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現代医学で病気は治るか
『右のような、標題は大胆を通り越して気狂と思われるかも知れないが、最後まで、此(この)所説を読むに於(おい)て、何人と雖(いえど)も異存を唱える事は出来まい。近来医学の進歩によって、若干寿命が延びたといって喜んでいるが、それ等は一時的であって、将来は逆効果になる時が来るのは知れきった事で、之(これ)は予言しても決して誤りはないのである。それ等に就(つい)て以下詳説してみよう。
先(ま)ずその前提として確実なる証拠をお目にかけよう。それは『救世』紙及び雑誌『地上天国』に満載しているおかげぱなしである。此(この)おかげばなしの報告は、現在一ヶ月数百通に及んでおり、それ等悉(ことごと)くといいたい程数年又は数十年に渉り、凡(あら)ゆる医療其(その)他の療法によっても治らない重難症ばかりである。之等(これら)一々を点検する時、医療の効果は全然ないばかりか、寧(むし)ろ逆でさえある場合が、あまりに多い事実である。而(しか)も其(その)不成績に対し多額の療法費を使い長い間苦しむのであるから、気の毒というより外(ほか)はない。然(しか)るに此(この)おかげばなしは本療法によって、全治したものの感謝感激のあまり、同病者に知らせたい熱誠の迸(ほとばし)りからである。何よりも此(この)記録を見た医家は何と批判するであろうか聞きたいものである。
医学では病気の治らない事と、或(ある)期間寿齢が延びるという事と密接な関係がある事を気付かないので、此(この)根本を神医学からの解釈を加えてみよう。
吾等(われら)が常にいう如(ごと)く、病気とは人間保有毒素の排除作用の苦痛を名付けたものである事を知らない医学は、苦痛を悪い意味に解し、それを緩和させるのを可とする。その手段とした唯一のものが薬剤である。勿論(もちろん)薬剤の本質は毒物で、それによって毒素排泄の力を弱らしめて苦痛を緩和させる。それを病気治癒(ちゆ)の方法と錯覚するのである。
従而(したがって)、折角(せっかく)排除されようとする毒素を押えて、一時的苦痛緩和を図るのが医療の使命と思うのだから如何(いか)に誤っているかである。故(ゆえ)に本当を言えば医療とは苦痛緩和法であって治病方法ではないのである。標題の如く「医学では病気は洽らない」というのは、此(この)文を熟読玩味すれば明かに判(わか)る筈(はず)である。此(この)理によって医学の進歩とは苦痛緩和術の進歩で、言い換えれば、毒素排除を延す方法の進歩である。事実余病や再発や慢性の原因はその為であるから、医学と反対に毒素排除を促進させ、体内を清浄化する方法こそ、真の医術であり、真の健康者を作る手段である。勿論(もちろん)伝染病菌にも感染されない完全健康者となる以上、消毒も全然必要がなく、現代人通有の徽菌恐怖症などは消滅するのである。そうして毒素とは勿論(もちろん)薬毒が主なるものであるから一言にして言えば病気を治そうとする手段そのものが病気を作る結果となるのである。
事実、現代人が罹病(りびょう)するや直(ただ)ちに医療を求めるのは常識である。処(ところ)が前述の如(ごと)く医療は薬毒其(その)他の方法で苦痛緩和手段を繰返えす結果、浄化は延期し、終(つい)に半健康者となるのである。そうして此(この)半健康者は如何(いか)なる経路を辿(たど)るかを説明してみよう。
茲(ここ)で、一つの重要なる事を書かねばならない。さきに述べた如(ごと)き、毒素排除作用発生は何が為かというと、健康であるからで、健康者程新陳代謝が旺盛の為、吾等(われら)が言う浄化作用が起り易いのである。特に伝染病は最も旺盛なる浄化作用であるから、年少者に多いにみても明かである。又結核の青少年に多い事も同様の理である。処(ところ)が、医学の病理は之(これ)と反対であるから、伝染病や結核は抵抗力が弱い為とする。もしそうであるとすれば、老年期になる程抵抗力が弱るから、伝染病や結核に犯され易い事になる。又結核が長年月に渉るのは浄化発生を極力抑圧し引延ばすからである。
右の理を考える時、現代医学が進歩する程真健康者は漸減し、半健康者が増加するのは当然である。半健康者とは青年にして老人の如(ごと)き中間性体質となるから、浄化力が微弱である以上、罹病(りびょう)の機会が減少する。偶々発生しても、浄化停止によって一時緩和する。何よりも、近年労働者の労働力低減を看過する訳にはゆかない。近来文明国に於(おけ)る労働者が、疲れ易い為労働を嫌い、時間の短縮を強調する事や、農民迄(まで)も労働持久力が低減した事等も一般が気がつかないだけで、実は体力減退の為である。成程、文化が向上し労働者の幸福を思い、労働尊重の意味もあるが、その奥に右(上)の点の潜んでいる事も見逃し難い事実ではある。
特に言いたい事は、近来、予防接種の問題である。前述の如(ごと)く、伝染病は浄化力旺盛の為であるから、予防接種するや浄化力微弱となり、発病の機会が減少するというのを錯覚した訳である。処(ところ)が、無毒である真健康者なら勿論(もちろん)病気発生はないが、こういう健康者は現在皆無といってもいい程で、一般 人は毒素保有の半健康人であるから、浄化発生即(すなわ)ち病気に罹(かか)り易いが又一時的緩和もする。勿論(もちろん)発病するや、医療は極力浄化停止を行うが、浄化力は反撥する結果摩擦を生ずる。その摩擦が強烈である程衰弱を増し死の転機を招く。例えば肺炎の場合がそうである。元来、肺炎とは、猛烈なる浄化であるから、その治療剤を使用する場合、医家は此(この)薬なら速かに治るか、さもなければ死ぬかのどっちかだという。それは強烈なる浄化に対するに強烈なる薬毒でなければならないからである。此(この)理は幼児にも当嵌(あてはま)る。幼児の死亡率の多いのは幼児は最も浄化旺盛である。それを停止する薬剤も普通薬でも幼児には強烈となるから、摩擦し死亡するという訳である。
以上の如(ごと)く、一々事実の説明によって大体は理解されたであろう。とすれば、半健康人が漸次殖える以上、発病の機会が減少する事と、発病の場合も浄化微弱であるから、薬毒による強烈な摩擦を生じない訳で、一先(ひとま)ず死を免れるというのが、近来寿命の延びた真の原因である。然(しか)し乍(なが)ら此(この)半健康人は長命は出来ない。何となれば老年期に入るや多量の保有毒素が老衰を早めるからで、彼の動脈硬化症も脳溢血も萎縮腎も此(この)為である。右は事実が示している。近年平均年齢が延長したに関わらず、最長は変らないのである。即(すなわ)ち依然として八十歳以上は従来通りを統計が示している。之(これ)によってみても、真の健康増進による寿齢延長でない事が知らるるのである。
最後に言うべき事は、神療法の真価は、罹病(りびょう)の場合浄化停止とは反対に浄化促進させ毒素を極力排除させるのである。此(この)経過はおかげばなし中に遺憾(いかん)なく示されてある。従而(したがって)、神療法によって、真健康者になった者は九十以上の寿を保つ事は保証し得るのである。 (自観)』
(「地上天国 15号」  昭和25年4月20日)
 
 
 人は、太古より数多の罪を犯してきました。罪とは、人の偽悪醜の心言行により発生されたものであり、一生をかけ、あるいは霊界へ帰ってからも、償わなければならないものと考えます。
 メシヤ様(岡田茂吉教祖)は、次のように説いておられます。
 
『旧約聖書創生記中にある禁断の木の実の寓話(ぐうわ)である。勿論(もちろん)之(これ)は比喩(ひゆ)であって、エデンの園にゐたアダムとイブの物語は、実に深遠なる神の謎が秘められてゐる。それを追々説いてゆくが、之(これ)を読むに就(つい)ては全然白紙にならなければ、到底分りやうがないのである。言う迄(まで)もなく木の実を食ふ事によって悪の発生である。といふのは木の実とは薬の事であって、薬によって病気が作られ、病気によって悪が発生する。』
(『悪の発生と病』「文明の創造」より抜粋  昭和27年)
 
 人が薬を使うことにより、罪が発生したことになります。
今回、現代医学で病気は治るか』の御教えを取り上げた理由は、罪の発生原因が薬の使用から始まったことを主眼とし、現代医学等で行っている医薬品の大量投与が、罪の増大を招いているという事実であり、そのことの理解なくして罪の問題の解決はないと考えるためです。
薬によって病気が作られ、病気によって悪が発生する。』
 薬によって罪がつくられる経緯について、メシヤ様(岡田茂吉教祖)は、次のように説いておられます。
 
『薬は毒で、身体へ入れると血が濁る。血が濁れば霊が曇る、霊が曇ると人間は不快感が起る。此(この)不快感こそ曲者で、此(この)結果どうなるかというと気が焦々(いらいら)し、怒り易くなるから、どうしても争う事になる。』
『犯罪の原因は人間の不快感であり、其(その)又原因が薬剤である』
(『罪の因は薬』「栄光 142号」より抜粋  昭和27年2月6日)
 
 メシヤ様(岡田茂吉教祖)を存じ上げない現代人の行為を観察すると、浄化作用ということを知らないがために、結果的に悪化作用と考え、病院へ行き、医薬品を投与される。その後、病気の度に、そのことが繰り返され、薬毒が増量され、霊が曇り、不快感が増し、その結果、偽悪醜に満ちた心言行を継続し、罪を犯すようになるのでありましょう。
 医薬品メーカー、医療業に携わる方々は、薬毒の認識は、あるのでしょうか。金儲けのため、病院経営のため、医薬品を売り、平気で人の命を犠牲にすることは、最大の罪を犯していることになります。
昼の世界が近付くに従い、真理に目覚める人が多くなると思います。薬毒を理解できる人が多くなることでしょう。どうか、考え方を改め、率先して薬毒を伝える側になっていただくことを希望いたします。
 メシヤ様(岡田茂吉教祖)の信徒は、薬によって病気が作られ、病気よって悪が発生する。』の御教えを再確認し、多くの人に伝えていくことが重要でありましょう。
 
 現代医学で病気は治るか』の御教えは、昭和25年4月20日に発表された御教えです。この当時の教団では、感謝の報告が数百通あったとのことです。
 現代医学の療法により何年、何十年と継続し治癒されなかった病気が、浄霊による奇蹟、御守護をいただいたこと、このことは何にも弥増す歓喜であったことでしょう。このことを通し、感謝の言葉を知り、主神様、メシヤ様への絶対信仰が培われたのでありましょう。
 私達は、メシヤ様(岡田茂吉教祖)との神縁をお許しいただいたことにより、薬毒の理、浄化作用の理を徹底的に教わり、浄霊力の拝受をお許しいただき、これほど、感謝に値することはありません。
 メシヤ様(岡田茂吉教祖)から示された医学の真理について、家族、友人、知人に一人でも多く知らせ、感謝の生活を送れる人をつくる使命が、信徒にはあると思います。
 
 
    悪の言(不平、非難攻撃、怒号、罵声、秘密、欺瞞、咎め、愚痴)に勝つ。
    悪の心(不平、憎み、呪い、妬み、怒り、偽り、復讐心、執着)に勝つ。
    悪の行(悪の心言の行為)に勝つ。
 
   自らの悪の心言行に勝つと同時に、善の心言行の実践がより重要です。
 
・ 善の心(感謝、愛、祈り、賞賛、喜び、正直、慈悲心、安心)の実践
・ 善の言(感謝、報恩、歓喜、祝福、公開、正直、賞賛、寛容)の実践
・ 善の行(善の心言の行為)の実践
 
 
『病気とは祝福すべきもの、喜ぶべきものであって、全く神が人間に与えた最大なる恩恵であり、また自然の生理作用であるというのである。故に病気によって人間の健康は保持され寿命は延長される』
 
【『人口増加率逓減の問題(「天国の福音」昭和22年2月5日)』より抜粋】
 
 
 

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『法難手記』はしがき
『此(この)記録は昭和二十五年五月八日発生し、同年七月十二日一段落着いた迄(まで)の、私の嘗(な)めた体験記録であって、之(これ)によって目下(もっか)起訴(きそ)中の私の裁判を有利に導こうなどという考えは毫末(ごうまつ)もない。唯(ただ)早い内に書かないと記憶を失う虞(おそ)れがあるから、筆を執(と)った迄(まで)である。今回の事件は私にとっては非常に尊い体験であって何人と雖(いえど)も、現代社会に呼吸している以上、僅(わず)かな不注意や思い違い、法に無知なる等の為、思わざる災禍(さいか)を被る事を、充分知っておかなければならない事を痛感したからで、それらを一人でも多くの人に、知らせたい老婆心(ろうばしん)から、之(これ)を書いたのである。そうして当局者に要望したい事は、真の民主日本たらしめん為には、司法行政の面にも、改善すべき幾多の課題のある事を、此(この)手記によって感得されたい事で、私は之(これ)を念願して止(や)まないものである。
今度、私が二十二日間に亘(わた)った体験によって得た処(ところ)の、警察官並びに検事の取調べは、到底(とうてい)想像だも出来ない程の、非民主的のもので一般には殆(ほと)んど知られていないようである。若(も)し斯(かく)の如(ごと)き不合理が許されるとしたら、今後如何(いか)に多くの無辜(むこ)の人民が災いせられ、苦難を被るかは、計り知れないものがあろう。此(この)事実を知った吾等(われら)は、何としても救わずにはおられないのである。如何(いか)に完璧なる憲法が制定されたとしても、其(その)運営が之(これ)に伴わないとすれば、折角(せっかく)得た自由も民主主義も、泥土に踏み躙(にじ)られる結果となるであろう。今に於(おい)て一日も早く一大覚醒をされなければ、寒心(かんしん)に堪(た)えないと思うので、之(これ)を赤裸々(せきらら)に発表するのである。吾々(われわれ)は専門家ではないが、抑々(そもそも)法の建前なるものは、善を勧(すす)め悪を懲(こ)らし、よりよき社会を作り、最大多数の最大幸福を実現する。それが基本的信念であらねばならないと惟(おも)うのである。
然(しか)るに、今回の事件に当って、身を以て具(つぶ)さに体験した結論によれば、右目的とは余りに背反している事実である。私は御承知の如(ごと)く一宗教人ではあるが、宗教の本来も、よりよき人類社会の実現を目標とし、善を勧(すす)め悪を懲(こ)らし、理想世界を作るにあるのは言を挨(ま)たないのである。従而(したがって)、吾等(われら)が如何(いか)に宗教弘通(ぐつう)に専念し、自由民主主義社会を企図すると雖(いえど)も、法の運営に当る人達が、それに無理解であるとしたら、之(これ)に覚醒を促(うな)がし、正しき認識の下に、所期(しょき)の目的を達せられん事を願望するのである。それが為の一資料として、本記録が些(いささ)かなりとも、役立つとすれば、幸甚此上なき次第である。とは言うものの、省(かえ)りみれば、吾等(われら)と雖(いえど)も今回の事件によって、今日迄(まで)の経営が如何(いか)に杜撰放漫(ずさんほうまん)を極(きわ)め、監督不行届きであったかは、まことに自責の念に堪(た)えないものがある。若(も)し今回の事件なかりせば、放漫(ほうまん)は不知不識(しらずしらず)の中(うち)に、幾多(いくた)災いの種を蒔(ま)いたかも知れなかったので、大難が小難で済(す)んだと思ったのである。全く神が当局の手を煩わして、一大粛正(いちだいしゅくせい)の恩恵を垂れ給うたと信じ今回の大いなる苦難も、神の愛の鞭(むち)でなくて、何であろうと深く省み、只々感謝感激あるのみである。其(その)鞭の役目を荷(にな)われた、当局者の労苦に対しても、深甚(しんじん)なる感謝を捧(ささ)ぐるのである。
此(この)著の題名を『法難手記』としたが、之(これ)を実際から言えば当らないかも知れない。と言うのは、彼(か)の基督(キリスト)にしろ、日蓮、法然、親鸞、近くは天理教教祖にしろ、其(その)開祖教祖が未(ま)だ現行の如(ごと)き法のない時代であったに拘(かか)わらず、法難の言葉を用いられて来たのであるが、此(この)法の意味は、今日の法律の法ではなく、仏教から出た言葉であろう。それは仏教の最初は仏法と呼ばれ、中途から仏教に転化したのであるから、此(この)意味に於(おい)て、キリストの如(ごと)きは法難ではなく、受難というべきであろう。
そうして私の今回の事件は、宗教上には何等(なんら)関係がなく、単なる脱税問題が主であったから、法難ではなく法律難と言うのが妥当(だとう)であろう。之(これ)は別の話ではあるが、天理教教祖中山ミキ刀自(とじ)は、投獄さるる事十数回に及んだという事である。にも拘(かか)わらず、今日の如(ごと)き、隆昌を見るに到(いた)った事は、宗教に法難は付物(つきもの)であって、官憲が如何(いか)に強圧すると雖(いえど)も真に価値あるものなれば、決して挫折する事なく、いつかは社会から、認められるようになる事を知るのである。
次に、本著の目的に就(つい)て、今一つの重要事がある。御承知の如(ごと)く、今度の事件発生するや、大抵の新聞紙には、特ダネ扱いに大々的に報道されたが、其(その)記事を読んでみると、随分(ずいぶん)出鱈目(でたらめ)が多いので、社会を誤るの甚(はなはだ)しきを憂(うれ)い、一応の弁明をなす必要あるを思うのである。吾等(われら)も宗教家として神意を体し、救世済民の聖業に奮励(ふんれい)しつつある以上、此際(このさい)真相を披瀝(ひれき)し、誤解の暗雲を一掃するこそ執(と)るべき喫緊(きっきん)の手段と想い、之(これ)をかくのである。此(この)意味に於(おい)て吾等(われら)の誠意のある処(ところ)を酌(く)みとられ所謂(いわゆる)、法難の実態を把握されると共に、公正なる批判をされん事を、望んで止まないものである。
昭和二十五年八月』
『(「法難手記」昭和25年10月30日)』
 
 メシヤ様(岡田茂吉教祖)は、罪と薬剤と肥料の三つが病の根本であり、この三つの害を除くことが、人類救済の第一義であると説かれております。また、薬剤と肥料は今日只今からでも廃止できるが、最も至難であるのが、罪の問題で、この解決は宗教以外にないと仰っておられます。人類の罪のなかでも、メシヤ様(岡田茂吉教祖)の弟子、信徒となりながら、御神格を理解できず、夜の時代の考え方を捨てられず、御神意に反する行為は、罪の最たるものでありましょう。
 
 私は、昭和25年2月4日、世界救世(メシヤ)教開教後に発表された御教えより、『感謝』の言葉が入っている御教えを学び、真善美の心言行の実践を目標に精進邁進させていただきたいと願っております。
 今回の御教えを拝読し、我々の偽悪醜に満ちた心言行が、メシヤ様(岡田茂吉教祖)の進める御神業を遅らせ、破綻を招き、どれだけお邪魔になっているか、考えると本当に申し訳なく思います。
 
楳木 和麿 メシヤ教代表先生指導
 
「当時の先達たちの『誠』の欠如から発生している面もあります。私達の反面教師として捉えて、自らの信仰姿勢を絶えず、正さねばならないことであります。そして、真の御神業の担い手とならねばなりません。
 しかも、現在の教団分裂に限らず教団離脱教会の動きは、そうしたことの延長線上に発生しています。
 メシヤ様が指導者に対して警告を与えている内容に対して、「自分だけは・・・」という思いや、ちょっとした心の隙が大きな問題を招いてしまうということからも、心掛けの勘違いは恐ろしいことです。
 それだけに、先達の批判だけに留まらせてはいけないものがあります。自らに課す取り組みを絶えず重ねなければならないところです。」
 
 「法難手記」を拝読し、警察、検察という国家権力の立場にあるものが、取調べにおいて、公正さを欠く対応には、許し難いものがあります。この国家権力とともに、マスコミの対応も度を過ぎたものがあるように感じます。
 今日、真実の情報を得るには、新聞、テレビ等の大手マスコミに求めるのは、当てにならない、インターネットを通じ、眞に信用のおけるサイトより得るしか方法はないものと思います。眞に信用のおけるサイトであるか、否か、判断するのは容易ではありませんが、我々の場合、メシヤ様(岡田茂吉教祖)より、御教えを頂いておりますので、御教えをもって判断させていただけるわけですから、いかに幸福であるか、わかりません。
 しかしながら、邪神が狙っているのは、官憲、マスコミだけでなく、我々信徒を、常にねらっていることであります。戦後の御法難においては、一人の大先達ともいうべき直弟子を失脚させんがための謀略であったとも、教団を乗っ取るためのはかりごとであったとも伺っております。
 地上天国建設、人類救済のメシヤ様(岡田茂吉教祖)の大理想実現のため、専従を志された先達の方々が、いつしか邪神に魂を奪われ、偽悪醜に満ちた人生を歩むとは、本当に気の毒な人達と言うほか、ありません。
 
とは言うものの、省(かえ)りみれば、吾等(われら)と雖(いえど)も今回の事件によって、今日迄(まで)の経営が如何(いか)に杜撰放漫(ずさんほうまん)を極(きわ)め、監督不行届きであったかは、まことに自責の念に堪(た)えないものがある。若(も)し今回の事件なかりせば、放漫(ほうまん)は不知不識(しらずしらず)の中(うち)に、幾多(いくた)災いの種を蒔(ま)いたかも知れなかったので、大難が小難で済(す)んだと思ったのである。全く神が当局の手を煩わして、一大粛正(いちだいしゅくせい)の恩恵を垂れ給うたと信じ今回の大いなる苦難も、神の愛の鞭(むち)でなくて、何であろうと深く省み、只々感謝感激あるのみである。其(その)鞭の役目を荷(にな)われた、当局者の労苦に対しても、深甚(しんじん)なる感謝を捧(ささ)ぐるのである。』
 
 メシヤ様(岡田茂吉教祖)は、この御教えの中で、当局者への感謝を書かれています。当時の執行部における杜撰放漫の極みにあった教団運営に対し、一大粛正の恩恵を垂れ給うたと書かれています。
 このことは、苦難があった場合、他動的罪悪感に陥りやすい我々の心の癖を見抜いた表現であると思い、反省をし、気付いたら直す努力をしなければいけないと感じる次第です。
 残念なことに、当時の教団執行部の大半は、反省をした態度を示さず、夜の時代の見方、考え方、決め方、やり方を継続し、その後、60年経過し、御心とかけ離れた団体に堕ちてしまったのが現状でしょう。
 メシヤ様(岡田茂吉教祖)の御心、御教えに反することを実践し、栄えた人は一人もいないはずです。そのことを各教団の代表、執行役員は存知あげていることと思います。今こそ、メシヤ様の御心を学び直し、善処されんことを望むものであります。
 
 
    悪の言(不平、非難攻撃、怒号、罵声、秘密、欺瞞、咎め、愚痴)に勝つ。
    悪の心(不平、憎み、呪い、妬み、怒り、偽り、復讐心、執着)に勝つ。
    悪の行(悪の心言の行為)に勝つ。
 
   自らの悪の心言行に勝つと同時に、善の心言行の実践がより重要です。
 
・ 善の心(感謝、愛、祈り、賞賛、喜び、正直、慈悲心、安心)の実践
・ 善の言(感謝、報恩、歓喜、祝福、公開、正直、賞賛、寛容)の実践
・ 善の行(善の心言の行為)の実践
 
 
『病気とは祝福すべきもの、喜ぶべきものであって、全く神が人間に与えた最大なる恩恵であり、また自然の生理作用であるというのである。故に病気によって人間の健康は保持され寿命は延長される』
 
【『人口増加率逓減の問題(「天国の福音」昭和22年2月5日)』より抜粋】
 
 

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自然を尊重せよ
『医学特に結核患者に対しては、安静を最も重要とされてゐるが、之(これ)は前(さき)にも述べた如(ごと)く大変な間違ひである。ではどうするのが一番いいかといふと、何よりも自然である。自然とは自分の身体を拘束(こうそく)する事なく、無理のないやう気儘 (きまま)にする事である。例へば熱があって大儀な時は、寝ろといふ命令を身体がすると思ひ、寝ればいいのである。又(また)寝たくない起きたいと思うのは、起きてゐてもいいと命令されたと思ひ、起きればいいのである。歩きたければ歩き、駈出したければ駈出し、大きな声で唄ひたければ唄ひ、仕事がしたければするといふやうに、何でも心の命ずるままにするのが本当である。気が向かない心に満たない事は止(よ)す事である。要するにどこ迄(まで)も自然である。之(これ)が結核に限らず、如何(いか)なる病に対しても同じ事がいえる。
 食物も同様で、食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食う。之(これ)が最もいいのである。薬は
勿論 (もちろん )不可 (いけ )ないが、食物としても薬だからとか、滋養になるとかいって、欲しくないものを我慢して食ったり、欲しいものを我慢して食はなかったりするのも間違ってゐる。人体に必要なものは食べたい意欲が起ると共に食べたくないものは食べるなといふ訳(わけ)である。そうして結核に特に悪いのは動物性蛋白である。少しは差支へないが、成可 (なるべく )野菜を多く摂る方がよい。処(ところ)が今日の医学は、栄養は魚鳥獣肉に多いとして奨めるが、之(これ)が大変な誤りで、一時は元気が出たやうに思ふが、続けると必ず衰弱を増す事になる。本来栄養とは植物性に多くある。考えてもみるがいい。動物性のもののみを食ってゐれば、敗血症などが起って必ず病気になり、生命に関はる事さへもある。それに反し菜食はいくらしても健康にこそなれ、病気には決して (かか )らないばかりか、長寿者となるに見ても明かである。之(これ)に (つい )て私の体験をかいてみるが、私は若い頃結核で死の宣告を受けた時、それ迄(まで)動物性食餌(しょくじ)を多量に摂(と)ってゐたのを、 (ある )動機で (その )非を覚り、菜食にしてみた処(ところ)、それからメキメキ恢復(かいふく)に向ったので、医学の間違ってゐる事を知り薬も ( )めて (しま )ひ、三ケ月間絶対菜食を続けた処(ところ)、それで病気はスッカリ治り、病気以前よりも健康体となったのである。 (その )後他の病気はしたが結核のケの字もなく、六十八歳の今日に到(いた)るも矍鑠 (かくしゃく )として壮者を凌(しの)ぐものがある。もし (その )
時それに気が付かなかったとしたら、無論(もとろん)彼世(あのよ)へ旅立ってゐたに違ひないと、今でも思う度(たび)にゾッとするのである。
 今一つは喀血の場合である。之(これ)こそ菜食が最もいい。以前
( )ういう患者があった。肉食をすると (その )
翌日必ず喀血するが、菜食をするとすぐ止まるといふ、実にハッキリしてゐた。之(これ)でみても菜食のよい事は間違ひないのである。
 今一つは、医師は疲労と睡眠不足を不可として戒めるが、之(これ)も間違ってゐる。それは原理を知らないからで、疲労とは
勿論 (もちろん )運動の (ため )で、運動をすれば足や腰を活動させるから、 (その )部にある毒素に浄化作用が起り、微熱が発生する。微熱は疲労感を催す、それが疲れである。併(しか)しそれだけ毒素が減るのだから結構な訳である。何よりも運動を旺(さか)んに行ひ常に疲労を繰返へす人は健康であるにみても判(わか)るであらう。だから草臥 (くたび )
れた際足や腰の辺(あたり)を触ってみれば必ず微熱があるにみて、それだけ毒が溶ける訳である。
 又(また)睡眠不足は、結核には何等(なんら)影響はない。
(むし )
ろいい位である。之(これ)は事実によってみればよく判(わか)る。何よりも睡眠不足の階級をみるがいい。旅館の従業員や、花柳界の人達には、結核が最も少ないと医学でも言はれてゐる。
 之(これ)に
(つい )ても説明してみるが、睡眠不足だと起きてゐる時間が長くなるから、活動の時が多くなり、浄化が余計(よけい)起るからそれだけ疲れる。処(ところ)が逆解的医学である以上、睡眠不足を不可とするのである。今一つ ( )ういう事でも判(わか)る。それは普通朝は熱が低く、午後三時か四時頃になると熱が出てくる。之(これ)も右の理と同様で、仮令 (たとえ )寝てゐても神経を使ふから浄化が起るのである。』
(「文明の創造」 昭和27年 )
 
また、現代の健康保険制度が充実していることと、製薬会社の意向を受けて各種指標の数値を変えております。血圧にしても、サプリメントを売るために、驚くべき数値を現代人に刷り込んでいます。
 マスコミにより健康志向とダイエット志向を刷り込み、その結果、健康器具とサプリメントの市場を拡大しております。その背景には経済至上主義が蔓延しているのですが、本来の人間の在り方が忘れ去られています。
 その点からも、『自然を尊重せよ』は現代人に最も考えさせられる内容と思います。
 
 
「国立天文台と理化学研究所の研究者を中心とした国際研究チームは、太陽観測衛星「ひので」に搭載された可視光・磁場望遠鏡により、太陽極域の磁場観測を定期的に行ってきました。このたび、極域磁場の極性が予想より早く反転しつつあることを世界で初めて捉えました。
現在、太陽活動は極小期を過ぎ、やや上昇してきています。太陽の南北両極の極性は、2013年5月に予想される太陽活動極大期にほぼ同時に反転すると予想されていました。ところが、2012年1月の「ひので」による観測で、予想される時期より約1年早く北極磁場がほぼゼロ近くになっていることが発見されました。現在太陽の北極域では、逆極性の磁場が大規模に消滅しつつあり、太陽の北極磁場がまもなく反転すると予想されます。一方、南極は安定しており、極性反転の兆候がほとんどみられていません。これらの研究成果は、これまでの太陽極域磁場の極性反転過程に対する認識に変更を迫る、極めて重要な結果です。」
(自然科学研究機構 国立天文台HP 研究成果 2012年4月19日より)
 
  平成24年4月19日付け,国立天文台 研究成果によると、太陽の南北量極の極性は、2013年5月に反転するとの予想が、平成24年1月の「ひので」の観測で、予想より1年早く北極磁場がゼロ近くになることが発見とのことです。まもなく太陽の北極磁場が反転し、一方、南極は安定し極性反転の兆候がみられないとのことです。
 
  太陽では、極が四つになる可能性もあるとされています。こうしたことが、2012年12月23日の問題と関連して、たいへんな節目になると考えられます。
 
  メシヤ教代表先生は、『文明の創造』発刊を半年早めた理由も、そこにあると仰っております。
 
  今年の異常気象は、尋常ではありません。
  より一層警鐘を鳴らさねばならないと思います。
 
  このことは、地球環境にも大きな影響があるでしょうし、人体にも多大な影響があるものと思われます。
  より浄化作用が強くなり、薬毒で固めることが不可能になってくるものと思われます。
 
  私達は、メシヤ様(岡田茂吉教祖)から薬毒の真実を学び、それらを溶解排泄する浄化作用という神様から賜った大恩恵について学びました。その学びを来るべき大浄化時代に、メシヤ様(岡田茂吉教祖)の信徒が大いに役目を果たされるよう、今から準備を整えてまいりたいと思います。
 
 
浄 化 作 用 は 感 謝 す べ き も の
 
〜薬毒・尿毒・然毒を滅する 自らの悪の心言行に勝つ〜
 
 
『罪と薬剤と人造肥料との此(この)三つが病気の根本であるとしたら、此(この)三つの害を除く事こそ、人類救済の第一義であらねばならない。処(ところ)が薬剤と肥料とは、今日只今(ただいま)からでも廃止する事が出来るが、最も至難(しなん)であるのは罪の問題である。之(これ)だけはどうしても宗教によらなければ、解決出来ないのは勿論(もちろん)である。といっても之(これ)が実現の可能性ある宗教は、今日先(ま)ず見当らないといってもよかろう。処(ところ)が此(この)条件に適う宗教こそ、我メシヤ教であるとしたら私の責任も重且(かつ)大なるものである。此(この)意味に於(おい)て私は先(ま)ず此(この)著によって、全世界の有識者に向って警鐘を鳴らす所以(ゆえん)である。』
(唯物医学と宗教医学「文明の創造」 昭和27年 より抜粋)
 
 
  私は、このブログにおいて、薬剤と肥料の解決について、メシヤ様(岡田茂吉教祖)の御教え、三好基晴 医学博士の医学解説を掲載し、多くの学びをさせていただきました。
  メシヤ様(岡田茂吉教祖)は、薬剤や肥料に比べ、最も至難であるのは罪の問題であり、これは宗教によらなければ、解決できないと説いておられ、この条件に適う宗教はメシヤ教であると仰っておられます。
  現在、多くのメシヤ様(岡田茂吉教祖)を信仰する団体は、解決するための御教えを閉ざし、そのことにより、教団の力も微弱になっている現状です。
  私達メシヤ教においては、多くの信徒がメシヤ様(岡田茂吉教祖)の御教えの研鑽に励み、実践し、最も至難である罪の問題の解決にも努力しているところであります。
 
  さて、次回より
 
浄 化 作 用 は 感 謝 す べ き も の
 
〜薬毒・尿毒・然毒を滅する 自らの悪の心言行に勝つ〜
 
を、『真善美の実践』と改題し、罪の問題の解決に焦点を当て、その解決の先にある『真善美』の世界を目指すべく、その主旨に沿い、メシヤ様(岡田茂吉教祖)の御教えを学ばせていただく所存であります。
 
今回で、『「三好基晴 医学博士 講演 医学セミナー」を受講して』を、終了させていただきます。
三好基晴 先生におかれましては、当ブログの運営に御理解、御協力、御指導賜りましたこと、感謝申し上げます。
 
 
    悪の言(不平、非難攻撃、怒号、罵声、秘密、欺瞞、咎め、愚痴)に勝つ。
    悪の心(不平、憎み、呪い、妬み、怒り、偽り、復讐心、執着)に勝つ。
    悪の行(悪の心言の行為)に勝つ。
 
   自らの悪の心言行に勝つと同時に、善の心言行の実践がより重要です。
 
・ 善の心(感謝、愛、祈り、賞賛、喜び、正直、慈悲心、安心)の実践
・ 善の言(感謝、報恩、歓喜、祝福、公開、正直、賞賛、寛容)の実践
・ 善の行(善の心言の行為)の実践
 
 
『病気とは祝福すべきもの、喜ぶべきものであって、全く神が人間に与えた最大なる恩恵であり、また自然の生理作用であるというのである。故に病気によって人間の健康は保持され寿命は延長される』
 
【『人工増加率逓減の問題(「天国の福音」昭和22年2月5日)』より抜粋】
 
 

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メシヤ様(岡田茂吉教祖)の御教え、三好基晴先生の御著書・御講演について、私(当ブログ管理者)の思っていることを書かせていただきます。
 
『だんだん暖かくなるのは人間の住む場所が広がってゆくからで、人間がふえると暖かくなる。北海道なども以前よりずっと暖かくなってきた。これは人体から発散する熱のためで、これはたいしたものである。人間が住むようになるに従い暖かくなる。』
 
 メシヤ様(岡田茂吉教祖)は、暖かくなる原因として、人間の住む場所が広がってゆくからと仰っておられます。また、人体から発散する熱のためと説かれておられます。人体から発散する熱の根源を御教えから学ばせていただきたいと思います。
 
『地球の構成原素である。それは曩(さき)に説いた如(ごと)く三段階になっている。即(すなわ)ち一、霊界 二、空気界 三、現象界であって、之(これ)を一言にして言えば、一は火素が本質であり、二は水素が本質であり、三は土素が本質である。勿論(もちろん)一は日の精、二は月の精、三は土の精であって、此(この)三原素の力によつて、一切は生成化育されている以上、人間と雖(いえど)も其(その)三原素の力によって、生命を保持されているのは勿論(もちろん)である。
そこで、三原素を吸収すべき主要機能としては心臓、肺臓、胃の腑(ふ)である。即(すなわ)ち心臓は霊界から火素を吸収し、肺臓は空気界から水素を吸収し、胃の腑(ふ)は物質界から、土素を吸収するのである。』
『病気とは再三(さいさん)説いた如(ごと)く、毒素の排泄(はいせつ)作用であるから、固結(こけつ)毒素を溶解(ようかい)する場合、熱が必要となる。其(その)熱を心臓が吸収する役目であるから、平常よりも余分に火素を要するので、心臓はそれだけ活動を旺(さか)んにしなければならない。発熱の際鼓動が頻繁(ひんぱん)なのはそれが為(ため)であって、其(その)際の悪寒(おかん)は体温を心臓に補給する為(ため)不足となるからで、又(また)呼吸頻繁(ひんぱん)なのは、心臓の活動を助ける為(ため)、肺臓は水分を余分に供給しなければならないが、それには熱は水分を加える程力を増すからである。又(また)発熱の際食欲不振なのは、消化に要する熱量を、心臓へ奪われるからである。此(この)様にして毒結(どっけつ)の溶解(ようかい)が終れば、熱の必要はなくなるから解熱するのである。』
(心臓「文明の創造」 昭和27年 より抜粋)
 
 人には、火素、水素、土素を吸収すべき主要機能として、心臓、肺、胃があります。心臓は霊界から火素を吸収し、肺は空気界から水素を吸収し、胃は物質界から土素を吸収すると説かれております。
 昭和6年6月15日、夜昼転換に伴い、火素が増大したことにより、浄化作用も、より強く大きくなっていきます。
 病気とは、毒素の排泄作用であり、固結毒素を溶解する場合、熱が必要となり、その熱を心臓が霊界から吸収するのであります。心臓の鼓動(脈拍)は、霊界から火素を吸収するポンプ作用であると、教わっております。
 さて、脈拍の適正値は、一分間に72。その半分の36は、体温の適正値。その半分の18は、一分間の呼吸数の適正値。その半分の9は、一日の大小便の排泄数。72の倍の144は、最高血圧の適正値。このことを、以前に教えられたことがあります。
 このことを踏まえ、現代人の低体温、低脈拍は非常に危険であると言えます。現代社会は、良くも悪くも健康保険の制度が充実しており、安易に医療を求め、医薬品を服用し、毒素が固まりきっている状態であります。さらに、食物からは、肥毒、農薬、添加物、また、環境汚染等から毒素を取り込んでいます。そのことにより、偽悪醜の心、言葉、行為を生み出し、益々、曇りを増大しております。
 現代社会の歪みも、偽悪醜の心言行により魂が曇りきった人達が指導階級におり、自己の栄達、保身しか目に入らず、神の御心から離れてゆく気の毒な人々が運営しているからであると言えるでしょう。
 このことについては、平成24年5月度メシヤ講座の『文明の創造』の学びで、『自然を尊重せよ』に記されている内容が深く関連するように思います。この御教えを拝読し、現代医学は、体内に入った汚濁を排泄するための浄化作用を悪化作用と捉え、不味い医薬品、身体を切り刻む手術をし、薬毒を追加し、自身の心の声に反し、そのことを善であると解釈する。それにより、自分の本守護神、魂に嘘をつく。そこに罪が発生するものと思います。
 

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環境問題(2)地球温暖化
 
メシヤ様(岡田茂吉メシヤ教教祖)の御教えより
 
 
―毎年だんだん暖かくなるようですが、今年の稲作は早稲(わせ)がよろしいでしょうか。晩稲(おくて)がよろしいでしょうか。
 
『そんなに気候は違わない。どちらでもよい。その土地によりその気候の違いさに合わせてやればよい。暖かい所では二毛作でよい。だんだん暖かくなるのは人間の住む場所が広がってゆくからで、人間がふえると暖かくなる。北海道なども以前よりずっと暖かくなってきた。これは人体から発散する熱のためで、これはたいしたものである。人間が住むようになるに従い暖かくなる。いまに南北極に人が住むようになる。陸地の発見は氷が溶けるためである。また地殻の収縮により海が深くなり、海が深くなると川が浅くなってくる。しかしいくら川は浅くなっても南極北極の氷がとけて海水になってゆくから涸(かれ)っきりにはならない。』
(「地上天国 6号」 昭和24年7月20日 より)
 
 
三好基晴医学博士 御著書・御講演 より
 
 
「世間では「地球温暖化によって南極や北極の氷が溶け、海面が上昇し、標高の低い土地は水没する」と言われています。確かに一時的にはそうなるかもしれませんが、海面が上昇すれば海水全体が重くなり、それによって地盤の柔らかい海底が沈むため海面は元に戻るのではないか、と考えている科学者もいます。
 また、二酸化炭素の増加が地球温暖化の原因だと言われています。しかし、この説には多くの疑問があります。学問的に地球温暖化の問題を研究している多くの学者の説では「確かに二酸化炭素の増加も原因の一つではあるが、その影響力は非常に小さく100分の1くらいだ」ということです。太陽の黒点の活動が大きな要因と考えられていますが、はっきり解明されてはいません。
 にもかかわらず、行政やマスコミはなぜ二酸化炭素ばかり強調するのでしょうか?その裏には原子力発電所の正当化があるようです。原子力発電所は事故などによって放射能汚染や放射性廃棄物の処理などが問題になっています。しかし、原子力発電所からは二酸化炭素の排出は少ないため「原子力発電所は二酸化炭素を出さないクリーンエネルギー」といわれるようになりました。
 原子力発電所のいろいろな問題点をかわすために、地球温暖化には影響力の小さい二酸化炭素を大きな原因かのようにアピールするようになったようです。
 ただし、二酸化炭素を削減しようとすることが工場などの場合、二酸化炭素のみならずダイオキシンや重金属などの有害物質の削減にもつながりますから、この点は有用でしょう。
 健康問題のみならず、環境問題においても国やメーカーの都合のよい情報しか流れていないのが現状です。」
 
 

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