World Rally Press通信 清木博志のブログ

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そして小関典幸さんが・・・

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今年は十何年ぶりかで国内ラリーの取材に行きました。東日本戦です。最初に行ったのがチーム・リンドウのラリーだったのですが、最初のSSの中に入り込んだら、そこに止まっていたラジオカーから「清木さんじゃあないですか」と声が掛かりました。はて、誰だっけ? 確かに昔会っている。

「安藤ですよ、アッスルの」 そうだった。79年、私が30歳で免許を取り、すぐに購入したファミリア1300をセミ・ラリー仕様にすべく、当時金子繁夫さん、相馬和夫さん(彼も鬼籍に入ってしまった)がアッスル・ワークスとしてファミリアに乗っていたので、迷わずアッスルにお願いしたのですが、その時にいろいろ面倒を見てくれたのが、店長だった安藤さんでした。1号車が来るまでの短い時間、あれやこれやお話しをして、また今度ゆっくり、ということになったのですが、そのしばらく後に安藤さんは他界されてしまいました。

東日本戦の最終戦はチーム林道エイトのラリーでした。私の記憶を探ると、プレイドライブ誌がラリーにのめり込んでいた74年ごろ、巻末グラビアページで「ビバ! わがチーム」という企画を始め、私が取材して回りました。その第1回が発足間もないチーム林道エイトだったと思うのです。その名の通りラリーを愛する、大田区周辺に住む8人のメンバーの小さなクラブでした。会長は快活な米屋の井上正勝さんでした。最終戦でお会い出来るだろうと楽しみに出掛けたのですが、これも懐かしい副会長の夏川さんが、「井上はちょっと体調が」と顔を曇らせていました。そして1ヵ月も経たぬ間に、井上さんが癌で亡くなったという知らせ。ラリーの時は最後の戦いの最中だったのですね。(訂正:取材当時の会長は、尾針得介氏に協力してPDラリー作りもされた秋吉幹生さんでした)

そして井上さんの訃報を追うように、小関典幸さんも亡くなったと・・・。

5年前、04年の春に群馬県太田市にある、小関さんが開業し、社長の座を息子の高行くんに渡して会長となったKITサービスを訪れたのは、ある雑誌の企画で、小関さんのラリー人生を記事にすべく、インタビューさせてもらうためでした。すでに病身で、無理の出来ないお体でしたが、長時間のインタビューに応じてもらえました。とても記事には出来ないような面白い話、きわどい話などたっぷりうかがうことが出来ました。もしかしたらこれが、小関さんの最後のインタビューではなかったかと思います。

小関さんに初めてお会いしたのは40年近く前でしょう。富士重工の実験部の社員という前に、上州オートクラブの「親分」という顔の方が遥かに大きかったですね。何しろ同クラブの主催するイベントや、参加するラリーにいくと、クラブ員は小関親分の言うことは至上命令で、みんな、ハイ! ハイ! と従っていました。

「オレは昔、高校生の頃だけど、ホントのヤ○ザの親分みたいな立場にいたんだよ」と、インタビューの時に笑いながら語ってくれました。教育者の息子として生まれながら、そんな体質も併せ持ってしまっていたのです。しかし力だけで制御するのではなく、親分には実力も伴っていたのです。ドライビング・テクニックも超一流で、かの有名な日産のワークス・レーシング・ドライバー、長谷見昌弘さんも親分の教え子の一人だということです。

目的のためなら、みんなのためなら、規則違反も世の常識もクソ喰らえ、といったアウトロー的な言動も辞さない人でした。有言実行、曲がったことが大嫌い、おまけにドライビング・テクニックをはじめ、みんなが出来ないことをやってのけてしまう親分。これではみんな「子分」になるしかないでしょうね。

ずいぶん昔、FIAの会議に出た時、当時のFIAのラリー界の超大物が「黄色い猿のジャパニーズが・・・」という発言をしたそうです。親分はそれを聞き逃さず、すぐさまその場できっちり抗議したそうです。それまでの日本から派遣されたFIA委員の多くは隅で縮こまっていたそうですが、親分の強烈な抗議に驚いて、以降その超大物氏は親分と何でも話せる友人になったということです。

親分はスバル360の時代から、富士重工のクルマ造りに携わり、FF車、4WD車の開発を手掛けて来た人でした。もちろんラリーに関しても無くてはならぬ人材でしたが、実は国内ラリーはもちろん、80年から始めたサファリ・ラリーでさえ、90年に富士重工がレガシィでワークス参戦するまでは、上州オートクラブやスバル・モータースポーツグループ・ジャパンといった、親分の采配による実質プライベートチームによって成されて来たことだったのです。

経費の掛かるサファリ・ラリーに関しては、何度も自宅を売ったり、現地で足りなくなったガソリン代を捻出するために、メンバーの時計やカメラを売った金でカジノで稼いだり、などといった有名な逸話があります。

ある年、スバル・チームが郊外の一軒家に滞在していて、「お前らも米の飯が食いたいだろう」と招待してくれました。確かに豪華な一軒家でした。炊飯器で炊き立てのご飯をご馳走になりました。しかしおかずは日本から持って来た鰯か鯖か何かの魚の缶詰でした・・・。

人にはいろいろな側面があります。小関親分にしても、彼はとんでもない人間だ、と評する人もいるかもしれません。しかし私にとっての親分は、実に魅力的な人生を生きた男、ということに尽きます。出来ればもっと話を聞きたかった・・・。

安藤さん、井上さん、そして小関さん、都合で私はお葬式に行けませんでした。でも本心を言うと、私はお葬式に行くという行為はあまり気が進まないのです。礼服を着て、礼儀に則って挨拶、お焼香して・・・というよりも、その人のことを考え、思い出しながら一人酒を飲む方が、私にとってはその人に対する最大の弔意だと思っているからです。礼儀知らずめと思われても、仕方ないのですが・・・。

私が理想とするお葬式は、友人知人が集って語り、飲み明かす、ということです。それもその人の「死」を悲しむのではなく、その人の「生」の思い出を語り、讃える(時にはけなす?)のです。もし人間に死後の世界があるとしたら、私は自分のお葬式に来て涙を流す人たちを見るよりも、私との思い出話に笑い、泣き、時には怒る、そんなシーンを見る方が、どんなにうれしいか知れません。

人は必ず死にます。人の死は、その人がどんな人生を送ったか、送れたか、そして自分はいかにその人に関わって来たのかを、あらためて確認する時だと思うのです。

写真はほぼ30年前の小関さんです。

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今日たまたまこの記事を読みました。小関さん、亡くなってたんですね・・・知りませんでした。30数年前富士山麓開催されたジープジャンボリーの会場で突然我々のテントに高岡さんと来られ上等の焼肉をペロッと食べていかれました。翌日のオブスタクルレースでA34レーネのアクスルシャフトを壊した方がおられ、すぐ高岡さんにかけ合うとシャフトをくれました(壊れたシャフトと交換)私の若い時代の一瞬の思い出です。

2011/1/20(木) 午後 2:54 [ jyu*a*37 ]

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