みぽりんのブログ

原発の恐ろしい事実を多くの人に知ってもらって、未来を変えられれば・・・

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東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被曝事故         -83日間にわたる医療記録- 
                                                    1999年9月30日 茨城県 東海村

原発作業員として働いていたある日、大量被曝する事故にあってしまった。
   
人間の体を内側から壊していく、放射線被・・
放射線の影響は、大内さんの体の隅々までおよんでいた。
 
呼吸が困難になり、最後に家族と交わした言葉・・「愛しているよ・・」  
 
体中のあらゆる細胞はほとんど破壊され、皮膚もすべて失った。
 
 
家族からの手紙
『 ・・原子力というものにどうしても
かかわらなければならない環境にある以上、
 また同じような事故が起こるのではないでしょうか・・・』
 
 
東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被曝事故(原発関連) (10分)
http://www.youtube.com/watch?v=pYB58P3t_Hs&NR=1
 
書き起こし
1年前、世界でも前例のない治療が行われました。

前川医師は、大量の放射線をあびた被曝患者と出会いました。

あびた放射線は、一般の人の年間許容量のおよそ2万倍にも達していました。
 
大内さんの治療を行った医療チームです。
 
最新の医療技術をすべて投入し未知の治療にのぞみました。
 
放射線被曝のすさまじさに圧倒された日々でした。
 
「ひとことでいうと、われわれの医療者としての誇りを
みじんにも砕いてくれたと言ってもいい」
 
もっとも多く被曝した大内さんは、
事故当日、会社のマニュアルにしたがって
放射性物質を扱う作業を進めていました。
 
バケツをつかってウランを濃縮する作業でした。
臨界が起きる可能性については、まったく知らされていませんでした。
 
同僚は、バケツでウラン溶液をそそぎ、
大内さんは、ロートを右手でささえていました。
 
7杯目のウラン溶液が注がれたとき、
突然、青い光が走りました。
 
核分裂が連続する臨界が起きたのです。
 
放射線が大内さんの細胞の染色体を直撃しました。
 
染色体はすべての遺伝情報が収められた人体の設計図です。
 
それぞれ番号が決まっていて、順番に並べる事が出来ます。
 
しかし、放射線に直撃された大石さんの染色体は
並べることもできませんでした。
 
断ち切られ、別の染色体とくっついている場合もありました。
 
染色体が破壊されたということは、今後新しい細胞が作られないということ。
 
染色体がそういうダメージを受けてますから、
そこから推測されることは、
肝臓あるいは腸の粘膜の細胞がすべてダメージを受けている。
 
おそらく、その細胞は再生はできない。
 
染色体が破壊されたことによって、
最初に異常が現れたのは、血液の細胞でした。
 
中でも、体を守る働きをする白血球が急激に減少していました。
 
ウィルスや細菌に感染しやすい、きわめて危険な状態でした。
 
感染を防ぐため、大内さんは無菌室に移されました。
 
白血球の数は健康な人の10分の1にまで減少していました。
 
前川医師たち医療チームは、治療方針を検討しました。
 
唯一の治療方は、白血球をつくる細胞を移植することでした。
 
移植を行うためには大内さんと
白血球の型が合う人が必要でした。
 
一致したのは、大内さんの妹でした。
 
ただちに妹から採血が行われました。
 
その中から白血球をつくる細胞が取り出されました。
 
妹から取り出した細胞が大内さんへ移植されました。
 
放射線障害は、体の表面にも現れました。
 
1週間をすぎた頃から、治療用のテープをはがした跡が
消えなくなりました。
 
テープを貼ったところを剥がすとき、
皮膚が全部くっついて剥がれてしまい、テープが使えなくなりました。

放射線をあびた大内さんの皮膚では新しい細胞が
できなくなりました。
 
古い皮膚は剥がれ落ちていきました。
 
皮膚に走る激痛、感染との戦い・・
肺には水がたまり、呼吸が困難になり始めていました。

呼吸を助けるため、器官に管を入れて、
人口呼吸器をつけることが検討されました。
 
それは、家族と言葉を交わせなくなることを
意味していました。
 
面会に訪れた家族に、大内さんは語りかけました。
「愛してるよ・・」
 

東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被曝事故・その2(原発関連) (10分)
http://www.youtube.com/watch?v=DFyBq4sLRhU&NR=1
 
書き起こし
翌日、大内さんは呼吸困難になりました。

器官に管を入れる処置が行われました。

被曝11日目
大内さんの無言の戦いが始まりました。
 
大内さんの家族は、毎日、面会に訪れていました。
 
奥さんと息子、兄弟が大内さんとの面会を
待っていた部屋・・・

大内さんの家族が折った鶴です・・
 
1つでも大内さんのベッドの近くに置いてあげたい、
しかし、感染を防ぐために許されませんでした。
 
被曝18日目
妹から移植された白血球は根付いていました。
 
白血球をつくる細胞の移植が成功したのは、
被曝治療では、初めてでした。

白血球は、順調に増え健康なときと同じ値まで回復しました。
 
大石さんは、言葉は語れなくても
家族の呼びかけに、体全体で答えていました。
 
しかし、1週間後、血液の細胞に微妙な変化があることが
わかりました。
 
染色体に傷がついていました。
 
大内さんの体を貫いた放射線によって、体内の物質が変化し、
自らが放射線を発するようになっていました。
 
その放射線が、妹の染色体を傷つけたのではないかと
みられました。

血液の病気で、骨髄移植を受ける患者さんは多くおられますが、
新たに根付いた染色体の異常が見つかったことは、まったくありませんでした。
 
「・・放射線被曝の怖さでもあり、議論にもなった。」

被曝27日目
病状の悪化は、血液と皮膚だけにとどまりませんでした。
 
大内さんの腸の内視鏡の映像です。
 
死んだ粘膜が白く変色して、垂れ下がっています。
 
大量の下痢も始まりました。
 
放射線の被曝では、腸などの消化系の障害から
死に至ることが多いとされます。
 
前川医師がもっとも恐れていたことです。
 
家族の同意を得て、臨床試験中の薬も投与しました。
 
しかし、下痢の量は日に日にふえ、1日、3リットルを超えました。
 
下痢が始まって3週間後、腸の中で出血が始まりました。
 
腸の粘膜がはがれたところから、染み出した血液が溢れていました。
 
大内さんの輸血の記録です。
 
半日で10回以上行われた日もありました。
 
われわれの知っているかぎりの治療、薬を投入しました。
 
大内さんは、重症患者用のベッドに移されました。
 
55度の角度まで、傾くベッドです。
 
状態はさらに悪化していました。
 
当時の治療の様子です。
 
皮膚が失われたところから、血液や体の水分が
染み出していました。
 
体のほとんどを、ガーゼで覆わなければいけなくなっていました。
 
毎日染み出しがすごくて、ガーゼの取替えに
半日かかるぐらい、それが本当に痛いようだった・・。
 
目から出血していて、血の涙が流れているようでした。

ガーゼで覆われた大石さんの体です。
 
あびた放射線の量が多いところから、
障害が全身に広がっていきました。
 
皮膚や腸から1日、10リットル分の水分が失われていきました。
 

東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被曝事故・その3(原発関連) (10分)
http://www.youtube.com/watch?v=wg8qzdmA1Ew&feature=related
 
書き起こし
水分の染み出しを防ぐために、皮膚の移植を行うことにしました。
 
人の皮膚を試験菅で培養してつくった、培養皮膚です。
 
やけどの最新の治療法であるバイオ皮膚の移植は
毎日のように行われました。
 
ご本人の皮膚がなくなっているので、
少し、ガーゼで擦って皮膚をのせた。
 
しかし、この皮膚はつくことはなかった。
 
方針を決定していたのは、
常に前川医師でした。
 
治療の成果が見えない日々・・・
助かる見込みが非常に低いというのが
だれからみてもあきらかだったが、
誰一人それを口にするものはいなかった。

ひどくなってからは、
ここにいる人は、なんなんだろうというぐらい
ぼろぼろになった体・・・
大内さんを守るためにやっていると
思わなければ耐えられない治療ばかりだった。

大量の出血と繰り返される輸血。

大内さんの心臓は、体全体に血液を送り出すために
激しく打ち続けていました。
 
心拍数は1分間に120以上。
 
マラソンをしているときと同じぐらい
体に負担がかかっていました。
 
被曝59日目
この日、前川医師はいつもどおり午前7時ごろ・・
その直後モニターを見た前川医師は、
大内さんの病室に駆け込みました。
 
心臓が突然、停止したのです。
 
大内さんの心臓は、いったん動き始めましたが停止。
 
再会と停止を3度繰り返しました。
 
1時間ほどして、大内さんの心臓は
自らのちからで、鼓動を始めました。
 
しかし、心臓が一時的に止まった事によって、
脳、腎臓などが深刻な影響を受け、
急激に大石さんの症状が悪化していきました。
 
家族の問いかけにも、大石さんは答える
ことができなくなくなりました。
 
 
東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被曝事故・4 (11分)
http://www.youtube.com/watch?v=XX2-DxR2JxM&NR=1
 
書き起こし
ご家族の方は最後の最後まで
希望を捨てなかった・・
 
母は息子の名前を呼びかけました・・
 
父は耳元で語りかけました・・
 
被曝65日目
大内さんの血液の中で新たなことがおきていました。
 
アメーバのようにひろがる免疫細胞・・
 
体に進入した細菌やウィルスなどを退治します。
 
それが、異常をきたし、正常な白血球などに襲い掛かっていました。
 
輸血と血液を増やす薬の投与が繰り返されました。
 
異常をきたした免疫細胞は、妹の細胞からつくりだした白血球まで、
攻撃していました。
 
被曝82日目
夜、前川医師は家族全員を呼びました。
 
今度、心臓が止まっても、蘇生措置はしない方がよいと思うと伝えました。
 
家族は言葉すくなに部屋を後にしました。
その翌日、奥さんは大内さんに語りかけました。
 
「2000年は越してほしい・・」
 
家族は待機して、鶴を折り続けていました。
 
その数は1万羽に達しようとしていました。
 
被曝83日目
奥さんは息子を連れて、大内さんの元を訪れました。
 
小学生の息子が父親に呼びかけました。
 
「奥さんは、はじめて我慢しながら泣いていた・・。」
 
その日の夜・・
大内さんは息を引き取りました。
 
大内さん、家族、医療チームの83日間におよぶ
戦いは終わりました。

人間の体を内側から壊していく、放射線被曝・・
放射線の影響は、大内さんの体の隅々までおよんでいました。
 
大内さんの筋肉の細胞です。
 
放射線の影響をもっとも受けにくいとされています。

しかし、多量の放射線をあびて、ほとんど筋肉の遷移が
失われていました。
 
その中で1つだけ、筋肉がきれいに残っていた臓器がありました。
心臓でした。
 
心臓の筋肉だけは、放射線に破壊されていませんでした。
どうしてなのか・・
結論はでていない。
 
体中の細胞が壊される中で、心臓だけは生きていました。

「今回のことで感じるのは、
人間が作ったものは間違ってしまえばとんでもないことになると実感した。」
 
 
東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被曝事故・5 (9分)
http://www.youtube.com/watch?v=InbMd385z9k&NR=1
 
書き起こし
大内さんとの出会いは、前川医師にとって
大きな転機となった。
 
ご家族の手紙・・
「とても悲観的な考えなのかもしれませんが、
原子力というものにどうしても
かかわらなければならない環境にある以上、
また同じような事故が起こるのではないでしょうか。
 
しょせん、人間のすることだから、という不信感は消えません。」
 

※特にお知らせしたい記事を抽出し一覧にしています。 ※随時追加していきます。 
  入りきらないので、省略。  ⇒リ ン ク 一 覧  被爆症状や被爆対策、放射線拡散情報、原発報道まとめなど

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