れんげ草の咲くさんぽ径〜舟木一夫の世界

お元気な舟木さんもインフルエンザに罹ってしまわれたほどの寒さと乾燥に見舞われた冬も去って春本番!舟旅にも春の風が!

舟木一夫主演映画つれづれ

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映画「夕笛」〜 昭和初期の香りがスクリーンから匂い立つ、古典派メロドラマの世界 その2
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70753698.html

上記からのつづきです。

「夕笛」〜悲恋を招く、三つのキイワードをあくまで私見ですが、私なりに読み解いてみました。

1.軍歌の足音が近づく昭和初期の社会状況〜一般庶民への思想および言論弾圧

イメージ 30               映画に登場する新聞記事→
スクリーンに登場する新聞記事から推測すると、この物語の背景となった時代は昭和初期、満州国建国の年である1932年以降あたりから5年間ほどの時代と思われます。また、その頃から共産党及びそれに近いと見られた合法的大衆団体への弾圧・粛清が強まっていったということも、雄作と若菜にとっての不運・不幸を招くという流れに不可欠の要素となっているということも、あらためて  踏まえて観てみました。


イメージ 22.白椿が暗示する不幸
〜白椿のある家には、不幸が起こるという言い伝え

「不幸を招く不吉な花、白椿」に、雄作と若菜を「悲運に翻弄される恋人たち」という展開に向かわせる狂言回し的な役割を与えていることは、西河監督のカメラワークでも十分に示唆されていますし、脚本の中でも若菜の父・筒井銀蔵(島田正吾)の台詞で語らせています。いわば、不幸を招く白椿屋敷の住人となった雄作と若菜のふたりが、もやは逃れられない運命として、まさに、その白椿の花が咲き匂う中で出逢ってしまった…ということからこの悲恋物語は約束されていたということなのでしょう。


★3.封建的な政略結婚
〜家と家とが互いに即物的な利益を獲得するために、結婚する当事者の意思にかかわらず婚姻関係を結ぶ慣習

ニシン漁でにわかに富を得た筒井家は、次に家柄を求め、地元の城代家老の血筋を引く高須家は、気位は高いが金銭的には窮しているため富を求めた。互いの欲するところを埋め合わせるために、世間知らずの年若い若菜は望まない結婚を強いられ、その運命をはねつけることができない。


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以下の記事も、別冊・近代映画 1967年10月号に掲載されたものです。私が勝手に、映画の場面映像を補足してまとめてみました。当時の舟木さんの中核をなしたファン層の年令を思うと、この記事を読まれた時点でピンと来なかったかも知れないな…と思いますが、今、読んでみると”ふむふむ…”なんてカンジですね。


〜映画「夕笛」をめぐる”愛”の問題点   別所直樹  
別冊近代映画 1967年10月号 掲載記事〜

イメージ 4若い男女は結婚式とか花嫁衣裳など、映像面のはなやかさ結婚を夢想しがちだが、愛には苦悩もつきまとうことを忘れてはならない、映画「夕笛」は、愛の無情、愛の強さを謳い上げ、形式にとらわれた結婚の悲劇を若者に暗示している…。

恋の会話は眼から始まる……視線が合って結ばれた恋がいちばん早く成就する…。フランスの詩人ヴィクトル・ユーゴーはこのように述べている。眼は恋の使者であるかも知れない。恋の会話は、まず眼から始まる、とも言われる。

旧制高校の学生島村雄作は、かつて住んでいた田舎の旧居を訪れる。早春のことである。椿の古木が昔ながらに見事な白い花を咲かせている。
その日は、父の命日であった。白い椿を愛した父のために、雄作は一輪の椿を無心するつもりだった。そこで偶然に若菜と逢う。草笛を吹き鳴らすセーラー服の少女。
ふたりの眼が合う。はじめて逢った若い男女が、たがいに相手の内面をさぐり合う眼の色。そこにはまだ、恋の会話は見られない。好奇心があるだけだ。しかし、ふたりはまた海辺で逢う。それもふつうの逢い方ではなかった。誰もいない夕べの海でひっそりと泳いでいる若菜を四人連れの高校生がみつける。かれらは、若菜の白い裸身に、人魚を夢みる。そして、岩陰に脱ぎ捨てられた着物をかくす。これは、天の羽衣の伝説を思い出させるシーンだ。

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この夢は二十世紀の男性にも生きている。高校生が着物を隠したくなるのも無理からぬことだろう。しかし真面目な雄作は少女の困惑を思い、その着物を返しにいくが、岩陰からのぞく少女の眼と視線を合わせ、ハッとおどろく。意外にも先日逢った椿の家の少女ではないか。

瞬間的な眼の動きが、海辺を背景にとらえられるわけだが、運命的な恋がここから展開されるのである。右の眼は地上に恋の花を咲かせ、左の眼は天上の理想を夢見ている。”恋の会話”である。

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イメージ 9自身に責任を持つ恋愛結婚のむずかしさ

だが、若菜にはすでに決められた結婚相手があった。若菜の父親・銀蔵は北海道のニシン成金である。いま、ニシン漁は不振でそんな成金も影をひそめたが、この物語は昭和初年が舞台になっていて成金も実在した。
金を握った銀蔵は故郷で邸宅を買ったが、それは雄作の父の邸だった。雄作は父の友人である北国新報主幹根津の厄介になり、働きながら学んでいた。つまり、没落階級の人間として描かれている。そして、若菜一家は振興成金、さらにその結婚相手は名門ということになっている。
城代家老の血筋を引く家、高須家が若菜の結婚相手だが、この結婚には、恋とか愛ということは介在していない。あくまでも家と家である。名門と成金のとり合わせで、このような結婚は意外に多い。

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殊にまだ封建的だった昭和初年に於いては「成金」の筒井家にとって、「名門」高須家との結婚は喜ぶべきことであった。人間は、金が出来ると権威が欲しくなる。爵位が金で買えた時代であり、名門の魅力は大きかった。城代家老の血筋といっても、今の若い人にはピンとこないだろう。が、士・農・工・商と言われ、”士”が上位にあった時代の名残が当時はあった。父の銀蔵がその名門との結婚によって筒井家にハクをつけようとする。若菜の兄、巳代治は作家志望であるだけに、精神に生きようとする。名門との結婚よりも純粋に愛に生きることをすすめる。「行くところまで行って、後悔することのないようにしろよ」と妹に言うが、これはつまり、自分に責任を持てということである。愛が破局に終わっても、自分が求めてしたことなら、後悔ははないだろう。若菜はついに家出を決心する。しかし、その直前、雄作は巳代治とともに思想犯の嫌疑者として特高刑事に捕えられる。


愛は残酷 そしてまた尊い

恋は炎に例えられる。燃えつきた後の灰が恋の果ての長い結婚生活だというのである。パッと燃えようとした瞬間、思わぬ邪魔が入り、若菜は呆然とする。その虚脱状態につけ込み、父母は高須家との結婚をすすめてしまった。若菜も雄作との恋を貫く勇気を失っていたのである。それもムリはないやっと女学校を卒業したばかりの少女なのだ。雄作にはまだ三年も学業が残されており、その上、巳代治の巻き添えをくって留置場にもふち込まれた。前途は多難であった。動揺しやすい娘ごころは、急に平安な生活に心ひかれるようになってしまったのである。

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だが、高須家との結婚は幸せなものではなかった。空虚な名門意識にすがりついて生きる高須家には死んだような冷たい空気がよどんでいた。夫の姉は、底意地が悪く、美貌で裕福な若菜に敵対意識を抱いている。夫は愛人の芸者と手が切れず、養父母は若菜の実家の金をあてに家の増築を考えている。”愛”はどこにもない。”計算”と名門意識にすがって生きるくだらぬ一家であった。

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イメージ 12若菜の絶望を支えるのは、雄作との楽しい想い出だけだった。雄作が少年時代、亡父から贈られたオルゴール時計を若菜は持って嫁いだ。その時計が夫の疑惑を招き、若菜を責める。その頃から若菜は自分の視力が急に衰えたのを知り、愕然となる。同時に兄の出征、父の急死、実家の焼失と母の死という不幸が重なる。彼女は焼け残った実家の土蔵に逃げ帰り、お手伝いのトヨの助けを借りてひとり暮らしをする。
そこに訪ねて来たのが雄作だった。三年間のドイツ留学が決まり、それとなく若菜に別れの言葉を言いに来たのである。恋人が結婚に破れ、しかも盲目になっていると知り、雄作は再び恋の嵐に吹きまくられる。

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人を裏切った罰だという若菜。何も見えなくなっても、あなたのお顔だけはよく見えるの…という若菜の言葉は美しく悲しい。
雄作の変わらぬ愛を知り、一度は自殺を図ろうとした若菜も”再出発を決意する”上京して眼を手術することに決めたのだ。しかし、出発の直前、雄作は持病の心臓病で死に、彼の墓を抱くようにして若菜もそのあとを追う。


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この作品の一年前に、大ヒットを放った「絶唱」の存在の大きさというのも、「夕笛」が、こういった悲恋ものになったことと無関係ではないのでしょう。「絶唱」に次ぐ大ヒットを狙うということであれば、その路線を続けていくということになるのは当然ですし、当時は、日活三人娘として、吉永小百合さん、和泉雅子さん、そして松原智恵子さんという三人の若手女優さんが活躍していた時期でもあり、「夕笛」のヒロインに抜擢された松原智恵子さんは、吉永小百合さんや和泉雅子さんと比べるとまぎれもなく、運命に翻弄される悲劇のヒロインというイメージにピッタリとハマる女優さんだと思います。おしとやかでどこかさびし気な顔立ちの松原さんの女性らしさを、さらに前面に押し出して日活の人気女優に育てていこうとする制作側の意図が「夕笛」という作品には色濃く出ているように感じます。あくまでヒロインとして松原智恵子さんの魅力を引き出そうとした制作側の狙いが、的を射たからこそ、これでもかの悲恋ドラマもただみじめな恋人たちの死ということに終わらず、若狭の海を背にした墓標「雄作 若菜之墓」を観客の目に焼き付けて「天国に結ぶ恋」という美しい余韻を残すことができたように思います。

そして「悲恋三部作」…といわれる「絶唱」「夕笛」「残雪」ではありますが、こういった表現は、おそらく「夕笛」以降に言われるようになったものだと私には思われます。「夕笛」「残雪」は、どこか因縁めいたものが二人の男女の間に横たわっていて、出逢うべくして出逢い、引き裂かれることがあらかじめ決まっていた「運命」を感じさせます。「絶唱」は、この二作品に比べると、主人公の男性が自分が育った特殊な環境に気付き、社会との向き合い方に目覚めていったことに端を発しているのですから、「意志的な生き方」と「戦争という時代」が生み出してしまった不幸であり、きわめて社会性、メッセージ性の強い作品であると思います。そういった意味では「悲恋三部作」といっても、やや異なるニュアンスであることを私的には感じています。

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最後に「絶唱」についても別所直樹氏が、触れておられましたので、抜き書きさせていただきます。

舟木一夫で思い出されるのは、和泉雅子との共演作「絶唱」であろう。この作品では、舟木が旧家の大学生、和泉が山版の娘にふんした。舟木は「夕笛」とは逆の立場である。だが、舟木の父の反対に遭い、ふたりは結婚できない。和泉は他国の親類に預けられることになり、それを知った舟木は、愛を貫くために家を出て、貧しいが幸せな愛の巣をかまえる。しかし、戦争の黒い魔手が若いふたりにも襲いかかった。舟木は出征。和泉は激しい労働に耐えながら愛する男を待つが、やがて胸を冒される。この「絶唱」も悲恋に終わっているが、わずかな日だが、ふたりだけの幸福の日を送ることができた。それがせめてもの救いだ。

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このように、結果としては、どちらも同じ「悲恋」という捉え方になってはいますが、ここで筆者が書いているように「絶唱」という物語の「救い」は、愛を貫いて短くも幸せなふたりだけの居場所を持てたということなのですね。私が、思春期に大きな感動を受けたのも、悲恋だったからではなく、意志的に生きたふたりの姿に勇気や、これから自分が生きていくための大切なものを示されたように感じたからではないかと、思います。もし、リアルタイム「夕笛」を観ていたとしても、昔の女性は可哀想だったなぁ…という感想に終わっていたのではないかと思います。生きていくための希望のようなものを示唆してくれたという意味では、「絶唱」は、やはり私にとってのベスト・ワン作品であり、ただの「純愛悲恋物語」では、なかったと言えるのだと思います。

「夕笛」ファンの皆さんには申し訳ないのですが、最後は、どうしても読む者に仄かな希望を与えてくれる作品である「絶唱」に軍配をあげてしまう私ですが、この当時の舟木さんと松原さんの美しさは、まさに「季節の花」というのでしょうか、掛け値なく申し分ないもので、映像としてこうした作品が残っていることは、本当に嬉しく、ありがたいことだと思います。

これ以上のクラシカルな美男美女のツーショットは、この世代のどんなコンビもたちうちできないと思います。松原智恵子さんの若菜でなければ、物語自体がウソっぽくなってしまうほどの過酷な運命に弄ばれる女性のリアリティは出ないでしょう。それほど浮世ばなれした美しさに輝いています。舟木さんもまた、昭和初期の好男子という佇まいを体現するような清潔感と正義感にあふれた凛々しい美しさを湛えたまなざしが、グッと見る者の心をワシヅカミにする眼の演技です。
おふたりの汚れない美しい容貌と、夕陽を背景にした燈台に向かって歩いている雄作と若菜のシルエットシーンや、あのクライマックスの嵐の夜のシーンのカメラワークはじめ随所に西河監督の美意識やセンスが光って、舟木さん主演の映画の代表作のひとつとなったことは確かだと思います。

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夕笛 (映画の映像付)
https://youtu.be/PsMVvtl_4QM




イメージ 25夕笛   作詩:西條八十   作曲:船村徹

ふるさとの 蒼い月夜に
ながれくる 笛の音きいて
きみ泣けば わたしも泣いた
初恋の ゆめのふるさと

おさげ髪 きみは十三
春くれば 乙女椿を
きみ摘んで うかべた小川
おもいでは 花のよこがお

ふるさとへ いつの日かえる
屋敷町 古いあの町
月の夜を ながれる笛に
きみ泣くや 妻となりても

ああ花も恋も かえらず
ながれゆく きみの夕笛

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イメージ 26夕笛 (船村先生歌唱)
https://youtu.be/J1gG-7e21eQ
「♪きみは十六…」と唄っていらっしゃいます。










夕笛 ギター:船村徹  歌唱:舟木一夫
https://youtu.be/JV4OkAjeQus



舟木さんが「夕笛」を語る新聞記事

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映画「夕笛」〜 昭和初期の香りがスクリーンから匂い立つ、古典派メロドラマの世界 その1
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70749639.html
上記からのつづきです

「夕笛撮影日記/舟木一夫  雄作とともに歩んだ1か月」 別冊・近代映画1967年10月号より

●なつかしかった夏まつり!
お祭りのシーンでは、幼い日、父母に連れられておまいりした故郷のお宮のことが思い出された!

○月×日
イメージ 2彦根第一日目のロケ。九時開始の堀端での撮影。文教都市彦根も早朝から中高生のすごい人だかり。最初は「北国新報」で雄作のアルバイト先の玄関口での撮影。冬物の学生服姿は、三十五度もある彦根では、汗がびっしょりと出て、むし風呂に入っているようなもの。テストのときには、上衣をぬいで本番になると着用することにしなければ、とってもやりきれない。

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次は、彦根城に登って天守閣の近くでのラブ・シーンの撮影を行う。

大阪・名古屋方面からバスを連ねてのロケ現場に来てくださる熱心なファンの方々がいらっしゃるのには頭が下がる。それに、地元の人を合わせて四百人の群衆の中でのラブシーンはいささかてれる。スタッフの人たちの配慮があって近くには人垣を作らないようにしてくださったが、近くから遠くからスタッフも含めた九百の目が僕とチーコに集中していると思うと、ガタガタするし、もう石のようにこちこちになってしまう。

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西河先生も、ずいぶんこのシーンに趣向をこらされるし、カット、カットをこまかく刻まれたので、映画で見るとほんの数分しかないものが、四十分もかかって撮り終えた。四十分もコチコチになっていたのだからたまりません。石のように冷たくなっているように感じられる。チーコも「舟木クン、まるでほかの人かと思うような感じだったワ」という。自分がまるで自分でないような感じがした。
ラブシーンは全く苦手だ。そういっても作品の性質によってはしかたがないと思うが、そう思ってもなかなかわりきれないものがある。

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この問題のシーンを無事に撮り終えたときには、頭を上げて人の顔を見ることができず、チーコと二人で下を向いたままで歩くぶざまなかっこうだった。次のシーンは、堀端でお祭りシーンの撮影。忙しくて祭りを楽しんだことのない僕としては、このシーンは大変な楽しみ。地方色豊かな夏祭りにゆかたがけで見物、子供の時代、父親に連れられていった一宮の夏祭りを思い出した。綿菓子、かき氷、金魚すくいなどもりだくさんのお店が出て、僕たちの目を楽しませてくれた。

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子供時代は、父親を困らせて、泣いては綿菓子を買ってもらったりしたことが、いまだに話題にのぼることがある。懐かしいお祭りシーンだった。


●村人たちに同情されて?
無銭旅行のシーンで、あんまりきたないかっこうをしたので、村人たちにコジキとまちがえられる

○月×日
七時出発のロケ。伊吹山でおこなうはずのロケが天候の影響か、旧国民宿舎がある琵琶湖畔で行われる。
旧制高校の仲間三人との無銭旅行のくだり、琵琶湖畔をバンカラスタイルで行くかっこうはまったくこじきを思われてもしかたないようだ。
このシーンは、リアルに描くためにと西河先生は盗み撮りを要求されたが、映画の撮影とは思わない村の人たちはみじめな学生と思い、いたわりの言葉をかけられたのには、人間の温かみを感じさせられた一場面だった。そうした人間味を味わった我々は、無事に撮影を終え、協力して下さった人たちには感謝の念をいだかずにはおれない気持ちになった。

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次の現場は、柳川(滋賀県)でのチーコと二人のランデブーのシーン。草むらをかけっこする二人、追いつ追われつの二人はまったくいいムードだ。そこで突然、昔からある心臓病が発病し、草むらに倒れかかるのであるが、胸をおさえてうずくまる芝居がむつかしく、なかなかうまくいかないのには、困り果てた。それでも何回かのテストを繰り返すことによってやっとうまくいけるようになり、OKのサインが出る。


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こんどの演技は、二十本ばかりの映画に出演したがいままでのうちでは一番むつかしい役を演じたように思われる。そのおかげか、自分としてはとことんまでシゴカレたように思われる。歌手、舟木一夫ではなくして、演技者舟木一夫としてやり通した気持ちになる。


○月×日
彦根最後のロケ、早朝四時半出発。朝もやのたれこめている彦根城のほとりでラストシーンの心臓発作を起こしそのまま遠い旅に出る撮影。

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早朝といいながら、ファンのロケ見物は、二、三十人の集まりをみせ、熱心さには頭が下がる。七時には、この撮影は終わり、一時休憩ののちに、九時から彦根の街の歩きをカメラにおさめる。
これで、ロケにおける全日程を終えたが、短い期間のロケではあるが、大変楽しい旅となった。全スタッフと一緒に、新幹線で東京に帰る。明日からのセットには頑張らなければいけない。大変たいせつな芝居が多く残っているのだから。そのためにも、帰ってからの僕だけのリハーサルは、ずいぶんの時間がかかった。七時ごろ自宅に着く。久しぶりに見る家族の顔がいきいきとしているで安心した。ロケの話に花が咲いて、床についたのが午前二時ごろになる。このロケは、僕の胸の奥深くに刻み込まれたものとなるだろう。


○月×日
九時開始でセット撮影。東京の後援会の人たちがこれから連日、激励に現れるとのこと。昼のセット終了後、ファンの人たちと記念写真を撮る。セット見物に来たファンの人たちの前で、チーコとの芝居はテレてなかなかうまくいかない。意識するとかえって演技そのものがうまくいかないのだと思う。意識しないでと思うが、彦根のラブシーンと同じように意識しすぎてかえってだめの場合がある。それでも西河先生の指図通りに動き回っていると、知らず知らずのうちに型通りのお芝居ができてくる。
今度の「夕笛」は僕の出るところを集中的におしたので、休むひまもなかった。本日のセット終了は午前二時。明日は、また、朝早くからのセット開始になる。がんばろう。



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プチ「スライド上映会」 ストーリーのあらすじにそって、各場面の映像を並べてみました。

夕笛  1967年9月23日公開  監督:西河克己  脚本:星川清司/智頭好夫 
(脚本は星川清司と智頭好夫となっていますが、智頭好夫というのは、お察しの通り西河克己監督のペンネームです)
 
昭和初期。ある城下町の“椿屋敷”と呼ばれる家に若菜という美しい娘がいた。若菜はある日、高校生島村雄作が家の庭に乱れ咲く椿をもらいに来たことから彼と知りあった。“椿屋敷”はもともと雄作の家だったが、鰊漁で成金になった若菜の父銀蔵が買い取ったのである。

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その日以来、若菜と雄作の間に、愛情が急速に深まっていったが、銀蔵は若菜を家柄の良い高須賀家に嫁がせる心づもりで、その準備を進めていたから、若菜が雄作と親しくしているのを知って激しく叱責した。若菜の兄で作家の巳代治はそんな妹を不憫に思い、雄作との恋を遂げさせるべく駆落ちを勧めた。すでに銀蔵は高須賀家との結納を取り交していたこともあり、巳代治の勧め通り、東京へ出ようとした雄作は若菜の待つ場所へ急いだが、巳代治が左翼作家として逮捕され、その巻き添えで捕まってしまった。

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家に連れ戻された若菜は、心すすまぬままに、高須賀信之に嫁いで行った。

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一年後、若菜の若奥様ぶりが板についてきたように、端目には見えたが、彼女の胸から雄作の面影が消えたことはなかった。雄作が子供の頃から大事にしていたオルゴール時計を取り出してみては心の支えにしていたのである。そのことが知れて夫や姑に冷たくされた若菜はつらい日々を送らねばならなかった。そんな時銀蔵が亡くなり、“椿屋敷”も焼けてしまった。こうしたことで心労の重った若菜は目を悪くし、盲目に近い身になってしまったが、彼女はますますいづらくなった高須賀家を飛び出し、小さい頃から世話になったトヨと二人で屋敷の焼け跡に暮しはじめた。

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そうしたおりに、建築家志望の学生としてドイツ留学の決った雄作が姿を現わした。雄作は若菜との再会を喜んだが、彼女の目が悪いことを知ると、ドイツ留学を棒に振って一緒に東京に出て若菜の目を治そうと決心した。一度は、雄作の出世の妨げになるからと断った若菜も、雄作の自分を想う言葉に承諾し、喜びに浸った。

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しかし、二人の運命はあくまで皮肉だった。雄作が荷物をまとめて若菜の許に急ぐ途中、かねてからの持病の心臓発作で彼は倒れてしまったのである。
雄作の死後、一人の盲目の女がその墓標を抱くようにして死んでいった。誰が刻んだのか、海を見下ろす崖の上の自然石に、「若菜・雄作」の字がいまでも残っている。...

映画『夕笛』のラストシーン
https://youtu.be/8tYw2qBRcn8



「その3」につづきます。

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夕笛  1967年9月23日公開  監督:西河克己  脚本:星川清司/智頭好夫  

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イメージ 22映画も歌も、私にとってのベスト・ワンは、「絶唱」であり、中学生の頃に、舟木一夫という人のイメージを「絶唱」の主人公である園田順吉と重ね合わせたところから、今に、こうしてつながっている、いわば原点というべき作品です。

それと比べると、「絶唱」と並ぶほどの舟木さんの代表作「夕笛」については、歌はもちろん記憶にあるのですが、この歌が映画化されていたことは、すっかり忘れていました。というよりも、当時からこの映画にはあまり関心がなかったからかも知れません。劇場公開された時のことも申し訳ないほど、全く覚えていないという情けなさ…。

ところが、「夕笛」と同時上映だった吉永小百合さんが太宰治の遺児に扮する「斜陽のおもかげ」(原作:太田治子)は、「観たい!」と思っていた記憶があるので、この頃の私の興味は、どうやら文学関連のものだったらしいです…


なにせ、リアルタイムで観た舟木さんの映画は「北国の街」「絶唱」の二作品だけという私ですから「夕笛」も3年ほど前に、DVDで初めて観ました。観たことは観たのですが、正直なところ、この作品は松原智恵子という女優さん主演のメロドラマという印象の方が強くて、しかも美貌のヒロインがあまりにも運命に翻弄されていく様にしっかり人生経験を積んでから観たということも重なって、昭和27年生まれの私としては、いささか違和感というかピンと来ないものを感じました。今回、そういう印象を払拭できる何かを探そうと、続けてDVDを3回も、見直してみました。   

手元にある「別冊・近代映画 1967年10月号」に掲載されている資料(文/写真)を参考にしつつ、私個人の感想なども、ちょこっと織り込んで、あらためて「夕笛」について記してみたいと思います。かなり長くなりそうなので、何回かに分けて「連載」という形にします。

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先ずは、「その1」では、資料として舟木さんが語っている形式の「撮影日記」にそって…

イメージ 2「夕笛撮影日記/舟木一夫 
     雄作とともに歩んだ1か月」

公衆の面前でラブ・シーン?
明治記念館のスチール・ロケでは、おりから二組の結婚式にぶつかり、大ぜいの見物人でガタブル。

○月×日
僕のやりたかった「夕笛」の映画製作記者会見が、日活ホテルのシルバー・ルームで行われた。相手役は「学園広場」「
仲間たち」で共演した松原智恵子さん、三年ぶりの映画での共演だ。しかしテレビでは、「山のかなたに」「あいつと私」などで共演しているのでまんざら長いブランクはなく、気心は知れわたっていると思う。

思い出してみると、「仲間たち」の撮影中、ふたりでなにかのカケをしたことがあった。結果は僕の負け、食事をおごる
ことになり、京王多摩川にあるお好み焼き屋さんへ行ったことがある。チーコはそのとき、六枚をペロリとたいらげ、こ
のときはじめて、彼女の大食漢ぶりに恐れをなした。

イメージ 3記者会見には、日活のスタッフと、コロムビア関係の人たちで、百名近いジャーナル関係者に囲まれて行われた。一番多く集まった質問は「”絶唱”とどうですか?」ということですが、僕の答えは「いい意味で”絶唱”を意識します」とお答えしたが、考えるのに「絶唱」は少年期、「夕笛」は青年期と思っている。一歩一歩前進しているように、自分では判断しているのだ。
「夕笛」は初恋がヒントで、お下げ髪のあう、やさしい感じの人のことが思い出される。
クランク・インは七月十二日からはじまるので、その前に、五月以来の久しぶりの休日を貰って、バカンス旅行に仲間たちと出かけて行く。


○月×日
なにもかも忘れたバカンス旅行は大変楽しいものだった。自然を相手に大勝負といっても、そんな大げさなものではない
が、泳いだり、釣りを楽しんだり、登山をしたり、海に山にと思い切り駆け巡る楽しさは、忘れることのできないものだ

宣伝スチールを午後一時から、明治記念館の庭園で行う。
かすりの着物にハカマ、腰に破れ手ぬぐいに、旧制高校の帽子、全くバンカラ・スタイル。チーコも同じく白ガスリの着物にお下げ髪で、良家の令嬢のよそおい。
天候は大変な暑さで、紺ガスリだと暑さが一段と感じられ、すぐに汗びっしょりになる。
こんな暑さの中で、報道関係のかたがた三十人余りに囲まれてのスチールは、僕の苦手のラブ・シーンがほとんどだ。

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イメージ 10ちょうどこの時、結婚式を挙げている人が二組あり、花婿、花嫁、列席者が入り乱れての見物客で、庭園は大混乱をきたした。

見物客を意識するとなおさら、顔が赤くなり、ステージ、テレビなどで上がったことのない僕が、自分でも気づくくらい
にどんどん上がって行く。そうすると、顔の表情が悪いといってN・Gが出てやりなおしということになる。二時間の宣伝スチールはひや汗ものでやっとすませた。

そのあとは、「夕笛」の宣伝関係の雑誌の仕事。午後三時にホテル・オータニに着く。西河先生以下、スタッフの人たちとクランク・インを明後日にひかえて、衣装合わせや、撮影日程の打ち合わせをする。話しは、雄作のイメージ作りに焦点が集まったが、各々が思い思いの意見をのべていた。
みなさんが、この作品をよくしようとする気がまえが、ここではまざまざと見せつけられた。

夜の仕事はなにもなく、久しぶりに早く帰宅ができた。レコードを聞きながら、思いついたことをメモしながら、そのひとときを楽しく過ごした。最近は、暇なときにはたいがい、詩を書いたりすることが多くなった。ゲーテ、ニーチェなどの詩集も読むし、いろいろと吸収しようとする意欲に燃えている。そのうち、たくさんできたら、”舟木一夫詩集”でも発行したいな?


月刊誌とか週刊誌などの表紙などを飾ったお二人のツーショット。当時は週刊誌が70円だったんですね

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●美しかった若狭の海の夕景!
やがて沈まんとする日本海の太陽の美しさは、彼の生涯で忘れることが出来ない思い出だという!

○月×日

イメージ 12クランク・インの日。早朝より雲ひとつない絶好のロケ日より。
第一日目は、大学構内のシーン、場所は都下の東京農工大学。
学校帰りの僕と、教授とのディスカッションの場面の撮影。八時開始だというのに、早く目がさめ七時ごろロケ現場に着
く。自分でも不思議なくらい緊張しているためだろう。この作品にかける僕の気持ちがあらわれているのか…。
  ← このシーンかな?

午前中でロケーションは終わったが、そのあとテレビ局に入る。日本テレビのスタジオで「ゴールデン・ショー」のビデオ撮り。「夕笛」特集で、ゲストに松原智恵子さんを迎えてのスタジオ撮り。
本篇で着用する着物を身につけての大奮闘といったところ。
チーコは、普段はきつけないロング・スカートならぬ、ハカマをはいているせいか歩きづらくなったのか、本番中にたび
たびハカマが足に引っかかり、ころびそうになることがあった。そのたびに、N・Gが出てチーコは真っ赤な顔をしていた。カラー放送だから、画面にもハッキリわかったのではないかと思われた。

午後十一時には帰宅でき、父、母たちと久しぶりに談笑をする。おもな話題はやはり「夕笛」のことが中心になる。床に入るのがなにやかやで午前一時になった。明日は敦賀、彦根ロケに出発する。

○月×日
イメージ 13早朝六時五分の”こだま号”でロケ隊は出発する。四時半には起床するという強行軍で、いささかきつい感じもする。東京を出てからすぐ眠りについた。米原には、七時十八分に着き、そこからロケバスで一時間半の道のりで敦賀に着く。

若狭湾を一望に眺められる美しい景色のもとでのロケが始まる。美浜駅、付近の山頂、燈台での夕景と順調にロケは進む



水平線に沈む太陽が、水面に真っ赤な光を照らす景色は東京では見られない。
スタッフ一同「ヒャーッ!」と感嘆の声を出すほどの美しさであった。

イメージ 14撮影終了後、美浜海岸で水泳を楽しむ。日本海は土用波がたち、クラゲが非常に多いと聞いているので注意しながら泳ぐ。チーコも一緒に水泳を楽しむ。チーコはやっとこ十五メートルほど泳げるようになったとか?ここでいささか泳ぎに自信を持つ僕が、コーチ役を買って出た。
夜の海は、どことなくうす気味の悪いものではあるが、それには変えられない楽しさがある。

午後九時に遅い夕食をする。夕食後、ロケ取材に来ている雑誌社の人たちと得意の麻雀とあいなった。麻雀歴は、そんなに古くはないが、それでもそうとうの自信がついた僕には、今やまったく恐ろしさを知らないほどだ。僕の大勝に終わる。午前一時には床につく、明日の予定の検討をしているうちにいつのまにか、ふかい眠りに落ちていた



太陽とかくれんぼのロケ隊!
ロケで一番の主役は舟木クンでも、松原さんでもない。おてんとう様があってこそ、撮影ができる。

○月×日
七時出発のロケ。二時間ばかりバスにゆられて、越前海岸へ着いたのが九時。真夏のシーンなのでピーカン狙い。しかし、出発時には晴れていた空も、現場に着くにしたがって雲が出てくる。現場では一時待機になる。その間、西河先生からリハーサルの声がかかる。僕とチーコが先生を挟んでのリハーサルは、手をとるように教えていただき、大変な勉強になる。

リハーサルが段々と興に乗るころになると、太陽が雲の間から顔をのぞかせる。準備にとりかかるとまた、太陽が雲にか
くれ、なにか太陽とかくれんぼをしてるみたい。やっとワン・カット回りだしたのが十一時過ぎ。たったの三カットで昼食休みになる。

海岸の岩場でのロケ弁当は、ロケ隊五十人が一堂に会しての大宴会で、大変楽しいものだ。昼食後は、雑誌の仕事で、海
の中に入ったり、石投げ、その他いろいろなポーズで撮り終える。


西河監督は首にタオルをかけて、後ろの松原さんは団扇を手に…暑そう!

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午後一時に再び開始される。昼食の時は、ピーカンであった天候も、開始とともにまた雲の中に太陽が隠れてしまう。また。太陽とのかくれんぼ。と
かくこの世の中はうまくいかないものである。

あまり成績の上がらない越前海岸を三時にたち、三方(福井県)にロケ現場を移動し、漁船の上にカメラをのせて、海岸べりの二人のラブ・シーンを夕景でおさめる。撮影終了が七時。

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「夕笛」の中で、私が一番好きな場面です ↓

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旅館に帰ってからは、西河先生から昔の旧制高校生の話を聞く。バンカラの学生生活を昔は誇りとしていた話や、青春というものは、このように過ごしたなど、学生気質の話をおもしろ
く、おかしく聞かせていただいた。僕たちが中学、高校で体験した学生生活とはまたちがう楽しさというものを聞かせていただいた。まさに、良き時代の良き学生生活というべきか…
もっとも僕のばあい、高校の三年生で芸能界へ首をつっこみ、学校へ通いながら歌のレッスンを続けた者には旧制高校(
今の大学)の学生生活など想像する以外、手がない。役の上にも大変役立つことになるだろう。

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○月×日
昨日と同じように七時出発のロケ。横浜(福井県)部落の正光寺がロケ現場、無銭旅行の我々が一夜の宿として泊めてもらうお寺の設定。
ファンの方が富山県のほうからも見物に来ていると聞いてビックリ。ファンの方は本当にありがたいと思う。近郊からも見物人が出て、お寺の境内は、ファンの数、二百人で芋の子を洗うよう。これだけの人が集まれば、整理に大
変。一人しかいない田舎の駐在所のお巡りさんも汗だくで整理に大わらわ。この村では事件らしいものが起こったことがない平穏無事なところらしいので、こんなに忙しくなったのは、はじめてと、目を白黒させながら整理にはげんでいた。

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午前中にどうにか、お寺のシーンは撮り終えて、午後から越前海岸に移動する。昨日の因縁つきのロケ現場と聞いて、全
員気乗りしなかったが、その予想をくつがえすように大変なピーカンになっていた。順調に撮影は進んでいった。ここで「チーコは裸になるんだって」という言葉を聞かされた。それは大変とばかり、カメラの列は今度は逆にチーコの方へ焦点が合わされる。ところがそれは、タイツ姿のチーコであった。みんなはガッカリ。

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スクリーンでは、チーコ演ずる若菜が裸で泳いでいるというシーンの設定で、泳ぐところはヌード・モデルを吹き替えに使った。ただ水から上がってくるところだけを、タイツをはいたチーコが出てくることになる。カメラマンはゲンキンなもので、それが違うとなると全然そっぽを向いてしまう。

因縁つきの越前ロケも無事に終わり、七時ごろ敦賀をたち、彦根に向かう。日本海を後に、琵琶湖の見える彦根までの道
のりは二時間。快適なドライブコースをぶっ飛ばす車は、井伊大老で有名な彦根城を目の前にしながら静かな街に入って行く。


〜「その2」につづきます〜

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ジャ〜ン! ついに待ちに待っていた「春はまた君を彩る」のジャケットがアップされました
まずは、なんとも心ときめく舟木さんのステキな横顔をじっくりお楽しみくださいね

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さて、胸のドキドキはおさまりましたか?は〜い、深呼吸(笑)

では、今回のブログのタイトルにも掲げたように、3月14日に開通した北陸新幹線が、このところニュースでもよくとりあげられているので、久々の「舟木一夫主演映画つれづれ」というカテゴリーで「君に幸福を/センチメンタルボーイ」について…

イメージ 21センチメンタル・ボーイ 作詩:河端茂 作曲:山屋清
https://www.youtube.com/watch?v=5VJTlqiaHww  

夢をあげよう 夢をあげよう
ぼくの夢をみんなあげよう
きみが倖せになれるなら
ぼくには夢がなくなってもいい
えくぼ押さえてる きみの小指に
投げキスをして
ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ
 
虹をあげよう 虹をあげよう
ぼくの虹をみんなあげよう
きみを美しくできるなら
ぼくには虹がなくなってもいい
涙うかべてる きみの瞳に
ほほえみながら
ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ

歌をあげよう 歌をあげよう
ぼくの歌をみんなあげよう
きみに微笑みがもどるなら
ぼくには歌がなくなってもいい
遠く消えてゆくきみの背中に
手をふりながら
ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ

「センチメンタルボーイ」はじめ、ここでご紹介する映画の挿入歌の「お菓子の好きな少女」/「星にそっと」/「恋の残り火」もすべてkazuyanさんの動画です。本当にいつも感謝です。

イメージ 1


イメージ 2

4月8日に放映された「ワイドスクランブル」の中で、舟木さんと対談された井筒和幸監督がご自身の映画「ガキ帝国」の中で映画の背景となっている昭和40年代初めの時代性の象徴として「君に幸福を/センチメンタルボーイ」の映像の一部を使ったということを話されていました。

右側は私が撮影した同じ場面のワンシーン

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時代劇は別として、「現代」を描いた映画というのは、その作品が作られた当時から何十年もの歳月を経ると「現代」だったものが「過去の現代」となってしまうところに、映画のストーリーを追うのとは、また別の楽しみ方や興味が生まれてくるものなんですね。
この半世紀ほどの間に大きく様変わりしたもの、あるいは、ほとんど変わらないものを確認することができるという面白さがあって、舟木さんの出演された映画を観ていても別れのシーンなどで駅や列車が登場する場面で時代の変化がはっきりとわかります。ラストシーンはアメリカに渡る内藤洋子さん扮する十紀(とき)が、空港ではなく港(横浜)から出航するのですから今観るとかなりカルチャーショックです。

イメージ 6この映画の前半の舞台は東京で、後半が能登半島の和倉温泉となっています。(地図の七尾市のすぐ西にあたる位置が和倉温泉です)
東京周辺の方には、北陸新幹線の開通によって北陸地方がかなり近くなったのだろうと思います。

私は、今は名古屋の近く、東海地方に住んでいて、その前は京都ですから北陸はわりとお隣の地域という親近感があります。また、金沢にはご縁があって、たった1年ですが、住んでいたこともあるので、余計に親しみがあります。

金沢に住んでいた頃は子育て真っ最中だったので、遠出することはなく和倉温泉へは行かずじまいでした。金沢からの距離感もわからなかったくらいですので、今回調べてみたら、今はなんと金沢から和倉温泉まで「能登かがり火」という特急に乗れば1時間弱で行けるんですね。



イメージ 5能登かがり火 2015年3月14日より運行開始 
(Wikipediaより)
2014年3月15日ダイヤ改正時点で、金沢駅 - 和倉温泉駅間の特急列車は、大阪駅発着の「サンダーバード」が4往復、名古屋駅発着の「しらさぎ」と越後湯沢駅発着の「はくたか」が1往復ずつの、いずれも北陸本線からの乗り入れ列車計6往復が運行されていた。しかし、2015年3月14日に北陸新幹線が金沢駅まで延伸開業するのに伴い北陸本線系統の特急列車の運行体系が大きく見直され、新幹線連絡特急であった在来線特急「はくたか」が運行終了、「しらさぎ」は全列車が金沢止まりに、「サンダーバード」も1往復を除いて大阪駅 - 金沢駅間のみでの運行となった。これを踏まえ、金沢駅 - 和倉温泉駅間の特急本数を維持することを念頭に北陸新幹線連絡特急として運行を開始した。

この映画のロケが行われた当時の記事から抜粋させていただきます。

イメージ 7(近代映画 舟木一夫デラックス 1968年1月号臨時増刊)

ロケ地メモ 和倉 風光の美しい海岸温泉
ロケ隊が宿泊した和倉温泉は、七尾市の西北端にあたり、七尾湾に突き出した弁天崎の先端にあります。
目の前に能登島の屏風崎がそそり立ち、みどりの海上にに点々と美しい小島が散らばった風光明媚の海岸温泉〜中略〜呼びものは、団体客の歓迎陣でとくに和倉太鼓、和倉節、まだら節などは有名です。東京からの交通は、上野発の下り北陸線で金沢まで(急行で約十一時間)行き、七尾線に乗り換えて和倉駅下車(約二時間、急行で一時間十分)新幹線(東海道新幹線のことでしょう)を利用して米原で乗り換えるとこれより二時間半ほど時間が短縮されます。(東京から和倉まで二等車で約三千八百円)和倉駅から温泉まで、バス5分。金沢から温泉まではバスで約三時間。

この記事を読んでいると、まさに隔世の感がありますね。同じく同誌掲載の記事に舟木さんは京都から金沢経由で和倉温泉のロケ地に向かったと記されています。以下、当時同行された取材記者の方による記事

和倉太鼓の音も冴えて! 能登半島・和倉ロケの一週間 一部抜粋

     現在の和倉温泉上空からの撮影 画面向かって左の海に突き出た建物が加賀屋旅館だと思います

イメージ 811月19日(日)
16時12分、京都発の急行「加賀号」に乗車、19時55分、金沢駅に着く。ここから車を飛ばして和倉温泉のロケ宿「加賀屋旅館」に着いたのが午後9時30分である。舟木くんの部屋は、8階の「雲竜の間」10畳に6畳の次の間がついた閑静な日本間である。入浴してサッパリしたからだを和服に着替えてマネージャーたちの陣取る「介州の間」に姿を見せる。薄いブルーの着物にベージュの羽織という小粋ないでたち。


 
左が現在の加賀屋旅館、右は映画の場面中の加賀屋旅館の船着き場

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イメージ 920日(月)
朝、7時30分起床の予定だったがあいにく外はミゾレまじりの雨。8時半ごろまでゆっくり朝寝を楽しむ。午前中、旅館内で山岡久乃さんとのカラミの場面を撮影。舟木くんの”史郎”が山岡さんの母親と廊下で行きあって「母さん、いつまで芸者をやってるんだ」と詰問する。各階から大勢の滞在客が集まって見学。「舟木一夫ってやっぱり実物もいい男だのう」などど賑やかだ。午後2時頃旅館を出発。16時36分金沢発の上り急行「白馬号」で帰京する。翌日21日、東京、代々木の武道館で行われるフジテレビ「秋の祭典」に出演するためだ。

イメージ 1022日(水)
昨夜21時26分、上野発の「北陸号」で東京を発った舟木くんが早朝7時48分に七尾駅に到着するのを待ち構えてそのまま構内で撮影しようという寸法である。夜行列車で着いたばかりの舟木くんには気の毒だがスケジュールに追われた丸山監督以下スタッフ連中は情け容赦もない。シーンは東京へ帰る”史郎”を洋子ちゃんの”十紀”と山岡さんの”まつ”がホームで見送るところ。黒山のようなファンの中にはわざわざ富山から来たという熱心な女学生たちもいる。午後、旅館内の大ホールで和倉太鼓のシーンを撮る。太鼓のリズムを譜面に写して練習したという舟木くんのバチさばきは鮮やか。「短時間の練習であんなにうまく叩けるとは…」と保存会の人たちもすっかり感心した表情だった。午後3時撮影終了。

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23日(木)
午前8時起床。七尾湾の石炭置場や貨物集積所を背景に”史郎”と”十紀”の待ち合わせの場面を撮る。Vネックの白いセーターを着た舟木くん。鉛色の空、日本海から吹きつける風が冷たい。黒山の見物人はいつも通りだが、今日はその中に「東宝映画友の会」の人たちもまじっている。撮影の合間、スタッフの人たちに”差し入れ”を配って歩く舟木くん。今朝、使いをやって段ボールの大箱三個分買ってきた菓子パンである。午後、同じ七尾湾構内の現場に移動する。引き込み線のレール沿いに”史郎”が歌をうたいながら歩くシーン。スピーカーで流すメロディーにあわせて、歩度をゆるめたり、早めたり。午後3時終了(ここで歌われているのは「恋の残り火」


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この道は恋を棄てる道
待ちかねたあの娘が
駆け寄ってきても
でも でも
笑ってはいけない
さよならをいうだけ
この道はこの道は
恋を棄てる道
 
この川は恋を流す川
爪かんであの娘が
好きよといっても
でも でも
振り向いてはいけない
さよならをいうだけ
この川はこの川は
恋を流す川
 
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この恋はひとりで消す恋
指からめあの娘が
泣いてすがっても
でも でも
負けてはいけない
さよならをいうだけ
この恋はこの恋は
ひとりで消す恋


24日(金)
午前11時まで「加賀屋旅館」の裏手にあたる船着き場で”史郎”と”まつ”のカラミのシーン。ロケ現場を車で30分ほど離れた瀬嵐町に移す。和倉町から七尾湾に沿って北上したところ。民家を一軒借り切ってここが”史郎”の家になる。

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君に幸福を センチメンタルボーイ
(1967年12月16日公開 製作:東京映画 配給:東宝)
脚本:松山善三
監督:丸山誠治
音楽:山屋清


二ノ谷史郎(舟木)は能登から上京、洋菓子店に勤め、ケーキ作りを学び始めた。ガールフレンドのいない史郎は、彼女のいる同僚の木村(小鹿)から日曜日に遊園地にいくように勧められるが、突然空から落ちて来たハンドバッグを頭に受け、気絶してしまう。次の日曜日も浅草観音の社殿で三脚をぶつけられ、再び気絶。

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史郎は配達にいった喫茶アムールで、犯人の女子大生・真浦十紀(内藤)と出会う。アムールは十紀の叔母が経営していた。ふたりは同郷ということで、すっかり親しくなった。女子大生の十紀にコンプレックスを感じた史郎は、大学でインド哲学を専攻し、洋菓子店でアルバイトしていると嘘をついてしまう。
何度も頭にタンコブをつくって、ついにヘルメットをかぶる舟木さん。カワイすぎるのでアップします(笑)

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イメージ 27お菓子の好きな少女
https://www.youtube.com/watch?v=dFv_bLVpoRs

あの娘に贈ろう このケーキ
夢で逢うとき ほほえむ娘
お菓子を いつも手に
虹の橋を渡る
ぼくの 大事な こいびと
夜明けと一緒に 消える人
ヤイヤイ ヤイヤイ
あの娘と いつの日語るだろう
ホッホッ ホッホッ
マロンの香りが ただよう娘

ひとりのはかない 夢だけど
明日を生き抜く 希望なのさ
ぼくの 大事な こいびと
あの娘に贈ろう このケーキ
 
 
あの娘にあげたい このケーキ
虹を呼ぶよに ほほえむ娘
夜ごとに 夢で逢う
可愛いあの娘だけと
歳も 名前も しらない
お菓子が好きだと わかるだけ
ヤイヤイ ヤイヤイ
あの娘に いつの日逢えるだろ

ホッホッ ホッホッ
チェリーによく似た 可愛い娘

ひとりのはかない 夢だけど
明日を生き抜く 希望なのさ
歳も 名前も しらない

あの娘にあげたい このケーキ

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十紀の友達の誕生会に招待されたり、史郎が得意にしている和倉太鼓を披露したりと、ふたりの仲は急速に接近する。

史郎の夢の中に出てくるおなじみのファンタジーのようなシーン

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史郎は次第に嘘をついていることが苦しくなり、本当のことを打ち明け、逃げるように十紀と別れた。


イメージ 28星にそっと (一曲目)
https://www.youtube.com/watch?v=IoETs8Lj8I0

心にきめた別れなのに
ひとりの夜は泣けてくるさ
ふたりだけの思い出が
ひとりぼっちのぼくを苦しめる
心にきめた別れなのに
なぜか涙が
なぜか涙が
こぼれ落ちる


 
イメージ 29未練はないと笑ってみても
ひとりの夜は泣けてくるさ
人眼さけて星にそっと
恋の日記のページを開いてみせた
未練はないと笑ってみたが
なぜか涙が
なぜか涙が
こぼれ落ちる
 





史郎の素性を知った十紀の叔父は、正月休みに十紀を能登へと帰郷させる。間もなく史郎も故郷に帰った。温泉芸者の母・まつ(山岡)は史郎を暖かく迎えたが、史郎は芸者である母を軽蔑していた。友人たちから太鼓打ちの誘いを受けた史郎は、和倉温泉一のホテルの舞台に立つ。そこで十紀と再会した史郎は、十紀がホテルオーナーのひとり娘であることを知る。

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ふたりの仲は十紀の両親にも知られ、そのため十紀はホテル経営の勉強という名目で、米国留学させられることに。身分違いの恋を自覚した史郎は十紀に会い、別れを告げた。

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東京に戻った史郎は、十紀がアメリカに発つ日、「サヨナラ」と書いた大きなケーキを作るが、見送りには行けなかった。船が港を離れても、十紀は史郎の姿を探し続けるのだった。

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本日16日は舟木さんのコンサートが「ティアラこうとう」で開催されます。関東の皆さんはこの春はどっぷりと舟木さんを堪能されていることでしょうね。できれば、せっかく北陸新幹線も開通したことですし、金沢駅前にはアクセスも便利な立派なコンサートホール・石川県立音楽堂もありますから近いうちに、ぜひ金沢でもコンサートを開催していただきたいなぁと願っています。

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*余談になりますが
「星にそっと」の動画をそのまま続けて聴いていただくと3曲目に「夜更けの街の物語」もアップされていました。

昭和の少女たちの「理想のお兄さん像」〜「叱られたんだね」「夜更けの街の物語」「話してごらんこの僕に」 ときの記事では、「夜更けの街の物語」はyoutubeでは見つからなかったと書いてますが、なんとkazuyanさんの動画にあったんです。あらためてお聞きになってみてくださいね。

最後に再び、「春はまた君を彩る」&「そばにいるから」のジャケットでときめいて下さいね

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タイトルから、外れますが、忘れないうちに……
 
お見逃しなく!12月2日に収録された「NHK総合 歌謡コンサート」
12月23日(火・祝) 午後8時〜8時43分放送 
 
〜「歌謡コンサート」HPより〜 
「作曲家・遠藤実の世界」
今年、七回忌を迎える作曲家・遠藤実が生み出した5000を超える楽曲から選りすぐりの名曲をとどけます。「高校三年生」 「中学三年生」 「ソーラン渡り鳥」 「一週間に十日来い」 「灯りが欲しい」 「北国の春」
など、人々の心に今も残る名曲を舟木一夫、森昌子、こまどり姉妹、五月みどり、五木ひろし、千昌夫、など人気歌手が情感たっぷりに歌いあげます。
また、全50曲中7曲が遠藤実作品であった昭和38年の紅白歌合戦から貴重な映像の数々をお届けします。名曲たっぷりの歌謡コンサートをお楽しみに!
 
〜歌謡コンサート・ブログのサイトより〜
 
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いつもNHK歌謡コンサートをご覧いただき誠にありがとうございます。制作統括のひとり、シゲPこと茂山です。2014年最後の歌謡コンサートは作曲家・遠藤実さんの特集です。
今月12月6日に七回忌をむかえた昭和を代表する作曲家、遠藤実さん。昭和31年にデビュー、亡くなられるまでになんと五千曲以上を作曲、数多くのヒット曲を世に送り出しました。遠藤実さんにゆかりの歌手の方による名曲の数々をNHKの貴重な映像を交えご覧いただきます。
遠藤実さんの作品を今回のように特集して聴くと、その「暖かさ」「優しさ」にあふれている音楽が人々の心にしみこみ、ヒット曲につながったのだなと思いました。遠藤さんはいつも歌い手のことを第一に考え作曲されていたそうです。歌い手もその思いを感じ取り心をこめて丁寧に歌い継いできました。舟木一夫さんは「(遠藤さんの歌は)聴き心地の良い歌」とおっしゃられてました。まさに遠藤メロディーは”私たちの心のメロディー”です。珠玉のヒット曲の数々をぜひご覧下さい。
 
 ***************************
 
 
閑話休題……
 
イメージ 2私の住む地域では、年を越さないうちに雪が積もることは、まずないのですが、今年は暖冬と予想されていたにもかかわらず、早々と雪景色を見ることになりました。

北国の方には、生活上の支障にもなりかねない雪だと思いますが、雪の珍しい地方では、子どもたちは大喜びですし、大人もまた見なれた風景が雪化粧を施すのは、「日本の冬」らしくて風情があると感じるものです。
 
 
 
イメージ 3
 
雪というのはもともとロマンチックなイメージをもたらしますが、思春期の頃に観た映画「北国の街」は、そういった「雪」のイメージを私の中で、より大きく育てたような気がします。
ブログでも再々記していますが、「高校三年生」「学園広場」などの「学園ソング」を唄っていた舟木さんの印象は私の場合、残念ながら、強烈な記憶としてはなくて、私が舟木さんの詰襟の学生服姿の記憶がはっきりとあるのは、映画「北国の街」の中での小島海彦さんなのです。「詰襟を着た舟木さん」というのはは、私にとっては「雪を背景にした海彦さん」なんですね。ですから、こんなタイトルになってしまいました。
 

イメージ 4以下は、2013年3月に掲載した「北国の街」をテーマにした拙ブログの記事です。
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/67915672.html
 
 
北国の街  丘灯至夫:作詩  山路進一:作曲
(舟友のkazuyanさんの動画でお楽しみください)
 
(1965年3月発売)
名残が燃える 心が残る                  
ふたりでかえるアカシアの道
今夜だけでも そばにいて
眺めていたい ひとつ星
ぼくたちだけの よろこびが住む
北国の街
 
ちいさな花を ひろった指と
ほのかに 恥じらい 見あげた顔に
たとえ別れが あろうとも
心はいつも 変わらぬと
誓ってくれた 夜更けの恋よ
北国の街
 
 
夜風がゆれる 灯りがうるむ
肩よせあるく アカシアの道
ここでさよなら するけれど
明日もいい娘で いて欲しい
ぼくたちだけの しあわせがある
北国の街
 
イメージ 5「北国の街」は、当時、私が愛読していた「女学生の友」に掲載されていた、純愛小説に類する世界のようで、舟木さんの佇まいは、そういった小説に登場するヒロインが心惹かれる男子像に重なる部分があったのではないかと思います。少女小説の中に出てくる「清潔で誠実で寡黙で正義感あふれる」理想の男子。少なくとも、私にはそんな雰囲気を舟木さんに感じていたのだと思います。
 
映画「北国の街」は、一面の雪景色の映像が印象的でした。そして、その雪景色の白が、青春の熱い想いを象徴するような紅の感覚とのコントラストになって、思春期の私の心に焼き付いて、鮮烈な記憶となって深く刻まれていたのだと、後に、DVDを何度か見直してみてわかったように思いました。
 
イメージ 6当時の私が観ても特に印象的だったのは通学列車がトンネルに入った場面です。車内が暗くなると、窓ガラスに映るお互いの顔をまわりの乗客たちに気づかれないようにそっと見つめあう海彦と雪子。今の子どもたちの感覚だと、このナイーブさ奥ゆかしさに共感してもらえないのかも…と思ったりします。
 
イメージ 7
 
 
 
 
 
当時、中学生が映画を観るには「保護者同伴」でなければなりませんでしたから、「北国の街」を観に行った時は、叔母が一緒でした。海彦と雪子がふたりっきりになった海彦の家で、見つめ合い、雪子から海彦の肩に手をおいて、その手を海彦がそっと自分の手で包み込み頬をよせていく、そして次に雪子が海彦の手をとって同じように頬をよせていき、ふたりの顔と顔が限りなく近づいていく・・・という透明で美しいシーンをドキドキしながらも、同伴した大人の存在を意識して「多分息を殺して」観ていたのだと思います。

イメージ 8映画の設定は原作の富島健夫さんの「雪の記憶」を借りているのだそうですが、主人公の海彦は「舟木さんのイメージに添った海彦」に脚色されていたようです。「北国の街」の海彦は倉本聡さんと柳瀬監督と舟木さんとで生みだした海彦だったということなのかなと思っています。このあと紹介している「近代映画」掲載記事の中にもあるように、原作を大幅に脚色した台本になっているようです。主人公を演じる舟木さんにオーバーラップさせた海彦像が、撮影を進める中で造形されていったのは間違いないような気がします。素材としての舟木さんの個性が青春純愛映画「北国の街」を成功させたと言ってもいいのではないかと思います。
 
映画の挿入歌として使われている曲に「初恋の駅」があります。北国の街」公開の1年以上前にシングルレコードのB面として発売されていますが、歌詩が「北国の街」のシチュエーションを思わせたから使われたのでしょうか?明るく可愛い曲調で、全体としてはシリアスな展開の物語の中で、ここはホッとします。
 
 
 

イメージ 9初恋の駅   作詩:関沢新一 作曲:山路進一
https://www.youtube.com/watch?v=te9iDmUWSEQ 
(1964年1月 「叱られたんだね」のB面)
いつも電車に 乗ってくる
赤いマフラーの おさげ髪
北風つめたい 駅だった
 
いつもホームで 待っていた
白いマフラーの 男の子
小さなちいさな 恋だった
 
なにも言わずに 歩く道
枯木ばかりの 並木道
イメージ 10それでも楽しい 道だった
 
白いマフラーが 泣いていた
赤いマフラーは 三日まえ
独りでみやこへ 行っちゃった
 
恋は咲かずに 散ったけど
春が来たなら 咲くだろう
誰かと誰かの 思い出に
 
赤いマフラーの ような花
白いマフラーの ような花
電車の小駅に 咲くだろう…
 
 
イメージ 20
 
 
 
イメージ 11
イメージ 12
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「北国の街」が撮影されていた頃のことを、舟木さんが語るという感じで、「別冊・近代映画」に「撮影だより」として、掲載されています。舟木さんは、この時、19歳になったばかりの頃ということになりますね。
 
 
〜北国の街 撮影だより 舟木一夫 (別冊・近代映画 昭和40年4月陽春号) から一部抜粋
 
イメージ 13この話は、手織り縮(ちぢみ)で有名な新潟県十日町を背景に、来春高校卒業を控えた高校三年生の淡い恋と友情を謳いあげた青春ドラマ。
僕の役は、機械織りの陰にかすんでしまった貧しい手織り職人の息子。病身の父から伝統の手織り技術を受け継げといわれながら、よそから転校してきたマコちゃん(和泉雅子さん)と 知り合い、彼女が東京の大学に進学するということに刺激され、伝統に生きるか、彼女と一緒に東京で楽しい青春を送るかとまよう秀才タイプの高校三年生。賢ちゃん(山内賢さん)の役は、県会議員の息子でクラスの番長。人一倍の親分肌で、学校一の不良から僕をまもったり、僕とマコちゃんの仲をとりもってくれたりする無二の親友。いつもの僕と賢ちゃんの役が今回は入れ替わったわけだ。〜中略〜賢ちゃんは、「舟木君が二枚目の秀才なら、僕は多少三枚目でやるか」と……。
 
 
柳瀬監督に「これから本を大々的に書きなおすから、セリフは全部現場でおぼえるようになると思う。君たちは若くて柔軟性があるから安心だけど」と言われ、三人で顔を見合わせ「ギョッ!」〜中略〜書きなおされた台本は、なるほど大まかな動きだけしか書いてなく、セリフは全部ワラ半紙にペンで走り書きしたものばかり。このロケは九日間だが、主な芝居はほとんどロケでこなしてしまうので、毎日が緊張の連続だ。
 
イメージ 14〜中略〜賢ちゃんが、「クラスのことは全部この俺が仕切ってるんだ。喧嘩ならいつでも相手になってやるぜ!」と大見栄を切って不良たちを追っ払ったあと、僕がマコちゃんのことでいいがかりをつけられたということをなかなか賢ちゃんに話さなかったことから、彼が怒っていきなり殴りかかり、痛いほほをさすりながらこんどは僕が猛烈な反撃を喰わすというシーン。
 
秀才という設定だけでもテレてしまうのに番長と互角に殴り合える腕ももっているときたら、もうテレテレだ。これを機会に賢ちゃんと僕の友情が生まれるというここは大事なシーンだ。一見秀才は、ただのひよわな学生にみえながら鋭いパンチの持ち主という意外性が狙いらしいが、はじめてのアクションシーンは本当に相手を殴ってしまいそうで思いきり腕が伸びきらない。賢ちゃんが、「本気でやってよ。僕は上手く殴られたように見せるから」と励ましてくれたので、やっとのびのびと腕をふるうことが出来た。
 
イメージ 15学生服を脱ぎ、最近は背広や着物で歌を唄い、また今度の「北国の街」では、歌手としては珍しく完全な主役を演じたりしている僕をみて、”曲がり角に来た舟木”などと言っている人もあるらしいけど僕の見方はちがう。つまり学生服を着たのはデビュー曲が「高校三年生」だったからであり、背広や着物を着出した理由も、そのような歌を唄っているから当然の話。曲がり角という見方をするならば、僕は人生の毎日毎日が曲がり角だと思う。つまり人生とは一つの点から出発して、こまかい渦巻きを描きながら、徐々に大きな円になっていくということで、一直線に突き進もうとすれば、どうしても急角度の曲がり角にきてストップせざるを得なくなるのではないかと思う。
 
〜中略〜こんどのフラッシュを見てつくづく思ったことは、目の芝居がいかにむづかしいかということと、僕はあくまでも歌手なので、感情を顔だけで表しがちだったのが、映画ではからだ全体で表現しなければならないこと。この体験を生かしてこんどはもっとすばらしい一歩前進した作品を作りたいと思っている。
 
 
当時の「別冊・近代映画」の舟木一夫特集の誌面には、舟木さんご自身のお名前でたくさんの文章が掲載されています。人気絶頂期で寝る時間もないほどの忙しさだった舟木さんですから、ご自身の手で書かれた文章であるのか「聴き取り」記事であるのかはわからないのですが、今の舟木さんのおっしゃっていることのルーツそのままに、きちんと語られていると感じますのでそのまま舟木さんの想いや言葉であるものとして、私は受け取っています。
 
私自身がリアルタイムでこの映画を観た時には、ただ、ただ物語の世界にひきこまれ、思春期でもありましたから、海彦と雪子が、見つめってあっているだけの場面ですら、気恥しく、まして、互いの手をとって頬にあてたり、手の甲にくちづけしたりするシーンなどは、うっとりとしつつもその場から逃げだしたくなるような感じがしたことだけは、くっきりと記憶に残っています。「純愛小説」なら、ひとりの世界でこっそりドキドキして読むことができますが、身内の大人と一緒に映画を観ているのですから、「う〜ん、ひとりで観たかったぁ!」というのがホンネでした。今は、もちろん独りで観てますが、残念ながら13歳の頃のドキドキ感とは雲泥の差で、当時まだ十代だった舟木さんとマコちゃんの表情は、いったいどんなだったかな?とまじまじと画面をみつめてしまいます(笑)13歳の頃、あのスクリーンを観ていた自分自身の表情もできることならタイムスリップして、こっそり眺めてみたいものです(笑)
 
 
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ラストシーン
 
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