うんむまじどの『イスラムな気持ち』

東日本大震災で被災されたかたへ、心からお見舞い申し上げます。

ショートエッセイ

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村上春樹さんのショートエッセイを読んだあとで、「ショートエッセイ」というのは、だいだいこのくらいの長さ、ということがわかったので、それを意識して記事を書いてみようかと思いました。要するに、ブログの記事でいえば、長めの「つれづれ」記事=ちょっと長めの文章で、まとまりのあるもの、ということになります。
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遺影考

私は、1日に78歳で亡くなった、ご近所の母の友であったR子さんの告別式に行っている。
それにしても、R子さんの遺影が若々しく、おそらくは50代くらいのもので、きれいな喪服
を着ていたことに驚いた。私の知るR子さんに喪服は全く似合わないのだった。いつになく
取り澄ました、若々しいR子さんの遺影を見て、不謹慎だけれど少し笑ってしまった。

昨今の写真のデジタル化で、修正技術の向上はめざましいようで、今は、どうにでも
加工ができるようだ。自分自身の遺影について、何を着せてくれ、とか、これを使ってくれ、
と予め注文をつけておく人もいるかも知れない。

私自身は、写真に撮られるのが好きではないのだが、加工の「元」になる写真は必要なの
かも、と改めて思ったのだった。

遺影といえば思い出すことがある。若い頃、勤めていた会社の商業デザイナーのSさんが
48歳で急逝されたとき、Sさんの遺影は、ヨーロッパの街角で写したスナップ写真だった。
私には、カジュアルなスナップ写真であったことは驚きであったのだが、それは、亡くなられる
少し前に、ご夫婦でご旅行されたときのものに違いなかった。

しかし、Sさんの仕事は必要とされていた。当時は、有給休暇の消化を促されるような時代
ではなく、ちょっと長い休暇は、やはり取りにくい時代だった。休暇は、計画的で事前に報告
をしていたにせよ、二週間も職場を留守にしたことに、Sさんの上司は腹を立て、「こんなときに
二週間も休むなんて」と声高に言い、怒りをあらわにオフィスの中を歩いた。

それでもヨーロッパのゴシックな街角で、嬉しそうに微笑むSさんの遺影を見て、私は、
Sさんは、やはり休暇をとって旅行されて良かったのだと心から思った。

そうだ、遺影はスナップ写真でも良いわけで・・・。でも、遺された人が選ぶほうが良いかも
知れない・・・などと考えはじめると切りがない。

しかし縁起でもないので、やはりあれこれ考えるのはやめておこう。

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八百屋さん

かつて私が住んでいた隣の市の八百屋さんに久方ぶりに、ちょっと勇気を振るって
寄ってみた。7、8年ぶりくらいであったろうか。この季節は、そのお店には良い苺が
出るので、ちょっと思い出して行きたくなったのだ。

その八百屋は夫婦でやっている。ロングヘアでスラリとして、色白でなかなかの美人
の奥さんがレジをする。彼女は、とても八百屋の奥さんには見えない。私は、彼女が
仕立ての良いスーツを着て、ブランド物のバッグを下げて東京のオフィス街を颯爽と
歩いているところに出くわしたとしても驚かない。そんな感じの人だ。

その彼女が「おいちゃん」と呼ぶ、ちょっと厳つい五分刈りのご主人が、奥で野菜を
出したり袋詰めにしたりしている。もちろん、風貌的に彼女にお似合いとは言いがたい。

「あら、めずらしい・・・」
驚いて息をのむ彼女。
「お久しぶりです」と私。
ご主人も奥からぬっと顔を出す。
「あらま・・・。ずいぶん久しぶりですね」
「勤め先が変わったりしたものだから、とんとこちらには来なくなって・・・。
お坊ちゃん、大きくなったでしょうね」
この夫婦には、健康優良児さながらの元気いっぱいの少年がいた。その少年は、いつも
レジに立つ母に体をすり寄せるようにしてまとわりついては甘えていた。
「そうね。私より、このくらい背が高いわね」と彼女は手を上げてみる。
「横も大きいの?」とあの少年から想像する私が、体の幅を両手で表すようにして尋ねる。
「いや、そうでもないのよ。今年・・・21才よ。お宅の息子さんだって大きくなったでしょう」
「はい。うちは今年22才」
「ほんと、月日が経つのは早いわね・・・」

この八百屋は、駅から歩いて3分。三店舗が入る建物の一角にある。向かって左手に
肉屋、右手前にその八百屋、その奥にかつては魚屋があったが、もう7、8年前に店を
閉じて無くなっている。周囲に大型スーパーが二つもできているので、その影響は大き
かったのだろう。

しかし、小売店の良さもあるのだ。野菜や果物は、やはりスーパーのものより格段に新鮮
で美味で安価であること。そして、何よりちょっとしたコミュニケーションが存在すること。

イメージ 1
たとえば菜の花。さっき覗いたスーパーでは、だいぶ丈も短いものが二百五十円で売られ
ていたが、こちらは、丈が長く色もよく、かなり厚い束になって百円也である。
「あ、安い!さっきスーパーで見たら、ずっと高かったわ」

苺も然りなのである。同じ産地のものでもスーパーに出ているものより格段に甘みがあり
新鮮でおいしい。そして、それがずっと安い値段で買える。流通経路が違うせいなのだろうか。
イメージ 2
そうそう、勤め帰りに寄るこの八百屋では、この季節は、いつも苺が売り切れになり、彼女に
取り置いてもらうこともあったな、とそんなことも思い出す。

年を重ねた今でさえ、八百屋にふさわしいとも思えなかった彼女を、私はある意味でとても
立派であると思う。夫によく連れ添い、夫婦で八百屋一筋であるという点。そして彼女は、
いやこのご夫婦は、いつも穏やかで爽やかである。いつ見ても疲れてなどいない。
夫婦喧嘩をしているようすも一度も見たことも、感じたこともない。これは、やは立派である。

また、機会があったら寄ってみよう。




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寂しい家屋

私が降り立つバス停の前の家が、寂しい佇まいをしている。
夜でも灯りがとんと見えない。近所の情報に通じている母に尋ねたら、
ただ一人のご主人が入院中という。

あそこは息子が三人いるんだけれど、みんな外に出て家を持っているからね。
長男が結婚して、しばらく一緒に住んだことがあった。けれど、そのときに生きて
いた奥さんが、お嫁さんをいびってね。それで、長男の家族は出てしまった。
その奥さんも五年くらい前に死んだので、今は、Kさん一人住まい。

やはり物にも魂が宿るのだ。家も、住む人の気配がなければ、まるで魂が抜けた
かのような様相を呈してくる。

そして、もう一件、寂しい家がある。我が家の隣家である。年が明けて、
奥さんが中学生の長女、長男を連れて家を出てしまったのだ。何があったのか
定かではないのだけれど、離婚に至ったということらしい。
奥さんが少しずつ、荷物を運んでいるという。今ではカーテンも取り外されて
しまった。17年間お隣さんであったのだから、これは実は、私には結構こたえた。
家は、やがて売りに出されるという話である。

さて、その家は、どんな人が買うのだろう。どんなに質(たち)の悪い家族だとしても、
子沢山の大家族がいいな、と思ったりする。そうすれば、家が多くの「気」で満ちて
活気づくだろう。寂しくなくて良いではないか。

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「肥満」に不満

職場の健康診断では、いつも「肥満」の私である。「一年後観察」と書かれた
結果表を手にすると、結構、不満の私である。

しかし、断っておくが、私は、どうみても「肥満」には見えない。これはホント。
「えっ、どうしてあなたが『肥満』なの?」と周囲のみなが驚くくらいなのだから。
確かに「ふくよか」であるけれど、メタボではさらさらなく、ウエストだってくびれて
いるほうだ。(と思う。)

先日、スイミングクラブの上階にあるフィットネスクラブの無料体験レッスンを
受けた。インボディという機器で電磁波を通して体の筋肉や脂肪の量を測定
してもらった。結果、私には、ほどよい筋肉がバランスよくついているので
少しトレーニングをすれば、筋肉量をすぐに増やすことができ、良い体になる
ということだった。

ここは、おだてて、会員に誘う手なのかもしれないが、ちょっとやる気になって
しまったのは確かである。
イメージ 1


しかし、結果は、ここでもやはり「肥満」であった。胴体の脂肪量が多いというのである。
胴回りの太いイラストに(あなたはコレです)というチェックが入っているのを見ると、
それは違うでしょ、と異議を唱えたくなる。どうみったって、私の体型は、その上の
標準に近い。(ホント!)

ならば、どうして「肥満」なのかというと、私は思いあたったのだ。

私は、巨乳なのである。これすなわち胸のあたりにしたたかに脂肪をつけていると
いうことになる。

よって、今の巷で採用されている体脂肪率(肥満度)の測定方法あるいは基準には、
私は多いに不満である。

しかし、ここは、もう少し体を整えてやろう、という気になっている。
今、現在もスイミングは週4回ほどしているハマリようだが、そこに筋力トレーニング
を加えようと考えている。

「肥満」のレッテルを堂々と返上してやろうじゃないか、と思う。


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夜叉の棲むひと

イメージ 1

人の心には夜叉が棲むという・・・、のは本当か。それは、どうかわからない。
しかし心に夜叉を棲まわせている人は、私は、確かにいるような気がする。
要するに、夜叉とは「鬼」のような、「恐い=強(こわ)い」ものだけれど。

実は、私は、この夜叉を一度見たことがある。これは、その時、ゾッとしたので
今でもよく覚えている。

夫が日本に来たばかりの頃、体調を崩して一月半くらい入院したことがあった。
当時、仕事をしていた私は、入院している夫を見舞うのは、いつも夕刻であった。
その日は、見舞うのが少し遅くなっただろうか。夏であったが、辺りは墨を流した
ような闇に包まれていたので、すでに8時か9時頃だったかと思う。

ある若い看護師さんがいた。看護師さんなのだけれど、いつもお化粧は少しきつめ
で、真紅の口紅が、色白で細面の顔立ちの中でよく目立っていた。なかなかの
美人であったし、愛想もよかった。

ちょうど彼女が仕事を終えて帰るところに出くわしたのだ。この人は、まだ更衣室
に入ってもいないのに、ナースキャップを取って長い髪を下ろしていた。髪は漆黒
の黒髪であった。その黒髪が、白衣の上に這うように降りている。
やはり、この人は妖艶だ・・・と思って顔を見たとき、私は、思わずギョッとしてしまった。

・・・恐い。

暗がりで見たせいか、細面の顔は心なしか青ざめていた。看護師さんには夜勤も
あるし、おそらくはそんなシフトのせいで、疲れきっていたのかも知れないのだが・・・。
よく見れば、顔には幾筋かの乱れ髪がかかり、赤い口は今にも裂けて吠えそうで
あった。いや、じっと見ていると、そのうち牙が生えてカーっと威嚇されてしまうのでは
ないかと思った。妖気のようなものが漂っている。もちろん私は、その人が、どういう人
か良くは知らない。けれど、心に何か恐いものが棲む人のような気がしてならなかった。

世の男性は、一夜をともにした女性の顔をあらためて見た時、ギョッとされたことが
ないだろうか。

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開設日: 2006/1/18(水)


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