遺影考
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私は、1日に78歳で亡くなった、ご近所の母の友であったR子さんの告別式に行っている。
それにしても、R子さんの遺影が若々しく、おそらくは50代くらいのもので、きれいな喪服 を着ていたことに驚いた。私の知るR子さんに喪服は全く似合わないのだった。いつになく 取り澄ました、若々しいR子さんの遺影を見て、不謹慎だけれど少し笑ってしまった。 昨今の写真のデジタル化で、修正技術の向上はめざましいようで、今は、どうにでも 加工ができるようだ。自分自身の遺影について、何を着せてくれ、とか、これを使ってくれ、 と予め注文をつけておく人もいるかも知れない。 私自身は、写真に撮られるのが好きではないのだが、加工の「元」になる写真は必要なの かも、と改めて思ったのだった。 遺影といえば思い出すことがある。若い頃、勤めていた会社の商業デザイナーのSさんが 48歳で急逝されたとき、Sさんの遺影は、ヨーロッパの街角で写したスナップ写真だった。 私には、カジュアルなスナップ写真であったことは驚きであったのだが、それは、亡くなられる 少し前に、ご夫婦でご旅行されたときのものに違いなかった。 しかし、Sさんの仕事は必要とされていた。当時は、有給休暇の消化を促されるような時代 ではなく、ちょっと長い休暇は、やはり取りにくい時代だった。休暇は、計画的で事前に報告 をしていたにせよ、二週間も職場を留守にしたことに、Sさんの上司は腹を立て、「こんなときに 二週間も休むなんて」と声高に言い、怒りをあらわにオフィスの中を歩いた。 それでもヨーロッパのゴシックな街角で、嬉しそうに微笑むSさんの遺影を見て、私は、 Sさんは、やはり休暇をとって旅行されて良かったのだと心から思った。 そうだ、遺影はスナップ写真でも良いわけで・・・。でも、遺された人が選ぶほうが良いかも 知れない・・・などと考えはじめると切りがない。 しかし縁起でもないので、やはりあれこれ考えるのはやめておこう。 |

