WJCC支援会

ワシントン日本人教会と上原先生を支援する会です。

今年も残すところあと半月となりましたが、皆さまにはご健勝のことと存じます。

 

敬愛する上原牧師が昇天され、3週間ほどが経ちました。

未だに日曜礼拝のときに先生がおられないことが不思議なような、今にもドアから来てくださるような気持ちになりそのたびに、召されたことをかみしめる日々を送っております。

さみしさもありますが、神様はこの3週間に2組の新しいファミリーを教会に送ってくださっています。

神様が、私たちを励まし教会を祝福し、ともにいてくださっていることに大きななぐさめを感じ、感謝しております。

 

さて、上原隆牧師のメモリアルサービスが以下のように決まりました。

 

2月25日(土)午後2時 

McLean Presbyterian Church

   1020 Balls Hill Road, Mclean, VA 22101

(10分前に前奏が始まります。

 また、サービスの後レセプションがもたれます)

よろしくお願いいたします。

主にありて

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

WJCC支援会の皆さま

11月20日(日)、上原先生が天に召されました。それぞれがいろんな思い出、語りたいことがあると思います。
2016年12月17日(土)午後2時―5時ごろまで、代田教会をお借りして、追悼祈祷会を開催したいと思います。

遠くの皆さまや既に年末で都合がつかない方々がたくさんいらっしゃると思います。
しかし、あまり、間をあけずに追悼の会を行いたいと思います。

はじめに短い礼拝をささげて、その後、ご出席の皆さんで分かち合いの時を持ちたいと思います。

そして、最後に祈り合うひとときを持てればと思います。

WJCC支援会代表 新浦安教会牧師 芦田高之

*代田教会アクセス

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

兄弟姉妹の皆さんへ
 
今年もいよいよ本格的な秋のシーズンを迎えましたが、皆さんはお元気で日々をお過ごしでしょうか。皆さんの上にまず主の恵みと平安をまず心から祈ります。
 
私たちの教会のニュースレターである『ポトマックのほとり』秋号が出来ましたので、さっそく皆さんにお送り致します。今号は、特に私たちは、来る11月6日(日)に教会創立30周年記念日を迎えるため、過去30年を回顧し、教会に与えられた神様の恵みの導きを感謝し、その喜びを皆さんと分かち合うことを内容としました。ご多忙の中、お時間を作って読んでくださるなら、心から嬉しく思います。
 
内容は次のとおりです。
 第1頁: 巻頭言『WJCC30年と振り返って』
 第2頁: ワシントンレポート『私の近況報告/心からの感謝を込めて』
 第3頁: 教会創立30周年記念行事
 第4頁: 片岡継先生ご一家の近況報告/祈りの課題/編集後記
 
30周年記念礼拝及び祝会の件ですが、

30周年という画期的な記念日でありながら、私の病気療養中のため残念ながら、当初は、大きなイベントをすることを避け、ささやかな記念礼拝及び祝会にしよいうと話し合っていました。ところが、思わぬことで、予定よりもやや大きなイベントになりそうです。

その理由は、
第1は、ウィリアムバーグやノーフォークの地方集会の皆さんも、記念行事に参加するために来て下さることになりました。第2に、WJCC支援会実行委員の一人である金享倍兄が、はるばる東京から、30周年記念礼拝と祝会に参加するために来て下さるという朗報が入りました。そして第3に、私たちの仲間教会であるアトランタのウエストミンスター日本人教会の長井正人牧師から、30周年の記念礼拝に出席したいと言う問い合わせがあり、思わぬ電話に大変喜びました。来て下さるなら、ぜひ記念礼拝の説教を担当してくださらないかと、相談しましたら、喜んで引き受けて下さいました。不思議な神様の導きを感じました。
 
ということで、教会創立30周年記念及び祝会が次の通りひらかれます。チラシも添付致しました。このお便りを読む皆さんの多くの方が集会に出席され、私たちと共に、30周年の喜びを分かち合ってくださることを心からお勧め致します。
  日時:11月6日(日)
  場所:ベテスダ長老教会フェローシップホール
  記念礼拝:午後2時〜3時半
  感謝祝会:午後4時〜6時
  ゲストスピーカー:長井正人先生/ウエストミンスター日本人教会牧師(アトランタ)     

皆さんの日々の生活とお働きの上に主の守りと祝福を心から祈ります。

お祈りご支援を心から感謝して、
 
在主
   上原 隆

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

牧師のデスクより                                            マタイ福音書第6913

                                 御名があがめられますように

 
  私たちは先週より、礼拝において「主の祈り」を共に祈りつつ学んでいるが、それはキリスト者が、誰に向って祈り、何を祈り、どう祈るかを示す、祈りの模範であり、ひな形であるということが出来る。。その構造はまず、呼びかけで始まり、六つの祈願が続き、そして神の御名を称える頌栄で終わる(頌栄は主な写本に欠けているため邦訳聖書では省かれている)。六つの祈願のうち、初めの三つは神の栄光を求める祈りであり、他の三つは私たちの必要を訴える祈りである。
 
 この順序はきわめて大切である。この祈りの構造に祈りの精神が教えられていると言っていい。私たちはしばしば、祈りとは、ああして欲しい、こうして欲しい、と自分の願いを一方的に神に訴えることだと考える。確かにキリスト者は、この地上で神の民としてふさわしく生きるために必要なものを何でも神に求めることが許されている。
しかし「主の祈り」は、祈りの本質がもっと深いところにあることを教える。私たちの願いを神にかなえてもらう、つまり、私たちの願いに神を従わせるのではなく、私たちが生きているこの世界と私たちの日々の生活において、何はさておいてもまず神の御名があがめられ、神のみ心がなり、神の国が実現するようにと、神の栄光とその御心を求め、それに信頼しゆだねて生きる、徹底的な神中心の祈りである。
 
 「主の祈り」の第1の祈願は「御名があがめられますように」である。御名とは、神ご自身を表すユダヤ的表現であり、崇められるとは、もともと「聖とする、聖別する」の意味の受け身形である。
 神は、モーセを通してこう言われた、「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。・・・あなたたちはわたしの戒めを忠実に守りなさい。わたしは主である。わたしはイスラエルの人々のうちにあって聖別されたものである。わたしはあなたたちを聖別する主である」(レビ記192223132)。
  神は「聖なる方」と呼ばれ(イザヤ40254315)、神の民イスラエルは「聖なる民」と呼ばれ(出エジプト196、申命記76)、従って、彼らは神の民として、聖なるお方の聖なる御名を汚してはならない、と繰り返し命じられた(レビ232,エゼキエル2039)。
 この精神は当然新約の教会に受け継がれた(第1ペトロ11317)。従ってこの戒めは、新約の民である私たちに対する戒めの言葉でもある。「御名をあがめさせ給え」とは、人々があなたの御名を崇めますように、という祈りではない。それはまず、この私が、そのようにあなたの御名を崇める者とならせて下さい、という祈りである。すなわち、生活の全領域において、何事をするにおいても、まず、神の御名があがめられるように生きることを求める祈りである。そしてそのような願いをもって、そのように生きるのがキリスト者の祈りの第1であることを教えている。
 
 これは、自分の栄光を求めるファリサイ的偽善の祈りとはまったく対称的な祈りである(618)。祈ることは生きることである。主イエスは、この祈りを教えることによって、キリスト者が、「御名を崇めさせ給え」と祈るだけでなく、祈った通り、そのように、日々、真実に神の御名をあがめつつ生きるようにと私たちを召しておられるのである。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

支援会の皆さんへ

ワシントンより主の御名によって平安を祈ります。

去る金曜日、土曜日と、久しぶりの地方集会から無事帰ってきました。病を押しての伝道旅行でしたが、主が共におられて、長旅も、各集会も豊かに祝福して下さいました。ただただ感謝でした。

何と感謝なことでしょう、疲れた中でも、昨日も無事礼拝の御用を果たすことができました。

体力の衰えを日々感じますが、しかし、そのような中にあっても、主が支えてくださっていることをただただ感謝しています。私と家内のためのお祈りと心から感謝致します。

新しい週が始まりましたが、皆さんの日々の生活とお働きの上に主の守りと祝福を心から祈ります。

感謝をこめて、

在主  上原

*去る金・土曜日のウィリアムバーグとノーフォーク集会の写真を添付いたします。
イメージ 1
イメージ 2

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事