(ポタ)「葛井寺」、「雄略天皇陵」ほか
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年末です、仕事も大詰め、忙しい!・・・だから、先生も走る、私も走る(^^ゞ と言っても、あまり遠くへ出掛けるのもなんだし・・・ 今回は河内王朝の「百舌古墳群」と「古市古墳群」の中間、「怪しい?古墳」巡りが、ラスト・ランです。 今日ポタった全体図です、右側(東)から左側(西)へジグザグに走っています。 クリックして頂くと、文字が分りますm(__)m ◎「津堂城山古墳」 この古墳は古市古墳群の最北端にあります、しかも古墳群の中では初期に築かれた大型前方後円墳です。 墳丘長が208mと有数の規模を誇ることから大王クラスの墳墓だと思われますが、なぜか被葬者は不明です。 室町時代には墳丘の上に城が築かれたことで、城山古墳と呼ばれています、そのため墳丘そのものはかなり変形してしまったようです。 衛星写真では前方後円墳としてしっかり写っていますが、落葉した木々の下には禿山のように見えます(^^ゞ 発掘調査では夥しい副葬品が発掘されたそうで、とくに巨大な水鳥の埴輪が有名です。 埴輪と言えば、この少し東の地域に「土師ノ里はじのさと」があります、 文字通り「埴輪」造りの人々が多く住んでいたのでしょう、 土師氏は埴輪造り以外に、もっと重要な土木工事の専門家集団であったと言われています。 古市古墳群等の巨大前方後円墳の築造には彼らの技術が活躍したのでしょうか。 ここは自由に登れますので、景色も楽しめました。 ◎「葛井寺」7世紀頃創建の古刹で、現在の地名としては「藤井寺」ですが、 くずと書いて「ふじいでら」と読みます。 古代、百済系住民の「葛井氏」が移り住んできたので、そう呼ばれているそうです。 本尊は国宝の「乾漆 千手観音菩薩」で、毎月18日には観覧が許されるそうです。 ここで「お手洗い」を拝借 何コレ? うすさまかく??? ・・・家に帰って調べたら 「烏枢沙摩明王」は 不浄を清浄に変えるお力を持つことから、 お手洗いの守り神なんだって! ふぅーーん・・・m(__)m ◎「辛国神社」・・・「葛井寺」に隣接 葛井寺が神仏習合になる前にはこの神社が葛井氏の氏神だったようです。 名前の通り「韓の国、辛の国」で、渡来人の神社だったようです。 迎春準備が慌しく行われている中を、野次馬がお邪魔虫・・・スミマセンm(__)m ○祭神 饒速日命、天児屋根命、素戔嗚命 (なぜかニギハヤヒ!) (由緒) 雄略朝の時、物部大連目が天皇から「餌香長野原」を賜ったと日本書紀にある。 その後一世紀で物部氏は蘇我氏に敗れる。 物部氏が敗れた後へ渡来系の葛井氏連の支配地となった。 葛井寺を創建したと言う。 ◎「雄略天皇陵」=「丹比高鷲原陵たじひのたかわしのはらのみささぎ」 宋書の「倭国伝」は、5人の倭王が、それぞれ宋に使節を派遣して朝貢し、 官位を授かったことを記しています。 この日本列島に君臨した「倭の五王」のラスト「武」が古代天皇「雄略」ではなかったかと言われています。 衛星写真では前方後円墳に見えますが、実はこじんまりした「円墳」です、 他の大王の陵墓が巨大な前方後円墳であるのに対して、あまりにも不似合いな感じがします。 「雄略天皇 おおはつせワカタケル命」は色々なエピソードがあって、私には興味深い天皇です。 働き者?で日本国中を駆け巡り昼夜戦闘に明け暮れ、大和王朝の統一に尽力されたようで、 埼玉県で発掘された鉄剣には「獲加多支鹵大王わかたけるおおきみ」と刻まれていました。 従わぬ者や、政敵(地元現住豪族の「葛城氏」等)はおろか、 たとえ同じ一族であろうと、攻め滅ばしたために、ついには跡継ぎがいなくなったと言われ、 「大悪天皇」とまでも言われています。 ・・・後の歴史家の解釈ですから、事実はどうだったのでしょうかね? ◎「吉村家」 国の重要文化財に指定されている江戸時代の 「庄屋」さんの御邸宅です。 しばし目の保養を・・・ここで休憩 切妻造りの大和棟が美しい ◎「柴籬神社しばがきjんじゃ」 ○祭神 反正天皇 菅原道真、依羅宿祢 (由緒) 古事記によれば「水歯別命みずはわけのみこと」の「丹比柴籬宮たじひしばがきのみや」に坐しまして、 天(あま)の下治めたまひき。 この天皇、御身の長、9尺2寸半、御歯の長さ1寸、広さ2分、上下等しくととのいて、 既に珠(たま)を貫けるが如くなり。・・・と記されています。 身長2.8m!歯の長さ3cm! とは!・・・怪物です!(^^)! 水歯別(みずはわけ)の名前に便乗して?反正天皇は歯の神様に仕立て上げられているようです。 この「能面の翁風」の石版の歯をなぜると、一生歯が丈夫でいられるそうです。 しかし、何となく不気味で、触りたくないよー(>_< ![]() ◎「大塚山古墳 陵墓参考地」 全長335m!サイズは全国で5番目の巨大前方後円墳です。 残念ながら、この大きさですが、どの天皇陵にも比定されていません? すぐ西には反正天皇「丹比柴籬宮たじひしばがきのみや」があり、 以前訪問した「黒姫山古墳」の北方に位置します。 黒姫山古墳は製鉄に関わりのある「丹比氏」の墳墓と言われています、 位置関係から、この大塚山古墳の被葬者が丹比氏の主君だったのかも知れません(*^^)v 今回訪問した、雄略天皇や反正天皇の陵墓の規模が小さすぎると思えるので、 大塚山古墳は、普通に考えれば、どちらかの天皇陵ではないでしょうか? (ただし「反正天皇陵」は少し離れた百舌古墳群に属していまして、 お引越しや、新築時にお世話になる「方違神社」があるので、有名です。) ミステリーだらけの天皇陵は空想がかき立てられ、師走の慌しさを、しばし忘れさせてくれました(^^ゞ
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身長280cm!..あのロバート・ワドローも真っ青ですね(^^;
反正天皇には巨大な陵墓が似合いますなあ♪
2009/12/27(日) 午前 6:46
反正天皇は「巨人症」だったのでしょうか?
現在なら、ギネス・ブックものですねぇ(^^♪
どこかの陵墓を発掘して、3mを越す巨大な石棺が出土したら、
もう、これは「反正天皇陵」に即決となりますかね?(笑)
2009/12/27(日) 午後 5:22
雄略天皇陵は円墳ですか?
衛星写真で、円墳に付随している緑の部分は、
何に使われたのか興味がありますね。
2009/12/27(日) 午後 7:53
yamatさん、こんばんわ
円墳の横の緑の部分は、お隣りの別の「方墳」だそうです(^^ゞ
後の世で、少しでも立派に見えるように、くっつけて偽装?されたのでしょうね。
ややこしい話です(^^ゞ
2009/12/27(日) 午後 9:12