知らんけどさ、真面目に働けよ、生活をサボタージュ、ビシソワーズは冷たいポタージュであり吾輩は猫である、でも昔からこう云うじゃん、親孝行大人になればただの人、違うか、俳人殺すにゃ刃物が一番電話は二番三時のおやつはただの人、お前はもう死んでいる(廃人的な意味で)、あたたたたたたたほわっちゃー、いやーマジで、金ほしー。


※上記内容はあまりにしつこく営業してくるキャバ嬢の夕陽ちゃん宛に当ブログ主が送信したメール(原文ママ)である。
ちなみに夕陽ちゃんは現役の国立大生なのだ!

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