歳末対談
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残念ながら年末のラジオ放送用に収録されたものなので映像ではありません。金馬さんがしょっぱなに志ん生に対して「おめでとう」と云っているのは、志ん生がこの年に「お直し」で芸術祭賞を獲得した事を云ってます。 金馬さんは志ん生よりも四歳年下で、噺家になった時期も志ん生よりも後なので、本来なら面と向かっては「兄(あに)さん」と云うべきなんですが、若い頃から志ん生の師匠の二代目 三遊亭小圓朝の北海道巡業に同じ三遊一門の金馬さんも同行したりして(その時に、天狗連でやっていた二代目 円歌を発見する)志ん生と金馬は仲がよく、志ん生を本名の「孝(こう=美濃部孝蔵)ちゃん」と呼んでます。 かつての大師匠たちってのは非常に個性的で、「あいつよりも落語が上手くなってやろう」と常に思ってましたから、現代の落語界のように、仲良しの同好会のようなものではなく、あわよくば蹴落としてやろうと思っている噺家ばっかりで、犬猿の仲と云うのが当たり前でした。だから、今のように十羽一からげで一山幾らと勘定されるデモシカではなくて、みんなが誰にも負けないそれぞれの個性を持った凄い噺家ばかりだったのです。 圓生と正蔵、圓生と柳橋、圓生と馬風・・・その人たちを二人きりで楽屋に置いたら、取っ組み合いの喧嘩が始まると云うくらい仲が悪いのは当たり前だったんです。その中にあって、志ん生だけはその個性と云うか、噺家として先輩に媚びずにやってきたために、一番出世が遅かったんですが、そう云う落語界きっての苦労人の志ん生に対しては、上手く立ち回って早くに出世をした大師匠たちは負い目があるので、さすが頑固な大師匠たちも、気楽に接する事ができました。 小者とは話をせずいつもピリピリしていた金馬さんをはじめ、はたからはライバルと云われた文楽も、頑固で誰とでも喧嘩をしたトンガリ馬楽(正蔵)も、一人も友達がいないと云われた圓生でさえ志ん生とだけは喜んで付き合いました。 で、この音源でよく判るのは、金馬さんの物怖じしない豪快さと、志ん生の繊細な緻密さですねぇ。金馬さんは、うなぎ屋でお新香をバリバリ食っちゃうタイプなんですが、志ん生は物をほとんど食わずに、酒もあまり飲まず、一生懸命考えながら喋ろうとするタイプなんですねぇ。志ん生が「ぞろっぺ(いい加減)」だなんて思ってる方が、もしいらっしゃったら、是非ともこの音源をお聴きいただきたい。 金馬さんは志ん生より百倍も「ぞろっぺ」です。志ん生はひとたび落語の話になると、物凄く真剣に考えて、好きな酒さえ進まないくらいになっちゃうんです。それが我等の志ん生であり、私がこよなく愛する噺家なんです。なんで今の噺家は志ん生のように真剣に落語をやらないのか・・・それが残念なんだけど、そんな噺家はどっちみち私は聴かないので、どうでもいいけどね(^ω^) データ・・・五代目 古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日〜昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生 出囃子=一丁入り 本名=美濃部孝蔵 紫綬褒章 勳四等瑞宝章 データ・・・三代目 三遊亭金馬 明治27(1894)年10月25日〜昭和39(1964)年11月8日 享年70 前名=圓洲 出囃子=本調子鞨鼓(かっこ) 本名=加藤専太郎 ちなみにこの写真の説明が鈴本の楽屋となっているのですが、昭和36(1961)年冬の東宝演芸場の楽屋のようです。ここで「三代目」と云ってるのはもちろん三代目 柳家小さんの事です。 この動画の最初の写真は、左から・・・ 長男の後の十代目 金原亭馬生。三味線を弾いているのは次女の貴美子(後の三味線豊太郎)。長女の美津子。志ん生。次男の後の三代目 古今亭志ん朝。女房の美濃部りん。 |
