中高年失業者日記
ぼんやりしながら書く今月はなれない通いの仕事を始めて、心身ともにへとへと。
おかげで更新がほとんどできませんでした。 種から蒔いたトマトの生育を見に行く時間もなく、 まだ室内においているカボチャの生育を毎朝チラッとみるのが小さな楽しみです。 でも、電車に乗っている時間が長く、小説などを読む時間もできました。 といっても実際は読む元気もなく、大概は眠り込んでいます。 満員のときは本を広げるのも難しいので、仕方なくNAC5を聞いていたり。 電車の中のスマフォ族というのはほんとうに画一的ですごいなあと思います。 私の乗っている電車には乗らず、次の電車のために3列に並んで待っている10数人の人が 全員、一様にスマフォをいじっているのをみて、不思議な光景を見たような気がしました。 みな自分の世界に入っていて、イヤホンをしながら、タッチパネルをなぞっています。 目の前に老婆が立っていようが、ギブスの人が立っていようが、顔を上げることもなく 小さな画面に見入っている中高生。 袖触れ合うも何かの縁と昔は言いましたが、皆が自分の世界に入り込んでいます。 スマフォや携帯がパーソナルになって人が無縁になったのか、人が無縁だから 携帯やスマフォが普及していったのか。おそらく後者でしょうが、 電車というのは本当に冷たい公共空間だと思います。 さて、そんなスマフォ族の中で、私は村上春樹の短編なんぞを読んだり、 ノンフィクションを読んだりしています。 ノーベル賞間近とさえ言われる村上春樹ですが、 短編のその文体をしみじみ噛みしめながら、読んでみると、非常に卒がなく、 しなやかな表現がちりばめられており、うまいなあと思います。 はじめて村上春樹の作品を読んだのは群像新人賞をとった風の歌を聴けだったと 思います。サリンジャーやカートヴォネガットジュニア、カポーティのような アメリカ文学の翻訳調の文体で、さわやかでどこか軽いタッチの印象が強かったのを 記憶しています。しかし、今思うと、非常に内省的で、静謐な空間を作り出すのが うまい作家でした。その静謐な空間で生み出される普遍性が共感を呼んでいる気がします。 当面、電車に乗ることが多くなりそうで、本が読める時間が増えそうです。 ここのところ、もっぱら実業書ばかり読んでいたせいか、純文学に触れるというのは 新鮮です。読みたい本がブックオフには100円でいっぱいあります。 ブックオフは書き手にとっては悲しい場所です。本の中身よりも、本の痛み具合で 値段が決められるという、非道さは許しがたいものです。作品を消費物としてしかみない 姿勢には憤りすらおぼえますが、結構、利用しています。 (作家さんごめんなさい。) でも、消費物と割り切って、書きなぐっている実用書や小説化も多いことも事実です。 そう考えると、電子書籍って一体なんなんだろう、と考えてしまいます。 そんな軽いものとは一線を画したものが読みたいのかもしれません。 時代の流れに逆らう考えかもしれません。デジタルな環境に身を置き、デジタルな仕事を しているのに、心はアナログなのです。 今日は、なんとなくぼんやりしながら、日常の思いを綴ってみました。 |
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