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この二日間を総括すると表題のようになります。初日は記念館でのシンポジウム。明治42年築といわれる重要文化財のなかで、私は奈良盆地内の噴砂の確認事例紹介から入って、後半は西表島の津波被害とその後の人口停滞がどのような関係にあるのかを話させていただきました。
もちろんメインスピーカーは地震学の権威尾池和夫先生(元京大総長・現国際高等研究所所長)でしたので、参加者も多く盛会でした。NHKのカメラも入り、夕方にはニュース報道もされたようです。
また西谷地さんの報告は、奈良盆地の東縁を南北に貫く活断層の今後30年間に動く可能性についての話。西谷地さんは警鐘を喚起させる趣旨で取りあげられましたが、私は、それが大和東南部古墳群をもろに縦断する事実を知って驚かされ、その意味するところはなんだろうか、などと考え込んでいました。
会場となった木造の講堂は、それは格調高い雰囲気に包まれており、座席も木製の長椅子。そこでの講演となれば、自由民権運動の際の演説はこのようなものではなかったかと、想像をかき立てるものでした。とはいえ、現実にはパワーポイントを上映しつつマイクで話しをする形態でしたので、想像した映像とは異なって少しミスマッチ。こんな雰囲気の会場なら、一度でいいから扇子を右手で握りしめながら大声で演説をぶってみたい、と思わせるものでした(デジカメの充電をし忘れていたため、会場内は撮影できず終いでした)。
翌日の今日(記事を打ち込んでいる間に日付が替わったので昨日)は、保立道久先生と小路田さんとの3名でのシンポジウム。3名ともに火山と神観念の対応関係の話。私は先日アップしたレジュメに沿って、雲仙と吉野ヶ里の関係は、漢魏洛陽城の配列関係からの影響であると捉えられ、そうなると雲仙は天界の象徴としての意味づけになることと、北部九州にはそうした外来の神観念がいち早く入り込んできたものの、その後倭王権の時代になるとなぜ天界の象徴が黄泉国と交錯してしまうのかを論じた次第です。
保立先生は、神話に登場する場面には、火山の光景を基本モチーフとして描くものが多い事実を指摘なさり、それゆえにタカギムスヒもスサノウも火山や地震の神としての性格を有することを論じられました。特に日本や朝鮮半島で類似したモチーフが共有されるのは、ともに火山を抱え込んでいるという共通の環境によるものであろうとのご指摘は、なるほど、と納得させられました。
小路田さんの報告は相変わらずの小路田節で、徹底的な演繹法の議論。過去認識をめぐって180度見方を変えた現在の歴史学が今後どうあるべきかを論じた基調報告から、農本主義の本質はなにか、という独自の視点にもとづく切り込みに即して神観念の三層構造を語ってくださいました。
今回は奇しくも3名ともに神観念については新旧の、あるいは土着と外来の重層構造としてとらえる点が共通しており、響き合うものが多かったと感じました。それにしても保立先生は私の拙文をじっくり読み込まれており、参照してくださったのには恐縮しました。考古学界の内部では完全に無視されているのに、心から有り難く思いました。
写真は2日目に会場に来てくれたN谷君撮影のもの。メールで送ってくれました。今回も彼のおかげです。上段が一日目の会場であった記念館。3段目の写真の中央が保立先生、右端が小路田さんです。
しかし小路田さんほど右手に扇子が似合う方も少ないのではないかと、今回も改めて感じさせられました。ようするにカリスマなのでしょう。そして二日目のシンポジウムの方が、内容的には記念館を会場に語るのが相応しかったに相異ない。そう思った次第です。
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西国のTKです。少し話しが変わりますが、最近、2000年前前後に東北太平洋側と東南海・南海・日向灘で連動巨大地震があり、広範囲に大津波が襲ったらしいことが言われていますが、厳密な年代や土器編年上での位置は分かっているのでしょうか?ちょうど中期と後期の境前後で、後期初め頃に程度の差はあれ集落動態に全国的な変動があるとされており(北部九州では某O氏が言う極端な変動は否定されますが変動自体はあります)、後期の「寒冷化」に先立つ集落変動の最初の原因の可能性があります。これに関して何かご存知なことは有ります?
2011/10/26(水) 午前 2:23 [ nan*ts*2002 ]
TKさま、科研の申請がらみで追われた一週間でしたので、ご返事が遅れたことをお詫びします。私の手ものとには、宮城県沓形遺跡(2000年前)の津波痕跡以外に同時期の津波痕跡が確認された、という情報は入っておりません。
たしかにご指摘のとおり、中期と後期に集落立地等に激変があり、それが気候の寒冷化直前の不安定化と関連した可能性については、さまざまなところで指摘されていますし、貞観地震の前後に広域的な震災の連動があったと解明されているために、2000年前にそうであっても不思議ではない、という「想定」は仮説としてはありうることだと思います。
しかしながら、大規模地震が南海トラフを含めて連動していたという確証が、どこかの遺跡で確かめられた、というレベルにまで引き上げられたのかどうか。気にはなりつつも、基礎情報を得ていないような状態です。
2011/10/28(金) 午後 8:47 [ flyingman ]
併せて補足させていただきます。寒川旭氏の『地震考古学』が出版されたのは1992年。埋文関係救援会・埋蔵文化財研究会が『発掘された地震痕跡』を出版したのは1996年でした。後者が阪神淡路大震災を受けて、考古学の側から社会に向けた情報発信の必要性を共通認識として自覚し、それを広域連携の体制をとって実現したのは確かなことだと思います。今回の大地震と大津波を受けて、文字史料のない遠い過去の情報を集約して発信する責務が私たち考古学関係者の側に求められているのも確かなことだと思います。
先日は東大の保立道久先生からも、そうした動きへの期待感を伝えられました。1997年以降2011年までに各地での噴砂の検出情報を、ご指摘のような「想定」をも念頭におきながら集約する必要性を感じているところです。そうした動きがあれば、是非ともお教えください。
2011/10/28(金) 午後 9:00 [ flyingman ]
ちなみに国際日本文化研究センターで公開している噴砂データベースに登録されている遺跡は359遺跡です。先の1996年時点での登録遺跡は378遺跡。その後の蓄積を知りたいと思うのです。
2011/10/28(金) 午後 9:06 [ flyingman ]
東南海、南海、日向灘の連動大地震による大津波が2千年前にあったことについては、確か高知大の先生(名前忘れた)が、高知や別府湾などの津波堆積物から推定されています。今年7月の九州考古学会大会(地質学会との合同学会)で言われていました。確かその時に、近い時期に東北太平洋岸でも大地震と大津波があったようなことも言われていたような。
2011/11/1(火) 午前 0:03 [ nan*ts*2002 ]
また、2千年前前後の南海その他の連動大地震は安政年間どころか貞観年間大地震より大規模らしいとのことで、そのデータと今回の東日本大震災により高知県では津波対策の防災計画を見直さざるを得なくなっていることがNHKの特集番組でもやっていました。
2011/11/1(火) 午前 0:08 [ nan*ts*2002 ]
新たな情報をいただき、ありがとうございます。高知と別府湾で確認されたという現地の津波堆積物が、どのような状態で同定され、年代推定されたのか、詳細を知りたいところです。今年の九州考古学会だということであれば、TKさんの方がお詳しいのかもしれません。
2011/11/1(火) 午前 0:10 [ flyingman ]
今回の大震災をきっかけに、安政年間や貞観年間などの、比較的短期間で連動した大地震の記録や堆積物、噴砂などの見直しが進んでいます。しかも今回の大震災はそれらのどれよりも大規模な訳ですが、地質学的に今後20年間以内ぐらいで貞観年間のように連続して各地太平洋側でプレート型大地震が起こる可能性が高いとのこと。安政や貞観などでは、内陸の断層型大地震も多く起こったり火山噴火も多く起こった記録があります。2千年前前後はそうした自然災害が連続して起こった可能性があるのと、今現在の私たちがそうした時期に身を置いているらしいということです。私が知っているのはこれくらいです。
2011/11/1(火) 午前 0:21 [ nan*ts*2002 ]
高知大の先生の話は、NHKが取り上げたり、高知の防災計画見直し(今までの津波規模予想が甘すぎ)のきっかけになっているので、学会発表されているはずです。九州考古学会の資料や発表内容はM口さんに聴かれたら確実と思います。
余談ですが大事なことなのは、浜岡原発停止は色んな意見がありますが、前首相の最大の懸命な判断と思います。翻って火山が突然出現したり既存の桜島などの大きな噴火も想定しうる南九州にあり、かつ海沿いの川内原発は大丈夫なのかと本当に思います。
2011/11/1(火) 午前 0:27 [ nan*ts*2002 ]
ありがとうございます。ただ「今回の大震災をきっかけに」という部分が気になります。貞観津波の研究は1980年代からの蓄積の上に構築されてきておりますし、2009年には近い将来の大津波の到来を予測して、福島第一原発の耐震設計見直しが必要であることを再三にわたって指摘したという経緯もあるようです。さらに文部科学省の地震調査研究推進本部の地震調査委員会も、2010年度から貞観大津波の再評価を進めており、2011年3月9日の調査委員会では、本来、この問題がテーマになる予定だったとのことです。要するに専門家は、震災の発生前から再々大津波の危険性を当局や東電側に訴えていたようです。西側はどうだったのでしょう。
2011/11/1(火) 午前 0:52 [ flyingman ]
ご指摘の通りですね。地震学者や地質学者の一部の方々は、文献記録と噴砂や津波堆積物などを照合して、少なくとも数年前には、過去の巨大地震と大津波の存在を今回の大震災以前に気がついて、警告を発していたのは事実ですね。ただ、そうした声や研究成果が、専門外や一般大衆には届かなかった、あるいは半ば意図的に広められなかった、ということですよね。だから正しくは「今回の大震災をきっかけに、そうした研究成果をマスコミが伝えるところとなり、また行政体がそれに基づいた防災計画見直しをせざるを得なくなり、また一般国民もそうした歴史事実と迫っている危機を知ることになった」と言うべきでしょうか。
2011/11/1(火) 午後 10:33 [ nan*ts*2002 ]
適確なコメントを頂き、ありがとうございます。九州や四国地域における1996年以降の噴砂検出状況については、今後早いうちに関係者に当たって聞いてみたいと思います。このブログをご覧の関係者の方で、その後の情報をご存じの方がいらっしゃれば、書き込んでいただくと嬉しいのですが。
特に私が知りたいのは津波堆積物の確認と年代推定方法です。たとえば水田などの遺構を完全に埋めるシルトや砂礫が、間違いなく海側からの堆積であることを判定するには、珊瑚片や有孔虫の殻などを伴うか否かの点検や、粒径分析など相応の分析作業が必要でしょうから、そうした実践例に学びたいと思うのです。
また沖縄県石垣島には「津波石」と呼ばれる巨大珊瑚礫が丘陵上に転がっており、津波の遡上高や範囲を推定する手がかりにしています。そういった判断根拠や基準は九州ではどのようなものなのでしょう。
細かな実証の問題を措くとしても、社会的関心は急速に高まっていますので、考古学界もそうした関心に応えるべく、しかし答えを焦ることなく「地道に」努力しなければなりませんね。
2011/11/1(火) 午後 11:01 [ flyingman ]
追伸です。ご指摘の川内原発ですが、立地環境を確認しがてら九電のHPを覗いてみたら、3号機の増設計画が謳われていたり「徹底した調査」にもとづく万全の安全性確保に努めています、などといった謳い文句が目白押し。
まるで3月11日などなかったかのようなHPの作りであるだけでなく、事故の評価基準表のレベル7には、過去の実例としてチェルノブイリしか載せられていないことにも驚かされました。やらせ問題や社長の留任問題等で物議を醸している九電ですから、現在の市民感覚でこのHPを見たら、よけい不安になる方は多いのではないか、と、たしかに思います。
原発問題は想定外の自然災害が怖いのではなく、我々の知らないところで練り上げられた閉鎖的運用組織と隠蔽体質が怖いのであって、徹底的に人災であり、自然に向き合う人間側の問題であることを痛感させられます。
2011/11/1(火) 午後 11:20 [ flyingman ]