城
佐野城(長野県千曲市桑原)不動滝の上の山にあるのがこの城である。
川中島合戦にも登場する城であるが、HPでもほとんど取り上げられていない。城のある場所も良くない。そのためか、あまり行く人がいないのだろうか。
千曲市の西部、桑原地区を通る長野自動車道の下をくぐり、佐野川の谷を1㎞ほど西に入る奥まった場所に有る。
周囲は崖で険しそうで、そんなんで余り行かないのかな?
ところが、麓の不動滝の脇からちゃんと遊歩道があるじゃない。
この道を上がれば楽チンに行けるのである。
城のある佐野川の谷は、不動滝で述べたように現在は林道が通るだけの山間であるが、戦国時代以前は川中島と聖山、麻績、松本方面を結ぶ主要街道であった。 佐野城はこの街道筋、平野部への出口を抑える城であった。
城のある山は西から佐野川の渓谷に突き出た尾根の先端部にあり、標高は690m、不動滝からの比高は90m。
城のある尾根状の山は「剣の刃渡」という細尾根の南に主郭部があり、その南が山が扇型に広がり、その扇部の斜面に6,7mの段差で数段の曲輪を展開させる構造である。
築城は、応永7年(1400)9月、守護の小笠原氏を大塔合戦で駆逐した村上氏が小笠原氏の再来寇に対する抑えのために、家臣の桑原氏に命じて築城させたという。 しかし、今残る遺構は戦国時代のものであり、戦国時代、武田氏により改修され、川中島合戦の際には、武田軍の兵が入ったと思われる。
500人程度の兵が駐留することが可能である。
天文22年(1553)武田氏は麻績を経て、この方面から葛尾城を迂回包囲する攻撃を行っているが、その時、佐野城に対する寝返り工作を行ったことが、「高白斎記」に書かれている。
武田信玄が川中島に出陣した時、本陣を置いた城が塩崎城ではなく、この城ともいう。
最後の登場は、武田氏が滅亡、織田信長が本能寺に斃れた後の天正11年(1583)である。
ここ川中島は上杉景勝に占領され、屋代秀正が上杉氏に下るが、徳川家康の工作で離反し反乱を起こす。
その時、佐野城には屋代秀正に同調した塩崎六郎次郎が篭ったが鎮圧され、この反乱の後、廃城になったようである。
廃城後、城のある山は利用されることもなく、修験の山となり、遺構は完全な状態で草木に覆われた状態で伝えられた。
ではHP
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/http://yaminabe36.tuzigiri.com/kawanakajima2HP/sano.htm にて |
