楽茶碗を鑑賞する28 茶人 信長28
12月25日(日)、6時、昨日は、午前中、北里クリニックで栄養剤の点滴を受けておりました。水曜日から食欲不振・味覚不良に陥り、食べる事に難渋していました。それに、金曜日には、午後から腹痛に悩まされ、「うん、うん」と唸っておりました。全く元気がなくなってしまつたのです。ですから、ブログの書き込みどころでは有りませんでした。
しかし、夕食は、クリスマスイブのため、ご馳走で、大好きなコーンスープをカップに二杯半も食してしまいました。それから、元気が出てきたのです。
それで、今日は、午前中は、色々と「カワイ音楽教室」のカラオケオサライ会時の記念写真を画像処理してプリントアウトしたり、2月発行の「歴研会誌」の原稿作りに励んでおりました。午後3半杉から、「3.11の報道」を見ておりました。凄まじい地震・津波の状況が放映されておりました。改めて凄い大震災であつたと思わずにはいられません。
二、楽茶碗を鑑賞する28
今日から暫くは、「日本の現代陶芸―伝統と新風の精美―」から、「楽茶碗」を鑑賞していきます。
初めは、「川喜田半泥子」の作品鑑賞です。
「志野茶碗 銘 赤不動」です。
三、茶人 信長28
第七章 「蘭奢待」の切り取り(天正2年 信長41歳)
天正元年11月、妙覚寺の茶会で信長に歓待された天王寺屋宗及は、年頭の挨拶で岐阜城を訪れている。1月24日に堺を出発し、京都を経て28日には岐阜城に到着。29日には、岐阜城に上り、2月1日に信長に拝謁している。
信長は、「茶の湯」に堪能であった宗及を歓待するために茶道具を準備するが、「自分が持っている道具の内、これまで見ていないものを述べるように」と申し付けている。
信長が、所蔵する茶道具の全貌を知る由もない宗及は、既に拝見した茶道具を書き出して提出している。
岐阜城の信長茶会
宗及は、翌日にも岐阜城を訪れた。信長は宗及のため、3日に茶会を計画していたのだが、その前日の挨拶のためだったのだろうか。宗及は「桂漿盆」を献上している。「桂漿盆」は、色変りの漆を幾重にも塗り重ねて文様を彫りだした盆である。勿論、中国産の技巧的な作品である。
さて、3月2日の茶会である。床には玉礀筆の「煙寺晩鐘」の絵が掛けられ、その前には「蕪無」の花入れに柳一枝入れられている。花いれは、桂漿盆に置かれていたが、これは宗及が献上したものであつたから、信長は早速に茶会で使って見せたという所だろうか。
点前座には、台子が据えられ、台子の上には、かって今井宗久から進上された「紹鷗茄子」と「数の台」と呼ばれる名物の天目台に載せた「犬山天目」が長盆に入れて置かれている。台子の内には、「八角ノ釜」と本願寺の寺侍下間丹後から進上された「樋形の水指」が据えられていた。「八角ノ釜」は、後に明智光秀に下賜されるものであった。
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