バイロン・ジャニスの『プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番』
日曜日。いつもどおりやや早起き。音楽生活に埋没中。新書版等で出ている『クラシックCD百選』とか『ジャズCD百選』の不勉強さに辟易している。 全く最近の演奏家を聴いていない・・・・。古い録音の知られているアルバムばかりなぞっている・・・・。自分の耳で全ピアニストの可能な限りの演奏を聴いてみたい。言ってみればピアニストのファンダメンタル分析である。既に所有しているアルバムが8,100枚を超え、段ボール8箱にびっしり詰まったLPレコードが別あるということはおおよそ10,000枚のアルバムを聴いているはずであるから、不勉強な評論家どもに負ける気はサラサラしない。 そうでなくてもいつまでもクナッパーツブッシュの演奏を論じていたり、マイルスの50年代しか論ぜられないという事自体が、日本の音楽のレベルを著しく傷つけている。ぼくはそう確信している。![]() と言うことで、最近特にだれも書いていないアーティストについて論じたくなっている。 今日も、バイロン・ジャニスの『プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番』をレビューしてみた。この人を誰もレビューしていないなんて信じられん。→録音されたのはおよそ30年前らしい。ぼくが聴いているのは2005年にリリースされたSACDなのだが、その録音の優秀さにまず圧倒される。とても30年前の録音とは思えないくらいに瑞々しい。何しろ『Mercury Live Presence』シリーズはどれもが録音が驚異的に優秀で、それをSACDで聴くとよりその凄さに感動してしまう。 バイロン・ジャニス(Byron Janis、1928年3月24日 - )は、ホロヴィッツが認めた3人の弟子のひとり(他のふたりはロナルド・トゥリーニとゲイリー・グラフマン)として有名だ。事故で一つの指の感覚を失っているらしいのだが、とても信じられない。ロリン・マゼール指揮でセルゲイ・ラフマニノフの協奏曲を演奏したときに、ウラジミール・ホロヴィッツが聴衆の中にいて、その招きで4年間ホロヴィッツに師事するとこになった人だ。 米ソの雪解け推進のため、バイロン・ジャニスは1960年からソ連を訪れ、演奏を開始する。若き日のキリル・コンドラシンとのこのアルバムもその一環だろう。そして特にプロコフィエフの協奏曲における圧倒的な表現力に、この曲のNo.1の演奏はこのアルバムのバイロン・ジャニスのものではないだろうか、と思ってしまう。続けて5度聴いてもその気持ちに変わりはなかった。 余談だが、彼の妻で画家のマリア夫人はあのゲイリー・クーパーの娘である。是非聴いて欲しいアルバムである。← バイロン・ジャニスは他のアルバムの演奏も素晴らしい。 聴き逃してはならないピアニストである。
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日曜日。いつもどおりやや早起き。音楽生活に埋没中。