家族、無事生存していました
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まず心配してくださった皆さんありがとうございます
私の父、母 健在、住居全壊
父方の叔父一家 全員健在、住居損傷無し
母方の実家 全員健在、住居全壊
全壊というのは、テレビで見たと思うのですが・・・
あれです
みんな元気でほんとに良かったです
町の崩壊のショックをどれくらい受けるか
心配しつつ向かいました
帰ってくるとそれよりも強く、家族の生命力を感じました
私の父方の叔父は、大町のコミュニティーセンターで働いており
3階建ての建物だった為、非難に訪れる人が多かったそうです
既に地震で収容昨日が無くなっていたので
少し先のお寺まで進むよう直前まで誘導していた為本人は間に合わず
コミュニティーセンターの2階にて災害を逃れるつもりだった
土ぼこりを上げて押し寄せてくる波を見て
急遽3階まで非難
あと20センチ程の所で命を取り留めました
ちなみにこの建物は
大槌の中継でたまに見られる
茶色い壁で三角屋根の建物です
叔父は、この建物に取り残されたわけです
津波が襲ってきた後、引波でたくさんの瓦礫が押し寄せ
さらに火の手が上がり山側から海方面に
瓦礫を焼き尽くして進む火災の中にいました
この後、火の手が山に移り
自宅の方面に火の手が進みそうだと気が付き
いてもたってもいられなくなったようで
・・・なんと、自力で建物を降り
瓦礫を越えて近くの山に登り
(瓦礫の中はとても進めないので)
その山を徒歩で越え(おそらく二つくらいの山)
自宅までたどり着いたようです(正直・・・考えられない)
ちなみに
同じ場所にいた後3人の方は、翌日ヘリで救出されたようです
(叔父は!なに〜楽しやがって!的な顔をしてましたが、こっちの方々の方が普通かと・・・)
叔父(父方)はいたって元気です・・・
また、母方の叔父達ですが
名簿には祖母の名前しか載っていなく
他の家族の安否確認できなく不安になっておりました
安渡避難所に向かうと入り口で
必要以上に無理やり車を止める変な誘導員に出くわしました
・・・いとこでした
私たちとわかってやったようですが
生きてるか心配してたのに、すっごく元気だった
避難所に行くと
叔父もかなり活動的に消防の方のお手伝いなどしていたようで
予想はしてましたが・・・元気でした
もちろん
元気ですが疲労は顔に出ていました
当たり前です
それでも前向きに活動していました
もともと大槌町は
地区毎の連携が取れている町ではありましたが
安渡小学校の避難所は
言葉で表すと軽くなるかもしれませんが
既に復興に目が向いている人が多かったように思えます
この町は漁師の多い町
被災した人達の中で統率が取れていたし
若い子達が積極的にケアする側に回っていました
(中高生と思われます)
ちなみに、海側の町なので
家が残ったお宅はあまり無いです
町の方は多分
率先力になっていた役場の職員の多くが
残念な結果になってしまったので
残った職員の方が大変そうでした
さらに町の為に働いてくれていた
消防団や警察官の方々のどれくらいかわかりませんが
どうやら、水門閉めや誘導で逃げ遅れたようなので
それぞれのコロニーに主導的存在が少ないのかもしれません
そして、こちら側の住人の方が多いため
被災者も圧倒的に多いし
非難所も点々とし
さらにそれを火災のせいで移動させられる
また、被災しなかった家の方が
炊き出しをしてくれたりしていますが
避難所により
周りに残っている方々の人数
元気具合が違う為
食事にもばらつきがあるようにも感じました
うちの祖母が
今年の波は覆いかぶさるようで早い波だった・・・
と言いました
今年?
間違えたのかと思って笑いましたが
大正生まれの彼女はこの海で今回で3度目の大きな津波
三陸・チリ地震と体験してきて
想像もつかない津波だったと
みんな津波の怖さは子供の頃から叩き込まれて育って来ました
今回も私たち兄妹は
地震発生から、津波到達の時刻までの時間
地震の規模(絶対に逃げるだろうと思えるくらいの大きさだった)
それぞれの予測所在地から考え
家族の生存率は高いと思って情報を待っていました
ただ、確認するまでは不安でいっぱいでした
町を守る為にお亡くなりになられた方々
そしてご家族にはなんとお礼を言って良いのかわからない程です
堤防を越えられたから水門閉めは無意味だったのでは?
と思う方もいらっしゃるかもしれませんがそれは違います
水門の衝撃で一度パワーを逃した為
確実に波のスピードは落ちています
そのタッチの差で
逃げ延びた人も沢山いるわけですから
第1波より第2波の方が大きい
それも昔からの指導で知っているから
一度引いたらみんないっそう高い所へ逃げた
声を掛け合った
一人でも多くの仲間を助ける為に
この高さなら、どうやっても防げなかった
納得の世界的規模の津波だった
大好きだった町が 無くなってしまったなぁ
失うものは大きかった
そして
学ぶものも大きかった |






みかちゃん・そしてご家族の皆さんが無事で良かったです。
テレビのニュースで、大槌も津波の被害を受けたのを見て心配してました。
本当に良かった!
テレビの津波映像は、本当に恐ろしかったです。さも簡単に家や車を流してしまい、逃げる車に容赦なく向かって行きました。
あの惨劇の中、ビルの屋上で助かった人や電信柱によじ登って助かった人は本当にすごいと思っていたら、みかちゃんの叔父様はもっと凄かった!ものすごい生命力を感じます。
そして、自宅を片づけてる方や復興に向けて歯を食いしばってる皆さんの姿を見ると、涙がとまりません。
皆さんの恐怖や不安は、想像以上で計り知れないものだと思います。
かける言葉も見つかりませんが、私達も遠くからではありますが、皆さんのお力になれるよう努めてまいります。
みかちゃんも体調を崩さないよう、頑張ってください。
2011/3/16(水) 午前 7:35 [ み&あママ ]
ご家族の無事,安心しました。
でも,亡くなられた方々や安否確認ができない方々のことを思うと複雑な思いです。
仕事の関係で陸前高田と気仙沼に行きましたが,被災地はガレキで覆われており,自衛隊が道路のゲレキを除去したところを何とか通行できる状態でした。
携帯電話も圏外になっておりメールすら使用できません。
ワタクシの知り合いも大船渡に住んでいますが(職場は陸前高田)安否が確認できていません。生存しているけど連絡がとれないだけなんだと思うようにしています。
県内内陸部は電気もついて,ガソリンや食料不足はありますが,生活できる状況です。
このブログを見ることができる方々のちょっとした気遣いが被災地への支援につながります。ちょっとぐらい我慢しましょう。
ワタクシも自分に何ができるか考えて行動します。
みんなで復興に向け頑張りましょう。
2011/3/17(木) 午後 0:59 [ ひろりん ]
地震発生時、新潟県内の高速道を、走ってました。
そして、パーキング・エリアのテレビで、津波が押し寄せる画像を見て、足がすくわれるほど、現実とは思えませんでした。
この津波で、犠牲になられた方々、心から、お悔やみ申し上げます。
2011/3/17(木) 午後 3:31 [ ウッキー ]
はじめまして、北上市在住の高校生です。
この地震や津波で多くの方々が亡くなられてしまい、とても悲しい思いでした。
しかし、某番組でアンダーパスさんの「たらりらさんりくバージョン」を聴き、とても元気が出ました。
実は私は合唱部にピアノ担当として所属しており、アンダーパスさんの「たらりら」を弾いた事があって、とてもたらりらを気に入っていました。
この曲を被災地の方々が聴いてくだされば、きっと元気が出て
みんなで力を合わせ、頑張ろうという気持ちになると信じています。
みかさん、私達に元気をくださり、本当にありがとうございます!
(もし宜しければ、さんりくverの歌詞を知りたいのですが…((汗)
未だ余震が続いているので、みかさんもお気を付けください。
失礼しました。
2011/3/30(水) 午後 2:40 [ なかむ ]
20年ひさしぶりです、ご家族無事でよかった。桜木町のうちの家族も無事でした。ではまた。
2011/4/24(日) 午前 1:01 [ かずひろ ]