今日は3時間ほど発掘作業をしました。木の根が邪魔ですが、慎重に掘り進む必要があります。
今日は権兵衛さんも加わってくれて新しい発見もありました。
その一つが寛永通宝2枚の出現です。蓮華座の下にありました。
馬頭観音などよく見る石碑ですが、こういうものを建てる時に施主は台座の下に貨幣をしくという習慣があったようです。これもその貨幣でしょう。うっかり泥と一緒に処分しそうな目立たないものですが幸い眼にとまって確保しました。2枚のうち1枚にははっきりと寛永通宝の4文字が浮かび上がってきました。腐食が進んでやけに薄っぺらになっていますが鋳造の時代がわかればこの石造物の設置年代がわかります。蓮華座はあるのですがその上に乗っていたはずの石仏は見つかりません。
もう一つが柱状の石です。宝筐印塔のトップにある宝輪をすでに発掘していますがちょうどその真下に当たるところから出てきました。
これはちょっと戸惑います。宝筐印塔の本体が出てこないといけないのですがその気配がありません。この円柱状の石は宝筐印塔の部品ではありません。とすると宝輪だけがなぜここにあるのかです。掘り進めば出てくるのかもしれません。
|
宝輪など重要な発掘物はあそこに放り出しておいてはいけませんね。しっかり保存して、石の欠け具合や風化の状態なども掘り出した時点の現況を保たなければいけないと感じました。
2009/1/26(月) 午後 10:19 [ wad*_t*o ]
う〜む、千両箱は近いかも知れません。
一遍に出現すると詰まりませんから
楽しみながら発掘して下さい。乗馬代が
浮くかも知れません(笑)
2009/1/27(火) 午後 3:41 [ 中 ]
中さん、寛永通宝は最も古く鋳造されたのが寛永13年(1636)ですから相模風土記の記録にある千軆地蔵尊建立より後です。それより後世の人がこの寛永通宝を埋めたことになるので、ついでに千両箱を隠したということもありかもネ。うそ。
2009/1/28(水) 午前 10:55 [ wad*_t*o ]
はじめてコメントします。寛永通宝は種類が多くて700種類もあるとか、場合によっては明治2年頃まで鋳造されていたとも聞いた事があります。しかし、年代がはっきりすればいいですね。
2009/6/18(木) 午後 6:44