引っ越ししました
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突然ですがブログを
引っ越ししました。 http://ameblo.jp/area-walker/ アメブロです。 裏影ではなく、エリア・ウォーカーとして活動しています。 今後とも宜しくお願いします。 |
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あの震災から一年。
正直な気持ちを言うと・・・。 「もう一年なのかという思い」と 「まだ一年なのかという思い」が交差しています。 それでも14:46に黙祷を捧げました。 亡くなった親戚。
同僚の母親。 そして犠牲者へ哀悼の意を込めて。 あの日の事は一生忘れられない。 忘れたくても、忘れられないです。 奇しくも今日はあの日と同じ天候。 今は霙交じりですが、雪が降っています。 あの日、仕事で東北学院大学の土樋キャンパスに居ました。 その前に卒業した母校を昼休みに何気に撮影してました。 13:00から東北学院大学で仕事。 そして14:46震災が発生。
その時に記憶しているのは、学生の非難が鈍かった事。 我々大人が”早く避難しろ!外に出ろ!”と叫んでも 状況判断が出来ないのか、なかなか避難しない。 建物は昭和55年に建築された古い建物。 崩壊する可能性があった。 そんな中でもみんな避難。 避難した所では感情が崩壊した年配の女性が 泣き叫んでいた。 ”この世の終わりだー!死ぬんだ−!”と。 その声を聞いて動揺する者も居た。 正直、俺もそう思った瞬間があった。 とりあえず、会社に戻ろうと思った。 仕事はもちろん中止。 駐車場に行くと止めていた車が震災で移動していた。 車止めにピッタリ止めていた車が50cm前に移動していた。 会社へ戻ろうと車で正門を出て国道へ。 信号は所々で点灯していたが、大部分は消えていた。 そしてラジオからは地震情報と大津波を告げる放送。 曲がり角のビルではガラスが割れて、 破片が通行人にあたり血まみれになって タオルで傷口を止血していた。 会社近くのモールの道路は液状化で段差だらけ。 そして1時間かけて会社へ。 会社についた途端。 25歳の女子社員に抱きつかれた(苦笑) ”生きていたんですねー”と。 今考えると電話もメールも通じない状況だったから そう思われて仕方ないだろう。 それに経験したこともない、震災ということもあるだろう。 会社でコート、そして机の中に 入れていたチョコレート一箱を持ち出した。 会社は2日間休業。 そこから家に帰ったが帰るのに2時間かかる事になる。 まず信号機がダメ。 そして通りかかった長町モール前のラーメン屋。 カーナビのテレビからは大津波の映像が映し出され、 目を覆うような光景を知る。 こんな状況だから・・・。
少しでも早く帰りたくて、 旧道に出たらガス漏れで迂回させられ、渋滞にハマる。 エアコンをつけていた為、ガソリンがかなり減る。 徒歩で帰る人の列をかなり観た。 確かにこの状況なら、徒歩で正解だったかもしれない。 そして、なんとか自宅に辿り着く。 部屋はグチャグチャで寝れる感じではなかったので、 この日は車で就寝しようと、近所の小学校校庭へ。
校庭からは仙台新港のコンビナート火災の災が夜空を赤く染めていた。 そして、その反対側からも赤い災が見えていた。 確か名取の閖上の方向・・・。
とりあえず、社員の無事を確認するため 知っている携帯番号にかたっぱしから電話した。 3人と連絡が取れた。 その他はまったくダメ。 志津川・石巻に行った社員もいた。 (後日、分かることだが無事が確認された) カーナビのニュースで色々と嫌な情報が飛び込んでくる。 自分の中で色々観ても聴いてもしゃーない!と思って 車内で毛布に包まって寝た。 夜中に余震が2〜3回。 その度に目が覚めて、ブレーキを踏んでいた。 隣の車の人と目が合って”揺れましたよね?”という 変な会話が出来ていた(笑) 今のこんな時間にも地震がきてた。 でも、明日は来るって変に思っていたけど・・・。 あんな状況になっているなんて思っても見なかったけど・・・。 |
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瀧本光静さんという僧侶の方のfacebookから。
気仙沼で発見された携帯に残された最後のメールです。 読んでいるうちに涙がじわじわ出てきます。 自殺者が増加しているというニュースが出ていましたが、 そう考える前に生きたくても、生きられなかった人の想いを 感じて欲しいです。 |
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”基準がわからん!” 震災で家の傷みが酷いので、市の罹災証明を受ける事にした。 (地震保険に加入していれば良かったのだけども、入っていなかったし。) 義援金等の支援を頂けるなら、それを当てようと思ったから。 内装部分。 壁が5〜10箇所。 ヒビが20箇所以上。 ガラス破損が3箇所...etc 外壁部分。 2階〜1階にかけて、大きなひび割れ。 地盤から家が浮き上がり箇所が数箇所。 修理見積を取ったら数百万円かかると言われました。 それを踏まえて申請をしたのですが・・・。 第一回目の判定、一部損。 まー外壁しか見ていかなかったから、 仕方がなかったからもしませんが・・・。 今日、第二回目の判定、一部損。 今日は中も見ていきましたが、私が説明とかする前に家に上がり込んでました。 家には事情を知らない者しかいません。 私が仕事を抜け出して到着した時には、殆ど終わってました。 判定は一部損。 あまりにも酷い遣り方なので、3回目を申請しました。 何が酷いかと、 まず”14:30に現地行きます”と約束をしているのに、 勝手に上がり込んで調査をしたこと。 私はアポは14:30で頂いているのに、何で勝手に上がり込んだのか? (ちなみに私は現地に10分前には到着。) 家の破損状況を知らない人間に何を聞いてもわかるはずがない! それに判断基準です。 判断基準では床と柱に亀裂等の破損が無いと半損扱いにはならないという事。 いまどきの建売に柱とかないんです、あっても少ないです。 ちなみに自宅は壁で構成されている家です。 壁はいたる所でボロボロになっています。 たぶん、次が大きい地震がきたら倒壊の恐れがあると思います。 柱が重要なのはわかりますが、壁で構成をされているのならば、 それをなぜ柱と同様に判断しないのか?ということです。 それにこの基準は来る人間によってあいまい過ぎる! 私の知人は購入して5年も経たないマンションなのに、半壊と認定されました。 壁は崩れたそうですが、キーとなったのは複数の住民から申請があった。 それで半壊だそうです。 また違う知人は傾きも柱の亀裂も無いのに、 窓ガラスが割れたというだけで半損になりました。 何なんですかね?この判断基準って。 本当に困っている人に行き渡らない 義援金って何なんですかね? ちなみに3回目は書面を書かなくてはいけなくて、 見て欲しい箇所を書くそうです。 もちろん全部と書きます。 正直いって、今度は時間前とかにきたら怒鳴りつけるつもりです。 それと何を判断基準にしているのか、そういう特例でなるなら、 おかしいだろ!ってとも。 仕事を抜け出して行ったのに、ただイライラしただけの感じでした。 |
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ずっと、更新してませんでしたが・・・。
生きています(^^♪ 震災には遭いましたけど、無事です! 今日で5ヶ月経ちましたけど・・・。 自分が観ている被災地は、まだまだ”復興”とかという そんな言葉が遠いところもあります。 機会があれば、ボランティアで巡ってきた被災地を お話していきます。 |
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