悔い無き青春。
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主題:悔い無き青春。
…齢(よわい)此の歳にして。
…また朝の連続テレビ小説「カーネーション」についてのお話なのですが。
今週のサブタイトルが、「悔い無き青春」みたいなものだったと思います。
今週の末頃には主人公役も尾野真千子さんから夏木マリさんへと交代し、主人公小原糸子の或る若き年代が終わりを告げます。
其れにしても、自分は「悔いなき青春」と言えるのかどうか。
其処ら辺りは、私はばかなのか、どうも結果的に「悔い」と言えるものが無い。
懺悔(ざんげ)なら有りそうですけど。orz 青春期・思春期に今の程度で思い起こす事が有るとすれば、もっと活躍したかったな、というのが一つ。
結局同じ人生を通じるのなら、他の人に影響などされず、自分の道をもっと歩みたかった。
特に読書傾向に於いてそうです。触れる機会に限界は有るとしても、世界の名著・大思想くらい、中学校の時に目を通して置くべきだった。此れは痛恨の極みです。
文学的にはドリトル先生は小学校で読めたにしても、ナルニア国ものがたり、指輪物語に高校に入ってから触れる事に成った。指輪物語は高校の図書室にも有ったのだけれど、結局借りるばかりで、文庫本は当時活字が読み辛い程小さく(評論社版。劇場アニメーション化に伴うもの)、挫折。カジュアルな市民図書館で借りる時間の有った成人室での借りで読んだ気がします。
19歳に成って一万円単位のお金が入って来る事によってやっと自分のものとして知り合いの書店から注文購入出来た。一冊¥1500円程度だったでしょうか。6冊全部だとハードカヴァーで¥9000円位だったという事に成るけれども、実際には一万円以上掛かってた様な気がするが。
ナルニアは16歳の時。それも此の両者ファンタジーはどちらも瀬田貞二訳ですが、講談社現代新書に佐藤さとる氏の『ファンタジーの世界』という名著が有り、其れを読んで繋がったものです。
私も「ドリトル先生」を読みながら、私もこんな物語が書きたい、其れも純粋に自分の手で作った世界の物語を(今で言うと「ハイ・ファンタジー」)作ってみたく思って居たので、其の関心は高かったです。
何度も言う様ですが、私の今迄の人生は皆此の「自分で何時か創作したい」という事の為に生きて来た様なものです。ルイスに触れトールキンに触れて、ル・グウィンも触れて其の「創作ファンタジー作品」の海外のレヴェルの高さに触れるに連れ、自分も「ファンタジーの、或いは幻想・空想物語の背景の骨子を得るには、相当のものが要る」←という事に気付いて、其の骨子(背景、背骨、バックボーン)を得る為に、主にマクロ学を選んで、戦略論とか地政学だとか、トインビー史学だとかに僅かながら接近する事になりました。ただ今でも「モデル」は見つかって居ない。モデルすら自分で作り出すものかも知れない。トールキンの「創作言語」の様に。
青春には悔いは無かったかと言うと、どちらかと言うと現在の私には、今を生きて居る事が感謝で一杯で、此れ以上のものは求めるべくも無い様な気がする。
青春に悔いが無かったとは、どの青春も言えますまい。
だけど、結局青春で一番価値が有るのは、其れを生きたという事です。
其れ以外には何も無い。青春の愚かさ、間違いを覚えつつも、結局は私はそういう視点です。
若さには愚が付きもの、だけど其の愚を通り抜ける事が、結局「賢」を生む事の元に成ります。
私が今も賢者だなんで思わないけれども、少なくとも青春でのびのびとした生き方も出来無かったけど、ひしゃげた自分の思春期・青春を思いつつ、阿呆だから、あんまり悔いは持たないんだな。
此処で突然にアニメーション映画「ルパン三世/カリオストロの城」に話は及ぶのですが。
此の作品は簡単に言ってしまうと、泥棒ルパン三世が、若い時のバカ(愚行)を振り返り、「恩返し」をするという物語です。監督の宮崎駿さんが言って居られる様に、確かに中年と成ったかつての若きルパンが、ひっ切りきらぬ俗世の人生を極めて暮らして居る中、ほんのちょっと通過した王国での、自分の過去を助けてくれた少女への恩返しが、此のテーマの主軸と成って居ます。
まぁ中年オッサンの夢なのでしょうね、儚い。
かつての若い時のルパンの無茶振りを越えて、熟達の域に入ったルパンが、ヨーロッパらしいカリオストロ王国のクラリス姫を助けます。
私にも何時かそんな事が出来るんだろうか?と思いつつ毎日をまだまだ修行に励みます。
最早自分もルパンの歳を多分越えてしまったと思いますし…後悔無き青春は難しいとしても、後悔無き現人生を努め上げたいと思います。
うっでぃ・あうぇあ// |








