日本は第3の「失われた10年」を迎えるのか
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第二次世界大戦後の1947年4月14日、米国が推し進める「政治の民主化」と「経済の民主化」の一部として『独占禁止法』が日本で公布された。
主な内容は財閥の解体、私的統制団体の解散などである。 第二次世界大戦時、13の大財閥が日本経済の命脈を握っていたため、米国は日本が侵略戦争を起こす可能性を経済面から完全になくそうとした。これは少なくとも、米国の『独占禁止法』公布に役立った。(米国は独占取り締まり政策の形成のピーク期にある) これらの措置は日本で受け入れられず、日本は2年後に米国式の『独占禁止法』の改正に着手し、カルテル(独占禁止の一種)の規制を解いていった。これらの措置に後押しされ、解体された財閥は再びグループ化し、新たな財閥ができた。 形を変えた独占奨励の措置は、一時日本の国民の間で不満が持ち上がったが、世界の市場競争の点から言うと、豊富な資金を持ち能力のある財閥は激しい競争の中でも能力を発揮でき、欧米市場でも幅広く業務を展開できる。 ソニー、トヨタ、三菱、三井物産なども世界で知名度を上げ、その勢いは今に至る。 例を挙げると、1920〜60年代のトヨタの総資産はゼネラルモーターズのわずか2〜3%だったが、21世紀には米自動車市場のトップに立った。リコール問題の発生から2年が経った2011年になって、日本はトップの座を退いた。 日本国内では当時、大型財閥の保護と円高が1980年代の日本企業の急成長につながったと見られていた。三菱地所は1989年、米国のランドマークの一つであるロックフェラーセンターのビル14棟を13億7300万ドルで買収し、米国人を驚かせた。 世界は盤面のようである。頂点に立った日本と日本企業は「教師」的存在の米国の罠にはまった。『プラザ合意』はバブルを崩壊させ、日本企業は1986年から1995年にかけて「失われた10年」という苦しい時期に突入した。しかし、「失われた10年」でメディアが最も批判するのは、日本企業にイノベーションが欠けていることと反応の鈍さだ。 「失われた10年」の後、多くの有名企業は新興国である中国で事業を拡張したり、生産基地をコストの高い国内から中国や東南アジア諸国に移すなどやり方を変えたが、1997年のアジア通貨危機、2000年の米国のITバブル崩壊、2007年に始まったサブプライムローン問題、2011年3月11日のマグニチュード9.0の東日本大震災と様々な出来事が相次ぎ、日本企業を襲った。中でも、輸出型の電子メーカーや自動車メーカーへの影響は大きい。 輸出が利益の大部分を占めるソニーを見ると、1999年は15億1000万ドルだった純利益は2005年には8億5100万ドルに減少した。2007年には過去2番目に多い37億ドルの利益を計上したが、金融危機により2008年は10億ドルの赤字に転落。2010年度、ソニーは約20億ドルの黒字を見込んでいたが、東日本大震災の発生により31億ドルの赤字となった。 今では、日本経済と日本企業が第3の「失われた10年」を迎える恐れも懸念されている。 しかし、日本企業の利益がどれだけ落ち込み、低迷しても、人目を引く部分はなくならないだろう。資源分野において、日本企業は高価格商品を担当するが、資源製品の売買も行う。三井物産は、1960年代からブラジルのリオドセ社などの鉱物資源会社に出資するようになり、ゴールドマン・サックスと複雑だが密接な関係を築いた。 コア技術においては、世界の自動車産業、電子産業のリード役とされていた日本企業は、今も先端技術と科学技術を握っている。また、従業員に対して多くの企業が最も要求することは真面目さで、能力や協力意識ではない。これは「銅銭臭」(金銭をむさぼるの意)が濃くなるビジネス社会に、わずかな思いやりもあることを示している。 |

