復元の平城宮、切手にも登場 遷都1300年記念
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復元の平城宮、切手にも登場 遷都1300年記念
平城遷都1300年を記念し、郵便事業会社(東京)は、平城宮跡に復元された大極殿(だいごくでん)などをあしらった記念切手を全国の郵便局や同社支店で発売した。
シート周辺部(背景)に興福寺の阿修羅像、切手には大極殿のほか、奈良の仏像などを採用した。1シート(80円切手10枚)800円を130万シート発行。問い合わせは同社お客様サービス相談センター(0120・2328・86)へ。
2. 【次代への名言】凛々の政治家編(3)
満15歳の年に「黒船来航」という大事件が勃発(ぼっぱつ)。ガキ大将の大隈は仲間を集めて改革の気炎をあげた−までは大過がなかった。が、「革新派の首魁(しゅかい)」として17歳で藩校・弘道館を退学処分となり、そのあと、保守派が異端視していた蘭学を学ぶにいたるや、彼の味方は母、三井子と少数の友人だけという苦境に陥った。冒頭のことばはそのころの回想である。
大隈はこの後、重罪の脱藩をはじめ、何度も藩の枠を超えた行動に出る。故郷の佐賀藩の藩主、鍋島直正(閑叟(かんそう))は幕末きっての名君の一人だったが、彼の目に閑叟は年齢とともに保守化し、時代の激変を前に藩政は停滞していた。
なぜなら、多少の改革をほどこしても「其(その)組織、其精神は依然たり」だったからだ−と大隈はいう。現代の政財界の盛衰にも通じる明察である。この「列藩」のなかには佐賀藩も入っていたことだろう。でも閑叟はやはり名君だった。大隈はまもなく、それを身をもって知る。(文化部編集委員 関厚夫)
3. 彫刻の森 来月初旬に3000万人突破へ 彫刻の野外展示の先駆け
ピカソ館(内部)
神奈川県箱根町にある彫刻の森美術館。彫刻の名作を展示する日本初の本格的な野外美術館で、子供から老人まで多くの人たちでにぎわう。昨年、開館40周年を迎え、5月初旬に入館者数が3千万人を突破する見通しとなった。改めて彫刻の森の活動などを振り返る。
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箱根の豊かな自然の中にある彫刻の森美術館。日本初の本格的な野外美術館として昭和44年8月1日に誕生した。世界でも、ベルギーのミデルハイム野外彫刻美術館に次いで2番目だった。
敷地面積7万平方メートルという起伏に富んだ広大な敷地に、ロダン以降の近・現代彫刻が配されている。イギリスの巨匠、ヘンリー・ムーア、イタリアのマリノ・マリーニ、フランスのマルタ・パン、流(ながれ)政之ら名作が来館者を迎える。
オープン当初には現代国際彫刻展を開催したほか、開館10周年を機に「ヘンリー・ムーア大賞展」と「ロダン大賞展(61年に高村光太郎大賞展より改名)」という公募展を隔年で開催するなどして、新たな才能を見いだす場となった。
毎年、企画展を実施。「アルナルド・ポモドーロ展」(平成6年)、「マリノ・マリーニ展」(9年)、「アンゼルム・キーファー展」(10年)など大物アーティストたちの数々の企画展を行ってきた。
神奈川県大磯町にアトリエを構える彫刻家、望月菊磨さん(64)は、展覧会の度に必ず足を運んでいる。「子供からお年寄りまで、一般の人が楽しみながら現代彫刻に触れられ、現代アートをより身近なものにした。その存在意義は大きい」
平成16年には源泉を利用した足湯を設けた。散策で疲れた足をいやしながら、温泉気分でアートを観(み)るのも格別。40周年を迎えた昨年、遊べる彫刻の「ネットのお城」は、気鋭の建築家、手塚貴晴+由比夫妻が設計した「ネットの森」として装いを新たにした。造形作家、堀内紀子の手編みのカラフルなネットからは、終日子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる。
また忘れてはならないのが、彫刻への行き届いた管理だ。野外彫刻の場合、外部の専門家に依頼して管理や修復を行うのが普通だが、同館には海外の専門機関で研修を受けた専門スタッフを抱え、維持管理を行っている。そのため野外にもかかわらず、常に美しく保たれている。
世界の美術事情に詳しい熊本市現代美術館の桜井武館長は「国際的な視野に立って企画・収集・管理がすばらしい。さらに海外の美術館と連携を強め、先駆者として活動してほしい」と今後の活動に期待を込める。50周年に向かい、今後はどのような進化を遂げるのだろうか。
【用語解説】彫刻の森美術館
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