ケンジの人々

周り敵だらけの出張、おわったぁぁぁあああ!!

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2006年12月12日

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置塩城、攻略せり!

http://blogs.yahoo.co.jp/villamomo/42851247.html
の続編です。

俄かに道が広くなり、車も少なくルンルンで、走っていたケンジ。
田川神社という神社を越えて右へ曲がるはずなんですが、いつまでたっても出てこない。
大分走ったら線路が見えてきました。

「線路?」

今日2回目の道間違い!線路の向うはさっき通ってきた高速があります。
もおおおおお!「振り出しに戻る」やないか!

悔しい!腹立つ!こないなったら意地でも行ったる!覚えとれ!ご先祖様!

田川神社は、「新日本紀行」に出てきそうな風情ある小さな神社。
近所で野焼きしてて、煙に巻かれて見落としたんでした。
日も傾いて、ちょっと休んで行きたいな、と思うぐらいのどかな風景でしたが、
今日は意地でもご先祖様の首級を挙げずんばあらず!また今度な!

しかしそれでも、なにやら曰くありげなこの饅頭石には、なぜか後ろ髪を引かれて車を止めました。

イメージ 1

親王塚。何やろ。
赤松は太平記の頃の豪族。
南北朝が並立した時代なのであるいは一人ぐらい親王殿下を取り込んだか?

親王塚
この塚は後醍醐天皇第三皇子護良(もりなが)親王の御子陸良親王の塚と伝えられている。
親王は観応の擾乱に赤松則祐に奉じられて弥高山城(姫路市砥堀)から
伊勢山(香寺町犬飼)まで進軍、不幸病にかかり薨去されてこの地に葬られた。
陸良親王(別名赤松宮)は正平の一統(一三五一年)の尊い犠牲である。
塚により付近の地を親王塚垣内、略して親王垣内と言ったが、
明治以後は新野に改められた。しかし土地の人は今なおシンノーと呼んでいる。

とのこと。
観応の擾乱とは、できたばかりの室町幕府の内輪もめで、
足利尊氏は北朝、弟の直義が南朝に着いたと考えてよいでしょう。
周りにいる西は播磨の赤松、東は近江の佐々木(道誉)等は、
あっちに着いたりこっちに着いたり訳が分かりません。
この親王を奉じた時の赤松は南朝側、で、僅か2年後には北朝側に転じます。

この時代の赤松氏は、今から行く置塩城でなく、もっと西の白旗城や城山城を
拠点としていました。行くべき城は、まだまだあるでえ!

この後はウネウネと曲がる走り屋さんが好きそうな峠を越えると到着だ!
・・・?

ドコやろう。わからへん。それらしきものは何にもありません。
代りに山中に大きな看板・・・・・老人ホームかよ!何もこんな山中に作らんでも!
高齢化社会になったら、老人ホームこそ都心に作るべきやと私などは思うんですが。
これやったらホンマに姥捨て山やないか!

その脇の小道に入ると、デッカイ頭の牛さんがコンニチハ。牧場か。
どこやー!出て来ーい!ご先祖様〜!

イメージ 2

やった!ついに見つけたぞ!・・・・・もう帰りたい。
影、長いでしょう?

イカンイカン!ここまで来て城に登らんと帰ったら、今度いつまた来れるか分かったモンではない。
日が暮れるまでに降りたらエエか。よっしゃ!待っとれ!ご先祖様!

山を登りだすと、「一丁」「二丁」と、富士山の何合目みたいな見印が見えてきました。
「三丁」ここは地獄の三丁目・・・
「四丁」段々汗が出て来たで〜。

城山登りも3回目。風邪ひかん様にタオルを持参してきました。
猿並の学習能力はちゃんと持っているケンジ。

「七丁」、「八丁」・・・・ハァハァ、後ちょっとや!

「十丁」!やれやれ!でもまだ上あるけど・・・・・?
「十一丁」何でやねーーーーーん!

もう知らん。帰りたい。何でワシ、こんなことしとんねん!今から帰っても笑点見られへん。クソッ!

「十五丁」ハハハ「十六丁」シバくぞ!!「十七丁」ウガーーーー!!

「十八丁」

イメージ 3

30分かかりました。こりゃ確かに難攻不落の城かもね。
「茶室跡」やてえ?こんなしんどい思いして茶人が来るかあ!

しかし、ここからは比較的平らな道が続きました。
二の丸跡

イメージ 4

ラスト・サムライやないんやから・・・
江戸城でもそうですが、天守閣のある本丸より、二の丸に御殿を置いて行政はそちら、
と言うお城は多いみたいです。
上の図でも分かる通り本丸は本気で戦するための施設なんでしょうね!

それにしても何でまた、こんな風に二の丸のど真ん中に森を作るんでしょう!

近年、山林の木々が枯れたり折れたりしているケース、多いです。
これも城山登りを始めて感じたことです。

酸性雨、集中豪雨等、気象条件が厳しくなり、遠目にはいいけど、
根っこからボコッとひっくり返っている大木も珍しくありません。

さりとて放置しておくと水害は人里にも及びますし、森林保護は結局の所、
我々自身のためであります。なので行政も必死に植えているんでしょうね!

さてさて二の丸は攻略した。イザ!本丸へ!目指すは赤松則房が首(コラ!)

イメージ 5

二の丸から本丸へ移る辺りからの景色です。
上の方、真っ白で何も見えませんが、海です。
左手の彼方には淡路島、右手には家島諸島が転々と見えるのです。
なるほど、ここにいたら播磨灘の水運は一望の下。姫路城では確か海、見えなかったハズですもんね!
当時の海の要衝、室津までは狼煙を上げて連絡すれば当時でもあっという間に通信できるでしょうし。

本丸も、何本か木が植わってましたが、それほどでもありません。
花見するのにちょうどいい、って感じ。ここまで花見しに来ないでしょうけどね!

実は、本丸の地中の遺跡調査を何年か前にしたので、そんなに植樹できなかったようです。
代りにブルーシートがアチコチに。一時は遺物を盗掘する人も多かったようで、
「遺物を持って帰るな!」という立て札がアチコチに。

皆さん、マナーはちゃんと守りましょうね!
私は水を持って上ってますが、ペットボトルはホカさんと、ちゃんと持って降りてますからね!

さあ!本丸まで行って、本家に挨拶もできたし、後は逃げるが勝ち!
十八丁を風の様に、とは行かないけど、登りよりははるかに早く降り、帰りました。
あのトンネルの怖い道も、日のあるうちに戻れましたよ!

今度はどこに登ろうかなあ!

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