「農山漁村いきいきフォーラム」に参加しました。
|
本日、女性の農業委員ということで、千葉県文化会館小ホールで、「農山漁村いきいきフォーラム」東日本大震災を乗り越える〜新しい一歩を踏み出すために〜と題するフォーラムに参加しました。
構成団体は、JA千葉女性部協議会、ちば女性農業経営者の会、アグリライフちば、千葉県漁協女性部連絡協議会、林業女性グループ、千葉県女性農業委員の会、ちば畜産レディースネットワークです。
千葉県農山漁村女性団体ネットワークの吹野美才会長、県農林水産部長のあいさつの後、「放射線の基礎並びに原発事故とその影響」と題して首都大東京の片田元己名誉教授の講演がありました。
放射線の本当の基礎知識から始まって原発による影響で内部被ばく、農作物や水産物などへの影響などについて示されました。また4月からの食べ物、飲み物の基準が5分の1になる件についても指摘がありました。
午後からは、事例紹介ということで、福島県の農家が3件、旭市の漁師さんから2件報告がありました。
●福島市で「すどう農園」を経営している若い女性からの報告でした。
有機農業に魅せられて就農7年、マスコミで話題になるほど、順調な経営が、東日本大震災で家は半壊に、出荷も自粛していたそうです。
福島の問題を風化してほしくない。除染費用は東電がすべて保証されるわけではない、できたものがすべて売れるわけではない。いつも県外に移転すべきかどうか常に悩んできたとのこと。自然豊かな福島を愛してやまない若い女性は、この地で住みつづけ働き続けることを決めました。頑張ってほしいと思いました。
●福島県田村市の肉用牛の経営をしていた方。
風評被害で、子牛の価格が下落し、半値以下になってしまったようです。
被災直後に、避難した体育館は、狭いために同時に寝ることすらできず、昼と夜に分かれて眠っていたとのこと。知人が避難しており、その様子を語りながら時折言葉を詰まらせていたのが、胸に突き刺さりました。
しかし、風評被害に負けることなく、肉牛農家が力を合わせて、JAの「共進会」や肉牛祭り、料理講習会や地元も野菜の販売など工夫しながら頑張っている取り組みが、少し希望が持てたように感じました。
●福島県双葉町の肉牛農家の方の話が衝撃的でした。
福島の第一原発から2.5キロ、発電所が自宅から見える距離にあったそうです。
東電関係者は事故が起こる前は1年に1回避難訓練をしてヨウ素剤を配布していたそうで、いざという時に備えているのだと地域住民は安心していたそうです。ところが、爆発後は何も配布もされず、避難したくても50頭の牛を抱えて餌をあげながら、7回も避難先が変わる生活をしていたそうです。コンクリートに毛布1枚、コンビニのおにぎりが2分の1個が1食分という状況で暮らしていた実態を話してくれました。
警戒区域内のため、一時的にしか立ち入りができず、8月26日に帰宅した時には牛の死骸があちこちに散乱している状態となり、スライドで示されましたが、気の毒でシャッターを押すことができませんでした。
警察官も、勝手に家に侵入していたり、牛を心配して自衛隊に頼んでも個人のことはできないと不信感をあらわにしていました。
避難する際に、一人暮らしの高齢者や5人家族に声をかけ、着の身着のままで埼玉に避難。しかし、「働かずに遊んでいる」という人の例を挙げ、「埼玉から出ていけ!」という言葉も浴びせられたと、悲しそうに話してくださいました。
今は、こちらで農業関係の仕事はできているそうですが、自分で作った野菜などを避難生活を送っている人に分けてあげたりしているそうです。
原発の事故がなければ、こんな生活が一変することはなかったのに、あまりにもひどい実態に涙が止まりませんでした。
フロアーから、政府は震災時に備蓄米を1つも出そうとしなかった、支援の必要性が強調されました。
今後、畑の作業をするために、道具をそろえたいと話していました。なんとかならないかなーと思いました。
●旭市の漁師の方の話
30代くらいの若い子育て中の漁師さんが2名、訴えてくれました。
津波の被害で飯岡漁港では83隻が被害を受けるという大変な事態となりました。
自宅や自家用車、漁船も壊れ、身も心もつかれ、市内には、船大工が一人しかいないため、勝浦から支援をもらい、復興のために力を尽くしてくれたそうです。
巻き網の被害も多く、漁獲量の割り当て制限もかけられていたそうです。大手量販店は、10数ベクレルでも扱わないとされ、食べてもらえないのは厳しいと。千葉県の魚は県のホームページで安全だと公表され、ぜひお願いしたいと訴えられました。
風評被害で値が下がり、水揚げ量も昨年比4割減でも奮闘している様子が語られました。
一日のフォーラムでしたが、実体験を伺うことができ、とても貴重な場となりました。関係者の皆さんお世話になりありがとうございました。 |

