「28」 救急車の無い時代の「交通事故」目撃談
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50年前の国鉄・通勤には既に蒸気機関車は廃止されていてジーゼル機関車が12両編成の客車を牽引していました。
その7時30分発の「快速」に乗ってノンストップで高松駅まで行っていたときに一度だけ人身事故で急停車したときがありました。 ところが事故に遭遇した若い女性が気絶した状態でちょうど私の立っているデッキに運ばれてきたのですが、目立った大きな外傷も無く着衣もあまり乱れていなかったことから思うに、通勤客で客車が満員の時には手動の乗降口デッキが開けっ放しの状態で当時は運行していましたから、列車が大きく揺られた拍子でデッキから転落したようです。 現在のように救急車が無かったことから、そのデッキに気絶した女性を載せて最寄の駅で停車し、そこの駅員さんらが怪我した女性を抱えて運びました。
その50年前の頃はダイハツの「ミゼット」(軽三輪車)がヒットした時代でしたが、私は自動二輪車の免許しかなかったので120ccのオートバイ「山口ベニー号」に乗って商品を配達していましたが、その道中に交通事故で死亡された遺体が稲わらで出来たコモをかぶされて道端に置かれていました。 そして早くもその遺体の周りに小さなハエが群がって飛び交っていました。
当時の交通事故の現場検証は手っ取り早く終わっていましたし、また救急車が無かった時代ですから病院に運ばれること無く、現場で死亡が確認されたら後は遺体の身元確認やその遺族の遺体引取りを待つために、無造作に遺体が置かれていたのです。
また私が住んでいた家の裏から100m離れた所に列車の線路がありますが、遮断機も警告信号も無い踏み切りで老人が列車にひかれ、そのバラバラになった遺体や内臓を木の箸でくまなく拾い集めている遺族の人たちを遠目で見ていたこともあります。
そしてなかなか見つからなかったのが、列車の勢いで飛ばされた頭の部分だと、後で聞きました。 |

