二十四考

二十四節気に思うこと

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春分

<春分>
太陽が真東から昇り真西に沈み、昼と夜の長さが等しい春の折り返し点(立春と立夏の中間点)である。この春分の日を彼岸の中日というのは、彼岸はその前後の三日間を含めた七日間をいうから。「毎年よ彼岸の入に寒いのは」という子規の有名な句があるが、彼岸の入り(今年でいえば17日)に子規の母親が何気なく呟いた言葉が五七五になっていてそれをそのままそっくりいただいた句である。彼岸は秋にもあるが、季語の世界では彼岸は春の季語、秋のそれは秋彼岸ということになっている。


彼岸という言葉は仏教用語であることは秋分のところで記した通りであるが、あの世という意味合いもあり祖先のいるところにも通じる。ではなぜこの時期に祖先を供養することになったのか、というのはよく分からないが、西方浄土には太陽が真西に沈む春分のときがもっとも近づけるという思想でもあったのかもしれない。それにお墓参りには申し分のない季節だ。


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奈良と京都の境、南山城に佇む浄瑠璃寺というお寺に行ったことがある。石仏が点在する里にあって近くにはあじさい寺ともいわれる岩船寺がある。このお寺には池を挟んで東側に薬師如来を祀る三重塔、西側に本堂の九体阿弥陀堂が配置され(写真参照)、彼岸の中日には太陽が三重塔から昇り九体阿弥陀堂の裏に沈むのだという。薬師如来は現世仏、阿弥陀如来は来世仏だから、東の岸(此岸)から西の岸(彼岸)へ池を小舟で渡り、九体の阿弥陀仏を拝めば極楽浄土の気分が味わえるかもしれない。
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彼岸を詠んだ子規の句には「梨腹もぼたもち腹も彼岸かな」というのもある。この句の季語は梨であり、したがって秋の彼岸の句ということになる。ちなみにぼたもちは牡丹餅とも書き春の彼岸のもの、秋の彼岸に食べるのは同じものでもお萩というがそれぞれ季語にはなっていない。あくまでも牡丹や萩は餅としてではなく花として詠んで初めて季語になるということだろう。子規は果物や甘いものが大好きだった。


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