日田(大分県日田市)について、日田駅、日田の町と駅通りのオブジェを紹介しました。
前回に間違いを訂正のついでにちょこっとふれましたが、日田の三丘陵(三隈、三丘)について、若干の説明(うけうりではありますが)と写真をUPします。
日田市のほぼ中心部には,九州最大の河川である筑後川(三隈川)が市を南北に区切るように西流しています,又、この川には幾つもの支流(花月川など)が合流しています。市内には,かって筑後川の侵食により形成された残丘が存在します。残丘のうち主な三残丘を「日田の三丘」と称して、前回触れたように昔話にもなっています。また周辺部には,発達した台地や丘陵が市の中心部をおおい,その周辺には,700−1000mの山々が連なっています。
日田の地形は上記のとおりなんですが、三丘それぞれは、日田市立博物館の文献によると日田盆地をとりまく周囲の300M−800M級の山から盆地中央部はその地質から新生代代4紀中期から後期にかけすでにそのおよその形は出来ていたと思われるそうです。
そのなかで、日隈山は盆地の中では比較的小高い丘として残り,その後流れ込んだ溶岩に埋もれたり,上流から流れ込んだ河川により侵食されながら,長い年月を経て現在の姿になったようです。
星隈山は阿蘇の溶岩が花月川に侵食されて切り離された残丘のようですが、その下にはいろいろな時代の異なった溶岩が認められるそうです。
月隈山は、全山新生代第四紀洪積世後期に阿蘇火砕流として盆地に流れ込んだ溶岩が、花月川(その元になる河川)等により侵食され,切り離された残丘のようです。
【写真の説明】
☆最初の大きな川(三隈川_筑後川)に接する比較的大きな残丘の写真は日隈山、
現在は亀山公園(日隈城址)
《日隈山》
別名、亀山(亀翁山)ともいう。日の照りつける南側にあるので日の字をあてられたという。
山頂には、古代には日隈古墳が築かれ、近世には日隈城があった。
現在は、亀山公園として整備されている。
☆真ん中の釣鐘状に見える残丘が星隈山
現在は星隈公園
《星隈山》
三郎丸、花月川と三隈川の合流地点にある。
丘には星隈横穴群があり、近くには三郎丸古墳等が点在している。
小川光氏が丸山築城の仮城として居城したと伝えられている。
☆そして最後の写真が月隈山です。
現在は月隈公園(永山城址)となっています。
《月隈山》
別名、丸山・永山(長山)ともいわれていた。
日隈に対して月の字をあてられたという。盆地の北側にある。
日下部氏の古墳であるという見方もある。近世には永山城があった。
現在は、月隈公園として整備されており、一部は大分県立日田林工高等学校の敷地になっている。
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