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まるで時流に棹さすように書き出せば、インターネット上に寂しいと呟くあなたの孤独は、そう呟いた瞬間にきっと誰かに届いてしまうのだろうが、それは癒されたふりをして尚も、誰にも認められず、理解されず、身じろぎもせずただじっと蹲っている決して届くことのない言葉としてあなたの裡に澱となっているのであり、そこから目を逸らし決して見つめない、という姿勢の根幹には、繋がることによってのみ現出する距離の遠さ、その遠近によって規定される世界の中でしか息をすることの出来ない貧しい、あまりに幼稚で
あまりに貧しい言葉が無限に増殖しているはずで、それはもう誰にも止められない大きな流れなのであった。
生きる意味は何か、という問に対して、生きることには何の意味もない、という解答は誤りであって、なぜなら生きる意味は何かという問そのものが成立しないからである。
「どうして君は僕を見つめるんだい?」
「だって私はあなたを見つめているんだもの」
世界とは、世界である。生きることとは、生きることである。別れとは、別れである。ゴダール的な断言命題は、世界のある構造を尚も見つめ続ける絶えざる不断の態度であり、その態度によってしか始めることが出来ないのではないだろうか。
繋がることに迫られている。疑うべきだろう。刺し違えてでも殺してやる、血の吹き出すようにあなたの中で渦巻いていた怒りも、きっと誰かに届いてしまうように呟かれた途端、あなたの心は軽くなり、あなたは癒されたふりをして、また性懲りもなく痛みたがるのだろう。鬼の首を捕ったように主張される正統性も、言葉尻だけを捉えた揚げ足とりも、妬み嫉み僻みに満ちたあなたよりステージが高いとあなたが仮定した仮想敵に対する執拗で陰湿な攻撃も、見るべきものはひとつもない。
もう、あなたは馬鹿馬鹿しさにしか救われない。アニメーションのキャラクターに歌わせたポップスの構造的馬鹿馬鹿しさにしか、そこらにいそうな顔面の女子を寄せ集めたアイドルグループの商法の馬鹿馬鹿しさにしか、どうでもよいネタをいつまでもいつまでもいぢくり倒すその連帯の馬鹿馬鹿しさにしか。
馬鹿馬鹿しいというエクスキューズがなければ直視出来ない貧しさによって、今日もあなたは半笑いのまま馬鹿馬鹿しい、と呟く。寂しいと呟く。死ねと呟く。それは癒されたふりをして尚も、誰にも認められず、理解されず、身じろぎもせずただじっと蹲っている決して届くことのない言葉からの遁走であったが、あなたは何処にも行けないのだった。
あなたは静かに絶望しているべきなのだ。
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