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徳川五代将軍綱吉による「生類憐みの令」は次第に民衆の怨嗟の声
があがり逆に犬を捨てるものが多く、野犬が横行ししかも狂犬病の
流行をもたらした。ついに幕府は野犬を収容する犬小屋を必要とし、
元禄八年には四谷大木戸・大久保・中野等に犬小屋を建てて野犬を
畜養した。大久保は二万五千坪、中野は十六万坪の地であった。
中野には、二十五坪ずつの御犬小屋が二百九十棟、七坪半ずつの日
除け地が二百九十五棟、子御犬養育所が四百五十九ケ所あった。
犬には一日に米二合と銀二分とを費やし、多い時には八万二千匹に
およんで、一日の費用銀一六貫余、一年にして金九万八千両を必要
とした。
中野村の農民には一年に金二分の養育料を与えて飼育させた。これ
らの費用をだすために、江戸の町人には小間一間に金三分ずつをだ
させ、関東の諸国へも犬扶持として高百石に一石ずつをかけ、ある
いは豆・藁・菰などをださせた。
以上中央公論社「日本の歴史」から引用。
なお金二分は当時この地方の奉公人の一年間の給金に相当したそうな。
さらに余談があり、綱吉が亡くなるとすぐに次の六代将軍家宣によって
この「生類憐みの令」は廃止されたが、百姓たちに支給されていた養育
費の返納が命ぜられ、中には返納できず、屋敷田畑を没収され村から追
放される者もおったげな。
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