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藪井竹庵
天気晴朗なれど・・・北風でまだまだ寒い。ヘ〜クショイ(^ω^) 今週末の春一番が待ち遠しい(^∇^)

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柳家小せん

イメージ 1 「柳家小せん」と云えば・・・落語のご通家の間では超有名な、「めくらの小せん」こと、初代 柳家小せん(1883〜1919 本名=鈴木万次郎)ですね。「廓噺のお守り」は、「盲の小せん」のところで発行していると云えるほど、廓噺を得意としましたが・・・廓の研究が祟って、脳脊髄梅毒症を患い腰が抜けちゃって、人力車で寄席通い。女房に背負われて高座に付くと云う壮烈な噺家でした。更には、28歳の時に白内障を患って失明してしまいました。
 
 師匠の三代目 小さんは人格者ですから、弟子が失明したからと云って突き放したりはせず、生活費を捻出するために、小せんの自宅で月謝を取って落語を教える「小せん学校」を開校する手はずを整えてくれました。
 
 その「小せん学校」で、廓噺を仕入れた若い噺家さんたちが、戦後の東京落語の隆盛を築いた大師匠たちでした。志ん生、金馬、正蔵、柳橋、圓生たちの若い頃だった訳です。「居残り」、「お見立て」、「お茶汲み」、「五人廻し」などをやっている大師匠たちのルーツはすべて、「盲の小せん」です。ただし、五代目 柳亭左楽門下の文楽だけは三代目 三遊亭圓馬に心酔していたので、圓馬の追っかけだったから、「小せん学校」では、文楽は見掛けなかったと、圓生さんが証言しています。
 
 当代の小せんは五代目(1974〜 本名=河野重信)ですが、私はまったく知らないので、何も書けません。
 
 私が知ってる「小せん」は、五代目 小さんの総領弟子だった四代目 小せんです。「お笑いタッグマッチ」と云うテレビ番組が、開局当初(昭和34年)のフジテレビで放映されましたが、司会の柳昇の他、当時の二ツ目クラスの噺家が3人ずつ二組に分かれていろんな回答をすると云う、笑点の大喜利のルーツとも云える様な番組でした。
 
 出演者は、司会の春風亭柳昇がトロンボーンを吹いて試合が開始され、三笑亭夢楽、桂伸治(後の十代目 文治)、三遊亭小圓馬、金原亭馬の助、四代目 柳家小せん、四代目 春風亭柳好が三人ずつ二組に分かれて、いろんな問題に解答しました。つまりこれが、大喜利のテレビ版の最初のもので、後に、彼らの後輩の談志が、日本テレビで「金曜夜席」から「笑点」へと云う流れを作った訳です。
 
 「お笑いタッグマッチ」は、有楽町の「そごう」の8階だったかにあった「ビデオホール」で収録されてましたが・・・現在は読売ホールに名称変更されてますが、私はなんと、小学生時代に父親の妹の叔母さんに連れられて、コッペパンにマーガリンを塗った、15円の弁当を持って、ビデオホールの公開録画を見に行ってたんです(^-^)v
 
 私にとって、小せんと云えば四代目なんですが・・・落語は一回も聴いた事がなく、この「きゃいのう」一本の動画しか知りません。あまりにもテレビでお笑いタレントのイメージで売ってしまうと・・・折角ちゃんとした落語が出来るのに・・・もったいないなと思います。
 データ・・・四代目 柳家小せん 大正12(1923)年7月24日〜平成18(2006)年10月10日 享年83 前名=小きん 出囃子=せり 本名=飯泉真寿男
 
 「きゃいのう」と云えば・・・柳家金語楼なんですが・・・本来この演目は、金語楼の師匠の初代 三語楼が芝居噺と云うよりも、茶番として作ったとされています。まあ、談志とて柳家一門だった訳ですから、本来の「武助馬」の音源を残していたりします・・・(^ω^)

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